短編(sss)
──────────────
ついでに飯も奢ってもらおうぜ
──────────────
「よぉ、紫苑!やっと来たか」
はつらつとしたイヌカシの声が廃ホテルの広場に響く。いたずらっ子のようなやんちゃな笑顔は昔と変わらず、待ちくたびれたぜ。と、白い歯を見せて笑った。長い髪を一つに結え、袖を捲り、褐色の肌は水で濡れている。犬洗いの手伝いに来てくれと言われていたのだが、少しばかり出遅れてしまったようだ。
「ごめんイヌカシ。仕事が立て込んでて……」
これでも急いで来たんだ。紫苑は肩で息をする。これから汚れ仕事をするにも関わらずスーツを来たまま全速力。西ブロックで車を走らせるのは邪魔でしかないので途中から自転車を漕いでここまで来た。ふと気づけばシャツの中は汗だくになっていた。
「あーあー、お偉いさんはこれだから。仕事だと言えばなんでも通ると思ってる。いいか? おれとの時間はお前さんの仕事より大事なもんだろ? ないなら作れ。無理矢理にでもねじ込め」
反論は許さないと言うように、仁王立ちで指を指す。
イヌカシは、今でもあのホテルに住んでいる。NO.6の壁が崩壊して暫く経つが、貧富の差は思いのほか埋まらず、今でも雨風を凌ぐための客は後を経たないそうだ。「昔ほど食うもんには困らない」と彼女は満足そうに言うが、裏路地で飢えに苦しむ者がいる限り、まだまだ課題は山積みなのだと痛切に感じさせられる。再建委員会と言う立場上、過去と比べる現状に自分まで満足するわけにはいかないだろう。
「よし、どの子から洗おうか」
犬洗いの仕事がゆっくりしていられないのは身をもって知っている。紫苑も袖を捲り、靴も靴下も脱ぎ捨ててズボンの裾を折った。イヌカシがどこかで拾ってきたかのような汚れたサンダルを放り投げ、紫苑はありがとうと笑ってそれを履いた。
「しおーん!!」
遠くから子どもの呼び声が響く。
「シオン! 久しぶり!」
小さい体に不釣り合いな大きい桶を持ってシオンが走ってくる。走ると言っても水を汲んだ桶は重く、ヨタヨタとまっすぐ進むのも難しそうな足取りだった。飛び散る水で服を濡らして今にも転けそうだ。紫苑は慌てて少年に駆け寄り、桶を持つ手に手を重ねた。掌で包み込める程の、とても小さな手だった。
「しおん! 会いたかったよ!」
「ふふっ、ぼくもだよ」
シオンは軽くなった両腕をめいいっぱい広げて力任せに抱きついた。満面の笑みで見上げる瞳は紫苑と同じ薄紫の色をしている。
「ぼくね、もうすぐたんじょうびがくるよ! しおん、プレゼントちょうだいね!」
「もちろんさ。何にしようかな」
「シオン、とびきりイイモノをねだっとけよ。腹が膨れるものか、いざという時に高値で売れる物がいい」
シッシッシと八重歯を覗かせて笑うイヌカシに、シオンは頬を膨らませた。赤ん坊だったシオンも、もうすぐ6才になるそうだ。火藍がどんなケーキを作ろうかしらと嬉しそうにしていたのを思い出す。
「イヤだよ! しおんからもらった物はぜったいに売らないっ」
ギュッと紫苑のズボンを握りしめて、ふるふると首を振る。可愛らしい動作に紫苑の顔が綻ぶと、イヌカシはやれやれと肩を竦めた。
「そうだな、じゃぁ売るのはおっさんから貰うものだけでいいだろう。紫苑がいる今日にでも『オネダリ』しに行こうじゃないか」
「うん!」
「いや、それは……」
――あまりに非情では無いだろうか…?
言いかけるが、紫苑は先の言葉を飲み込んで、力河を憐れむ苦笑いを浮かべた。
END.
