第一章 始まりの出会い
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*『外』と『絆』
「困ったな……」
ノレインが育てている薬草の畑の傍に座り込んでフレンはポツリと呟いた
ここ最近、市民街の水道の整備をしているらしく、いつも水を汲んでいる滝が塞き止められてしまっているのだ
もとより市民街からのおこぼれを貰っているようなものであって、彼らがそれを知っているわけもないが…
下町の住民にとっては死活問題であった
突然の出来事であったし、蓄えなど殆どない
それは何処の家も…もちろん、フレンの家も例外では無かった
水が無ければ折角ここまで育った薬草すら枯れてしまう
それは非常に困るのだ
どうすればいいかと、フレンが畑の前に座り込んで頭を悩ませていると
「にーいさーんー!!」
と、呼ぶ声が聞こえてくる
顔をあげてキョロキョロと見回すと、アリシアが駆け寄って来ているのが目に入った
いつも被っているフードは邪魔だったのか被ってはいなかったが、あの日以来騎士も来ていないし、特に問題はないだろう
「はぁっ……はぁ……やっと見つけた…!」
息を切らせながらアリシアはフレンに近寄った
「アリシア、どうしたんだい?そんなに走って」
「あのね、さっき大人の人が滝のこと、聞きに行ってたみたいなんだけど…やっぱり教えて貰えなかったみたいなの」
息を整えると、しょんぼりとしてフレンに先ほど聞いた話を伝える
市民街の住民は、答える気がないのか教えてくれなかったようなのだ
「やっぱりか……仕方ない、か……やっぱり川まで行くしか……」
「だ、ダメだよ!!結界の外は危ないって、みんな言ってるし…!それに、大人の人達がいざとなったら行くって言ったから、もう少し待とうよ…!」
真剣に考え出したフレンを、慌ててアリシアは静止しようとする
確かに彼は同年齢の子供よりは結界の外にいると言われている魔物と戦えるだろう
だが、そうだとしても危険なことに代わりない
彼の身に何かあったら……
それこそ、ノレインが気を病んでしまうだろう
「でも、そうでもしないと…」
フレンがアリシアに言い返そうとした、その時
「おーい、フレーン、何してんだよー?」
誰かに呼ばれる声が聞こえ振り返ると、ユーリと数人の子供達がいつも水を汲みに行く時に使っている荷車を押しているのが目に入る
「…そっちは結界の外だぞ」
自身の問いには答えず、フレンは聞き返す
「おう、川に水汲みに行くからな」
不敵な笑みを浮かべてユーリが答える
その答えに、アリシアは息を呑んだ
フレン以外にもそんな無謀なことを考える人がいるなんて…
「…何も武器を持たないで、か?」
咎めるような口調でフレンが言うと、ただ肩を竦めた
彼は大きくため息を付くと、納屋の方へ足を向ける
「に、兄さん…?」
ざわっとアリシアは胸が騒ぐ感覚に囚われる
声をかけるが、いつものような返事は返って来なかった
代わりに、何処か決心したような顔つきで鉈や斧を持って出てくる
両手に抱えたそれを、ユーリ達の前に持って行く
「…一応持って行った方がいい」
そう言いながら、彼はそれを差し出す
サンキュ、とユーリは一言言って斧を手に取る
「んじゃ、オレらは行くから」
ユーリがそう言って、荷車を動かそうとした時
「僕も行く」
たった一言、ユーリを見つめてフレンはそう言った
その場に居た子供やユーリはもちろん、アリシアも驚いた
まさかあのフレンが約束事を破るなど、誰が想像出来ただろうか
「…本気か?」
一拍おいてユーリが問いかけると、力強くそれに頷いた
「えっ…!?兄さんっ!ダメだってば!!」
アリシアは慌てて止めに入るが、フレンは聞きそうにない
「アリシアは待っててくれ、すぐ戻るからさ」
そう言いながらユーリの隣に立つ
「すぐ戻る戻らないじゃなくて…!」
そう言葉を続けようとするが、そんなことも気にせずにフレンはユーリに合図してまた進み出す
それは、アリシアが絶対に結界の外には出ないことを知っての行動であった
「もう……兄さんのバカー!!!!」
結界ギリギリの所まで追いかけて来ていたが、そこから先には足を踏み出そうとはしなかった
「って、言ってるぜ?」
ユーリは隣にいるフレンにそう言うと、苦い顔をして肩を竦める
「枯れられては困るんだ」
たった一言そう言うと、前を向いて黙り込む
『枯れられては困る』……それは、恐らくあの菜園のことだろう
ユーリはフレンに問いかけようか迷ったが、その目はそれ以上何も語ってはくれそうにない
喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、フレン同様視線を前に向けて黙り込んだ
子供達の行軍は静かに川へと歩いて行った
「もー……どうしよう……」
結界ギリギリの所で、一人オロオロしながらアリシアは呟く
大人を呼びに行こうか?
