四、微睡



 【人喰】

 姫も眠る穏やかな昼下がり。タソガレはデスクを前に大きく背伸びをして、椅子の背もたれにゆるく身体を預けた。愛犬の頭をもふもふと撫でつけ、ずいぶんと気の抜けた顔を晒している。主のくつろぐ様子を横目に、レオナールも手にしていた書類を脇へと置いた。

 どんなに忙しくなろうとも、魔王城にはこうして誰にも急かされない時間が不思議と必ず訪れる。魔王の根っからのゆるい性分がそうさせているのか、示し合わせるわけではないが、自然と城全体が落ち着きを取り戻すひとときがあった。

「こういった時間が長く続けばいいのだがなぁ」

 ふぅっと溜め息をついたタソガレは高い天井を見上げた。その視線の先では、シャンデリアがきらきらと輝いている。デスクの端には山積みの書類が鎮座しており、あえてそこだけ気を逸らしているようだった。レオナールと改は揃って頷いていた。

「まぁ、そもそも、姫の来る前が暇すぎたのやもしれん」

 タソガレの自虐めいた言葉に、レオナールが「そんなことはありませんよ」と軽く笑う。そのまま談笑を続けていると、突如、タソガレの通信玉が震えた。


『よぉ、魔王サマ』
 通信玉の向こうから聞こえてきたのは妖宴座幹部、燈仙坊の声だ。画面に狛犬の耳が特徴的な和服の男が映し出される。

「燈──」
「師範!!」

 タソガレが呼びかけるより早く、改が身を乗り出した。尻尾を勢いよく振りながら、画面に映り込もうと主人の顔へぐいぐいと鼻先を寄せる。タソガレは「あっ、ちょ……、改……」と言葉を詰まらせながら、画面に映らぬ端の方へと追いやられていった。

『豆助! 元気してるか? 飯は食ってるか?』
「はい、師範もお元気そうで!」
「こらっ。改くん、邪魔しちゃ駄目だよ」
「あ、魔王様すみません!」
「い……いや、いいのだ」

 クゥンと耳を垂れたのも束の間、改はすぐに顔を上げた。少し離れたところで嬉しそうに尻尾を振っている。じとりと向けられたタソガレの視線に、燈仙坊はドヤついた笑みを返していた。


『本題だ』

 燈仙坊の声が低くなる。

『妖宴座の管轄内にて、人喰いが現れた』
「人喰い?」

 改の耳がぴんと立ち、タソガレの眉間には皺が寄る。
 菓子を用意していたレオナールの動きがぴたりと止まった。

『一座の者が偶然現場に居合わせたが、逃げ足が速くて取り逃してしまってな』
「なんだか物騒な話だな」
『うちの頭領は放っておけと言っていたが、いつ仲間が食われるかも分からんのにじっとはしていられん。手分けして犯人の痕跡を辿ったんだが……駅周辺でそれすらも見失った』
「他所に逃げたと言うことか」
『可能性があると言うだけだ。もしかしたら近くの池に飛び込んで姿を眩ましたのかもしれない』

 燈仙坊はバツが悪そうに顔を顰めた。

『他所に行ったならそれはそれで構わんが、城下の方に行って豆助に何かあったらと思ってな。そっちだけには一報いれておこうと思っただけさ』
「師範……、ご心配ありがとうございます! そんな輩、オレが息の根を止めてやります」
『用心しろよ』
「燈仙坊、礼を言うのだ」
『はぁ? 何度も言うがお前の為じゃないからな』

 ──プツ。
 そこで通信は切れた。黒く染まる通信玉に、タソガレと改の顔が反射する。タソガレは深い溜息と共にガリガリと頭を掻いた。

「しばらくの間、城下町の見回り強化が必要だな」
「そうですね」

 返事をした自分の声が遠く聞こえる。頭の中では先ほどの言葉だけが反芻していた。

 人喰い。人喰い。人喰い。

 それが罪として扱われるのは、実際に起こり得ることだからだ。悪魔の郷でも決してない話ではなかった。殺し合いすら所構わず行われ、ドラッグだの禁忌だのと、ろくでもないものを好む種族だ。気が触れる者がいたとておかしくはない。ましてやこれだけ長く生きていれば、そんな話は人伝に嫌でも耳に入ってきた。何を思って食うのかは知らないが、その多くは魔力を吸収することが目的とも考えられる。

 人喰いは問答無用で首を刎ねろ。刎ねた後は、墓を砕け。
 魔界に生きる者なら誰もが知っている理のひとつだ。生かしていれば次に食われるのは自分かもしれないのだから、当然だろう。危険個体は墓を壊してこの世から魂の繋がりを断たなくてはいけない。

