第一節 帝国と騎士団
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ー出会いと再会ー
「隊長……本当に良かったのですか?」
半ば遠慮気味に一人の小隊長が声をかけた
帝都を出てもうすぐ三日が経つ
目的地のシゾンタニアは目の前だ
「なにが?」
ケロリと彼女は首を傾げる
小隊長が、式典がどうの、と言っていると、それを遮るように彼女は隊の進行を静止した
何事かと全員が首を傾げると、どこからともなく悲鳴と足音が響いた
何が起きている
そう気づくのに時間はかからなかった
「隊長、どうします?」
「…お前達は先にシゾンタニアへ向かえ。街にまで被害が出ていたら援軍の意味が無くなる」
彼女の指示に意義を言う者はいなかった
彼女なら問題ないだろうと、誰もが信用していたからだ
小隊が急ぎ足でシゾンタニアに向かったのを見送ると、アリシアは声の聞こえた方へと馬を走らせる
嫌な予感が頭を通過してならなかった
「ランバート!お願い、やめて!!」
甲高い声が辺りに響いた
ランバート……確か、ナイレン隊長の愛犬の名だったか
そんなことを考えていると、目を疑いたくなるような光景が目の前に広がった
「あれは……!!」
赤く、うねうねと動く『何か』
その先端にランバートと彼と同じ軍用犬が二匹居るのが目に入る
理性を失っているのは容易にわかった
彼女の目に入った人影は五人
フェドロック隊のユルギスとヒスカ、エルヴィン、それとユーリに見慣れない男
「ランバート!!!」
ヒスカから引き離そうとしたらしく、ユーリが大声で名を呼ぶと、三匹の顔がユーリに向いた
「(なるほど、音に反応するのか)」
アリシアはそう感心するとすぐさま馬から飛び降りて剣を抜き近くにあった木をなぎ倒した
大きな音を立てて木が倒れれば、三匹は迷うことなくこちらへ向かってきた
「全く……来て早々これか」
そう言いながらもどこか楽しそうに口角を上げると、突進してきた三匹をギリギリのところで交わし、三匹にまとわりついている『何か』を切り離した
当然、それだけは彼らは収まらない
グルルルル、と低く唸り声を上げながら威嚇してくる
「……ランバート」
自身の傍の地面に剣を突き立てながらゆっくりとその名を呼べば、彼は容赦なくアリシアに飛びかかり噛み付いてくる
左腕の甲冑を盾にした為に今のところはなんともないが、噛み千切られるのも時間の問題だ
「あんた……!!何してんだ!?」
背後から驚いたユーリの声が聞こえてくる
元気そうなその声にアリシアは内心ほっとしながらも表情は変えなかった
「まぁ見てなよ、ユーリ・ローウェル君」
そう言って腰に下げたポーチから首輪状の魔導器 を取り出した
それを今にも腕を噛み千切りそうなランバートの首元に付けた
すると、赤く血走っていた目が一点その赤みが引いていつもの色に戻る
それと同時に噛むのを辞めたかと思えばそのまま眠りについた
「よし、終わ………りじゃないかぁ」
未だに威嚇してきている残り二匹を見て、流石に同じ方法はなあ……などと呑気に言いながらランバートを地に下ろした
何が起こったかわからないという目でユーリたちは彼女を見つめていた
ポーチからもう二つ、同様の魔導器 を取り出すと器用に両手でクルクルと回す
「ちょっと乱雑になるけど……ごめんね?」
ニヤリと笑うと彼女は地面を蹴って真っ直ぐ二匹に向かう
それならばと二匹も突っ込んで来るが、待ってましたと言わんばかりに彼女は後ろに跳ねた
かと思えば次の瞬間には宙に浮いていた
二匹が慌てて追いかけて来ようとジャンプしようとしたタイミングで、二匹の首に同時にそれを装着した
神業と言っても過言ではないだろう
まるで流れ作業のように至ってスムーズに彼女はそれをこなしたのだから
「アリシア副騎士団長……!!」
ようやく声を発することが出来たのか、ユルギスは嬉しそうに声を上げた
「えっ!?ふ、副騎士団長殿?!!」
あわあわと大慌てでヒスカがユーリを怒鳴る
知らなかったとはいえ、副騎士団長に『あんた』呼ばわりは流石にまずいと思ったのだろう
それを言った本人も若干まずいという表情を浮かべていた
「…エルヴィン、ユルギス、この二匹連れて帰ってあげて?」
そんな二人を気にする素振りもなく、彼女はユルギスたちに指示を出した
軽く敬礼すると、二人はすぐさま二匹を抱えあげた
「それと、ユーリ君」
アリシアが名前を呼ぶとヒスカと二人でビクリと肩を震わせた
何を怖がっているのかと笑いだしそうになるのを抑えながら言葉を繋ぐ
「ランバート、連れて帰ってあげて」
「………へ?」
素っ頓狂な声をあげたのはユーリではなくヒスカだった
ユーリ本人は少し驚いた顔でアリシアを見つめていた
「ん?どうかした??」
「………いや、その……さっきの発言、咎めたり……しないんすか?」
首を傾げたアリシアにユーリは遠慮気味に問いかける
ポカーンとした彼女が笑い出すまでそう時間はかからなかった
お腹を抱えて笑う彼女の意図を知るのはユルギスとエルヴィンだけだった
「あははっ!『あんた』呼ばわりされたくらいで咎めるほど、私非人道的じゃないわよ??」
笑いすぎて目元に溜まった涙を拭いながら彼女は答える
その答えに、ユーリ少し恥ずかしそうに顔をほんのり赤く染めた
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないっすか……っ!!」
そう言いながらランバートの元に駆け寄ってその身体を抱き上げた
「いやぁ、ごめんよ。あんまりにも君ら二人がオロオロするんでついついからかいたくなっちゃったのよ」
アリシアはそう言うとポンッと彼の頭に手を乗せた