だが、ノレインの耳にこの事が入ったら本気で倒れてしまってもおかしくない
かと言って一人で行った所で連れて帰って来れるかわからない
うーん、と唸り声をあげて考えてみるが、一向にいい案は思いつかない
…こうやって考えている間に、魔物襲われてしまっていないだろうか…
不意にそんな考えが頭を過ぎる
「……あー!もうっ!!」
何処か投げやりに声をあげてフードを深く被る
そして、結界の外へと足を踏み出した
離れた場所から少し様子を見るだけ…
見るだけだから、と自分に言い聞かせながらフレン達の後を追いかけた
少し走った所で遠目ではあるが、川の水を汲んでいるフレン達の姿が見えた
どうやら魔物には遭遇して居ないようだ
アリシアは胸を撫で下ろして、木陰に身を隠して様子を伺う
順調に水は汲めているようだ
大丈夫そうだと判断して、先に戻ろうと彼らに背を向けた時
「ユーリ、魔物だ」
冷静なフレンの声に振り返ると、三体のウルフが彼らを取り囲んでいるのがアリシアの目に入る
今にも襲いかかりそうなウルフ達にアリシアは息を呑んだ
このままじゃ、まずい
フレンはアリシアと稽古していたし、それなりの実力はあるから問題はないだろう
でも、ユーリ達は違う
彼らには剣技など教えてくれるような大人は居ないはずだ
確かにユーリには度胸があるとは思うが、それでも無謀すぎる
必死になんとかならないかと考えるが、答えは一つしか思い浮かばなかった
「………お父さん………ごめんなさい………」
小さく呟いて彼らからもう少し離れると、軽く目を瞑る
「……ーーーー…ーーーーーー……ーーーーーーー」
アリシアが小さく何かを呟くと、ウルフ達の足元に炎の円陣と火柱が立つ
こっそりと彼らの様子を伺うと、困惑した表情をしているのがわかった
ウルフ達は地に伏せ完全に動く気配がなかった
困惑していた彼らだったが、ここに居るのは危ないと判断したらしく、帰る準備を始めていた
「………帰らなきゃ………」
アリシアはもう一度、フードを深く被り直して、フレン達が余所見した隙に結界の方へと向かって走り出した
「にしても、あれ……なんだったんだ?」
水を汲んだ桶を荷車に乗せながらユーリは首を傾げた
魔物が出てきて、フレンと協力して倒そうとした瞬間、突然上がった火柱……
フレンもこれにはかなり驚いていた
「さぁ……誰か武醒魔導器を持っている人でも居たのかもしれない」
ユーリ同様、水の入った桶を荷車に置きながらフレンは答える
「ふーん……それなら、出てきて手伝うとかしてくれたっていいのにな」
ふてくされたように言いながら、ユーリは乗せ残しがないか確認する
すると、川の中に一つの桶が浮かんでいるのが目に入った
恐らく先ほど魔物が出てきた時に転がってしまったのだろう
ふぅ……っとため息をついて桶を取ろうと川に足を踏み入れる
岩に引っかかっていた桶に手を掛けた瞬間
「うわっ!?」
ズルッと足を滑らせてしまった
慌ててその岩にしがみつくが、少し流れが速いせいで上手く体制を取り直せない
「ユーリ!!」
慌ててフレンが助けようと川に足を踏み入れる
が、いくらフレンの身体能力が同年の他の子より長けているとはいえ、所詮子どもは子ども
ユーリと同じく、やはり足を滑らせてしまう
「フレン!?」
ユーリは片手をフレンに差し出すが、その手を掴むことは出来ずあっという間に流されてしまった
「ユーリー!!これに掴まって!!」
ジャレスが木に巻き付けた太い蔦をユーリに向かって思いきり投げた
それに捕まると、岸辺にいた子達が思いきり蔦を引っ張ってなんとかユーリは陸に上がれた
「フレンを探すぞ!」
岸に上がるなり、ユーリはそう言って川沿いを走り出す
後に続くように他の子ども達も走り出した
『いけ好かないやつ』、ユーリの中でそれは変わらない
だからと言ってほっておくのは良くないだろう
彼に何かあったら……母親だけでなく、アリシアも悲しむのだろう
肉親が居ないユーリには、その感情がいまいちよく分からなかった
それでも、彼女が悲しんでいる姿は見たくない
何故だかそう考えていた
フレンの無事を祈りつつ、下流へと急いだ
「この大馬鹿者っ!!何故子どもだけで行ったのじゃっ!?」
広場にハンクスの怒号が響き渡る
何事かと顔を覗かせる大人も居れば、ハンクス同様、怒った表情で子どもたちを見詰めている大人も居た
あの後、フレンは魚人にしがみついている所を通り掛かったキャラバン隊に保護され、ユーリ達も一緒に下町に戻って来ていた
当然ながら、ハンクス達大人には結界の外へ出たことがバレており、全員ハンクスとジリの前に立たされていた
「川の水を汲みに行こうなど儂らだって考えておったわ!それでも、今は必要ないと判断しておったから行かなかったのじゃ!それなのに、お前さん達と来たら…!!偶然通り掛かった彼らのおかげでなんともなかったものの、一歩間違えばどうなっていたかわからなかったのじゃぞ!?」
