第一章 始まりの出会い
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*黒い少年
「アリシア、そっちの準備は出来たかい?」
「うん!出来たよ!」
フレンの問いに笑顔でアリシアは答えた
『壁の外』へと逃げてから早数ヶ月が経った
ノレインはやはりと言うべきか、ファイナスを失ったことがかなり心にきてしまっているようだ
そんな彼女を支えようと、フレンとアリシアは一生懸命手伝いをした
最初、ここに来た時は落ち込んでいたアリシアであったが、持ち前の適応力の高さで、大分以前と同じ様に生活出来ていた
『壁の外』……ここでは『下町』と呼ぶらしいが、ここの大人達はとてもいい人であった
逃げ込んですぐ、声をかけてくれたのはハンクスという名の初老であった
彼に掻い摘んで説明すると、周りの大人達も次々と歓迎してくれ、住む場所はおろか当面の生活に必要なものさえ分けてくれた
ファイナスの言った通り、とても優しい人達だとノレインは思った
だが、中心地ではなく敢えて少し離れた所で暮らすことを決めていた
それは、彼らを警戒してではなく騎士を警戒してだ
もし、騎士が下町にアリシアを探しに来たら……
そう考えるだけで背筋が凍りそうになる
ノレインにとっても、アリシアは既に自身の娘と同じくらい大切になっていた
その子を易々と引き渡すわけにもいかない
ましてや見ず知らずの自分達にこれ程優しくしてくれている下町の彼らに迷惑をかけるわけにもいかない
そう考えてでの決断だった
だが、ここに来てからノレインの体調はあまり良くない
寝込んでいることが大半で、家のことはフレンとアリシアがやっていることが多い
今日も二人で夕食を作っている所であった
レシピを見ながら野菜を切ったりしていると、不意に玄関から呼ぶ声が聞こえる
「出てこいよ、おい、フレン!聞こえないふりしてんじゃねぇ!フーレーン!」
その声にまたか…とフレンはため息をつく
ここに来てから何度この声に呼ばれただろうか
市民街から来た、たったそれだけの事でこうもしつこく彼らはほぼ毎日のようにやって来る
いい加減苛立たしい
「アリシア、この野菜切っておいてくれるかな?」
「はーい!」
元気よく返事をしたアリシアの頭を軽く撫でてから、フレンは玄関へと走りだした
そのフレンの背を見送ってから、アリシアは言われた通りに野菜を切る
この数週間でかなり色々なことが出来るようになってきた
初めてやることが多くて毎日わくわくしている
包丁を握るのもその一つであった
初めのうちはフレンが持ち方が危ない、だとか心配していたものの、物覚えのいいアリシアはすぐに使い方を覚え、今ではフレンがついていなくてもなんら問題がない
一通り切り終え、フレンが戻って来るのを待っていると、外から何かがぶつかるような音が聞こえる
何かあったのだろうか…
少し不安になってアリシアは玄関へ向かう
「ユーリの勝ちだ!」
「(『勝ち』……?『ユーリ』って、誰だろう?)」
玄関前に来て聞こえた声にアリシアは首を傾げる
でも、『何かがあった』、それだけは理解した
すっと深呼吸して扉を開ける
「兄さん??」
ひょこっと顔を出すと、フレンの他に男の子が数名居るのが目に入る
中でも一際目立ったのはフレンの隣に立っている子だ
身なりからして恐らく男の子なんだろうが、その顔立ちといい髪といい一瞬女の子じゃないかとも思えた
整った顔にとても綺麗な紫帯びた黒髪を肩の高さで切りそろえている
フレンも顔は整っているし、アリシアと同じ金色の短髪も綺麗だが、彼女にはそれよりもその男の子の黒に惹かれていた
アリシアだけでなく、その男の子達もまた、彼女を見て息を呑む
フレンと同じ金色の髪を胸の辺りまで伸ばし、フレンとよく似た顔つきをしている
が、瞳だけは燃えるような赤い色をしていた
「アリシア……出てきちゃ駄目じゃないか」
フレンは周りの少年達に背を向けると、アリシアに歩み寄った
先ほどまでの冷たい、蔑んだような声色ではなく、とても優しそうな声で話しかける
「兄さんが帰ってくるの、遅かったからつい…」
凛と澄んだ、鈴のような声でフレンに話しかける
何処か寂しそうで甘えるような声に、ドキッとした少年も少なくはなかったろう
「ごめんごめん、ほらもう戻ろう?」
フレンは一度少年達の方を見る
目線で何か伝えようとする
「……兄さん、あたし先に中入ってるからお話しするならしてていいよ」
アリシアはニコッと笑ってフレンを見る
フレンはどうしようか少し悩んだが、ふっと苦笑いしてアリシアの頭を撫でる
アリシアは嬉しそうに目を細めると、先に一人で中に戻る
パタン……と、扉が閉まるとフレンは押し掛けて来た少年達の方を向く
「……悪いけど、あの子のことはあまり言いふらさないでもらえるか?」
彼女に話しかけていた時よりも低い声で、真剣そうに見つめて言う
「………わかった。言いふらさねえよ」
『ユーリ』と他の少年達が呼んでいた黒髪の少年は特に詮索しようとはせずにそう頷く
フレンはそれを聞くと、黙って家の中へ戻ろうとする
「…いきなり"あんな事"して悪かった」
後ろからそう言われ、少し驚いて振り返る
驚いていたのはフレンだけでなく、彼の周りに居た少年達も同じだった
「な…っ!ユーリ!なんで謝んだよ!」
