短編(sss)

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10月31日
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夕刻過ぎ。何も聞かされぬままトーリに手を引かれ足を運んだ小さな一軒のカフェレストラン。貸し切りの意を記載したウェルカムボードの横をすり抜け開いた扉の向こうにはカボチャのお化けやゾンビ、魔女がいた。

キラキラしたモールなどで装飾されたこの場所では、仮装をした若い男女達が大勢で楽しそうにハロウィンパーティーを盛り上げている。

暫くはその空気も悪くなかったのだが、人の匂いと食べ物の匂いが混ざりあって気分が優れなくなった紫苑は、中庭のガーデンに置かれたベンチまで、そそくさと逃げるように移動した。

水の入ったペットボトルを片手にトーリが慌てて追いかけてくる。

いつの間に着替えていたのか、彼の格好は暗闇に紛れたら見分けがつかなくなりそうな程の真っ黒いマントを纏った魔法使いになっていた。
紫苑の隣に腰をおろす。


「大丈夫ですか?」
「ありがとう。大丈夫」

手渡された水で喉を潤す。

「ぼくも仮装した方が良かったんじゃないか?」
「余ってる衣装はメイド服だけです。…着ますか?」
「着ない」

そもそもハロウィンにメイド服って…。

紫苑はもう一口ばかり水を飲んだ。

「みんなきみの知り合いか?」
「それは紫苑さんがぼくのことを有名人か何かだと勘違いしての質問ですか?」
「…悪かったよ。そんな言い方しないでくれ」

(─まるでネズミみたいだ。)

隠すようにうつむいた紫苑の口元が綻ぶ。
イメージしたネズミはいつも通りフフンと不敵な笑みを浮かべていた。

「…またその表情だ」
「え、なに?」

囁くように言ったトーリに顔を上げる。

「──…、」

唇に柔らかい感触がした。
それと同時、トーリに強く抱き寄せられる。

紫苑の身体はとっさに強張った。
唇は幾度かついばまれ、咥内に舌をねじ込まれ、それから口のなかに コロンと丸くて甘いものが転がり込んできた。

冷たい風が髪を揺らす。
座っているベンチがキシッと音をたてる。


「trick or treat」

これはイタズラですよ とでも言いたげな意地の悪い表情を浮かべたトーリの顔が目の前にある。
黒くてつばの広いハットを被っているせいで顔に影がかかり余計に性悪に見えてしまう。


おかしいな。
いつもはもっと全身で《良い人》を表しているような人間なのに。

紫苑は薄手のセーターの袖で口元を拭った。

「トーリ、酒でも飲んだのか」
「酒臭いですか?」
「そんなことはないけど」
「だって飲んでいませんから」

─先輩と違ってまだ未成年ですし。

至近距離のままトーリが口を尖らせる。
紫苑は警戒して、少しだけ後ろに身を引いた。

「だいたい、『trick or treat』って言ってから悪戯しないとぼくに選択権が発生しないじゃないか」
「ごもっともですね」

もっともだが、まず突っ込むべきところはそこではない。多少、動揺はしているものの冷静な紫苑の態度を見て、トーリは何かを諦めたかのような表情を浮かべてから右手に掴んでいた紫苑の腕を解放した。

「今日はネズミさん、家で何をされてるんですか」
「さぁ。たぶん、普段通り本を読んでいるんじゃないかな」
「紫苑さんも……、本を読みに帰りたいですか?」
「……トーリ?」
「こんな派手な場所ではなくて落ち着いた空間に早く帰りたいでしょう?」
「トーリ」
「ネズミさんのところに、帰─「trick or treat!」」

紫苑の両手がトーリの両頬をパンッと挟んだ。
音の割りに痛さはあまりない。

「紫苑さん?」
「トーリ、聞こえなかったのか?」
「は、え‥、あ。…お菓子は、ないです。すみません」

トーリが持っていたお菓子は紫苑にあげたのが最後だ。しかもたまたまポケットに入っていたもの。だからもう持ち合わせはない。

「じゃぁ、イタズラだな」

紫苑はトーリの唇に自分の唇を強引に重ね合わせた。口内に残っていた飴玉を先程トーリにされたように相手の口の中にねじ込む。飴玉を移し終えると、紫苑はパッとトーリから離れた。

「三人でパーティーの仕切り直しだ。一緒に帰ろう」
「え、いや、ぼくは遠慮します」
「あ、三人じゃないな。子ネズミ達もいるけど、別にいいだろう?」
「…はい」

恐らく何を言っても無理矢理つれていく気であろうことは分かる。ましてや自分が蒔いた種だ。トーリはおとなしく従うことにした。

「ネズミの悪戯は酷そうだからお菓子はたんまり買っていこう」
「はい」
「全部きみのおごりだ」
「はい」
「これでさっきまでの出来事は全部なしだ」
「は…、い」
「返事が悪いぞトーリ」
「はい!」

トーリは身に付けていたマントとハットを脱ぎ捨て、先を行く紫苑を慌てて追いかける。

近くまで追い付いて気付いたのは赤く染まった紫苑の耳と頬。

(やっぱりこの人、かわいいなぁ)

トーリは一人、想いを胸の内に馳せた。


END.
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