何故そんなことをするのか、それがわからないユーリはキョトンと首を傾げた
「やっぱり入って半年とは思えないねぇ。先輩助けるのに自分の方に引きつけようとする奴、半年の新人じゃ滅多いないよ。流石、ナイレン隊長が一目置いてるだけあるね」
褒められたとユーリが自覚するまでに数十秒かかった
気づいた時には彼女は地面に突き立てていた剣を鞘に戻しながら、あからさまに一般市民の風貌の男の元に行っていた
彼曰く、ギルドの人間でユーリに興味を持ったから手助けしていたそうだ
シゾンタニアで何が起こっているかはその彼から聞くことが出来ずにいたが、後でナイレンにでも聞こうと考えながら、彼女はパンッと一度手を叩いた
音に気づいた彼女の馬が颯爽と駆け寄ってくる
「さて……詳しいことはナイレン隊長も交えて教えて欲しいし、街に帰ろうか」
そう言いながらアリシアは馬に跨った
では私が、とユルギスを先頭に彼らはその場を後にした
街に着くなりアリシアは険しい顔をした
街の入り口には馬車が横たわり、無残にもボロボロにされていた
「……まさかここまでとは……」
誰に言うわけでもなく、彼女は小さく呟いた
馬車の残骸や戦ったであろう痕跡を一通り見つめると、街の中へと進んで行く
「隊長!おかえりなさいませ!」
騎士団の駐屯所前では先に行かせた四小隊が入り口の前で待っていた
「お前ら……なんで揃いに揃ってこんなとこで待ってるのだ?フェドロック隊の隊員に迷惑だろうに」
馬から降りた彼女は呆れ気味に自身の四小隊を見回した
自分に忠実で居てくれるのは有難いことなのだが、ここまでされると狂気の沙汰としか思えない
「お帰りが遅かったので、つい……」
「また無茶して、他の隊員に迷惑をかけていたのかと…」
小隊長二人がそう答えると全員がアリシアから目を背けた
「…ほーお?」
コテンと彼女は首を傾げる
傍から見れば可愛い行動なのだが、その行動が可愛さをアピールしていることではないと彼女の隊員たちは身体を強ばらせた
「……帝都帰ったらどうなるか、覚えてなさいね?」
ニコリと満面の笑みを浮かべた彼女に血の気の引いたものが一体何人いたことか
「それはそうとナイレン隊長は?」
キョロキョロと辺りを見回しながら彼女は問いかけた
「隊長でしたら、シャスティルを連れて出掛けているはずです。まだ、帰って来ていなければ…」
「全く……呼んでおいて何してるんだか、あの人は……ユルギス、悪いんだけどこの馬鹿共適当に部屋分けしてもらっていいかな?」
何処か投げやりに彼女はユルギスに頼む
若干遠慮しながらも、結局彼はそれを引き受けた
抱き抱えていた軍用犬をエルヴィンに託すと小隊を連れて奥へと歩いて行った
「副騎士団長、ここで待つのもなんですから、とりあえず隊長室にでも…」
「あー、いいのよ気にしないで。ナイレン隊長のことだから、そろそろ戻って来るだろうから」
アリシアがそう言うと外から馬の掛けてくる音が二つ聞こえてくる
「ほら、言ったでしょう?」
何処か自慢げに彼女は笑った
その笑顔を見た瞬間、ユーリは一瞬頭痛が襲ったような気がした
だが、ほんの一瞬だった為、気の所為だと頭を振るった
「おいおい……副騎士団長殿が直々に来なくても良かったんじゃないんか?」
「あら、私に直に手紙寄越すんだもの。てっきり来て欲しいのかと思ってたわ」
ケラケラと茶化すようにアリシアは帰って来たナイレンに話しかけた
先程までの口調とは少し違う声色に、ほんの少しユーリは混乱した
一体どっちが素なのか……そんなことを考えていると腕の中のランバートが身動ぎした
「ランバート…!」
ユーリがそう声をかけると、アリシアは少し安心した表情を、ナイレンとシャスティルは首を傾げた
「なんかあったのか?」
「それも含めて話したいことが。…できればあなたの成果も聞かせて欲しいわね」
そう言って笑った彼女にナイレンはただ肩を竦めて苦笑いした
揺らりと蝋燭の灯りが部屋を照らす
隊長室にはナイレンとアリシアの他にユーリとシャスティル、ヒスカが居た
双子のシャスティルとヒスカは同じ位置で結ばれた髪を揺らしながら唸っていた
ユーリは膝の上で眠っているランバートの子どものラピードの背を優しく撫でながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている
ナイレンとアリシアは共に腕を組みながら難しい顔をしていた
「……つまり、今日のことだけまとめれば、ナイレン隊長とシャスティルがリタ・モルディオの元に情報収集しに行ってる間に、街に魔物が襲って来た。追い返したものの、ランバートたちがそれを追い掛けたのを連れ戻そうとして、ユーリ君たちが森に入ったらあの状態の三匹を見つけたのね」
「クーーーン…………」
ナイレンの傍に伏せていたランバートが、申し訳なさそうに鳴いた
「ランバートのせいじゃないのよ。気にしなくていいわ」
彼女が優しく微笑むが、それよりも彼は自分までが周りに迷惑をかけたことが不満で仕方ないらしい
「にしても、相変わらず無茶しますねえ…万が一にでも噛み千切られたらどうするつもりだったんすか?」
大きくため息をつきながら、ナイレンは背もたれに体重をかけた
「あら、私そこまでヤワじゃないわ。それに、片腕だけでも騎士やっていける実力はあるもの」
甲冑を脱いでラフな隊服に身を包んだ彼女は左腕を上げた
袖の隙間からチラリと包帯が巻かれているのが見える
不幸中の幸いと言うべきか、不運と言うべきかは定かではないが、甲冑だけでは防ぎきれていなかったらしくランバートの牙が僅かにその腕を傷つけていた
「そうゆう問題じゃないって何度言えばわかって貰えるんすかねー……閣下にドヤされるのは俺なんだっての」
「アレクセイ閣下でももうそこまでしないわよ」