「そうだよ!!あいつ、俺らのこと見下してんだぞ!!」
口々に少年達は彼に言う
『見下す』……確かにそういう点はあったし、彼らに対して言った気もする
先ほどの彼らの行動も、完全に理解出来ないわけではない
だが、まさか謝られるとは思っていなかった
「あのなぁ、手出した方がよっぽどだろ。それに、お前ら何度も来て同じようなことしてたんだろ?原因作ったのはこっちなんだから、それが普通だろ」
呆れたような口調でそう言う
先ほど、自分に向かってきたのが嘘のように見えた
「……こっちこそ、気を悪くするような事を言って、すまなかった」
フレンは一言そう言うと、今度こそ家の中へ戻った
キッチンに向かうと、ノレインがアリシアと一緒に野菜を煮込んで居るのが目に入った
「あ、兄さん!おかえり!」
フレンに気づいたアリシアがニコニコ笑いながら駆け寄る
少しまずいことになった
きっとアリシアは、彼らのことを話しているだろうし…
何を言ったかはわからない
それでも、嫌な予感がしていた
「フレン、いつの間にお友達をつくっていたの?」
少し嬉しそうにノレインはフレンに聞いた
一瞬耳を疑ったが、恐らくアリシアが『友達』だと勘違いしていたのだろう
「…母さんが寝てる時とか、居ない時にたまに遊びに誘ってくれるんだ」
一呼吸置いて、フレンは笑いながら答える
今、母さんに心配をかけるわけにいかない
その気持ちでなんとか誤魔化す
実際友達だとは言い難いのだから
「そう…もう少ししたら、アリシアと一緒に遊びに行ってもいいわよ」
今はまだ少し怖いから…とノレインは付け足す
『まだ』騎士が追ってくる様子はない
でももう暫くは警戒しておくべきだろう
ノレインの言葉にフレンは力強く頷く
「さぁ、二人とも、お皿を取って頂戴?」
「はーい!」
元気よく返事をして、アリシアはフレンから離れる
こちらに来てから、随分と笑顔を見せるようになった
それが、フレンとノレインにはとても嬉しかった
両親やファイナスのことを気にして、塞ぎ込んでしまうのではないかと思っていたが、ノレインの言葉が彼女の心を支えているようだ
正に花の咲いたような、可愛らしい笑顔……
それを見れるだけで、二人の心は休まった
まだまだ不安は絶えないが……
それでも、彼女の笑顔に安堵していた
その笑顔が、いつまでも絶えないように……
ただそれだけを、フレンは強く願った
~あの日から一ヶ月~
ある日の夕方、アリシアは料理本と睨めっこしながら一人唸り声を上げていた
ここに来てから既に半年
アリシアはもう、料理もフレンが居なくてもおおまかなことは一人で出来るようになっていたし、掃除や洗濯もあらかた出来るようになっていた
が、半年経った今でも一人で外に出掛けることは殆どない
出掛ける時は必ずフードを被っているくらいだ
この日は、畑に出掛けているノレインと市民街に出掛けたフレンの代わりに、一人夕食を作っていたのだか……
夕方になってもフレンが帰って来ない
あからさまにおかしい
いつもならとっくに帰って来ているはずだ
そんなことを考えながら本と睨めっこしていると玄関の扉の開く音が聞こえた
顔をあげると、フレンではなくノレインの姿が目に入る
「お母さん、おかえりなさい!」
ニコッとアリシアが微笑む
「ただいま、アリシア」
ノレインもそれに合わせて微笑む
ここに来てから半年で、随分やつれたように見える
だが、平然を装っている為、アリシアは敢えてその事を口にしなかった
言ってはいけない気がしていたのだ
「あら、フレンはまだ帰って来ていないの?」
少し心配そうに顔を歪めてノレインは問いかける
「うん……いつもなら帰って来てるはずなのに……」
少し肩を落としてアリシアはそれに答える
もう日も大分落ちてきた
フレンがこんな時間まで帰らなかったのは初めてだ
アリシアはそわそわと玄関の方を何度も覗く
「……アリシア、探して来てくれるかしら」
そんなアリシアにノレインが優しく言う
当然彼女は驚いた
まさかそう言われるとは思っていなかった
『探しに行ってくる』ならまだわかる
でも、『探して来てくれる』だったのだ
「で、でも……」
「夕飯は後はやっておくわ。それに、いつものようにしていれば大丈夫よ」
ノレインはにっこりと微笑む
しばらくどうしようかと悩んでいたが、立ち止まっていても始まらない
力強く頷くと、掛けてあったローブを羽織りフードを深く被る
「……お母さん、いってきます!」
「ええ、気をつけてね」
アリシアはそう言って暗くなりだした外へ飛び出して行った
「兄さん……何処だろ……」
キョロキョロと辺りを見回しながらアリシアは呟く
いつも兄さんが居る壁の上には居なかった
兄さんが行きそうな場所は粗方見たが、何処にも姿が見えない
うーん、と唸りながら歩いていると、一つの通りが目に入る
『灰色小路』……確かそんな呼ばれ方をしていたはずだ
大人でさえ近づかないというその場所の入り口に、アリシアはなんとなく近づいてみた
まさか彼がここに入った、等とは思わなかったが、単純な好奇心だ
お化けや幽霊の類の噂が絶えないこの通り……
本当にそんなものが実在するのか気になったのだ
だが、今はフレンを探すのが先決だ
また今度、一緒に来よう
そう考えて背を向けようとしたその時
カシャッ!カシャッ!!