普段声を荒げないハンクスが大声で怒鳴り散らす
一方、普段怒るジリの方はただ無言でその様子を見ていた
普段とは全く真逆な光景…
子ども達はただ、黙ってハンクスの言葉を聞く
それは、フレンとユーリも同様であった
無事だったんだからいいじゃないか、そんな反論がフレンの喉元まで出かかっていた
確かに『運』がよかっただけかもしれない
だが、結果的には水も手に入って全員無事だったのだ
そこまで言われる筋合いは無いんじゃないか?と…
「良心でやったことが全部褒められる、許されると思っちゃいけないよ」
不意にジリが口を開いた
まるで、フレンの考えを見透かすかのように
俯いていたフレンは顔をあげてジリを見つめる
恐らく、隣にいるユーリも
「大人に相談する手だってお前さん達にはあったはずさ。それをしないで自分たちでやろうとした意気込みは天晴れだよ。だけどね、自分の面倒も見切れないのにそれでもやるってのは、そんなのは格好つけたがりのただの自己満足でしかないんだよ」
子どもたちに言い聞かせるように低い声で、何処か寂しそうにジリは告げる
その言葉はフレンの、そしてユーリの心に深く突き刺さる
『自己満足』……そんなこと、フレンはわかっていた
それでも、体調の悪いノレインの為にと育てていた薬草が枯れられてしまっては困る
だからこそ、ユーリ達に便乗して結界の外へと足を踏み出したのだ
例え、帰ってから怒られたとしても……
「いいか、次も上手くいくだなんて思うんじゃないぞ。次こそ本当に魔物の餌になってしまうかもしれんのだ。そんなことは願い下げじゃ」
いくらか落ち着いた様な声でハンクスは子ども達をもう一度見回しながら言った
その言葉を最後に背を向けて家路にとついた
周りの野次馬達もそれに合わせるようにバラバラと散って行った
後には子ども達とジリが残ったが、いつまでも動き出しそうにない彼らに小さくため息を付くと、彼女も家路についた
「……くそっ!」
ジリがいなくなると、ユーリは近くに止めていた荷車を蹴飛ばした
積まれたままの水の入った桶が僅かに揺れ、中の水が彼の顔を濡らす
フレンは依然黙り込んだまま俯いている
中々その場から動き出しそうにない二人を、ジャレス達は交互に見つめる
「……兄さん……」
シン……と静まり返った広場に鈴の鳴るような声が響く
声の聞こえた方向を彼らが向けば、置いて行ったアリシアが物陰からひょっこりと顔を出していた
「……アリシア……先に帰っていてよかったのに」
今まで一度も口を開かなかったフレンが、絞り出すように声を出した
いつもなら駆け寄っていたが、今日はその場から動かなかった
いや、動けずにいた、が正しいのだろう
何処かつらそうな表情のフレンに、アリシアは駆け寄る
すると、飛びつく様にフレンに抱きついた
「わっ!?アリシア……いきなり飛びついたら危ないじゃないか…」
突然飛びつかれたことでバランスを崩して危うく転びそうになったが、なんとか体制を立て直す
フレンがアリシアの頭を優しく撫でると、顔をあげて嬉しそうに微笑む
「……兄さん、ありがとう!」
満面の笑みで彼女はそう言った
唐突にお礼を言われフレンが唖然としていると、アリシアは彼の元を離れて今度はユーリの方へと抱きつきに行く
「ユーリも、ありがとう!」
フレンに見せたのと同様…いや、それ以上とも言えるほどの笑みでユーリにもお礼を言う
ユーリも何故お礼を言われたかわからず唖然としてしまう
が、二人とも胸の奥でつっかえていた何かが取れたような気がしていた
…もしかしたら、二人はただ単純に褒めて、お礼を言って欲しかっただけなのかもしれない
大人を見返したいだとか、薬草が枯れられては困るだとか、もちろんそれも理由ではあるのだろうが…
それよりも、誰かに褒めて欲しかっただけだったのかもしれない
二人は顔を見合わせて軽く頷き合うと今度はアリシアに目線を戻す
そして…
「「…どういたしまして!」」
同時に笑顔でアリシアに同じ言葉をかけた
~あの事件からしばらく経ったある日のこと~
季節は夏、下町は湿気が多くじめじめと蒸し暑い
あの日以来、アリシアもフレンもよく顔を出すようになった
フレンは特に誰かと遊ぶなどと言うことはないが、アリシアに関してはほぼ毎日、と言っていいくらい遊びに来ている
相変わらず外に出る時にはローブを羽織っていたが、フードを被ることは殆どなかった
強いて言えば、ごくごく稀に巡回をしに騎士が来た時だけだろう
遊んでいる最中に騎士が来ると、必ずと言っていい程フードを深く被って子どもたち(主にユーリ)の背に隠れていた
最初こそ気になっていたものの、そんな彼女の行動も気にならない程度には馴染んできていた
この日もアリシアは広場にやって来ていた
いつもなら来たら一番最初にユーリが声をかけてくるのだが、今日は何故かその彼の姿が見えない
きょろきょろと辺りを見回してみるが、やはり姿がない
また路地裏にでもいるのだろうか?