ケロッと彼女はそう言うが、それだって実際問題ではないのだ
もっと根本的な問題があるだろうとナイレンは目で訴えるが、それに気づいているはずの本人はつゆ知らずとニコニコ微笑んでいた
「……っつーかお前ら黙り込みすぎじゃねえか?」
ユーリたち三人を見ながらナイレンは苦笑いした
報告が終わってからの三人は酷く静かだった
三人は珍しく意気投合しているようで互いに顔を見合わせていた
「そうは言いますけど隊長……」
シャスティルはそう言いながらチラリとアリシアを見る
「…ああ、立場気にしてんのか」
納得したように目の前に置かれたカップの中の飲み物をナイレンは口に含んだ
「別にそんなの気にしなくていいのよ?」
彼女はスラリとした長い足を組みながらクスリと笑う
「気にしねえ方が無理っすよ…」
「そうかぁ?アリシア隊長は割とその辺りのことはガバガバだぞ?」
「硬っ苦しいのは面倒なのよ。そりゃ時と場合はあるにしろ、普段からずーっとそれはかったるいのよねぇ」
副騎士団長らしからぬ発言とはこのことだろう
騎士団をまとめるうちの一人がこれでいいのだろうか
そんな考えがユーリの頭を過ぎった
ユーリ自身堅苦しいのは苦手ではあったから正直楽ではあるのだが…
「それで、話を戻すがランバートたちにつけた魔導器 は一体なんすか?」
ランバートの頭を撫でながらナイレンは問いかける
「ああ、それね。体内に取り込みすぎたエアルを外に放出させる魔導器 」
テーブルに置かれたカップに手を伸ばしながら彼女は言葉を続ける
「エアルの濃度が異常だってことは事前に聞いてたから、もしもの事態に備えて持って来ていて正解だったわね。魔物や植物、小動物はエアルの影響受けやすいから、当分は森に近づけない方がいいわ」
「エアルか……やはり今回の異常事態の原因はそれか」
難しい顔をしてナイレンは腕を組んだ
薄々気づいていたものの、エアルが異常発生する原因まではわからない
「怪しい遺跡があるって言うのなら、先ずはそこを調べる必要がありそうね。フェドロック隊と私の四小隊で足りるかどうかは疑念だけれども………」
カチャリとカップを置く音が部屋に響く
すっかり夜もふけたこの時間、見張り番以外で起きている者は果たしてどれだけいるのだろう
一瞬にして静寂に包まれた部屋に、「ところで」とアリシアの声が反響する
「ナイレン隊長、もう一人の新人君はどうしたの?」
「ん…?あぁ、フレンですか。あいつには俺の代理で式典に行ってもらいましたよ」
その返しに彼女は大きくため息をついた
「あのねぇ……人手が足りない時に代理送る余裕が何処にあるのよ…」
「仕方ないじゃないっすか、式典参加の命令が届いたのがユルギスを送った後だったんすから」
「全く……まあ、閣下のことだから直ぐに引き返させてくれてるはずだけど…」
肘掛に肘をついて頬杖をついた彼女は心底詰まらなさそうに少し頬を膨らませていた
その姿だけを見れば年相応なのに……などとは口が裂けても言えない
「あの…副騎士団長は何故二人を知っておられるのですか?」
疑問を吹き掛けたのはヒスカだった
恐らく面識もないはずなのに一目見ただけでユーリを当てた時から疑問に思っていたのだ
恐らく、というのはユーリ自身に聞いた際に「覚えがない」と言われたからだ
「そりゃ隊員の名前くらいは覚えてるわよ。隊の編成組むのは私の仕事だからね。…まぁ、入団してから半年の新人君を覚えてるのは稀だけど」
「稀って……オレら、なんかしでかしましたっけ?」
若干肩の力の抜けたユーリが問い掛ける
すると身に覚えのないことに驚いたのか、アリシアは一瞬目を見開いて彼を見つめた
数秒沈黙したかと思えばクスリと笑みを零した
「特別何かやらかしたりしてる訳じゃないわよ。ただ印象が強かっただけ。壇上で私が話してる時に市民選抜の騎士の中にあからさまにそうには見えない二人組みがいるんだもの。オマケに、剣の成績トップで入団なんてしていたら覚えないわけがないわ」
そう言ってユーリに向けられた彼女の目は優しさが帯びていた
何か大切な人を見つめるかのように細められた目に、ユーリは一瞬息が止まりそうになる
何処か懐かしいような感覚にそれでも初めて会うはずだと頭が困惑していた
「さっ、三人とも引き止めて悪かったわね。もう遅いし部屋で休んでいいわ」
パンパンッと乾いた音が部屋に響く
シャスティルとヒスカは互いに顔を見合わせて頷くと立ち上がってユーリの腕を引いた
未だ話したそうにしていた彼だったが、渋々立ち上がるとラピードを連れて部屋を後にしようとした
「グルルルルルルル………」
「どうした?ランバート」
ナイレンが傍で唸り声を上げたランバートに首を傾げた
「…まさか…っ!」
ガタンと音を立ててアリシアが立ち上がった次の瞬間、ランバートはユーリたち目掛けて走り出していた
ユーリたちを見るランバートの瞳は先程と同じ赤色に染まっていた
「ワンッ!ワンッ!」
甲高いラピードの鳴き声が部屋に響く
それに反応してランバートは走る
「やっべ…っ!!」
避けるのは無理だと判断したユーリはラピードを守るように抱き抱えて背を丸めた
「ユーリ!!」
扉の向こうからヒスカの悲痛な叫び声が響く
首を噛まれるのだけは勘弁だな…などと考えながら目を瞑る
だが、いくら身を固くして待っても想像していた衝撃は訪れなかった
ゆっくりと目を開けてユーリは振り返った
「………は………?」
目の前に見えた深紅の髪に目を見開いた
「っ………!……ったく、ランバート、落ち着きなさい」
グルルルルと喉を鳴らしながら彼はアリシアの左腕に噛み付いていた
全く防護されていないそこからはボタボタとかなりの量の血が溢れ、彼女の足元に血溜まりをつくっていた