自分が歩いてきた方向から金属の擦れ合う音が聞こえてくる
その音はやけに耳に馴染みがあった
……父親が、歩く度に鳴らしていた金属音……
それと酷似していた
ゴクリと生唾を飲み込む
まさかここで騎士が来るなんて……
音は徐々に近づいてくる
一人分ならまだしも、複数だ
このまま戻れば鉢合わせするのは明白だ
ならばどうする?
答えは一つしかない
幸い夜目は効く方だ
進んだ道を注意して覚えておけばいい
たったそれだけのことだ
迷う暇もなく、アリシアは灰色小路に飛び込んだ
中は思っていたよりも暗く、入り組んでいた
それでも、迷うことなくその中を駆け抜ける
右へ、左へ、また右へ……
うねうねとした道を、迷わずに走る
騎士に、会うわけにはいかない
そんな思いを心に抱いて走り続ける
大分奥に来たところで少し広い空間に出る
ゆっくりと立ち止まって、乱れた息を整えようと深呼吸した
ここまで来れば流石に追って来ないだろう
中々整えられない息を、無理矢理整えようと胸に手を当てる
パキッ!!!
前の道から物音がしてビクッと肩を上げる
誰かが居る
人か、あるいは猫などの動物か……
つぅっと額を冷や汗が伝う
もしも、騎士だったら?
逃げようがない
既にかなり疲れてしまっている
今の状態で走るのはきつい
ドクン、ドクンと鼓動が高鳴る中、やけに聞き覚えのある声が聞こえてきた
「アリシア……?」
その声と共に、真正面の道から探していたフレンと、いつかの黒髪の少年が出て来た
「アリシアって、この前の女の子か?」
黒髪の少年が首を傾げると、フレンは力強く頷く
一瞬驚いていたが、すぐに笑顔を見せフレンに駆け寄る
「兄さん……!!やっと見つけた…!!」
息を切らせながらそう言って、フレンに飛びつく
「全く……こんなところまで来て……」
飛びついてきたアリシアをいとも簡単に抱きとめながらフレンはため息をつく
「だって、帰って来るの遅かったから……」
顔をあげて、寂しそうな声で呟く
「ごめんよ、母さんが作ってくれた帽子が風で飛ばされちゃってね…拾いに来てたんだ」
アリシアの頭を撫でながらフレンは苦笑いする
チラッと黒髪の少年の方を見て何か目で合図しているが、アリシアには何を伝えているかわからなかった
フレンと黒髪の少年が目で合図している間、アリシアの目は二人の顔を行ったり来たりしている
先日家の前で見かけた時……どう見ても仲が良さそうには見えなかった
ノレインには『友達と』と言ったが、内心そんな関係ではないと思っていた二人が一緒にいるこの状況が、少しおかしく思えていた
そんなアリシアをフレンが見てしばらく何か考えていたが、決心したようにアリシアを自分から少し離して黒髪の少年の方に体を向ける
「……考えたけど、やっぱり君には紹介しておくよ。…妹のアリシアだ」
ポンっとアリシアの頭に手を乗せてフレンは言う
突然のことに、アリシアは驚く
まさか自分のことを紹介されるなど、夢にも思っていなかったのだ
「兄さん……いいの?」
フードで表情は見えない
でも、心配そうにしているのは声でわかる
「いいよ、僕のことを探しに来てくれていたみたいだしさ」
「別に、たまたまだって」
フレンがにこやかにそう言うと、少しぶっきらぼうな声が聞こえる
黒髪の少年は、ガシガシと頭を掻くと、軽く深呼吸をする
「…ユーリ、ユーリ・ローウェルだ」
ニッと笑いながら彼はそう告げる
「えっと……アリシア……アリシア・シーフォ……」
おどおどとしながらも、アリシアはフードを外しながら自分の名を口にする
自己紹介をするのに、フードを付けているのは失礼だ
「そんなに関わることもないかもしれないが……よろしく頼むよ」
「んなこと言うなって、出会い方には確かに問題あっけど……さ」
少し突き放したような言い方をフレンがすると、バツが悪そうにユーリがつげる
やはりあまり仲が良さそうには見えない
が、何処となく仲良く出来そうな雰囲気の二人に彼女はクスッと笑う
兄さんも素直に友達になればいいのに、と心の中で思う
尚も言い合っている二人を見ていると、後ろから先ほどと同じ金属音が聞こえてくる
それに気づいたアリシアは、咄嗟にフードをまた深く被った
「?アリシア?一体どうし」
「誰だっ!!!そこに居るのはっ!!」
怒声に驚いて振り返ると、複数人の騎士がそこに居た
普段、下町には来ないような甲を付けていない騎士だ
背筋がゾッと凍る感覚をフレンが襲う
何故、彼らがここに?
