短編(sss)
───
Eve
───
朝の駅はサラリーマンや学生達にとって、一日の大事なスタート地点だ。ホームに集う彼らを見渡してみれば、昔は折りたたみ式の携帯をつつく人が多かったのに、今やみんな流行りのスマホをいじくっている。
最新機種を扱う人達を横目に、ぼくは二年前親に買ってもらった淡紫色の携帯電話とイヤホンをカバンから取り出した。学校のある駅まではおよそ20分程度。長くもあり短くもあるその時間で、好きな音楽を聴きながら電車に揺られるのがぼくの通学時間の楽しみだ。
今日は運良く席に座れた。
ぼくがカバンを膝にのせて空けておいた片側の席に、黒髪をひとつに結った若い男が「失礼」と言って顔を覗かせる。
「あ、どうぞ」と、ぼくが窓際に詰め寄る際、見上げた男の口元がクスリとほくそ笑み、ぼくは違和感を覚えた。サングラスをしていてどういった面持ちの人間なのかはわからないが、平日にストールを首に巻いてカジュアルなファッションの着こなしをしているあたり、自分と同い年ではなさそうだ。大学生だろうか?
香水をつけているようで、なんだかいい匂いがした。あまりジロジロ見るのも良くないので、ぼくはそそくさと先程準備しておいたイヤホンを耳にあてがった。
「──何聞いてんの」
「え?」
五分ほど揺られたところで、隣にいた男はぼくの右耳から片側のイヤホンを奪い取った。まさか話しかけられると思っていなかったぼくは、驚いて男に振り向く。
「間違えた。こっちじゃダメじゃん」
目を丸くしているぼくに構わず、男は左耳からもイヤホンを奪い取った。代わりに右耳にイヤホンを戻し、そして自分の左耳にイヤホンをあてがう。ぼくは自分の置かれている状況を理解できなかった。
「すぐ横のおっさんのラジオがうるさいんだ」
「あ、あぁ。そういう事ですか」
男は横の通路に立っている中年男性を指さしてコソコソと囁いた。確かに、周りの人達も若干疎ましそうに顔をしかめている。ぼくが納得すると男は背もたれに寄りかかりくつろぎ始めた。イヤホンの長さを考えて、合わせるようにぼくも背もたれに身体をあずける。
「この曲、好き?」
「え、ぁ、はい。今一番好きなアーティストの曲なので」
「それって、曲より歌手の方が好きって事?」
「まぁ、そうなるんでしょうか。どっちも好きなんですけど、どっちかって言ったら歌い手本人…ですね」
「ふふっ、あんたも物好きだな」
「……」
見知らぬ人間のイヤホンを奪い、ペラペラと喋りかけてくる自分はどうなんだろう。
心で思いながら、ぼくは口を噤んだ。
「油性ペン持ってる?」
「持ってますよ」
「貸して」
「……はい」
朝から随分と変わった人間に捕まってしまった。
ぼく自身、先天性の病気で白髪赤痣と変わった身なりをしているが、性格は普通の人と変わらない。(と思ってる)
むしろこんなぼくと相席になった時点で変人なんじゃないかと疑うべきだったのかもしれない。
疑心暗鬼になりながらもカバンの中から油性ペンを差し出すと、男は今度はぼくが胸ポケットにしまっていた携帯をひょいと掴みあげた。
イヤホンを奪い去るときといい、その流れるような手さばきに、不覚にも少しばかり魅入ってしまう。男はその間に勝手に電池パックの蓋を開けて、ペンのキャップを外した。
「ていうか、まだ携帯なんだ」
「学生だからそんなすぐすぐ代えられないんです」
「綺麗な色だな」
「母さんは紫苑色って言ってました」
「なんで?」
「ぼくの名前と兼ねたかったんじゃないでしょうか」
「あぁ、あんたの名前、紫苑って言うんだ」
「……(しまった)」
名前を教えるのはまずかっただろうか。
ぼくはまた言葉を失ってしまった。不安げに歪むぼくの顔をチラ見した男は小さく吹き出す。
「そんな怯えることないだろう」
「すみません。つい」
「おれってそんなに怪しい?」
男の問いかけに、ぼくは黙って首を上下に振った。その様子を見てまた笑われてしまったのだが、それよりいつになったら携帯を返してくれるのかと思っていると、男は電池パックの蓋を閉めて、携帯は無事にぼくの元へと帰ってきた。
ついでにイヤホンも耳に戻され、気付いてみれば男にされるがまま。呆けていると、男はサングラスをずらしてぼくに向けてパチリとウィンクをしてみせた。
「──あっ、」
「シッ!」
おもわず叫びそうになるぼくの口を、男がおさえる。驚いた表情のぼくは心臓をバクバク鳴らしながらコクコクと頷いた。──あの後、男はぼくの頬にキスを残して、ひとつ前の駅で降りていった。
ぼくはと言うと、唇をあてがわれた頬を抑えながら、まるで少女のように顔を赤らめて駅から学校へと向かっていた。
男の瞳は灰色で、それはぼくの大好きなアーティストの瞳と同じで。男が電池パックの蓋に落書きしていたものは男の名前と連絡先だった。
まさか本人に告白してしまっていたなんて考えたら、恥ずかしくて到底連絡なんてできなかったのだが、一週間後に同じ電車ではち合わせた(待ち伏せされた?)日の事は、また別のお話し。
END.