痛みに顔を歪めながらも彼女は魔導器 の制御パネルを開いて手早く操作する
魔核 が一瞬強く光ると、ランバートはそのままぐったりと倒れ込んだ
「副騎士団長……っ!!」
顔を真っ青に染めてシャスティルは駆け寄ると直ぐに治癒術をかけ始める
「ははっ…流石に油断したかねえ……。まさかまだエアルが溜まってたとは思わなくて出力下げたのが敗因だね」
自嘲気味に笑いながら、アリシアは今にも泣きそうなシャスティルの頭を撫でた
「シャスティル、そんな顔しないの。私は大丈夫だから」
「全く……部下を守ってくれた事には礼を言うが、何も自分を噛ませることないんじゃないっすかね」
「だからと言って剣突き出すわけにもいかんだろう?それに、私は人よりも丈夫だがらこの程度問題ないさ」
そう言って彼女はシャスティルの治癒術を静止した
納得いかなさそうにアリシアを見つめるシャスティルだったが、大人しくその手を引いた
「ユーリ君、怪我はないかい?」
クルリと振り返りながら彼女は問いかける
「あ……あぁ、大丈夫」
腕の中にいるラピードを見下ろしながら彼は答える
アリシアは数秒彼を見つめると、優しく微笑みながら彼の頭に手を乗せた
「君まで気にしてるのかな??安心しなよ、私は大丈夫だから」
『大丈夫だから』……その言葉が異様なくらいにユーリの頭の中で反響する
いつか、どこかで聞いたことのある言葉と全く同じ言葉が目の前で紡がれたことに、驚きを隠せずに目を見開いた
「さ、三人はもう部屋に戻りな。これ以上は明日の任務に響く」
ゆっくりと三人を見回しながらアリシアは言う
話したいことも、聞きたいこともあるのだか……などと考えながら、ユーリは立ち上がった
訝しげにシャスティルとヒスカが先に部屋を出る
その後に続いてユーリも部屋から出て行った
部下の居なくなった部屋でナイレンは大きくため息をついた
「そんなにため息ついてると、幸せ逃げますよ?」
先程までとは打って変わってそれこそ年相応な声色で彼女はナイレンに声をかける
それこそ、とても騎士団のNo.二とは思えない程に発された言葉には幼さが混じっていた
「久しぶりに会って早々、こんだけ怪我されちゃ嫌でもため息が出る。……ほら、包帯巻き直すからこっち来い」
先程までの少し恭しい態度はどこへ消えたのか、自分の子どもに話しかけるような口調で彼は手招きする
アリシアは大人しく立ち上がると、ナイレンの傍のソファーに腰を下ろした
隊服の袖を捲って巻かれていた包帯を外すと、その腕には複数の傷が残っていた
大半は薄らと消えかかっているが、先程の傷はわかりやすい程に赤くなっていた
「相変わらずひでー傷跡だな」
表情を変えずにそう言って綺麗な包帯を巻き直し始めるナイレン
「これれ私にとっては『勲章』ですから」
彼とは対照的に立場上では上のはずのアリシアが敬語を使う
何処か懐かしむように目を細めながら彼女は呟く
その目はここに居ない『誰か』に向けられていた
「『勲章』……って言っても、本人たちには酷く叱られたんだろうに」
「あ、バレました??」
ケロリと彼女が笑うと、いよいよナイレンを頭痛が襲った
「ったく……『あいつら』が可哀想だわ……」
「仕方ないじゃないですか。それが『役割』ですもん」
「……死なない程度にしろよ?泣かれるぞ」
「ご忠告は有難いですが……『あの方々』にこの生命は捧げているのでなんとも言えませんね」
裏を返せば『彼ら』を守る以外で死んだりしませんが、と物騒な言葉をさも当然のように彼女は発した
「………頭堅いのは変わんねえな」
「ええ、変わりませんね」
どんな言葉ですら、彼女は動揺せずに肯定していく
これ以上は頭痛が酷くなる原因だと感じたナイレンは口を閉ざした
「…それで?あなたの成果を教えてもらおうかな。私の『お願い』破ってまで離れたんだし、何か掴んでるんでしょ?」
すっかり先程の口調に戻った彼女はコテンと首を傾げる
限りなく笑顔だが、そこには何も成果がないとは言わせないという無言の圧力があった
「……モルディオの見解では湖の遺跡にはエアルを大量放出するような場所はないとのことでした。あくまでも誰が魔導器 を持ち込んでいなければ、ですが…
それと、今の状態が悪化していけば、魔導器 にも影響が出てくる恐れがあるとの忠告も得ました。早急に解決すべき、と」
ナイレンからの報告を彼女は静かに聞く
何か思い当たる節があるような表情を浮かべた彼女はゆっくりと口を開く
「…………やはり、か」
たった一言呟いて、額に手を当てながら顔を上に向けた
「やはり、とは?」
くってかかるナイレンに彼女は半分申し訳なさそうに、半分苛立ちながら言葉を発した
「近頃、閣下に秘密裏で魔導器 の軍用研究をしている馬鹿がいると帝都で噂されている。ただの噂であれば兎も角、親衛隊や幾つかの隊で行方不明者が後を絶たない。幸い私の隊は他の隊と少々違うから被害はないが、ほっておくわけにもいかんと閣下直々に秘密裏に調査していたところだったんだ。その最中に私の部下からシゾンタニアの異常事態の報告があった。んで、その問題の遺跡付近を調査させた報告書が私に届けられた時に、ナイレン隊長からの援軍要請があったわけだ」
「……………なるほど、だからアリシア隊長が直々に赴いたわけですね」
「あー、いや、まあ…それは半分建前で、本音は式典に出たく無かったんだが……」
仕事熱心だと関心していたナイレンだったが、本音を聞いて大きく肩を落とした
副騎士団長がこれで大丈夫なのかという不安がチラリと過ぎるが、そもそもこの副騎士団長は『帝国』に本気で剣を捧げていなかったことを思い出す
「全く……確かにアレクセイ閣下は魔導器 に非常に興味をお持ちだが、だからといって無断でやられるのは如何せん困る。今回のような事態になりかねないからな」