「なんだ、下町の餓鬼か。こんな時間にこんなところで、一体何をしてる?」
あからさまに蔑むような表情で一人が問う
その言葉にフレンは怒りを覚えた
誰のせいで下町で生活するようになったと思っているのだ
そんな言葉が頭に過ぎる
ユーリも頭にきていたが、彼はそれを表情には出さずじっと耐える
いつかその頭かち割ってやる、と心の中で暴言を吐きながら、道に迷った、と言おうとした時
フレンがアリシアから離れて、騎士の前に出る
「僕達やましい事なんて何もしてません」
騎士の前で堂々とそう言うのだ
ユーリだけでなく、アリシアも驚いた
確かに騎士を好いていない理由はわかるが、何もそこまで挑発的な態度をとるなんて…
思った通り、フレンはその騎士に平手打ちを食らって、バタッと倒れ込んでしまう
「兄さん…!」
アリシアは慌ててフレンの傍に駆け寄る
「あん?なんだ?邪魔すんのか?」
フレンにぎゅぅっと抱きついたアリシアを見下ろしながら騎士は言う
流石に行動が無謀すぎるのではないだろうか…
ユーリはそう思ったが、なんとかしようと二人の傍に近づく
その時だった
「おいっ!!漆黒の翼がいるぞ!!」
一人がそう叫びながら屋根の上を指さす
見上げると、真っ黒な服を着た人物が目に入る
フレン達のことすら気にもとめずに騎士達はその人物を追いかけて行った
唖然としてしばらく三人はその場から動けなかったが、騎士が居なくなったのに気づくとユーリが二人に声をかける
「…もう、大分夜も遅くなっちまったし、帰ろうぜ」
そう言いながらユーリは手を差し出す
「あ……うん……」
まだ少し怯えたような声でアリシアは頷くと、フレンから離れて立ち上がる
顔が見えないようにと、フードの裾をぎゅっと握って更に深く被る
その行動にユーリは疑問を抱いたが、聞いたところで教えて貰えそうでもない
だから、敢えてその行動には触れなかった
「……フレン、行こうぜ?」
ユーリはもう一度、フレンに声をかける
恨めしそうな、その表情は未だに消えそうになかったが、ゆっくりと金色の髪を揺らしながら頷く
何度か深呼吸をすると、表面上はその激しい怒りのような感情は消え、いつもの冷静な顔が見える
それでも一向に動き出しそうにはない
叩かれた頬が痛むのだろうか……
アリシアはそんなことを思った
だが、ここで傷の手当をする訳にはいかない
まだ、先ほどの騎士達が近くにかもしれない
傷の手当中に戻って来たりでもしたら、それこそまずい
今はフレンが動き出すのを待つしか出来ない
しばらく深呼吸していたフレンだったが、大分落ち着いたようで差し出されたユーリの手を取って立ち上がる
「……すまない」
フレンは申し訳なさそうにユーリに言う
「別にいいさ、家帰んの遅くってもバレなきゃ怒られねえからさ」
ユーリは苦い顔をしてそう言う
『バレなきゃ』、アリシアにはその言葉が酷く心に残った
バレなきゃとはどうゆう事なのだろうか
そんな疑問が頭を過ぎる
が、ユーリはフードを深く被ったことに対して何も聞いてこない
それなのに聞くのはどうかと思い、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ
「…行こうか」
フレンのその言葉に二人は頷いて、彼を先頭に歩き出す
全く迷うことなく、灰色小路の出口に辿り着くことが出来た
もう夜も大分更けてしまった
三人は無言のまま、自分達の住んでいる噴水横丁の方へと少し駆け足て進む
広場まで着いたところで、フレンがユーリの方を振り向く
「…こんな時間まで付き合わせてしまって、本当にすまなかった」
「さっきも言ったけど、別にいいっての。オレが勝手についてってただけだしよ」
ニカッと、フレンとは違う笑みに一瞬だけドクンとアリシアの心臓が跳ねた
フレンの爽やかな笑みとは違う
何処か余裕のある、自信に満ち溢れたような笑顔
何故か心臓がうるさい
浮かんだ気持ちに戸惑うが、その気持ちもすぐに消える
それよりも、ノレインの待つ家に帰らねば
その気持ちの方が強くなった
「それじゃ、僕らはここで」
「あぁ、また、な?」
「えっと……またね!ユーリ!」
騎士が居ないのを軽く確認してから、アリシアはフードを取ってユーリに微笑みかける
そして、フレンの後を追いかけるように付いていくが、途中で止まって振り向くと、もう一度ユーリに手を振る
二人を見送ってから帰ろうとしていたユーリは、そのアリシアに手を振り返す
彼女が居ないことに気づいたフレンが戻って来て手を引いて歩き出すが、依然としてアリシアはユーリに手を振ることをやめない
半分呆れながらも、彼女に手を振られることが嫌ではないユーリは、見えなくなるまで手を振り返してやっていた
彼女が見えなくなったところで手を下ろして、我が家の方へと足を向けた
フレン達の方はというと、ユーリが見えなくなり、アリシアが少し寂しそうにする
「うー……もーちょっとお話したかった」
むっとしてアリシアが呟く
「今日はもう遅いし……また今度、機会があったら、ね?」
フレンは宥めるようにそう言う
が、アリシアはずっとブツブツと文句を言っている
人通りも少なくなった、家への道……
ブツブツ文句を言っていたアリシアは、はっとしてフレンを見る
「兄さん……ちょっとだけ、止まって?」
アリシアがそう言うと、フレンは足を止める
すると、急にアリシアが先ほど騎士に平手打ちを食らった箇所に手をかざす
「……ファーストエイド」