 自分もいつかそうなるのではないか。薄れかけていた恐怖が、一瞬にして鮮明に蘇る。罰を受けることが怖いのではない。それに巻き込んでしまうことが、酷く恐ろしいのだ。

「聞いているのか? あくましゅうどうし」
「え、あ……! はい、なんでしょう」

 タソガレは訝しげに首を傾げたが、その後、咳払いをして話を続けた。

「改を連れて妖宴座の現場に行ってみようと思うのだ」
「い、今からですか?」
「改は鼻が利く。犯人の匂いを覚えれば、万が一こちらに忍び込んでいても見つけるのが容易くなるだろう」
「……匂い」

 レオナールは呟く。タソガレと改が意気込む中、そっと片手を上げた。

「魔王様、私が行きます」
「お前が?」
「このことはまだここにいる者しか知りません。何かあった時には、魔王様がいらっしゃった方がよろしいかと」

 もっともらしい理由を述べてはみたが、もちろん目的は別だ。
 うらみのから聞いた話を思えば、ケーキである可能性は極めて低い。それでも、確かめずにはいられなかった。その存在が本当に他にもいるのか。そして、いたとすれば、それを食った者は間違いなく自分と同じフォークだ。見つけたからといってその後どうするかは今のところ考えつかないが、とにかくこの目で確認したかった。

 幸いというべきか、いつも必要以上に与えたがる男のおかげで、あと三日程度は何があっても平気なはずだ。それに万が一、それが効かないようなことがあったとしても……。

 レオナールはポケットに手を入れた。薬は睡魔に知れたあの日から、ひとつも減っていない。



 あやしがはらニュータウン。辺りを見渡すふたりの背後で、タソガレのワープホールが消えた。街に降り立ちすぐ目に入るのは、いつぞやに見覚えのある巨大ながしゃどくろだった。白く風化した骨は暗闇に紛れて黒ずみ、深淵の眼窩と空を透かす口元は奇妙に笑って見える。街のどこからでも見上げることができるそれは、レオナールの故郷とはまた違う禍々しさを漂わせていた。
 どくろがシンボルというのはどうかとも思うが、中央の広場では地元の妖怪達と観光客が当たり前のように闊歩しており、観光地としては悪魔の郷よりはるかに上を行っている。そういえば自分が昔作った観光PRの動画は何か役に立ったのだろうかと、レオナールは一瞬だけ思いふけった。頼まれてももう二度とやらないと決めていることのひとつだった。

 意識が他所に向いているうちに、修行の為に度々ここを訪れていた改が慣れた足取りで道を進む。レオナールはその後ろを慌ててついて歩いた。

「師範!」

 橋を渡った先にある妖宴座の入り口で、タソガレから事前に連絡を受けていた燈仙坊が振り向いた。



「ここだ」

 辿り着いた場所は大通りの裏手にある小さな空き地だった。事件以降、人払いしたとされる区間の向こうからは人々の話し声が聞こえてくるというのに、こちらはまるで切り離された別世界のように静まり返っていた。

 ボールやバット、空き缶などが転がっており、おおよそ普段は子ども達が遊び場として使っているのだろうことが窺えた。角の方には椅子代わりに使えそうな大きな石がふたつ並べられている。長い間そこにあるのか、表面は風雨に晒され、周囲の地面から伸びた雑草がその根元を覆いかけていた。燈仙坊はそこから少し離れた木の下で立ち止まり、レオナールと改は彼の肩越しにそろりと足元を覗き込んだ。

 まず目に入り込んできたのは引き裂かれた衣服だった。元が何色だったのかも分からぬほどに血が黒くこびりつき、周辺の草木や土にまで飛散している。傍らには引き抜かれた髪の束が無造作に散らばり月明かりを白く反射していた。

 転がっている靴のサイズや柄を見るに、どうやら被害者は子供のようだった。道中、燈仙坊はこの街では神隠しが多いと言っていたが、今回のその正体はよほど醜悪なものだったらしい。

 食べられたというのなら遺体が残っていないこと自体は不思議ではない。しかし飛び散った血の跡はあまりにも広く、そこに残されたものだけで、当時の惨状が容易に想像できた。

「改くん、平気?」
「あぁ」

 二人で血痕のそばにしゃがみ込む。こんな血溜まりの中、ましてや被害者は子どもであるということに胸は痛むが、恐ろしいという感覚は無かった。おそらくこの場にいる全員がそうだろう。感情とは切り離されたところで、冷ややかに現場を見下ろしている。

 改は鼻を近づけ、レオナールも痕跡を探る素振りをしながら静かに息を吸った。生臭さと鉄の匂いはするが、甘いケーキの香りはどこにもない。確かめるようにもう一度ゆっくり息を吸ってみるも、やはり何も感じなかった。

(……ケーキじゃない)