大きくため息をつきながら、彼女は右手を強く握り締めた
「評議会のように、騎士団内でも派閥のようなものがありますからねえ……取り分けアレクセイ騎士団長派の人間は数も多いですからね」
「閣下派の奴らはまだいい。それよりも貴族派はタチが悪い」
「私は副騎士団長派が一番落ち着いていると感じるんすけどね」
「……あれはあれで問題だがな………」
困ったように顔を歪めて彼女は笑う
数ヶ月ぶりの彼との再開に、顔には出さずに喜んでいた
夜が更けるまで、彼らは会話を弾ませていた
「隊長……本当に良かったのですか?」
半ば遠慮気味に一人の小隊長が声をかけた
帝都を出てもうすぐ三日が経つ
目的地のシゾンタニアは目の前だ
「なにが?」
ケロリと彼女は首を傾げる
小隊長が、式典がどうの、と言っていると、それを遮るように彼女は隊の進行を静止した
何事かと全員が首を傾げると、どこからともなく悲鳴と足音が響いた
何が起きている
そう気づくのに時間はかからなかった
「隊長、どうします?」
「…お前達は先にシゾンタニアへ向かえ。街にまで被害が出ていたら援軍の意味が無くなる」
彼女の指示に意義を言う者はいなかった
彼女なら問題ないだろうと、誰もが信用していたからだ
小隊が急ぎ足でシゾンタニアに向かったのを見送ると、アリシアは声の聞こえた方へと馬を走らせる
嫌な予感が頭を通過してならなかった
「ランバート!お願い、やめて!!」
甲高い声が辺りに響いた
ランバート……確か、ナイレン隊長の愛犬の名だったか
そんなことを考えていると、目を疑いたくなるような光景が目の前に広がった
「あれは……!!」
赤く、うねうねと動く『何か』
その先端にランバートと彼と同じ軍用犬が二匹居るのが目に入る
理性を失っているのは容易にわかった
彼女の目に入った人影は五人
フェドロック隊のユルギスとヒスカ、エルヴィン、それとユーリに見慣れない男
「ランバート!!!」
ヒスカから引き離そうとしたらしく、ユーリが大声で名を呼ぶと、三匹の顔がユーリに向いた
「(なるほど、音に反応するのか)」
アリシアはそう感心するとすぐさま馬から飛び降りて剣を抜き近くにあった木をなぎ倒した
大きな音を立てて木が倒れれば、三匹は迷うことなくこちらへ向かってきた
「全く……来て早々これか」
そう言いながらもどこか楽しそうに口角を上げると、突進してきた三匹をギリギリのところで交わし、三匹にまとわりついている『何か』を切り離した
当然、それだけは彼らは収まらない
グルルルル、と低く唸り声を上げながら威嚇してくる
「……ランバート」
自身の傍の地面に剣を突き立てながらゆっくりとその名を呼べば、彼は容赦なくアリシアに飛びかかり噛み付いてくる
左腕の甲冑を盾にした為に今のところはなんともないが、噛み千切られるのも時間の問題だ
「あんた……!!何してんだ!?」
背後から驚いたユーリの声が聞こえてくる
元気そうなその声にアリシアは内心ほっとしながらも表情は変えなかった
「まぁ見てなよ、ユーリ・ローウェル君」
そう言って腰に下げたポーチから首輪状の
それを今にも腕を噛み千切りそうなランバートの首元に付けた
すると、赤く血走っていた目が一点その赤みが引いていつもの色に戻る
それと同時に噛むのを辞めたかと思えばそのまま眠りについた
「よし、終わ………りじゃないかぁ」
未だに威嚇してきている残り二匹を見て、流石に同じ方法はなあ……などと呑気に言いながらランバートを地に下ろした
何が起こったかわからないという目でユーリたちは彼女を見つめていた
ポーチからもう二つ、同様の
「ちょっと乱雑になるけど……ごめんね?」
ニヤリと笑うと彼女は地面を蹴って真っ直ぐ二匹に向かう
それならばと二匹も突っ込んで来るが、待ってましたと言わんばかりに彼女は後ろに跳ねた
かと思えば次の瞬間には宙に浮いていた
二匹が慌てて追いかけて来ようとジャンプしようとしたタイミングで、二匹の首に同時にそれを装着した
神業と言っても過言ではないだろう
まるで流れ作業のように至ってスムーズに彼女はそれをこなしたのだから
「アリシア副騎士団長……!!」
ようやく声を発することが出来たのか、ユルギスは嬉しそうに声を上げた
「えっ!?ふ、副騎士団長殿?!!」
あわあわと大慌てでヒスカがユーリを怒鳴る
知らなかったとはいえ、副騎士団長に『あんた』呼ばわりは流石にまずいと思ったのだろう
それを言った本人も若干まずいという表情を浮かべていた
「…エルヴィン、ユルギス、この二匹連れて帰ってあげて?」
そんな二人を気にする素振りもなく、彼女はユルギスたちに指示を出した
軽く敬礼すると、二人はすぐさま二匹を抱えあげた
「それと、ユーリ君」
アリシアが名前を呼ぶとヒスカと二人でビクリと肩を震わせた
何を怖がっているのかと笑いだしそうになるのを抑えながら言葉を繋ぐ
「ランバート、連れて帰ってあげて」
「………へ?」
素っ頓狂な声をあげたのはユーリではなくヒスカだった
ユーリ本人は少し驚いた顔でアリシアを見つめていた
「ん?どうかした??」
「………いや、その……さっきの発言、咎めたり……しないんすか?」
首を傾げたアリシアにユーリは遠慮気味に問いかける
ポカーンとした彼女が笑い出すまでそう時間はかからなかった
お腹を抱えて笑う彼女の意図を知るのはユルギスとエルヴィンだけだった
「あははっ!『あんた』呼ばわりされたくらいで咎めるほど、私非人道的じゃないわよ??」
笑いすぎて目元に溜まった涙を拭いながら彼女は答える
その答えに、ユーリ少し恥ずかしそうに顔をほんのり赤く染めた
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないっすか……っ!!」