ポツリと呟くと、ふんわりと温かい光が叩かれた頬を包む
光が消えると、痛んでいたその場所は、何事も無かったかのように痛みが引いていた
「はい、これでお母さんに気づかれないよ」
にっこりと笑うアリシアにフレンは何も言えなかった
使うな、と言われていたのにこの有様だ
苦笑いしながら彼女の頭を撫でて再び歩き出す
帰りが遅く、ノレインに少し怒られたのは、仕方の無い事だろう
「アリシア、そっちの準備は出来たかい?」
「うん!出来たよ!」
フレンの問いに笑顔でアリシアは答えた
『壁の外』へと逃げてから早数ヶ月が経った
ノレインはやはりと言うべきか、ファイナスを失ったことがかなり心にきてしまっているようだ
そんな彼女を支えようと、フレンとアリシアは一生懸命手伝いをした
最初、ここに来た時は落ち込んでいたアリシアであったが、持ち前の適応力の高さで、大分以前と同じ様に生活出来ていた
『壁の外』……ここでは『下町』と呼ぶらしいが、ここの大人達はとてもいい人であった
逃げ込んですぐ、声をかけてくれたのはハンクスという名の初老であった
彼に掻い摘んで説明すると、周りの大人達も次々と歓迎してくれ、住む場所はおろか当面の生活に必要なものさえ分けてくれた
ファイナスの言った通り、とても優しい人達だとノレインは思った
だが、中心地ではなく敢えて少し離れた所で暮らすことを決めていた
それは、彼らを警戒してではなく騎士を警戒してだ
もし、騎士が下町にアリシアを探しに来たら……
そう考えるだけで背筋が凍りそうになる
ノレインにとっても、アリシアは既に自身の娘と同じくらい大切になっていた
その子を易々と引き渡すわけにもいかない
ましてや見ず知らずの自分達にこれ程優しくしてくれている下町の彼らに迷惑をかけるわけにもいかない
そう考えてでの決断だった
だが、ここに来てからノレインの体調はあまり良くない
寝込んでいることが大半で、家のことはフレンとアリシアがやっていることが多い
今日も二人で夕食を作っている所であった
レシピを見ながら野菜を切ったりしていると、不意に玄関から呼ぶ声が聞こえる
「出てこいよ、おい、フレン!聞こえないふりしてんじゃねぇ!フーレーン!」
その声にまたか…とフレンはため息をつく
ここに来てから何度この声に呼ばれただろうか
市民街から来た、たったそれだけの事でこうもしつこく彼らはほぼ毎日のようにやって来る
いい加減苛立たしい
「アリシア、この野菜切っておいてくれるかな?」
「はーい!」
元気よく返事をしたアリシアの頭を軽く撫でてから、フレンは玄関へと走りだした
そのフレンの背を見送ってから、アリシアは言われた通りに野菜を切る
この数週間でかなり色々なことが出来るようになってきた
初めてやることが多くて毎日わくわくしている
包丁を握るのもその一つであった
初めのうちはフレンが持ち方が危ない、だとか心配していたものの、物覚えのいいアリシアはすぐに使い方を覚え、今ではフレンがついていなくてもなんら問題がない
一通り切り終え、フレンが戻って来るのを待っていると、外から何かがぶつかるような音が聞こえる
何かあったのだろうか…
少し不安になってアリシアは玄関へ向かう
「ユーリの勝ちだ!」
「(『勝ち』……?『ユーリ』って、誰だろう?)」
玄関前に来て聞こえた声にアリシアは首を傾げる
でも、『何かがあった』、それだけは理解した
すっと深呼吸して扉を開ける
「兄さん??」
ひょこっと顔を出すと、フレンの他に男の子が数名居るのが目に入る
中でも一際目立ったのはフレンの隣に立っている子だ
身なりからして恐らく男の子なんだろうが、その顔立ちといい髪といい一瞬女の子じゃないかとも思えた
整った顔にとても綺麗な紫帯びた黒髪を肩の高さで切りそろえている
フレンも顔は整っているし、アリシアと同じ金色の短髪も綺麗だが、彼女にはそれよりもその男の子の黒に惹かれていた
アリシアだけでなく、その男の子達もまた、彼女を見て息を呑む
フレンと同じ金色の髪を胸の辺りまで伸ばし、フレンとよく似た顔つきをしている
が、瞳だけは燃えるような赤い色をしていた
「アリシア……出てきちゃ駄目じゃないか」
フレンは周りの少年達に背を向けると、アリシアに歩み寄った
先ほどまでの冷たい、蔑んだような声色ではなく、とても優しそうな声で話しかける
「兄さんが帰ってくるの、遅かったからつい…」
凛と澄んだ、鈴のような声でフレンに話しかける
何処か寂しそうで甘えるような声に、ドキッとした少年も少なくはなかったろう
「ごめんごめん、ほらもう戻ろう?」
フレンは一度少年達の方を見る
目線で何か伝えようとする
「……兄さん、あたし先に中入ってるからお話しするならしてていいよ」
アリシアはニコッと笑ってフレンを見る
フレンはどうしようか少し悩んだが、ふっと苦笑いしてアリシアの頭を撫でる
アリシアは嬉しそうに目を細めると、先に一人で中に戻る
パタン……と、扉が閉まるとフレンは押し掛けて来た少年達の方を向く
「……悪いけど、あの子のことはあまり言いふらさないでもらえるか?」
彼女に話しかけていた時よりも低い声で、真剣そうに見つめて言う
「………わかった。言いふらさねえよ」
『ユーリ』と他の少年達が呼んでいた黒髪の少年は特に詮索しようとはせずにそう頷く
フレンはそれを聞くと、黙って家の中へ戻ろうとする
「…いきなり"あんな事"して悪かった」
後ろからそう言われ、少し驚いて振り返る