Eve
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朝の駅はサラリーマンや学生達にとって、一日の大事なスタート地点だ。ホームに集う彼らを見渡してみれば、昔は折りたたみ式の携帯をつつく人が多かったのに、今やみんな流行りのスマホをいじくっている。
最新機種を扱う人達を横目に、ぼくは二年前親に買ってもらった淡紫色の携帯電話とイヤホンをカバンから取り出した。学校のある駅まではおよそ20分程度。長くもあり短くもあるその時間で、好きな音楽を聴きながら電車に揺られるのがぼくの通学時間の楽しみだ。
今日は運良く席に座れた。
ぼくがカバンを膝にのせて空けておいた片側の席に、黒髪をひとつに結った若い男が「失礼」と言って顔を覗かせる。
「あ、どうぞ」と、ぼくが窓際に詰め寄る際、見上げた男の口元がクスリとほくそ笑み、ぼくは違和感を覚えた。サングラスをしていてどういった面持ちの人間なのかはわからないが、平日にストールを首に巻いてカジュアルなファッションの着こなしをしているあたり、自分と同い年ではなさそうだ。大学生だろうか?
香水をつけているようで、なんだかいい匂いがした。あまりジロジロ見るのも良くないので、ぼくはそそくさと先程準備しておいたイヤホンを耳にあてがった。
「──何聞いてんの」
「え?」
五分ほど揺られたところで、隣にいた男はぼくの右耳から片側のイヤホンを奪い取った。まさか話しかけられると思っていなかったぼくは、驚いて男に振り向く。
「間違えた。こっちじゃダメじゃん」
目を丸くしているぼくに構わず、男は左耳からもイヤホンを奪い取った。代わりに右耳にイヤホンを戻し、そして自分の左耳にイヤホンをあてがう。ぼくは自分の置かれている状況を理解できなかった。
「すぐ横のおっさんのラジオがうるさいんだ」
「あ、あぁ。そういう事ですか」
男は横の通路に立っている中年男性を指さしてコソコソと囁いた。確かに、周りの人達も若干疎ましそうに顔をしかめている。ぼくが納得すると男は背もたれに寄りかかりくつろぎ始めた。イヤホンの長さを考えて、合わせるようにぼくも背もたれに身体をあずける。
「この曲、好き?」
「え、ぁ、はい。今一番好きなアーティストの曲なので」
「それって、曲より歌手の方が好きって事?」
「まぁ、そうなるんでしょうか。どっちも好きなんですけど、どっちかって言ったら歌い手本人…ですね」
「ふふっ、あんたも物好きだな」
「……」
見知らぬ人間のイヤホンを奪い、ペラペラと喋りかけてくる自分はどうなんだろう。
心で思いながら、ぼくは口を噤んだ。
「油性ペン持ってる?」
「持ってますよ」
「貸して」
「……はい」
朝から随分と変わった人間に捕まってしまった。
ぼく自身、先天性の病気で白髪赤痣と変わった身なりをしているが、性格は普通の人と変わらない。(と思ってる)
むしろこんなぼくと相席になった時点で変人なんじゃないかと疑うべきだったのかもしれない。
疑心暗鬼になりながらもカバンの中から油性ペンを差し出すと、男は今度はぼくが胸ポケットにしまっていた携帯をひょいと掴みあげた。
イヤホンを奪い去るときといい、その流れるような手さばきに、不覚にも少しばかり魅入ってしまう。男はその間に勝手に電池パックの蓋を開けて、ペンのキャップを外した。
「ていうか、まだ携帯なんだ」
「学生だからそんなすぐすぐ代えられないんです」
「綺麗な色だな」
「母さんは紫苑色って言ってました」
「なんで?」
「ぼくの名前と兼ねたかったんじゃないでしょうか」
「あぁ、あんたの名前、紫苑って言うんだ」
「……(しまった)」
名前を教えるのはまずかっただろうか。
ぼくはまた言葉を失ってしまった。不安げに歪むぼくの顔をチラ見した男は小さく吹き出す。
「そんな怯えることないだろう」
「すみません。つい」
「おれってそんなに怪しい?」
男の問いかけに、ぼくは黙って首を上下に振った。その様子を見てまた笑われてしまったのだが、それよりいつになったら携帯を返してくれるのかと思っていると、男は電池パックの蓋を閉めて、携帯は無事にぼくの元へと帰ってきた。
ついでにイヤホンも耳に戻され、気付いてみれば男にされるがまま。呆けていると、男はサングラスをずらしてぼくに向けてパチリとウィンクをしてみせた。
「──あっ、」
「シッ!」
おもわず叫びそうになるぼくの口を、男がおさえる。驚いた表情のぼくは心臓をバクバク鳴らしながらコクコクと頷いた。──あの後、男はぼくの頬にキスを残して、ひとつ前の駅で降りていった。
ぼくはと言うと、唇をあてがわれた頬を抑えながら、まるで少女のように顔を赤らめて駅から学校へと向かっていた。
男の瞳は灰色で、それはぼくの大好きなアーティストの瞳と同じで。男が電池パックの蓋に落書きしていたものは男の名前と連絡先だった。
まさか本人に告白してしまっていたなんて考えたら、恥ずかしくて到底連絡なんてできなかったのだが、一週間後に同じ電車ではち合わせた(待ち伏せされた?)日の事は、また別のお話し。
END.
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