そう言いながらランバートの元に駆け寄ってその身体を抱き上げた
「いやぁ、ごめんよ。あんまりにも君ら二人がオロオロするんでついついからかいたくなっちゃったのよ」
アリシアはそう言うとポンッと彼の頭に手を乗せた
何故そんなことをするのか、それがわからないユーリはキョトンと首を傾げた
「やっぱり入って半年とは思えないねぇ。先輩助けるのに自分の方に引きつけようとする奴、半年の新人じゃ滅多いないよ。流石、ナイレン隊長が一目置いてるだけあるね」
褒められたとユーリが自覚するまでに数十秒かかった
気づいた時には彼女は地面に突き立てていた剣を鞘に戻しながら、あからさまに一般市民の風貌の男の元に行っていた
彼曰く、ギルドの人間でユーリに興味を持ったから手助けしていたそうだ
シゾンタニアで何が起こっているかはその彼から聞くことが出来ずにいたが、後でナイレンにでも聞こうと考えながら、彼女はパンッと一度手を叩いた
音に気づいた彼女の馬が颯爽と駆け寄ってくる
「さて……詳しいことはナイレン隊長も交えて教えて欲しいし、街に帰ろうか」
そう言いながらアリシアは馬に跨った
では私が、とユルギスを先頭に彼らはその場を後にした
街に着くなりアリシアは険しい顔をした
街の入り口には馬車が横たわり、無残にもボロボロにされていた
「……まさかここまでとは……」
誰に言うわけでもなく、彼女は小さく呟いた
馬車の残骸や戦ったであろう痕跡を一通り見つめると、街の中へと進んで行く
「隊長!おかえりなさいませ!」
騎士団の駐屯所前では先に行かせた四小隊が入り口の前で待っていた
「お前ら……なんで揃いに揃ってこんなとこで待ってるのだ?フェドロック隊の隊員に迷惑だろうに」
馬から降りた彼女は呆れ気味に自身の四小隊を見回した
自分に忠実で居てくれるのは有難いことなのだが、ここまでされると狂気の沙汰としか思えない
「お帰りが遅かったので、つい……」
「また無茶して、他の隊員に迷惑をかけていたのかと…」
小隊長二人がそう答えると全員がアリシアから目を背けた
「…ほーお?」
コテンと彼女は首を傾げる
傍から見れば可愛い行動なのだが、その行動が可愛さをアピールしていることではないと彼女の隊員たちは身体を強ばらせた
「……帝都帰ったらどうなるか、覚えてなさいね?」
ニコリと満面の笑みを浮かべた彼女に血の気の引いたものが一体何人いたことか
「それはそうとナイレン隊長は?」
キョロキョロと辺りを見回しながら彼女は問いかけた
「隊長でしたら、シャスティルを連れて出掛けているはずです。まだ、帰って来ていなければ…」
「全く……呼んでおいて何してるんだか、あの人は……ユルギス、悪いんだけどこの馬鹿共適当に部屋分けしてもらっていいかな?」
何処か投げやりに彼女はユルギスに頼む
若干遠慮しながらも、結局彼はそれを引き受けた
抱き抱えていた軍用犬をエルヴィンに託すと小隊を連れて奥へと歩いて行った
「副騎士団長、ここで待つのもなんですから、とりあえず隊長室にでも…」
「あー、いいのよ気にしないで。ナイレン隊長のことだから、そろそろ戻って来るだろうから」
アリシアがそう言うと外から馬の掛けてくる音が二つ聞こえてくる
「ほら、言ったでしょう?」
何処か自慢げに彼女は笑った
その笑顔を見た瞬間、ユーリは一瞬頭痛が襲ったような気がした
だが、ほんの一瞬だった為、気の所為だと頭を振るった
「おいおい……副騎士団長殿が直々に来なくても良かったんじゃないんか?」
「あら、私に直に手紙寄越すんだもの。てっきり来て欲しいのかと思ってたわ」
ケラケラと茶化すようにアリシアは帰って来たナイレンに話しかけた
先程までの口調とは少し違う声色に、ほんの少しユーリは混乱した
一体どっちが素なのか……そんなことを考えていると腕の中のランバートが身動ぎした
「ランバート…!」
ユーリがそう声をかけると、アリシアは少し安心した表情を、ナイレンとシャスティルは首を傾げた
「なんかあったのか?」
「それも含めて話したいことが。…できればあなたの成果も聞かせて欲しいわね」
そう言って笑った彼女にナイレンはただ肩を竦めて苦笑いした
揺らりと蝋燭の灯りが部屋を照らす
隊長室にはナイレンとアリシアの他にユーリとシャスティル、ヒスカが居た
双子のシャスティルとヒスカは同じ位置で結ばれた髪を揺らしながら唸っていた
ユーリは膝の上で眠っているランバートの子どものラピードの背を優しく撫でながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている
ナイレンとアリシアは共に腕を組みながら難しい顔をしていた
「……つまり、今日のことだけまとめれば、ナイレン隊長とシャスティルがリタ・モルディオの元に情報収集しに行ってる間に、街に魔物が襲って来た。追い返したものの、ランバートたちがそれを追い掛けたのを連れ戻そうとして、ユーリ君たちが森に入ったらあの状態の三匹を見つけたのね」
「クーーーン…………」
ナイレンの傍に伏せていたランバートが、申し訳なさそうに鳴いた
「ランバートのせいじゃないのよ。気にしなくていいわ」
彼女が優しく微笑むが、それよりも彼は自分までが周りに迷惑をかけたことが不満で仕方ないらしい
「にしても、相変わらず無茶しますねえ…万が一にでも噛み千切られたらどうするつもりだったんすか?」
大きくため息をつきながら、ナイレンは背もたれに体重をかけた
「あら、私そこまでヤワじゃないわ。それに、片腕だけでも騎士やっていける実力はあるもの」
甲冑を脱いでラフな隊服に身を包んだ彼女は左腕を上げた
袖の隙間からチラリと包帯が巻かれているのが見える
