短編(sss)
──────
ナイルの花嫁
──────
本を片手にうたた寝をしてしまっていた。
いつの間にやらベンチに横たわり、目が覚めて見上げた空には白い雲。
向かいのベンチでは、ヒゲを生やした中年の男が新聞を広げてラジオを聞いている。
(もう先も長くないだろうに。)
いったいこんな世の中の何をそんなに知りたいのだろう。
ネズミはふらりと立ち上がり、公園内の遊歩道を一人で歩き出した。
チチッ。
チチチ。
耳を澄まさないと聞こえないほどの微かな鳴き声に気づき、視線を下に向ける。
「うわっ」
驚いた。
ネズミだ。
小さな三匹のネズミが、ネズミの足下をグルグルと駆け回っている。
チチッ。
チチッ。
大きく踏み出そうとすれば三匹のうちの一匹が前に飛び出す。
横にそれようとすればもう一匹が。
後ろに戻ろうとすれば最後の一匹が。
まるで、ネズミの行く手を意図的に邪魔しているかのような。
なんとも意地の悪い小ネズミ達だ。
「……」
しばらく彼らの様子を観察した後、ネズミは諦めた様子でその場に膝を折った。
チチチ。
チチッ。
「わかったよ。お前等が連れて行きたいとこに連れて行け」
チチッ!
ネズミの言葉に相づちを打ったかと思えば、小ネズミ達は一斉にその場から走りだした。
(マジか。)
まさかとは思ったが、そのまさかだった。
この小ネズミ達は、どうやらネズミに用があったらしい。いくら名前が同じだからと言って、言葉がわかったわけではない。ただ、当てずっぽうで発言しただけだ。
しかしその勘が当たってしまったのであればしかたがないだろう。ネズミは小ネズミ達を追いかけた。たどり着いた場所は遊歩道から逸れた脇道にある溜め池だった。ゲコゲコと品のないカエルの声が耳障りだ。
チチチッ!
「なんだよ」
チチ、
「あ?」
一匹の小ネズミが、タタタッ。と、池の縁を走りだす。視線で追って見れば、そこには睡蓮の花が咲いていた。
チチッ。チチチ。
一生懸命に指し示すものだから、ネズミは促されるまま中を覗き込んだ。
「ぁ…、だれ?」
花びらの中央。
隠れるように身を潜ませていたのは、白い綿毛だった。
(…喋った。)
そう、喋った。
綿毛が。
ネズミは目を凝らして再度覗き込んだ。
「あんた、人間?」
「うわっ、うわわ!」
綿毛をつまみ上げる。
白い毛は、どうやら髪だったようだ。
「痛いよ!痛い!離して!!」
指先でジタバタする小人を、ネズミは手のひらに置いた。
「ちっさ。」
「……!」
より至近距離で見て見るも、大きさは親指程度だ。
──あぁ、リアル親指姫か。
…違うな、姫じゃない。
王子か?