そう考えて、彼がよく身を潜めている路地を覗いてみたが、此処にも姿がない
普段なら必ずと言っていい程外に出ているはずなのに…と、アリシアは思った
労作の時間は終わっているはずだから、畑にはいないだろうし…
等と一人考え込んでいると、後ろから誰かに呼ばれた気がした
「あ!アリシアだ!」
振り返ると、そこにはいつも遊んでいるジャレス達の姿が見えた
「あ、ジャレス!…ねぇ、ユーリ知らない?」
アリシアが首を傾げるとその動きに合わせて金色の髪が揺れる
「え?ユーリ?うーん…さっきまで広場に居たと思ったけど」
うーん、と思い出すように顎に手を当ててジャレスは答えた
ジャレスが後ろにいる子どもたちに、知ってるか?と声をかけるが、誰も首を縦に振らなかった
『放浪癖』とでも言うべきなのだろうか
いつも気がついたらいなくなっていて、知らない間に戻って来ているのだ
昔からそうだったのか、ジャレス達は全く気にする様子もなかった
「そのうち帰って来るよ!それよりも、遊ぼう!」
一人が言い出すと、口々にそう言い出す
アリシアは少し考え込んでいたが、考えた所でユーリの行動範囲がわからない以上、どうすることも出来ない
「…うん!そうだね!遊ぼう!」
ニッコリと笑って彼らの元に駆け寄った
ユーリなら大丈夫だからと、何故か不安になっている自分に言い聞かせながら
しばらく追いかけっこをして遊んでいると、聞きなれた二つの声が聞こえてきた
「へぇ………本当に物知りだな」
「そんな事ないって。…むしろ、ユーリが知らなさすぎるだけだろう?」
走る足を止めて声の聞こえた方向に顔を向けると、探していたユーリと、兄であるフレンの姿が目に入った
二人が並んで歩いて居ることにアリシアは少し驚いたが、フレンがまた少し打ち解けているように見えて嬉しくもあった
「ユーリ!兄さん!」
アリシアは二人に手を振りながら小走りで近寄った
「お、アリシア!来てたんだな」
アリシアが声をかけると、嬉しそうに目を細めてユーリもフレンも手を振り返した
「あれ、兄さん…その剣って…」
二人の傍に来たアリシアは、フレンの手に握られている剣に目が行った
この剣は確か、市民街から逃れる時に手放していたはず……
フレンはユーリと顔を見合わせると、ニコッとアリシアに笑顔を見せる
「たまたま見つけたんだ、売っている商人をね。…それで、ユーリと一緒に買った。だから、今は僕とユーリの物だよ」
少し複雑そうではあるが、それでも自分の剣が返ってきて嬉しそうにそう言う
「オレさ、強くなりたいんだ。だからフレンに剣の扱い教えてもらう代わり、だよ」
ユーリはユーリで、嬉しそうにそう言った
恐らくフレンが了承したんだとアリシアはすぐにわかった
「そっか…じゃあまた鍛錬出来るね!」
フレンが剣の鍛錬が出来るのは、アリシアにとっても喜ばしいことだった
彼が一番生き生きとしているのは、いつも鍛錬をしている時であった
そんな彼を見ているのが、アリシアは昔から好きだった
だから彼が剣を手放した時からずっと、どうにか取り返せないかと考えていた日も少なくはない
…だが、彼は自身と、ユーリの力で取り戻したんだ、その大切な剣を
自分の事のように喜んでいるアリシアを愛おしそうにフレンは見つめていた
フレンが剣を取り戻したかったのは大切な物だというのもあったが、もう一つ、大事な『約束』があったからだ
それは、父と最後にした、大事な約束…
それを守るためにも
(絶対に、僕が守るんだ)
心の中でそう呟いて、ぎゅっと剣を握りしめた
「困ったな……」
ノレインが育てている薬草の畑の傍に座り込んでフレンはポツリと呟いた
ここ最近、市民街の水道の整備をしているらしく、いつも水を汲んでいる滝が塞き止められてしまっているのだ
もとより市民街からのおこぼれを貰っているようなものであって、彼らがそれを知っているわけもないが…
下町の住民にとっては死活問題であった
突然の出来事であったし、蓄えなど殆どない
それは何処の家も…もちろん、フレンの家も例外では無かった
水が無ければ折角ここまで育った薬草すら枯れてしまう
それは非常に困るのだ