不幸中の幸いと言うべきか、不運と言うべきかは定かではないが、甲冑だけでは防ぎきれていなかったらしくランバートの牙が僅かにその腕を傷つけていた
「そうゆう問題じゃないって何度言えばわかって貰えるんすかねー……閣下にドヤされるのは俺なんだっての」
「アレクセイ閣下でももうそこまでしないわよ」
ケロッと彼女はそう言うが、それだって実際問題ではないのだ
もっと根本的な問題があるだろうとナイレンは目で訴えるが、それに気づいているはずの本人はつゆ知らずとニコニコ微笑んでいた
「……っつーかお前ら黙り込みすぎじゃねえか?」
ユーリたち三人を見ながらナイレンは苦笑いした
報告が終わってからの三人は酷く静かだった
三人は珍しく意気投合しているようで互いに顔を見合わせていた
「そうは言いますけど隊長……」
シャスティルはそう言いながらチラリとアリシアを見る
「…ああ、立場気にしてんのか」
納得したように目の前に置かれたカップの中の飲み物をナイレンは口に含んだ
「別にそんなの気にしなくていいのよ?」
彼女はスラリとした長い足を組みながらクスリと笑う
「気にしねえ方が無理っすよ…」
「そうかぁ?アリシア隊長は割とその辺りのことはガバガバだぞ?」
「硬っ苦しいのは面倒なのよ。そりゃ時と場合はあるにしろ、普段からずーっとそれはかったるいのよねぇ」
副騎士団長らしからぬ発言とはこのことだろう
騎士団をまとめるうちの一人がこれでいいのだろうか
そんな考えがユーリの頭を過ぎった
ユーリ自身堅苦しいのは苦手ではあったから正直楽ではあるのだが…
「それで、話を戻すがランバートたちにつけた
ランバートの頭を撫でながらナイレンは問いかける
「ああ、それね。体内に取り込みすぎたエアルを外に放出させる
テーブルに置かれたカップに手を伸ばしながら彼女は言葉を続ける
「エアルの濃度が異常だってことは事前に聞いてたから、もしもの事態に備えて持って来ていて正解だったわね。魔物や植物、小動物はエアルの影響受けやすいから、当分は森に近づけない方がいいわ」
「エアルか……やはり今回の異常事態の原因はそれか」
難しい顔をしてナイレンは腕を組んだ
薄々気づいていたものの、エアルが異常発生する原因まではわからない
「怪しい遺跡があるって言うのなら、先ずはそこを調べる必要がありそうね。フェドロック隊と私の四小隊で足りるかどうかは疑念だけれども………」
カチャリとカップを置く音が部屋に響く
すっかり夜もふけたこの時間、見張り番以外で起きている者は果たしてどれだけいるのだろう
一瞬にして静寂に包まれた部屋に、「ところで」とアリシアの声が反響する
「ナイレン隊長、もう一人の新人君はどうしたの?」
「ん…?あぁ、フレンですか。あいつには俺の代理で式典に行ってもらいましたよ」
その返しに彼女は大きくため息をついた
「あのねぇ……人手が足りない時に代理送る余裕が何処にあるのよ…」
「仕方ないじゃないっすか、式典参加の命令が届いたのがユルギスを送った後だったんすから」
「全く……まあ、閣下のことだから直ぐに引き返させてくれてるはずだけど…」
肘掛に肘をついて頬杖をついた彼女は心底詰まらなさそうに少し頬を膨らませていた
その姿だけを見れば年相応なのに……などとは口が裂けても言えない
「あの…副騎士団長は何故二人を知っておられるのですか?」
疑問を吹き掛けたのはヒスカだった
恐らく面識もないはずなのに一目見ただけでユーリを当てた時から疑問に思っていたのだ
恐らく、というのはユーリ自身に聞いた際に「覚えがない」と言われたからだ
「そりゃ隊員の名前くらいは覚えてるわよ。隊の編成組むのは私の仕事だからね。…まぁ、入団してから半年の新人君を覚えてるのは稀だけど」
「稀って……オレら、なんかしでかしましたっけ?」
若干肩の力の抜けたユーリが問い掛ける
すると身に覚えのないことに驚いたのか、アリシアは一瞬目を見開いて彼を見つめた
数秒沈黙したかと思えばクスリと笑みを零した
「特別何かやらかしたりしてる訳じゃないわよ。ただ印象が強かっただけ。壇上で私が話してる時に市民選抜の騎士の中にあからさまにそうには見えない二人組みがいるんだもの。オマケに、剣の成績トップで入団なんてしていたら覚えないわけがないわ」
そう言ってユーリに向けられた彼女の目は優しさが帯びていた
何か大切な人を見つめるかのように細められた目に、ユーリは一瞬息が止まりそうになる
何処か懐かしいような感覚にそれでも初めて会うはずだと頭が困惑していた
「さっ、三人とも引き止めて悪かったわね。もう遅いし部屋で休んでいいわ」
パンパンッと乾いた音が部屋に響く
シャスティルとヒスカは互いに顔を見合わせて頷くと立ち上がってユーリの腕を引いた
未だ話したそうにしていた彼だったが、渋々立ち上がるとラピードを連れて部屋を後にしようとした
「グルルルルルルル………」
「どうした?ランバート」
ナイレンが傍で唸り声を上げたランバートに首を傾げた
「…まさか…っ!」
ガタンと音を立ててアリシアが立ち上がった次の瞬間、ランバートはユーリたち目掛けて走り出していた
ユーリたちを見るランバートの瞳は先程と同じ赤色に染まっていた
「ワンッ!ワンッ!」
甲高いラピードの鳴き声が部屋に響く
それに反応してランバートは走る
「やっべ…っ!!」
避けるのは無理だと判断したユーリはラピードを守るように抱き抱えて背を丸めた
「ユーリ!!」
扉の向こうからヒスカの悲痛な叫び声が響く
首を噛まれるのだけは勘弁だな…などと考えながら目を瞑る
だが、いくら身を固くして待っても想像していた衝撃は訪れなかった
ゆっくりと目を開けてユーリは振り返った
「………は………?」
