四、微睡



 【飴】

 それから数日が過ぎた。話し合いの末、毎回あのような行為をすることはできないと譲らなかったレオナールに対し、最初に選んだ方法は飴だった。睡魔が口に含んだものをもらい、それを洗うことなくそのまま食べる。本人の目の前で口にするのはやはり気が引けたが、仕方ない。飴なら普段から持ち歩いているということもあり、簡易的に取り入れるにはちょうど良かった。

「どうだ~?」

 部屋のソファーに寝転がったままの睡魔が尋ねる。ころころと口の中で転がる飴はやはり白桃の味で、それでも口から取り出すときに触れるせいか、ほのかにラズベリーの香りもした。食べ物を味のあるものとして口にできるのは、なんだかんだ言いながらも嬉しかった。

「うまい」
「なら、上々だな」
「…………」
「どうした?」
「もう一個、とか」
「構わん。遠慮するな」

 いちいち頬を染めるレオナールと違い、睡魔はあいかわらず飄々としたものだった。こんなこと水や酒の回し飲みと同じだと言っているが、レオナールからしてみれば求めているものが唾液である以上、到底同じとは思えなかった。

 もちろんこれだけで捕食衝動が完全に消えるわけではない。しかし、腹の底から焼けるように込み上げていた焦燥感は確かに和らいでいた。見つけた瞬間に噛みつこうなどということもなかったし、なにより、ひとりで悩んでいた頃よりも遥かに気が楽になった。

 睡魔の眠る時間。日頃の業務。毎日部屋で落ち合うわけにもいかない中、飴や水で足りない日は人目を避けて指先や腕を舐めた。

「ははっ、そこはくすぐったいな」
「頼むからじっとしててくれ。怪しまれる」

 それでも食い足りないと感じた時は口移しで唾液をもらった。

「ンッ」
「睡魔……舌、出して」
「んぁ? こうか?」

 レオナールにとってはそれらにおいても十分すぎるほど負い目の残る行為だったが、すでに最後の味を知ってしまっている以上、やはり途中で止められない日もあった。

「本当にいいのか」

 その問いだけは毎回欠かさないようにしていたのだが、何が面白いのか、睡魔は決まって吹き出して笑った。レオナールが表情を曇らせると「難しいことを考えるな」と額を弾いた。

「何度も言ってるだろう。俺がいいって言ってるんだ」

 そのやりとりの度に、レオナールは返す言葉を失った。自分が抱えている罪悪感だけが、いつも置き去りになっているような気がした。睡魔の本心というものがまるで分からない。捕食の心配が薄れてくる一方で、変わらぬ男の態度に漠然とした不安を覚えるのが常だった。

 そうして試行錯誤を重ねるうち、少しずつ傾向が見えてきた。毎日摂取した場合。一日置いた場合。数日、あるいは数週間空けた場合。摂取量の加減。違いを比べていくうちに、どの程度摂取すれば、ケーキを前にしても自分を保てるのかが分かってきた。

 口にした飲食からは一日。肌は二日。キスは三日。性行為なら十日ほどは平静を装える。ただ、やはりそれを過ぎると次に会う時が怖かった。摂取に合わせた予定のすり合わせを何度か試みたが、睡魔の起きる時間も一定ではなく、城での日常は例の如く慌ただしい。

 姫に振り回され、タソガレに呼ばれ、時間ができた頃には今度は睡魔が眠っている。わざわざ通信玉で起こして居場所を聞き出すのも躊躇われ、ようやく見つけ出したとしても、静かな寝息に引き返すことが一度や二度ではなかった。


「飴の種類、増えたね」

 廊下で肩を並べて歩いていた姫が口をもごつかせながら言った。ぽこんと丸く膨らんだほっぺが可愛らしいと思いつつ、身に覚えのある指摘にレオナールの笑顔が強張る。

「え? あ……! ソウダネ」

 いつも帽子に忍ばせている菓子は自分のためではない。でびあくまや姫に配ることもあれば、口寂しそうにしている同僚たちに分けることもある。なので睡魔のためだけに味を増やしたわけではない。……ないのだが、真正面から言われてしまうと何故だかその一点だけが切り取られ、心の奥底を見透かされているような気がした。