ネズミが考え込んでいると、小人は話しかけてきた。
「綺麗な瞳だね。きみの名前は?」
「ネズミ」
「ネズミ?それは本名か?」
「さぁね」
意地悪な顔をして小人の質問に答えた。
「あんたの名前は?」
「紫苑」
「へぇ、いい名前だ」
「ありがとう」
「ところで紫苑、あんたはここで何をしているんだ」
「…。」
ネズミが質問すると、紫苑は恥ずかしそうに身をよじった。
「──てたんだ」
「うん?」
「さっきまで溺れてたんだ。池の縁から足を滑らせて…」
カァァァッ、と顔を赤らめ、紫苑は膝を抱えた。
そう言えば、手のひらが少し濡れてしまっている。
「──で、あの花に避難していたと」
紫苑はコクコクと頷いた。
小ネズミにしても、今日始めてみた小人にしても。
小さいものは嫌いじゃない。ネズミは指先で白髪の頭を撫でると、近くにいた小ネズミの隣に紫苑をおろしてやった。
「これでいいんだろ?」
語りかけると、小ネズミは答えるように前足を摺り合わせる。その行動が可笑しくて。可愛らしくて。ネズミはプッと吹き出した。
「じゃ。小さな王子様。今後はお足元にお気をつけください」
「あ。ま、まって!」
「うわっ、あぶなっ!」
溜め池から立ち去ろうとあげた片足のしたに、紫苑が慌てて入り込む。
「あぶないだろ」
ネズミがわざとらしく溜息をつくと、紫苑は両手を伸ばしてネズミを呼んだ。
「ネズミ!」
「何?」
「ぼくにキスをしてくれ」
「…は?」
待て待て待て。
ネズミは自分の耳を疑った。
「どうしておれがあんたにキスしなくちゃならない」
「だって、このサイズだときみにお礼ができない」
「お礼なんていらない。だからキスはしない」
「させてくれ。じゃないと気が済まないんだ」「あんたが満足するためになぜおれが…」
「…?」
はたりと言葉が途切れ、ネズミがしゃがみ込む。
「あんた、キスしたらでかくなれるのか?」
「うん」
「どのくらい?」
「きみと同じくらい」
「……」
こんな小さな人間がどうやって大きくなるのか。
その成長過程が気になった。ネズミは紫苑に手のひらを指しだし、紫苑はその手に乗っかった。
「キスしてくれるのか?」
「あぁ。でもここでじゃない」
「どこで?」
「おれの家」
「構わないけど…、なんで?」
「予測できないから」
「予測?」
「予測」
もし、服だけ大きくならずに破れて裸になってしまったら変質者扱いだ。公然猥褻だ。傍にいるのを見られて共犯者と思われたんじゃたまったもんじゃない。
紫苑を肩に乗せ、ネズミは元来た遊歩道の道のりを引き返していった。もちろん、三匹の小ネズミ達も二人の後を追いかけた。
+゜
ネズミが本当にキスをしたのか。
そして紫苑は本当に大きくなったのか。
そのあとどのような恩返しをしたのか。
全ては、小ネズミ達の記憶の中に。
END.
ナイルの花嫁
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本を片手にうたた寝をしてしまっていた。
いつの間にやらベンチに横たわり、目が覚めて見上げた空には白い雲。
向かいのベンチでは、ヒゲを生やした中年の男が新聞を広げてラジオを聞いている。
(もう先も長くないだろうに。)
いったいこんな世の中の何をそんなに知りたいのだろう。
ネズミはふらりと立ち上がり、公園内の遊歩道を一人で歩き出した。
チチッ。
チチチ。
耳を澄まさないと聞こえないほどの微かな鳴き声に気づき、視線を下に向ける。
「うわっ」
驚いた。
ネズミだ。
小さな三匹のネズミが、ネズミの足下をグルグルと駆け回っている。
チチッ。
チチッ。
大きく踏み出そうとすれば三匹のうちの一匹が前に飛び出す。
横にそれようとすればもう一匹が。
後ろに戻ろうとすれば最後の一匹が。
まるで、ネズミの行く手を意図的に邪魔しているかのような。
なんとも意地の悪い小ネズミ達だ。
「……」
しばらく彼らの様子を観察した後、ネズミは諦めた様子でその場に膝を折った。
チチチ。
チチッ。
「わかったよ。お前等が連れて行きたいとこに連れて行け」
チチッ!
ネズミの言葉に相づちを打ったかと思えば、小ネズミ達は一斉にその場から走りだした。
(マジか。)
まさかとは思ったが、そのまさかだった。
この小ネズミ達は、どうやらネズミに用があったらしい。いくら名前が同じだからと言って、言葉がわかったわけではない。ただ、当てずっぽうで発言しただけだ。
しかしその勘が当たってしまったのであればしかたがないだろう。ネズミは小ネズミ達を追いかけた。たどり着いた場所は遊歩道から逸れた脇道にある溜め池だった。ゲコゲコと品のないカエルの声が耳障りだ。
チチチッ!