驚いていたのはフレンだけでなく、彼の周りに居た少年達も同じだった
「な…っ!ユーリ!なんで謝んだよ!」
「そうだよ!!あいつ、俺らのこと見下してんだぞ!!」
口々に少年達は彼に言う
『見下す』……確かにそういう点はあったし、彼らに対して言った気もする
先ほどの彼らの行動も、完全に理解出来ないわけではない
だが、まさか謝られるとは思っていなかった
「あのなぁ、手出した方がよっぽどだろ。それに、お前ら何度も来て同じようなことしてたんだろ?原因作ったのはこっちなんだから、それが普通だろ」
呆れたような口調でそう言う
先ほど、自分に向かってきたのが嘘のように見えた
「……こっちこそ、気を悪くするような事を言って、すまなかった」
フレンは一言そう言うと、今度こそ家の中へ戻った
キッチンに向かうと、ノレインがアリシアと一緒に野菜を煮込んで居るのが目に入った
「あ、兄さん!おかえり!」
フレンに気づいたアリシアがニコニコ笑いながら駆け寄る
少しまずいことになった
きっとアリシアは、彼らのことを話しているだろうし…
何を言ったかはわからない
それでも、嫌な予感がしていた
「フレン、いつの間にお友達をつくっていたの?」
少し嬉しそうにノレインはフレンに聞いた
一瞬耳を疑ったが、恐らくアリシアが『友達』だと勘違いしていたのだろう
「…母さんが寝てる時とか、居ない時にたまに遊びに誘ってくれるんだ」
一呼吸置いて、フレンは笑いながら答える
今、母さんに心配をかけるわけにいかない
その気持ちでなんとか誤魔化す
実際友達だとは言い難いのだから
「そう…もう少ししたら、アリシアと一緒に遊びに行ってもいいわよ」
今はまだ少し怖いから…とノレインは付け足す
『まだ』騎士が追ってくる様子はない
でももう暫くは警戒しておくべきだろう
ノレインの言葉にフレンは力強く頷く
「さぁ、二人とも、お皿を取って頂戴?」
「はーい!」
元気よく返事をして、アリシアはフレンから離れる
こちらに来てから、随分と笑顔を見せるようになった
それが、フレンとノレインにはとても嬉しかった
両親やファイナスのことを気にして、塞ぎ込んでしまうのではないかと思っていたが、ノレインの言葉が彼女の心を支えているようだ
正に花の咲いたような、可愛らしい笑顔……
それを見れるだけで、二人の心は休まった
まだまだ不安は絶えないが……
それでも、彼女の笑顔に安堵していた
その笑顔が、いつまでも絶えないように……
ただそれだけを、フレンは強く願った
~あの日から一ヶ月~
ある日の夕方、アリシアは料理本と睨めっこしながら一人唸り声を上げていた
ここに来てから既に半年
アリシアはもう、料理もフレンが居なくてもおおまかなことは一人で出来るようになっていたし、掃除や洗濯もあらかた出来るようになっていた
が、半年経った今でも一人で外に出掛けることは殆どない
出掛ける時は必ずフードを被っているくらいだ
この日は、畑に出掛けているノレインと市民街に出掛けたフレンの代わりに、一人夕食を作っていたのだか……
夕方になってもフレンが帰って来ない
あからさまにおかしい
いつもならとっくに帰って来ているはずだ
そんなことを考えながら本と睨めっこしていると玄関の扉の開く音が聞こえた
顔をあげると、フレンではなくノレインの姿が目に入る
「お母さん、おかえりなさい!」
ニコッとアリシアが微笑む
「ただいま、アリシア」
ノレインもそれに合わせて微笑む
ここに来てから半年で、随分やつれたように見える
だが、平然を装っている為、アリシアは敢えてその事を口にしなかった
言ってはいけない気がしていたのだ
「あら、フレンはまだ帰って来ていないの?」
少し心配そうに顔を歪めてノレインは問いかける
「うん……いつもなら帰って来てるはずなのに……」
少し肩を落としてアリシアはそれに答える
もう日も大分落ちてきた
フレンがこんな時間まで帰らなかったのは初めてだ
アリシアはそわそわと玄関の方を何度も覗く
「……アリシア、探して来てくれるかしら」
そんなアリシアにノレインが優しく言う
当然彼女は驚いた
まさかそう言われるとは思っていなかった
『探しに行ってくる』ならまだわかる
でも、『探して来てくれる』だったのだ
「で、でも……」
「夕飯は後はやっておくわ。それに、いつものようにしていれば大丈夫よ」
ノレインはにっこりと微笑む
しばらくどうしようかと悩んでいたが、立ち止まっていても始まらない
力強く頷くと、掛けてあったローブを羽織りフードを深く被る
「……お母さん、いってきます!」
「ええ、気をつけてね」
アリシアはそう言って暗くなりだした外へ飛び出して行った
「兄さん……何処だろ……」
キョロキョロと辺りを見回しながらアリシアは呟く
いつも兄さんが居る壁の上には居なかった
兄さんが行きそうな場所は粗方見たが、何処にも姿が見えない
うーん、と唸りながら歩いていると、一つの通りが目に入る
『灰色小路』……確かそんな呼ばれ方をしていたはずだ
大人でさえ近づかないというその場所の入り口に、アリシアはなんとなく近づいてみた
まさか彼がここに入った、等とは思わなかったが、単純な好奇心だ
お化けや幽霊の類の噂が絶えないこの通り……
本当にそんなものが実在するのか気になったのだ
だが、今はフレンを探すのが先決だ
また今度、一緒に来よう
そう考えて背を向けようとしたその時
カシャッ!カシャッ!!