「私、これ好き」

 姫が頬を指差す。もう片方の手には、ピーチ味と書かれた開封済みの小さな袋が乗っていた。

「レオくんはどれが好き?」
「あ、私も……アッ、イヤ! わ、わたしはいちご味かな!?」

 危うく口から出かかった言葉を慌てて引っ込める。レオナールは引きつった笑みを浮かべ、姫はにこりと微笑んだ。

「いちごも美味しいよねぇ♪」
「ウン!」
「あ! レオくん、前に言ってた新作デザートなんだけど、期間限定だからさすがにそろそろ終わりそうで」
「姫、私ちょっと急いで教会に戻らないといけないから先に行くね」

 レオナールは思い出したかのようにすぐ横の角を曲がり、そそくさとその場を離れた。自分が姫の前ではつい気が緩んでしまうことは自覚している。このままではいつかボロが出てしまいそうで怖かった。

 岩張りの廊下に、早足で歩く靴音だけがコツコツと響く。後ろを振り返り、姫がついてきていないことを確認したところで壁に背中を預けた。冷や汗が前髪の内側を湿らせて気持ち悪い。ズレた帽子を頭から外し、中に詰め込んだ菓子を眺めていると、不意に横からぬっと手が伸びてきた。

「本当は何味なんだ?」
「!?」

 反射的に帽子を胸元へ抱き寄せる。けれど、伸びてきた手はすでに目当てのものを摘まみ上げていた。パリッと袋を開けて口に放り込んだのは睡魔だった。なんだお前かとレオナールは声を洩らす。

「いや、別にこれといって。今、味……分からないし」
「今は分からなくとも、分かっていた時のことを言えばいいじゃないか」
「それはそうなんだけど」

 睡魔は口の中で飴をころころと転がしながら、不思議そうに顎を擦る。レオナールがしどろもどろと視線を下に泳がせていると、目の前に影が落ちた。

 甘い香り。飴の匂いなんて分からなくなる、唯一無二のケーキの香りだ。頭がぼうっとする中、自制したい想いとは裏腹に、手が勝手に白黒の服を掴む。

「睡魔、それ……」
「俯いてたらやれんだろう」

 顎を掴まれたかと思えば上を向かされ、そのまま口が重なる。生クリームを思わせる柔らかな甘さに、視界がぱちぱちと弾けた。

「んっ」

 ──美味しい。最後にした行為は何だったか、いつだったか。計算しようとしたが無理だった。口の中へ押し込まれた飴が舌の上を転がり、白桃の甘さが口いっぱいに広がる。

 入れたものを、また取り上げる。溶けた飴に唾液を混ぜては、また送り込む。睡魔は唇を離さずそれを続けた。飴が小さくなっていくにつれ、これ以上続けてはいけないと、なけなしの理性が警鐘を鳴らす。

 レオナールは自分を囲う背中を強く叩いた。最後にこちら側へと飴を転がし入れ、睡魔はようやく口を離した。

「はぁっ、はぁ……っ。お前、これじゃあ飴の意味……」
「なぁ、レオ。それは何味なんだ?」
「ッ!?」

 ちなみにこれは葡萄だそうだと、睡魔は空のパッケージを眺めながら言った。からかうようにちらりとこちらを見やる男に対し、レオナールは奥歯に引っかかった飴をガリッと噛み砕く。

「お前には絶対、言わない!!」
 

*


「来たぞー!」
「早かったな。珍しい」

 その日はあらかじめどうするのか決めていた。翌日に城外の視察が一泊二日。飴では足りない。しかし唾液を飲まずともなんとかなる。することは決めたものの、さてどうやって睡魔と会うかを悩んでいたところ、向こうから意気揚々に通信玉を鳴らしてきた。

 睡魔は以前より部屋を訪れる頻度が多くなった。それもこれも例の一件があってのことだが、フォークであることを伝えてからも、ふたりの晩酌はいつも通りだ。その日にあった会議の内容、姫とのやりとり、同期の様子。眠っている間に起きた出来事を話せば、睡魔は機嫌良くそうかそうかと相槌やらツッコミやらをいれる。