(シオン、犬と食いもんは裏切らないから大事にしろよ)
ついでに飯も奢ってもらおうぜ
──────────────
「よぉ、紫苑!やっと来たか」
はつらつとしたイヌカシの声が廃ホテルの広場に響く。いたずらっ子のようなやんちゃな笑顔は昔と変わらず、待ちくたびれたぜ。と、白い歯を見せて笑った。長い髪を一つに結え、袖を捲り、褐色の肌は水で濡れている。犬洗いの手伝いに来てくれと言われていたのだが、少しばかり出遅れてしまったようだ。
「ごめんイヌカシ。仕事が立て込んでて……」
これでも急いで来たんだ。紫苑は肩で息をする。これから汚れ仕事をするにも関わらずスーツを来たまま全速力。西ブロックで車を走らせるのは邪魔でしかないので途中から自転車を漕いでここまで来た。ふと気づけばシャツの中は汗だくになっていた。
「あーあー、お偉いさんはこれだから。仕事だと言えばなんでも通ると思ってる。いいか? おれとの時間はお前さんの仕事より大事なもんだろ? ないなら作れ。無理矢理にでもねじ込め」
反論は許さないと言うように、仁王立ちで指を指す。
イヌカシは、今でもあのホテルに住んでいる。NO.6の壁が崩壊して暫く経つが、貧富の差は思いのほか埋まらず、今でも雨風を凌ぐための客は後を経たないそうだ。「昔ほど食うもんには困らない」と彼女は満足そうに言うが、裏路地で飢えに苦しむ者がいる限り、まだまだ課題は山積みなのだと痛切に感じさせられる。再建委員会と言う立場上、過去と比べる現状に自分まで満足するわけにはいかないだろう。
「よし、どの子から洗おうか」
犬洗いの仕事がゆっくりしていられないのは身をもって知っている。紫苑も袖を捲り、靴も靴下も脱ぎ捨ててズボンの裾を折った。イヌカシがどこかで拾ってきたかのような汚れたサンダルを放り投げ、紫苑はありがとうと笑ってそれを履いた。
「しおーん!!」
遠くから子どもの呼び声が響く。
「シオン! 久しぶり!」
小さい体に不釣り合いな大きい桶を持ってシオンが走ってくる。走ると言っても水を汲んだ桶は重く、ヨタヨタとまっすぐ進むのも難しそうな足取りだった。飛び散る水で服を濡らして今にも転けそうだ。紫苑は慌てて少年に駆け寄り、桶を持つ手に手を重ねた。掌で包み込める程の、とても小さな手だった。
「しおん! 会いたかったよ!」
「ふふっ、ぼくもだよ」
シオンは軽くなった両腕をめいいっぱい広げて力任せに抱きついた。満面の笑みで見上げる瞳は紫苑と同じ薄紫の色をしている。
「ぼくね、もうすぐたんじょうびがくるよ! しおん、プレゼントちょうだいね!」
「もちろんさ。何にしようかな」
「シオン、とびきりイイモノをねだっとけよ。腹が膨れるものか、いざという時に高値で売れる物がいい」
シッシッシと八重歯を覗かせて笑うイヌカシに、シオンは頬を膨らませた。赤ん坊だったシオンも、もうすぐ6才になるそうだ。火藍がどんなケーキを作ろうかしらと嬉しそうにしていたのを思い出す。
「イヤだよ! しおんからもらった物はぜったいに売らないっ」
ギュッと紫苑のズボンを握りしめて、ふるふると首を振る。可愛らしい動作に紫苑の顔が綻ぶと、イヌカシはやれやれと肩を竦めた。
「そうだな、じゃぁ売るのはおっさんから貰うものだけでいいだろう。紫苑がいる今日にでも『オネダリ』しに行こうじゃないか」
「うん!」
「いや、それは……」
――あまりに非情では無いだろうか…?
言いかけるが、紫苑は先の言葉を飲み込んで、力河を憐れむ苦笑いを浮かべた。
END.
(シオン、犬と食いもんは裏切らないから大事にしろよ)
1/31ページ