どうすればいいかと、フレンが畑の前に座り込んで頭を悩ませていると
「にーいさーんー!!」
と、呼ぶ声が聞こえてくる
顔をあげてキョロキョロと見回すと、アリシアが駆け寄って来ているのが目に入った
いつも被っているフードは邪魔だったのか被ってはいなかったが、あの日以来騎士も来ていないし、特に問題はないだろう
「はぁっ……はぁ……やっと見つけた…!」
息を切らせながらアリシアはフレンに近寄った
「アリシア、どうしたんだい?そんなに走って」
「あのね、さっき大人の人が滝のこと、聞きに行ってたみたいなんだけど…やっぱり教えて貰えなかったみたいなの」
息を整えると、しょんぼりとしてフレンに先ほど聞いた話を伝える
市民街の住民は、答える気がないのか教えてくれなかったようなのだ
「やっぱりか……仕方ない、か……やっぱり川まで行くしか……」
「だ、ダメだよ!!結界の外は危ないって、みんな言ってるし…!それに、大人の人達がいざとなったら行くって言ったから、もう少し待とうよ…!」
真剣に考え出したフレンを、慌ててアリシアは静止しようとする
確かに彼は同年齢の子供よりは結界の外にいると言われている魔物と戦えるだろう
だが、そうだとしても危険なことに代わりない
彼の身に何かあったら……
それこそ、ノレインが気を病んでしまうだろう
「でも、そうでもしないと…」
フレンがアリシアに言い返そうとした、その時
「おーい、フレーン、何してんだよー?」
誰かに呼ばれる声が聞こえ振り返ると、ユーリと数人の子供達がいつも水を汲みに行く時に使っている荷車を押しているのが目に入る
「…そっちは結界の外だぞ」
自身の問いには答えず、フレンは聞き返す
「おう、川に水汲みに行くからな」
不敵な笑みを浮かべてユーリが答える
その答えに、アリシアは息を呑んだ
フレン以外にもそんな無謀なことを考える人がいるなんて…
「…何も武器を持たないで、か?」
咎めるような口調でフレンが言うと、ただ肩を竦めた
彼は大きくため息を付くと、納屋の方へ足を向ける
「に、兄さん…?」
ざわっとアリシアは胸が騒ぐ感覚に囚われる
声をかけるが、いつものような返事は返って来なかった
代わりに、何処か決心したような顔つきで鉈や斧を持って出てくる
両手に抱えたそれを、ユーリ達の前に持って行く
「…一応持って行った方がいい」
そう言いながら、彼はそれを差し出す
サンキュ、とユーリは一言言って斧を手に取る
「んじゃ、オレらは行くから」
ユーリがそう言って、荷車を動かそうとした時
「僕も行く」
たった一言、ユーリを見つめてフレンはそう言った
その場に居た子供やユーリはもちろん、アリシアも驚いた
まさかあのフレンが約束事を破るなど、誰が想像出来ただろうか
「…本気か?」
一拍おいてユーリが問いかけると、力強くそれに頷いた
「えっ…!?兄さんっ!ダメだってば!!」
アリシアは慌てて止めに入るが、フレンは聞きそうにない
「アリシアは待っててくれ、すぐ戻るからさ」
そう言いながらユーリの隣に立つ
「すぐ戻る戻らないじゃなくて…!」
そう言葉を続けようとするが、そんなことも気にせずにフレンはユーリに合図してまた進み出す
それは、アリシアが絶対に結界の外には出ないことを知っての行動であった
「もう……兄さんのバカー!!!!」
結界ギリギリの所まで追いかけて来ていたが、そこから先には足を踏み出そうとはしなかった
「って、言ってるぜ?」
ユーリは隣にいるフレンにそう言うと、苦い顔をして肩を竦める
「枯れられては困るんだ」
たった一言そう言うと、前を向いて黙り込む
『枯れられては困る』……それは、恐らくあの菜園のことだろう
ユーリはフレンに問いかけようか迷ったが、その目はそれ以上何も語ってはくれそうにない
喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、フレン同様視線を前に向けて黙り込んだ
子供達の行軍は静かに川へと歩いて行った
「もー……どうしよう……」
結界ギリギリの所で、一人オロオロしながらアリシアは呟く
大人を呼びに行こうか?
