短編(sss)

※注意!
この話には猫の亡骸表記がされています。
動物の死等に敏感な方。
猫を愛している方。
甘いお話を期待されている方。

上記が当てはまる方は閲覧を控えてください。

この注意書きを読んだ後の閲覧は完全自己責任です。苦情等にはお応えしかねますのでご注意ください。





─────
愚者の涕涙
─────

朝。地下室から外に出ると、数メートル先にある雑木の下で、澄んだ風に毛並みを撫でられながら横たわっている猫がいた。

まだ生まれて3、4ヶ月程度の小さな猫。灰色の毛はまだ成猫ではない子猫特有の薄く淡い色をしている。

近寄り顔をのぞき込む。小指の先程度に開いた口からは血に染まった舌がタラリと剥き出され、舌先をつたって鼻腔の出血と合わさった朱い鮮血が地に滴り落ちていた。

ポタリ。

ポタリ。

赤黒い液体が、僅かに弾けて染みをつくる。

最後にその瞳に映したのは蒼い空か、地を這う蟻か。光の消えた黒真珠は血の涙を流し瞬くことはしない。

外傷は頭部のみに見て取れるがもしかしたら骨折もしているかもしれない。

しかし、ピクリとも動かないその身体はすでに痛み等とうに越えている筈だ。いや、そうであって欲しいと願っている自分がいる。

もしかしたらまだ意識があるのかもしれない。その可愛らしい耳は自分の足音を捕らえて脳内は伝達行為を続けているかもしれない。

(もしかしたら──…、)

そんな事を思いながらも触れた時の温もりを感じられぬ冷えた硬い塊の可能性を恐れ、素手で鼓動の確認をする事すらできない。

生きていたらどうすれば良い?治療など出きるはずがない。もし仮に治療した後、その後はどうする?

鎮痛剤等を買い治療を完治まで続ける金など無い。助けた所で責任が持てない。

ならば苦しんでいる命を何もせず最後まで見届ける?ひとりの人間としてそんな残酷な事をしても良いのか…?

育つ中で教えられた『道徳』は『同情』であり、心配をする自分に酔いしれたただの『自己愛』である。『責任』と『立場』を『言い訳』に使い、自分は一体世界の何を知った気でいたのか。底無しに無力で愚かな人間だと思い知らされる。

結局ぼくは突きつけられた現実を前にして、何をする事もなく、ただただその場に膝と両手をついて泣いていた。

「あんたはその猫に懺悔でもしてるのか?」

俯く頭上に影がかかる。
黒く丸みを帯びたブーツの先が視界に入り猫のそばにある角張った石ころを余所に蹴飛ばした。

溢れる涙を乱雑に拭って空を見上げると、いつも通り超繊維布を肩に巻き付けたスタイルのネズミがぼくに冷ややかな笑みを向けている。

突き刺さる視線が痛い。返す言葉が見つからない。胸からせり上がる嗚咽(おえつ)にも似た叫びを抑え込む為に口を噤み拳を握った。

ネズミは膝を折ってしゃがみ、猫を間にぼくと対峙する。手袋をつけたままの手が伸びてきて顎を持ち上げられた。目をそらす事を許さない鋭い眼光が自分の今思う全てを見透かしている。

「もう死んでる。泣くな、紫苑。泣いても叫んでも生き返りはしないしその命が浮かばれる事もない」
「…………、」
「言ったはずだ。涙は自分の為だけに流せ。あんたはこれから先どれだけの死を目の当たりにするか分からない。こんな小さな猫一匹に気を取られてちゃ身が持たないぜ」
「──…、ネズミ。猫も人も…皆、同じ命だ。‥変わりはない…」

絞り出した声が震える。
先ほどまでの醜い想いを隠すような綺麗事を並べるぼくに、ネズミは呆れたように息を吐いた。

「言い方が悪かったな。命に変わりは無いがそれぞれに受ける印象や重みは違う。全く関わりのない者の死をこれから何度見送る事になるか分かるか?考えろ。その度にそうやって涙を流しているとキリがないだろう。…でもまぁ、あんたが今こうして泣いてるのは目の前にいるのが無慈悲にも子猫だったからだろうな。それも綺麗な身体のままの」

あてがわれた手は離れ猫の腹を撫でる。死後硬直した手足はまっすぐに伸びたまま形を崩さなかった。ネズミは立ち上り着崩れを直して首の骨を鳴らすと、再び冷たい視線でぼくを見下ろした。

ゾクリと背筋に寒気を覚え、ネズミから憎悪にも似た負の念を感じとる。

「これがもしグチャグチャにひき殺された猫だったらどうだ?足を止めるのはその猫を邪魔に思った商人かカラスくらいだ。ゴミとしてしか見ないんだよ。大抵の人間は気持ち悪がって見て見ぬ振りをする。そして偽善者は真実を知らないフリして自分自身に無実を語る。…紫苑、あんたはこの猫をどう見て何を思った?この猫が潰れていても同じように涙を流せたか?」
「…ネズミ……」
「恐らく後者だろ。あんたは偽善者だ。見る物によって態度を変える醜悪な人間だ。そんな奴が流す涙はただの自己満足に過ぎない。違うか?」「………」

無言は肯定だ。
辛辣な言葉に胸を抉(えぐ)られ、何も語ることが出来ない。情けなかった。

「だからそんな涙はもう止めろ。小さいながら懸命に生きたその猫の為にも」

ぼくは頷くしかなかった。
ネズミはそれを見るなり、座り込んだままの自分を置き去りに市場に向かって歩き始める。

今日は二人で買い出しに行く予定だ。ぼくは彼を追いかけなければいけない。彼も口にはしないが「早く来い」と背中で語っている。

しかしぼくは──…、
子猫の前から動くことが出来ない。

「待ってくれ、ネズミ」
「あ?」

呼び止める。今こんな事を言うと、きみはまた怒るだろうか?呆れるだろうか?でももう、自己満足でも何でも良い。ぼくは猫を静かに抱き上げ、ネズミの瞳をまっすぐに見つめた。

「「墓を、作ってやりたい」」
「え?」

ぼくの言葉とネズミの言葉が重なった。ネズミは肩を竦める。ぼくが慌てて駆け寄ると、ネズミは白髪をくしゃりと撫でて仕方なさげに微笑んだ。

「あんたならそう言うと思ってたんだ。─行くぞ」
「……、うん」

真実を知り
それでも尚、ぼくと言う存在を受け止めてくれる。きみは本当の意味での優しさを持っている。

ネズミ
ぼくもいつか、きみのようになれるだろうか。


END.

(葬送の歌を君に)
30/31ページ