「なんだよ」
チチ、
「あ?」
一匹の小ネズミが、タタタッ。と、池の縁を走りだす。視線で追って見れば、そこには睡蓮の花が咲いていた。
チチッ。チチチ。
一生懸命に指し示すものだから、ネズミは促されるまま中を覗き込んだ。
「ぁ…、だれ?」
花びらの中央。
隠れるように身を潜ませていたのは、白い綿毛だった。
(…喋った。)
そう、喋った。
綿毛が。
ネズミは目を凝らして再度覗き込んだ。
「あんた、人間?」
「うわっ、うわわ!」
綿毛をつまみ上げる。
白い毛は、どうやら髪だったようだ。
「痛いよ!痛い!離して!!」
指先でジタバタする小人を、ネズミは手のひらに置いた。
「ちっさ。」
「……!」
より至近距離で見て見るも、大きさは親指程度だ。
──あぁ、リアル親指姫か。
…違うな、姫じゃない。
王子か?
ネズミが考え込んでいると、小人は話しかけてきた。
「綺麗な瞳だね。きみの名前は?」
「ネズミ」
「ネズミ?それは本名か?」
「さぁね」
意地悪な顔をして小人の質問に答えた。
「あんたの名前は?」
「紫苑」
「へぇ、いい名前だ」
「ありがとう」
「ところで紫苑、あんたはここで何をしているんだ」
「…。」
ネズミが質問すると、紫苑は恥ずかしそうに身をよじった。
「──てたんだ」
「うん?」
「さっきまで溺れてたんだ。池の縁から足を滑らせて…」
カァァァッ、と顔を赤らめ、紫苑は膝を抱えた。
そう言えば、手のひらが少し濡れてしまっている。
「──で、あの花に避難していたと」
紫苑はコクコクと頷いた。
小ネズミにしても、今日始めてみた小人にしても。
小さいものは嫌いじゃない。ネズミは指先で白髪の頭を撫でると、近くにいた小ネズミの隣に紫苑をおろしてやった。
「これでいいんだろ?」
語りかけると、小ネズミは答えるように前足を摺り合わせる。その行動が可笑しくて。可愛らしくて。ネズミはプッと吹き出した。
「じゃ。小さな王子様。今後はお足元にお気をつけください」
「あ。ま、まって!」
「うわっ、あぶなっ!」
溜め池から立ち去ろうとあげた片足のしたに、紫苑が慌てて入り込む。
「あぶないだろ」
ネズミがわざとらしく溜息をつくと、紫苑は両手を伸ばしてネズミを呼んだ。
「ネズミ!」
「何?」
「ぼくにキスをしてくれ」
「…は?」
待て待て待て。
ネズミは自分の耳を疑った。
「どうしておれがあんたにキスしなくちゃならない」
「だって、このサイズだときみにお礼ができない」
「お礼なんていらない。だからキスはしない」
「させてくれ。じゃないと気が済まないんだ」「あんたが満足するためになぜおれが…」
「…?」
はたりと言葉が途切れ、ネズミがしゃがみ込む。
「あんた、キスしたらでかくなれるのか?」
「うん」
「どのくらい?」
「きみと同じくらい」
「……」
こんな小さな人間がどうやって大きくなるのか。
その成長過程が気になった。ネズミは紫苑に手のひらを指しだし、紫苑はその手に乗っかった。
「キスしてくれるのか?」
「あぁ。でもここでじゃない」
「どこで?」
「おれの家」
「構わないけど…、なんで?」
「予測できないから」
「予測?」
「予測」
もし、服だけ大きくならずに破れて裸になってしまったら変質者扱いだ。公然猥褻だ。傍にいるのを見られて共犯者と思われたんじゃたまったもんじゃない。
紫苑を肩に乗せ、ネズミは元来た遊歩道の道のりを引き返していった。もちろん、三匹の小ネズミ達も二人の後を追いかけた。
+゜
ネズミが本当にキスをしたのか。
そして紫苑は本当に大きくなったのか。
そのあとどのような恩返しをしたのか。
全ては、小ネズミ達の記憶の中に。
END.
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