だが、ノレインの耳にこの事が入ったら本気で倒れてしまってもおかしくない
かと言って一人で行った所で連れて帰って来れるかわからない
うーん、と唸り声をあげて考えてみるが、一向にいい案は思いつかない
…こうやって考えている間に、魔物襲われてしまっていないだろうか…
不意にそんな考えが頭を過ぎる
「……あー!もうっ!!」
何処か投げやりに声をあげてフードを深く被る
そして、結界の外へと足を踏み出した
離れた場所から少し様子を見るだけ…
見るだけだから、と自分に言い聞かせながらフレン達の後を追いかけた
少し走った所で遠目ではあるが、川の水を汲んでいるフレン達の姿が見えた
どうやら魔物には遭遇して居ないようだ
アリシアは胸を撫で下ろして、木陰に身を隠して様子を伺う
順調に水は汲めているようだ
大丈夫そうだと判断して、先に戻ろうと彼らに背を向けた時
「ユーリ、魔物だ」
冷静なフレンの声に振り返ると、三体のウルフが彼らを取り囲んでいるのがアリシアの目に入る
今にも襲いかかりそうなウルフ達にアリシアは息を呑んだ
このままじゃ、まずい
フレンはアリシアと稽古していたし、それなりの実力はあるから問題はないだろう
でも、ユーリ達は違う
彼らには剣技など教えてくれるような大人は居ないはずだ
確かにユーリには度胸があるとは思うが、それでも無謀すぎる
必死になんとかならないかと考えるが、答えは一つしか思い浮かばなかった
「………お父さん………ごめんなさい………」
小さく呟いて彼らからもう少し離れると、軽く目を瞑る
「……ーーーー…ーーーーーー……ーーーーーーー」
アリシアが小さく何かを呟くと、ウルフ達の足元に炎の円陣と火柱が立つ
こっそりと彼らの様子を伺うと、困惑した表情をしているのがわかった
ウルフ達は地に伏せ完全に動く気配がなかった
困惑していた彼らだったが、ここに居るのは危ないと判断したらしく、帰る準備を始めていた
「………帰らなきゃ………」
アリシアはもう一度、フードを深く被り直して、フレン達が余所見した隙に結界の方へと向かって走り出した
「にしても、あれ……なんだったんだ?」
水を汲んだ桶を荷車に乗せながらユーリは首を傾げた
魔物が出てきて、フレンと協力して倒そうとした瞬間、突然上がった火柱……
フレンもこれにはかなり驚いていた
「さぁ……誰か武醒魔導器を持っている人でも居たのかもしれない」
ユーリ同様、水の入った桶を荷車に置きながらフレンは答える
「ふーん……それなら、出てきて手伝うとかしてくれたっていいのにな」
ふてくされたように言いながら、ユーリは乗せ残しがないか確認する
すると、川の中に一つの桶が浮かんでいるのが目に入った
恐らく先ほど魔物が出てきた時に転がってしまったのだろう
ふぅ……っとため息をついて桶を取ろうと川に足を踏み入れる
岩に引っかかっていた桶に手を掛けた瞬間
「うわっ!?」
ズルッと足を滑らせてしまった
慌ててその岩にしがみつくが、少し流れが速いせいで上手く体制を取り直せない
「ユーリ!!」
慌ててフレンが助けようと川に足を踏み入れる
が、いくらフレンの身体能力が同年の他の子より長けているとはいえ、所詮子どもは子ども
ユーリと同じく、やはり足を滑らせてしまう
「フレン!?」
ユーリは片手をフレンに差し出すが、その手を掴むことは出来ずあっという間に流されてしまった
「ユーリー!!これに掴まって!!」
ジャレスが木に巻き付けた太い蔦をユーリに向かって思いきり投げた
それに捕まると、岸辺にいた子達が思いきり蔦を引っ張ってなんとかユーリは陸に上がれた
「フレンを探すぞ!」
岸に上がるなり、ユーリはそう言って川沿いを走り出す
後に続くように他の子ども達も走り出した
『いけ好かないやつ』、ユーリの中でそれは変わらない
だからと言ってほっておくのは良くないだろう
彼に何かあったら……母親だけでなく、アリシアも悲しむのだろう
肉親が居ないユーリには、その感情がいまいちよく分からなかった
それでも、彼女が悲しんでいる姿は見たくない
何故だかそう考えていた
フレンの無事を祈りつつ、下流へと急いだ
「この大馬鹿者っ!!何故子どもだけで行ったのじゃっ!?」
広場にハンクスの怒号が響き渡る
何事かと顔を覗かせる大人も居れば、ハンクス同様、怒った表情で子どもたちを見詰めている大人も居た
あの後、フレンは魚人にしがみついている所を通り掛かったキャラバン隊に保護され、ユーリ達も一緒に下町に戻って来ていた
当然ながら、ハンクス達大人には結界の外へ出たことがバレており、全員ハンクスとジリの前に立たされていた
「川の水を汲みに行こうなど儂らだって考えておったわ!それでも、今は必要ないと判断しておったから行かなかったのじゃ!それなのに、お前さん達と来たら…!!偶然通り掛かった彼らのおかげでなんともなかったものの、一歩間違えばどうなっていたかわからなかったのじゃぞ!?」