自分が歩いてきた方向から金属の擦れ合う音が聞こえてくる
その音はやけに耳に馴染みがあった
……父親が、歩く度に鳴らしていた金属音……
それと酷似していた
ゴクリと生唾を飲み込む
まさかここで騎士が来るなんて……
音は徐々に近づいてくる
一人分ならまだしも、複数だ
このまま戻れば鉢合わせするのは明白だ
ならばどうする?
答えは一つしかない
幸い夜目は効く方だ
進んだ道を注意して覚えておけばいい
たったそれだけのことだ
迷う暇もなく、アリシアは灰色小路に飛び込んだ
中は思っていたよりも暗く、入り組んでいた
それでも、迷うことなくその中を駆け抜ける
右へ、左へ、また右へ……
うねうねとした道を、迷わずに走る
騎士に、会うわけにはいかない
そんな思いを心に抱いて走り続ける
大分奥に来たところで少し広い空間に出る
ゆっくりと立ち止まって、乱れた息を整えようと深呼吸した
ここまで来れば流石に追って来ないだろう
中々整えられない息を、無理矢理整えようと胸に手を当てる
パキッ!!!
前の道から物音がしてビクッと肩を上げる
誰かが居る
人か、あるいは猫などの動物か……
つぅっと額を冷や汗が伝う
もしも、騎士だったら?
逃げようがない
既にかなり疲れてしまっている
今の状態で走るのはきつい
ドクン、ドクンと鼓動が高鳴る中、やけに聞き覚えのある声が聞こえてきた
「アリシア……?」
その声と共に、真正面の道から探していたフレンと、いつかの黒髪の少年が出て来た
「アリシアって、この前の女の子か?」
黒髪の少年が首を傾げると、フレンは力強く頷く
一瞬驚いていたが、すぐに笑顔を見せフレンに駆け寄る
「兄さん……!!やっと見つけた…!!」
息を切らせながらそう言って、フレンに飛びつく
「全く……こんなところまで来て……」
飛びついてきたアリシアをいとも簡単に抱きとめながらフレンはため息をつく
「だって、帰って来るの遅かったから……」
顔をあげて、寂しそうな声で呟く
「ごめんよ、母さんが作ってくれた帽子が風で飛ばされちゃってね…拾いに来てたんだ」
アリシアの頭を撫でながらフレンは苦笑いする
チラッと黒髪の少年の方を見て何か目で合図しているが、アリシアには何を伝えているかわからなかった
フレンと黒髪の少年が目で合図している間、アリシアの目は二人の顔を行ったり来たりしている
先日家の前で見かけた時……どう見ても仲が良さそうには見えなかった
ノレインには『友達と』と言ったが、内心そんな関係ではないと思っていた二人が一緒にいるこの状況が、少しおかしく思えていた
そんなアリシアをフレンが見てしばらく何か考えていたが、決心したようにアリシアを自分から少し離して黒髪の少年の方に体を向ける
「……考えたけど、やっぱり君には紹介しておくよ。…妹のアリシアだ」
ポンっとアリシアの頭に手を乗せてフレンは言う
突然のことに、アリシアは驚く
まさか自分のことを紹介されるなど、夢にも思っていなかったのだ
「兄さん……いいの?」
フードで表情は見えない
でも、心配そうにしているのは声でわかる
「いいよ、僕のことを探しに来てくれていたみたいだしさ」
「別に、たまたまだって」
フレンがにこやかにそう言うと、少しぶっきらぼうな声が聞こえる
黒髪の少年は、ガシガシと頭を掻くと、軽く深呼吸をする
「…ユーリ、ユーリ・ローウェルだ」
ニッと笑いながら彼はそう告げる
「えっと……アリシア……アリシア・シーフォ……」
おどおどとしながらも、アリシアはフードを外しながら自分の名を口にする
自己紹介をするのに、フードを付けているのは失礼だ
「そんなに関わることもないかもしれないが……よろしく頼むよ」
「んなこと言うなって、出会い方には確かに問題あっけど……さ」
少し突き放したような言い方をフレンがすると、バツが悪そうにユーリがつげる
やはりあまり仲が良さそうには見えない
が、何処となく仲良く出来そうな雰囲気の二人に彼女はクスッと笑う
兄さんも素直に友達になればいいのに、と心の中で思う
尚も言い合っている二人を見ていると、後ろから先ほどと同じ金属音が聞こえてくる
それに気づいたアリシアは、咄嗟にフードをまた深く被った
「?アリシア?一体どうし」
「誰だっ!!!そこに居るのはっ!!」
怒声に驚いて振り返ると、複数人の騎士がそこに居た
普段、下町には来ないような甲を付けていない騎士だ
背筋がゾッと凍る感覚をフレンが襲う
何故、彼らがここに?