 ずっと胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩むのを感じた。

「師範」

 改が顔を上げる。

「どうした?」

 燈仙坊の手がぽすんと犬の頭を撫でた。改は膝をついたまま現場から顔を逸らし、視線を巡らせた。物音を探るように耳を立てて鼻先を動かす。

「改くん?」
「匂いがする」
「犯人か?」
「おそらく」

 改が立ち上がり、燈仙坊も辺りを見回した。レオナールは大通りとは反対側の道へと目を向ける。どこに繋がっているのか分からない暗がりの向こうから、何者かの気配を感じた。ひたりひたりと水気を含んだ足音が、不穏に近付いてくる。

 影から現れたのはひとりの男だった。下駄も履かず、ぼろぼろの着物を纏っている。高い背格好に泥水を滴らせる黒髪。二本の角。額から顔を隠すように貼り付いた赤い札が、月明かりの中で色鮮やかに浮かんで見えた。

「おい」

 身構えた燈仙坊が声をかけるも、男の耳には届いていないようだった。改が低く唸る。レオナールも懐から札を取り出し構えるが、男はかまわず一歩、また一歩とこちらに近付いてきた。レオナールの前で足を止めると、ゆっくりと顔を上げ、何かを探すように鼻先を動かし始める。徐々に詰まる距離に、ドブ臭さがツンと鼻奥を刺激した。男はレオナールの両腕を掴み、身体中を嗅ぎながらスンスンと鼻を鳴らす。

「何を、」

 攻撃する訳でもなく、身体中を犬のように嗅ぎ回る。目的が分からずにレオナールが困惑していると、赤い札が風に捲れ、見開かれた血走りの目に、戸惑う自分の顔がまじまじと映しだされた。

「甘、ィ……」

 男の口元がニタリと笑った。

「……見ツケ……タ」

 だらだらと涎を垂らし始め、大きく口を開ける。
 
 見つけた?
 甘い?
 違う。
 甘い匂いなどしない。
 私ではない。
 甘い匂いは、ケーキは──……。
 
「おい! 逃げろ!!」
「あくましゅうどうし!」

 燈仙坊と改、二人が揃って叫んだ瞬間だった。ドンッと鈍い音が地面を震わせ、男の身体が月に重なるほど高く空へと跳ね上がる。弓形に仰け反った身体には力などなく、まるで宙に放り投げられた人形のようだった。
 その真下。レオナールの手にあった札が一枚ぼろぼろと崩れ、静かに闇へと消えていく。

 懐からさらに数枚、札を取り出す。男を見上げるレオナールの影から黒い靄が浮かび、それは細く鋭く形を変え、男の身体を四方から槍のように串刺しにした。耳を突く断末魔。状況を飲み込めないまま見上げている燈仙坊と改の顔面を、飛び散る血飛沫がびちゃびちゃと汚す。レオナールは自身の顔にも飛び散るそれを指で拭い、黙って見つめていた。
 
 これがあいつのものであれば、私も気が狂っていたかもしれない。
 体液、唾液、精液。
 長らく口にはしているが、味覚は全然戻らない。 
 だから意味のある行為とも思えない。
 けれど、あいつの甘い甘いそれらは、確かに血肉となっているのだろう。
 汗からか、毛先からか。あの香りが、漂っているのだろうか。
 ともすれば、この男は私を見ているのではなく、私を通してあいつを見ているということだ。
 
 見つかった。
 見つかった。
 
 甘いケーキに、極上のケーキに、自分のものではないフォークが刺さろうとしている。
 

 グジャッと音を立てて地面に落ちた男の前に、レオナールは片膝をついた。角のひとつを悪魔の手が掴む。レオナールはそのまま無理やり頭を持ち上げ、苦しむ男の耳元で小さく囁いた。

「君は、随分と行儀が悪いようだ」
「……ァ、ッア゙!」
「ねぇ。あいつは私のものだから……君が食べちゃ、ダメだよね?」

 もう片方の手に込められた黒いそれが刃へと変わり、晒された首筋を一閃する。頭と胴が離れ、レオナールは汚いものを捨てるようにその手を離した。

「あ、あくましゅうどうし」

 改が恐る恐る声をかける。燈仙坊は慌てて改の口を「しっ!」と塞いだ。ゴトリと鎮座した墓石にレオナールが札を貼ると、再び黒い影が現れそれを包み込む。短い詠唱の後、魔力を操るように拳を握った瞬間、繭の中で石が砕け散る鈍い音が響いた。解呪され、さらさらと風に流されていく墓の残骸が闇夜に溶ける。
 そこに、普段は蘇生を専門とする男の姿はなかった。血を拭うこともなく呆然と立ち尽くす二人の視線に、レオナールはようやく我に返る。自分が何をしたのかを思い出すと、少しばかり困ったように笑った。

 
3/4ページ