普段声を荒げないハンクスが大声で怒鳴り散らす
一方、普段怒るジリの方はただ無言でその様子を見ていた
普段とは全く真逆な光景…
子ども達はただ、黙ってハンクスの言葉を聞く
それは、フレンとユーリも同様であった
無事だったんだからいいじゃないか、そんな反論がフレンの喉元まで出かかっていた
確かに『運』がよかっただけかもしれない
だが、結果的には水も手に入って全員無事だったのだ
そこまで言われる筋合いは無いんじゃないか?と…
「良心でやったことが全部褒められる、許されると思っちゃいけないよ」
不意にジリが口を開いた
まるで、フレンの考えを見透かすかのように
俯いていたフレンは顔をあげてジリを見つめる
恐らく、隣にいるユーリも
「大人に相談する手だってお前さん達にはあったはずさ。それをしないで自分たちでやろうとした意気込みは天晴れだよ。だけどね、自分の面倒も見切れないのにそれでもやるってのは、そんなのは格好つけたがりのただの自己満足でしかないんだよ」
子どもたちに言い聞かせるように低い声で、何処か寂しそうにジリは告げる
その言葉はフレンの、そしてユーリの心に深く突き刺さる
『自己満足』……そんなこと、フレンはわかっていた
それでも、体調の悪いノレインの為にと育てていた薬草が枯れられてしまっては困る
だからこそ、ユーリ達に便乗して結界の外へと足を踏み出したのだ
例え、帰ってから怒られたとしても……
「いいか、次も上手くいくだなんて思うんじゃないぞ。次こそ本当に魔物の餌になってしまうかもしれんのだ。そんなことは願い下げじゃ」
いくらか落ち着いた様な声でハンクスは子ども達をもう一度見回しながら言った
その言葉を最後に背を向けて家路にとついた
周りの野次馬達もそれに合わせるようにバラバラと散って行った
後には子ども達とジリが残ったが、いつまでも動き出しそうにない彼らに小さくため息を付くと、彼女も家路についた
「……くそっ!」
ジリがいなくなると、ユーリは近くに止めていた荷車を蹴飛ばした
積まれたままの水の入った桶が僅かに揺れ、中の水が彼の顔を濡らす
フレンは依然黙り込んだまま俯いている
中々その場から動き出しそうにない二人を、ジャレス達は交互に見つめる
「……兄さん……」
シン……と静まり返った広場に鈴の鳴るような声が響く
声の聞こえた方向を彼らが向けば、置いて行ったアリシアが物陰からひょっこりと顔を出していた
「……アリシア……先に帰っていてよかったのに」
今まで一度も口を開かなかったフレンが、絞り出すように声を出した
いつもなら駆け寄っていたが、今日はその場から動かなかった
いや、動けずにいた、が正しいのだろう
何処かつらそうな表情のフレンに、アリシアは駆け寄る
すると、飛びつく様にフレンに抱きついた
「わっ!?アリシア……いきなり飛びついたら危ないじゃないか…」
突然飛びつかれたことでバランスを崩して危うく転びそうになったが、なんとか体制を立て直す
フレンがアリシアの頭を優しく撫でると、顔をあげて嬉しそうに微笑む
「……兄さん、ありがとう!」
満面の笑みで彼女はそう言った
唐突にお礼を言われフレンが唖然としていると、アリシアは彼の元を離れて今度はユーリの方へと抱きつきに行く
「ユーリも、ありがとう!」
フレンに見せたのと同様…いや、それ以上とも言えるほどの笑みでユーリにもお礼を言う
ユーリも何故お礼を言われたかわからず唖然としてしまう
が、二人とも胸の奥でつっかえていた何かが取れたような気がしていた
…もしかしたら、二人はただ単純に褒めて、お礼を言って欲しかっただけなのかもしれない
大人を見返したいだとか、薬草が枯れられては困るだとか、もちろんそれも理由ではあるのだろうが…
それよりも、誰かに褒めて欲しかっただけだったのかもしれない
二人は顔を見合わせて軽く頷き合うと今度はアリシアに目線を戻す
そして…
「「…どういたしまして!」」
同時に笑顔でアリシアに同じ言葉をかけた
~あの事件からしばらく経ったある日のこと~
季節は夏、下町は湿気が多くじめじめと蒸し暑い
あの日以来、アリシアもフレンもよく顔を出すようになった
フレンは特に誰かと遊ぶなどと言うことはないが、アリシアに関してはほぼ毎日、と言っていいくらい遊びに来ている
相変わらず外に出る時にはローブを羽織っていたが、フードを被ることは殆どなかった
強いて言えば、ごくごく稀に巡回をしに騎士が来た時だけだろう
遊んでいる最中に騎士が来ると、必ずと言っていい程フードを深く被って子どもたち(主にユーリ)の背に隠れていた
最初こそ気になっていたものの、そんな彼女の行動も気にならない程度には馴染んできていた
この日もアリシアは広場にやって来ていた
いつもなら来たら一番最初にユーリが声をかけてくるのだが、今日は何故かその彼の姿が見えない
きょろきょろと辺りを見回してみるが、やはり姿がない
また路地裏にでもいるのだろうか?