 自分には味の分からない酒の肴も、睡魔になら心置きなく振る舞えた。ひと口食べては感想を口にしてくれる。その言葉を頼りに目分量だったものを計りにかければ、ひとりでも以前と同じような味をなんとか再現できた。最近になってようやくまた姫のために作り置きをするようになったのだが、思いのほか喜んでくれる彼女に対し、じんと胸が熱くなった日を思い出す。


「なぁ、睡魔。悪いけど……」

 会話がひと段落したところで、レオナールはもじもじと手元の杯を親指で撫でた。酒はやはり水を飲んでいるのと変わらなかったが、アルコールが入っている分、気分は良かった。酔って目的を忘れる前に、はやく済ませてしまいたかった。

「ん? あぁ、いるのか」

 睡魔は酒瓶を傾けた。

「違う。これじゃない」
「まぁ、もう少し付き合え」
「それならそうと先に言ってくれ。まるで私が急かしてるみたいじゃないか」
「急かしてるんじゃないのか?」
「いや、そういう意味じゃなくて……いや、そういう意味でもあるけど……」

 酔いのせいで、自分で何を口走っているのか分からなくなってくる。レオナールは慌てて杯に口をつけたが中身は空だった。

「明日は出張なんだろう?」
「うん。だから……今日は、その……飴だけじゃ少し心許なくて」

 言い淀むレオナールに対し、睡魔は構わず酒を注いだ。

「わかってるわかってる。ただなぁ、せっかく良い酒があるんだ。もう少しくらい付き合ってくれてもいいだろう」
「それは構わないけど……」
「なら飲め」

 並々と注がれた杯を手に、レオナールは小さく息を吐いた。それからさらに酔いが進むにつれ、変な感覚に陥った。水を飲んでいるだけなのに、身体は酒を飲んでいる。向かいに座る睡魔が楽しそうに酒を傾ける回数が増えると、相乗してケーキの香りが増している気がした。

 余計なことを考えるな。酒を飲んで、話をして、それから決めていた通りにする。勧められるまま杯を重ねながら、自分に言い聞かせていた。

「お前、飲み過ぎじゃないか?」
「そうかぁ?」
「またこの部屋で吐くなんてことするなよ」
「ははっ。つい楽しくてな~」

 睡魔は酒が好きだ。旨いからというのもあるが、酔った感覚が好きなんだと前に言っていたのを思い出す。しかしそろそろこっちだって限界だった。レオナールは杯を置いて睡魔の隣に座り、その手から酒を取り上げた。

「ほら。やっぱりもう飲みすぎだ」
「ふふ、お前さんも飲んだか?」
「飲んだよ。飲んだから」
「おぉ? ならするかぁ」
「今日は舐めるだけでいいんだ」
「別に多めにとればいい~」
「良くない」
「あのなぁ、レオナール。飴食って一日伸びるも、キスして三日伸びるも同じだろう」
「全然違う。なぁ、睡魔。頼むからもう少し危機感を持ってくれ」
「んふふ。危機感ってなんだぁ?」
「はぁ……」

 この男は本当に分かっているのだろうか。自分がどれほど必死に線を引いているのかを。レオナールは睡魔の肩に覗く肌から視線を逸らし、手首を掴んだ。腕にある紅く捩れた痣に沿って舌を這わす。

「うひゃひゃっ! レオ! だからそこはくすぐったいんだっていってるだろぉ!」

 睡魔は空いた方の手でクッションを叩いたり握りしめたりしながら堪えていた。じたばたとして落ち着かない。行為自体には悪いと思いつつも、レオナールは顔を顰めた。

「もう! 睡魔、じっとして!」
「そりゃお前さん、無理な話しだ! ぶっ、はは!!」
「じゃあどこなら平気なんだよ!」
「どこぉ~? あぁ、ここだなぁ」
「ばっ……!」

 睡魔の指先が肩口から鎖骨をつつっと撫でる。

「ほら、ここならくすぐったくないぞ」
「そこは、駄目だ」

 レオナールは顔を逸らした。

「駄目じゃない」

 言いながら、睡魔は首紐を解いた。うっすらと汗ばんだ肌を前に、レオナールの呼吸が浅くなる。持って来た酒瓶の中身はほぼ空だった。飲み過ぎたのは睡魔だけではない。

「お前、わざとだろ」
「さてなぁ」

 いつもと同じ確認を取るより先に、男の腕はするりと身体を抱き寄せた。
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