「なんだ、下町の餓鬼か。こんな時間にこんなところで、一体何をしてる?」
あからさまに蔑むような表情で一人が問う
その言葉にフレンは怒りを覚えた
誰のせいで下町で生活するようになったと思っているのだ
そんな言葉が頭に過ぎる
ユーリも頭にきていたが、彼はそれを表情には出さずじっと耐える
いつかその頭かち割ってやる、と心の中で暴言を吐きながら、道に迷った、と言おうとした時
フレンがアリシアから離れて、騎士の前に出る
「僕達やましい事なんて何もしてません」
騎士の前で堂々とそう言うのだ
ユーリだけでなく、アリシアも驚いた
確かに騎士を好いていない理由はわかるが、何もそこまで挑発的な態度をとるなんて…
思った通り、フレンはその騎士に平手打ちを食らって、バタッと倒れ込んでしまう
「兄さん…!」
アリシアは慌ててフレンの傍に駆け寄る
「あん?なんだ?邪魔すんのか?」
フレンにぎゅぅっと抱きついたアリシアを見下ろしながら騎士は言う
流石に行動が無謀すぎるのではないだろうか…
ユーリはそう思ったが、なんとかしようと二人の傍に近づく
その時だった
「おいっ!!漆黒の翼がいるぞ!!」
一人がそう叫びながら屋根の上を指さす
見上げると、真っ黒な服を着た人物が目に入る
フレン達のことすら気にもとめずに騎士達はその人物を追いかけて行った
唖然としてしばらく三人はその場から動けなかったが、騎士が居なくなったのに気づくとユーリが二人に声をかける
「…もう、大分夜も遅くなっちまったし、帰ろうぜ」
そう言いながらユーリは手を差し出す
「あ……うん……」
まだ少し怯えたような声でアリシアは頷くと、フレンから離れて立ち上がる
顔が見えないようにと、フードの裾をぎゅっと握って更に深く被る
その行動にユーリは疑問を抱いたが、聞いたところで教えて貰えそうでもない
だから、敢えてその行動には触れなかった
「……フレン、行こうぜ?」
ユーリはもう一度、フレンに声をかける
恨めしそうな、その表情は未だに消えそうになかったが、ゆっくりと金色の髪を揺らしながら頷く
何度か深呼吸をすると、表面上はその激しい怒りのような感情は消え、いつもの冷静な顔が見える
それでも一向に動き出しそうにはない
叩かれた頬が痛むのだろうか……
アリシアはそんなことを思った
だが、ここで傷の手当をする訳にはいかない
まだ、先ほどの騎士達が近くにかもしれない
傷の手当中に戻って来たりでもしたら、それこそまずい
今はフレンが動き出すのを待つしか出来ない
しばらく深呼吸していたフレンだったが、大分落ち着いたようで差し出されたユーリの手を取って立ち上がる
「……すまない」
フレンは申し訳なさそうにユーリに言う
「別にいいさ、家帰んの遅くってもバレなきゃ怒られねえからさ」
ユーリは苦い顔をしてそう言う
『バレなきゃ』、アリシアにはその言葉が酷く心に残った
バレなきゃとはどうゆう事なのだろうか
そんな疑問が頭を過ぎる
が、ユーリはフードを深く被ったことに対して何も聞いてこない
それなのに聞くのはどうかと思い、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ
「…行こうか」
フレンのその言葉に二人は頷いて、彼を先頭に歩き出す
全く迷うことなく、灰色小路の出口に辿り着くことが出来た
もう夜も大分更けてしまった
三人は無言のまま、自分達の住んでいる噴水横丁の方へと少し駆け足て進む
広場まで着いたところで、フレンがユーリの方を振り向く
「…こんな時間まで付き合わせてしまって、本当にすまなかった」
「さっきも言ったけど、別にいいっての。オレが勝手についてってただけだしよ」
ニカッと、フレンとは違う笑みに一瞬だけドクンとアリシアの心臓が跳ねた
フレンの爽やかな笑みとは違う
何処か余裕のある、自信に満ち溢れたような笑顔
何故か心臓がうるさい
浮かんだ気持ちに戸惑うが、その気持ちもすぐに消える
それよりも、ノレインの待つ家に帰らねば
その気持ちの方が強くなった
「それじゃ、僕らはここで」
「あぁ、また、な?」
「えっと……またね!ユーリ!」
騎士が居ないのを軽く確認してから、アリシアはフードを取ってユーリに微笑みかける
そして、フレンの後を追いかけるように付いていくが、途中で止まって振り向くと、もう一度ユーリに手を振る
二人を見送ってから帰ろうとしていたユーリは、そのアリシアに手を振り返す
彼女が居ないことに気づいたフレンが戻って来て手を引いて歩き出すが、依然としてアリシアはユーリに手を振ることをやめない
半分呆れながらも、彼女に手を振られることが嫌ではないユーリは、見えなくなるまで手を振り返してやっていた
彼女が見えなくなったところで手を下ろして、我が家の方へと足を向けた
フレン達の方はというと、ユーリが見えなくなり、アリシアが少し寂しそうにする
「うー……もーちょっとお話したかった」
むっとしてアリシアが呟く
「今日はもう遅いし……また今度、機会があったら、ね?」
フレンは宥めるようにそう言う
が、アリシアはずっとブツブツと文句を言っている
人通りも少なくなった、家への道……
ブツブツ文句を言っていたアリシアは、はっとしてフレンを見る
「兄さん……ちょっとだけ、止まって?」
アリシアがそう言うと、フレンは足を止める
すると、急にアリシアが先ほど騎士に平手打ちを食らった箇所に手をかざす
「……ファーストエイド」
ポツリと呟くと、ふんわりと温かい光が叩かれた頬を包む
光が消えると、痛んでいたその場所は、何事も無かったかのように痛みが引いていた
「はい、これでお母さんに気づかれないよ」
にっこりと笑うアリシアにフレンは何も言えなかった
使うな、と言われていたのにこの有様だ
苦笑いしながら彼女の頭を撫でて再び歩き出す
帰りが遅く、ノレインに少し怒られたのは、仕方の無い事だろう