そう考えて、彼がよく身を潜めている路地を覗いてみたが、此処にも姿がない
普段なら必ずと言っていい程外に出ているはずなのに…と、アリシアは思った
労作の時間は終わっているはずだから、畑にはいないだろうし…
等と一人考え込んでいると、後ろから誰かに呼ばれた気がした
「あ!アリシアだ!」
振り返ると、そこにはいつも遊んでいるジャレス達の姿が見えた
「あ、ジャレス!…ねぇ、ユーリ知らない?」
アリシアが首を傾げるとその動きに合わせて金色の髪が揺れる
「え?ユーリ?うーん…さっきまで広場に居たと思ったけど」
うーん、と思い出すように顎に手を当ててジャレスは答えた
ジャレスが後ろにいる子どもたちに、知ってるか?と声をかけるが、誰も首を縦に振らなかった
『放浪癖』とでも言うべきなのだろうか
いつも気がついたらいなくなっていて、知らない間に戻って来ているのだ
昔からそうだったのか、ジャレス達は全く気にする様子もなかった
「そのうち帰って来るよ!それよりも、遊ぼう!」
一人が言い出すと、口々にそう言い出す
アリシアは少し考え込んでいたが、考えた所でユーリの行動範囲がわからない以上、どうすることも出来ない
「…うん!そうだね!遊ぼう!」
ニッコリと笑って彼らの元に駆け寄った
ユーリなら大丈夫だからと、何故か不安になっている自分に言い聞かせながら
しばらく追いかけっこをして遊んでいると、聞きなれた二つの声が聞こえてきた
「へぇ………本当に物知りだな」
「そんな事ないって。…むしろ、ユーリが知らなさすぎるだけだろう?」
走る足を止めて声の聞こえた方向に顔を向けると、探していたユーリと、兄であるフレンの姿が目に入った
二人が並んで歩いて居ることにアリシアは少し驚いたが、フレンがまた少し打ち解けているように見えて嬉しくもあった
「ユーリ!兄さん!」
アリシアは二人に手を振りながら小走りで近寄った
「お、アリシア!来てたんだな」
アリシアが声をかけると、嬉しそうに目を細めてユーリもフレンも手を振り返した
「あれ、兄さん…その剣って…」
二人の傍に来たアリシアは、フレンの手に握られている剣に目が行った
この剣は確か、市民街から逃れる時に手放していたはず……
フレンはユーリと顔を見合わせると、ニコッとアリシアに笑顔を見せる
「たまたま見つけたんだ、売っている商人をね。…それで、ユーリと一緒に買った。だから、今は僕とユーリの物だよ」
少し複雑そうではあるが、それでも自分の剣が返ってきて嬉しそうにそう言う
「オレさ、強くなりたいんだ。だからフレンに剣の扱い教えてもらう代わり、だよ」
ユーリはユーリで、嬉しそうにそう言った
恐らくフレンが了承したんだとアリシアはすぐにわかった
「そっか…じゃあまた鍛錬出来るね!」
フレンが剣の鍛錬が出来るのは、アリシアにとっても喜ばしいことだった
彼が一番生き生きとしているのは、いつも鍛錬をしている時であった
そんな彼を見ているのが、アリシアは昔から好きだった
だから彼が剣を手放した時からずっと、どうにか取り返せないかと考えていた日も少なくはない
…だが、彼は自身と、ユーリの力で取り戻したんだ、その大切な剣を
自分の事のように喜んでいるアリシアを愛おしそうにフレンは見つめていた
フレンが剣を取り戻したかったのは大切な物だというのもあったが、もう一つ、大事な『約束』があったからだ
それは、父と最後にした、大事な約束…
それを守るためにも
(絶対に、僕が守るんだ)
心の中でそう呟いて、ぎゅっと剣を握りしめた