目の前に見えた深紅の髪に目を見開いた
「っ………!……ったく、ランバート、落ち着きなさい」
グルルルルと喉を鳴らしながら彼はアリシアの左腕に噛み付いていた
全く防護されていないそこからはボタボタとかなりの量の血が溢れ、彼女の足元に血溜まりをつくっていた
痛みに顔を歪めながらも彼女は
「副騎士団長……っ!!」
顔を真っ青に染めてシャスティルは駆け寄ると直ぐに治癒術をかけ始める
「ははっ…流石に油断したかねえ……。まさかまだエアルが溜まってたとは思わなくて出力下げたのが敗因だね」
自嘲気味に笑いながら、アリシアは今にも泣きそうなシャスティルの頭を撫でた
「シャスティル、そんな顔しないの。私は大丈夫だから」
「全く……部下を守ってくれた事には礼を言うが、何も自分を噛ませることないんじゃないっすかね」
「だからと言って剣突き出すわけにもいかんだろう?それに、私は人よりも丈夫だがらこの程度問題ないさ」
そう言って彼女はシャスティルの治癒術を静止した
納得いかなさそうにアリシアを見つめるシャスティルだったが、大人しくその手を引いた
「ユーリ君、怪我はないかい?」
クルリと振り返りながら彼女は問いかける
「あ……あぁ、大丈夫」
腕の中にいるラピードを見下ろしながら彼は答える
アリシアは数秒彼を見つめると、優しく微笑みながら彼の頭に手を乗せた
「君まで気にしてるのかな??安心しなよ、私は大丈夫だから」
『大丈夫だから』……その言葉が異様なくらいにユーリの頭の中で反響する
いつか、どこかで聞いたことのある言葉と全く同じ言葉が目の前で紡がれたことに、驚きを隠せずに目を見開いた
「さ、三人はもう部屋に戻りな。これ以上は明日の任務に響く」
ゆっくりと三人を見回しながらアリシアは言う
話したいことも、聞きたいこともあるのだか……などと考えながら、ユーリは立ち上がった
訝しげにシャスティルとヒスカが先に部屋を出る
その後に続いてユーリも部屋から出て行った
部下の居なくなった部屋でナイレンは大きくため息をついた
「そんなにため息ついてると、幸せ逃げますよ?」
先程までとは打って変わってそれこそ年相応な声色で彼女はナイレンに声をかける
それこそ、とても騎士団のNo.二とは思えない程に発された言葉には幼さが混じっていた
「久しぶりに会って早々、こんだけ怪我されちゃ嫌でもため息が出る。……ほら、包帯巻き直すからこっち来い」
先程までの少し恭しい態度はどこへ消えたのか、自分の子どもに話しかけるような口調で彼は手招きする
アリシアは大人しく立ち上がると、ナイレンの傍のソファーに腰を下ろした
隊服の袖を捲って巻かれていた包帯を外すと、その腕には複数の傷が残っていた
大半は薄らと消えかかっているが、先程の傷はわかりやすい程に赤くなっていた
「相変わらずひでー傷跡だな」
表情を変えずにそう言って綺麗な包帯を巻き直し始めるナイレン
「これれ私にとっては『勲章』ですから」
彼とは対照的に立場上では上のはずのアリシアが敬語を使う
何処か懐かしむように目を細めながら彼女は呟く
その目はここに居ない『誰か』に向けられていた
「『勲章』……って言っても、本人たちには酷く叱られたんだろうに」
「あ、バレました??」
ケロリと彼女が笑うと、いよいよナイレンを頭痛が襲った
「ったく……『あいつら』が可哀想だわ……」
「仕方ないじゃないですか。それが『役割』ですもん」
「……死なない程度にしろよ?泣かれるぞ」
「ご忠告は有難いですが……『あの方々』にこの生命は捧げているのでなんとも言えませんね」
裏を返せば『彼ら』を守る以外で死んだりしませんが、と物騒な言葉をさも当然のように彼女は発した
「………頭堅いのは変わんねえな」
「ええ、変わりませんね」
どんな言葉ですら、彼女は動揺せずに肯定していく
これ以上は頭痛が酷くなる原因だと感じたナイレンは口を閉ざした
「…それで?あなたの成果を教えてもらおうかな。私の『お願い』破ってまで離れたんだし、何か掴んでるんでしょ?」
すっかり先程の口調に戻った彼女はコテンと首を傾げる
限りなく笑顔だが、そこには何も成果がないとは言わせないという無言の圧力があった
「……モルディオの見解では湖の遺跡にはエアルを大量放出するような場所はないとのことでした。あくまでも誰が
それと、今の状態が悪化していけば、
ナイレンからの報告を彼女は静かに聞く
何か思い当たる節があるような表情を浮かべた彼女はゆっくりと口を開く
「…………やはり、か」
たった一言呟いて、額に手を当てながら顔を上に向けた
「やはり、とは?」
くってかかるナイレンに彼女は半分申し訳なさそうに、半分苛立ちながら言葉を発した
「近頃、閣下に秘密裏で
「……………なるほど、だからアリシア隊長が直々に赴いたわけですね」
「あー、いや、まあ…それは半分建前で、本音は式典に出たく無かったんだが……」
仕事熱心だと関心していたナイレンだったが、本音を聞いて大きく肩を落とした
副騎士団長がこれで大丈夫なのかという不安がチラリと過ぎるが、そもそもこの副騎士団長は『帝国』に本気で剣を捧げていなかったことを思い出す
「全く……確かにアレクセイ閣下は
大きくため息をつきながら、彼女は右手を強く握り締めた
「評議会のように、騎士団内でも派閥のようなものがありますからねえ……取り分けアレクセイ騎士団長派の人間は数も多いですからね」
「閣下派の奴らはまだいい。それよりも貴族派はタチが悪い」
「私は副騎士団長派が一番落ち着いていると感じるんすけどね」
「……あれはあれで問題だがな………」
困ったように顔を歪めて彼女は笑う
数ヶ月ぶりの彼との再開に、顔には出さずに喜んでいた
夜が更けるまで、彼らは会話を弾ませていた