短編(sss)

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満月の夜
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ここに来てから気付いたことだが、僕は本が好きだ。作品の事ではない。本という存在そのものだ。

ページを捲る時の紙が擦れる音。
電子では感じられない、指先から伝わる微細な感触。インクの滲んだ古惚けた匂い。

こんな繊細な感覚はどれもNO.6で感じることなど無かった。

あの場所に本が無かったわけではないが、日常でこんなに丁寧な装丁を施されたものを目にする事は無かったし、馴染んでいたのは参考書などのツルツルとした人工的な紙だった。

ネズミにこの感動を伝えると、案の定、鼻で笑われた。

本を読む以外何もする事のないこの地下室で、僕とネズミは大概それぞれ好きな場所で好きな本を読んで過ごす。

時折、人肌恋しくなればさりげなく近寄って腰を据えたりするのだが、ネズミは意外にも逃げたりしない。

ちょうどよい支えができたと言わんばかりに黙って寄りかかってきたり、僕の読んでる本を覗き見してみたり、髪をいじってちょっかいを出してくる時もある。

本を閉じて小ネズミと戯れてみたり、歌を歌ってみたり。ネズミは暇の潰し方がうまい。
僕も見習って鼻歌でも歌ってみようか?

…いや、彼の前でそれを披露するにはたとえ鼻歌でも先に練習してからの方がいいだろう。

プロの前で堂々と陳腐なメロディーを奏でるのはよろしくない。

僕は今夜も黙って本を読む。
小ネズミが鳴く。
ネズミが歌う。

そんな、地下室での日常。
これ以上の幸せが、どこにあろうか。

END.
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