私の帰る場所
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(沖田 近藤)
『はぁ…はぁ…つ、疲れた』
「掃除はできても走んのは苦手なんやな」
『そりゃ、別物ですし…はぁ』
「今度から走んのも鍛えた方がええんやないか?」
『外周くらいはした方がいいかもしれませんね…』
沖田とななしが祇園に到着した頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。
本来であればもう少し早く仕事を終えて向かう予定だったのだが、二人してうつらうつらとしており見事に遅刻してしまったのだ。
せっかく井上が副長である土方に早く上がれるようにと取り成してくれたと言うのに、屯所を出たのは結局いつも仕事を終える時間とほとんど大差ない。
天候の悪い空には朧気に月が浮かんでいる。
明日屯所に出向いた際にはきちんと井上に謝ろうと、ななしは走ってきたせいで跳ねる息を何とか落ち着かせながら胸の奥でそう決意した。
『ふぅー。それにしても小雨になって良かったですね』
「せやな。昼時みたいに降られとったらもう着る服も無くなるとこやったわ」
『ふふ、総司さんはそうかもしれませんね』
「せやけど慌てとったせいでななしは浅葱の半着のままや。これやと悪目立ちしてまうのぉ」
『た、確かに。羽織では無いですがこの色と言うだけで目立ちますもんね…早く旭屋に向かいましょう』
「おう、こっちやななし」
『はい!』
井上に急かされ寝起きのまま慌てて飛び出してきてしまいななしは新撰組の半着のまま祇園に来ている。そのせいで祇園に居る人々の視線が面白いくらいにこちらに向けられているのが分かる。
見られていて心地の良い視線ではなく、寧ろ嫌悪感を含んだような、鋭い視線ばかりだ。
そんな人々の双眸に少し居心地が悪く、ななしと沖田はそそくさと局長である近藤が待つ旭屋へと向かった。
大きな料亭の旭屋に到着し現れた女将に近藤の事を伝えると話は通してあったようで、「こちらです」と近藤がいるであろう離れに案内された。
いつみても豪華絢爛な建物であり、離れに続く廊下や庭もとても綺麗に造られている。
小雨で朧気な夜でも設置された行灯が辺りを優しく照らし、とても幻想的な光景であった。
『ここの料亭はいつも綺麗ですね』
「屯所とは大違いやで」
『そりゃそうですよ〜皆さん綺麗に使わないんですから』
「男ばっかりやししゃあないやろ」
『皆さん土方さんみたいに几帳面だといいんですけどね』
「ヒヒッ、想像しただけで気色悪くておもろいわ」
『えぇ?そうですか?静かで事務仕事も片付いて、いつもなんでも冷静に対処出来て。いい事ばかりですし素敵じゃないですか』
「アカンアカン、歳ちゃんばっかり集まってみぃ。小言の嵐で胃が痛たなるわ」
『それは総司さんが真面目に仕事してないからですよ。私は全然平気です』
「ワシはいつでも真面目に働いとんでぇ」
『ふふふ、真面目ぇ?』
「ヒヒッ、なんや疑っとんか。ワシは今日も雨の中必死に巡回しとったんやで?びしょ濡れの羽織も見たやろ?」
『そういえば昼時びしょびしょでしたもんね』
「せや、働いた証や」
昼時びしょ濡れの羽織と袴のせいで大掃除をしたことを思い出したななしは可笑しそうに肩を揺らして笑った。
確かに朝からずっと外を周り京の治安維持に務めていたのだから、沖田も沖田なりに真面目に働いてくれていたはずだ。
やり方は少し過激な時もあるしもう少し落ち着いて行動してもいいと思うことがあるが、沖田の力は新選組にとってなくてはならない存在だろう。
「ヒヒッ、ほな勇ちゃんの奢りでたらふく食うでぇ!」
『そうですね!』
襖の向こうにいる近藤にも聞こえているであろう音量で正直に奢られに来たと言った沖田はヒヒッと楽しそうに笑った後、女将の案内で到着した離れの荘厳な襖を開いた。
誰かの顔色を伺うことなく気ままなさまはとても沖田らしい。悪びれなく入室して行く自由人な彼の背中を見つめ、顔を綻ばせたななしも開かれた襖から部屋の中へと足を踏み入れた。
「よぉ、来たか」
「お邪魔すんでぇ、勇ちゃん」
『こんばんは、近藤さん』
襖を開き入室すれば直ぐに此方に気付いたらしい近藤は持っていたお猪口を掲げながら「こっちに来て座れ」と楽しげにそう言った。
言われた通り近藤の側まで行けば既に沢山の酒を飲んでいるのか、徳利が数本転がっている。
微かに香る酒臭さに苦笑いしながらななしは近藤の前に腰を下ろした。
沖田は部屋を離れていこうとしていた女将に早速"赤葡萄酒"を頼んでいる。ちなみに赤葡萄酒この料亭で一番高い品書きであり、金額は他のものとは一桁ほど違っている。
やはり沖田は自由人だ…仮にも新撰組の頭 である近藤を前にしながらも一切遠慮をしない。その自由さは呆れを通り越して少し羨ましくなってくる。
「それにしても久々だってのに挨拶そっちのけで酒を頼むなんて本当にお前らしいな、総司」
「ヒヒヒッ、今夜はご馳走になんでぇ勇ちゃん」
「ハハハ!全くお前ぇは…好きなだけ食って飲んでけ。勿論ななし、お前もだ」
『はい、近藤さん』
高い酒を頼めたことでご機嫌になった沖田がななしの隣にどかりと腰を下ろし胡座をかく。
近藤も沖田の言動に少し呆れていたようだが、彼らしいと諸々諦めたようで「好きなだけ頼め」と酒で赤くなった顔を緩めてそう言った。
それならば自分も遠慮せずに食べてやろうと、ななしは傍にあった品書きを手に取りずらりと並んだ料理名を眺めた。
刺身の盛り合わせ…だし巻き玉子…雨で少し濡れたから茶碗蒸しなんて言うのもいいかもしれない。
でもまずは温かい緑茶でも貰おうかなぁ。
「ななし」
『はい?』
品書きを眺めながらあれもいい、これもいいと色々思案していると正面にいる近藤が声を掛けてきた。
なんですか?と顔をあげると近藤はこちらを指さしてくる。何事かと首をかしげれば近藤は「新撰組のその半着もだいぶ様になってきたじゃねぇか」と話を続けた。
なるほど、近藤が指を指していたのはこの浅葱の半着か。
新撰組の一員になって早二年、この浅葱にもようやく慣れてきた。
初めて着る際は明るい着物だと戸惑ったものだが、今考えれば京のどこにいても新撰組だと分かるようにこの浅葱色にしたのだろう。
今ではこの浅葱が浸透してしまい、見ただけで新撰組だと京の人々を恐れさせてしまうこともある。
そんな半着が良くも悪くも様になってきたらしい。
少し複雑ではあるが新撰組の一員として認めて貰えたという意味では喜ばしいことかもしれない。
『まだまだお役に立てないことの方が多いですがそう言っていただけて嬉しいです』
「謙遜しなくていい。お前ぇのことは歳や源さんから聞いてる。それに祇園にまで噂が届いてんだ」
『噂ですか?』
「ま、こんな組織や。噂が立つのも無理ないわなぁ」
『確かにそうですね…』
「噂は多いがなにも悪い噂ばかりじゃねぇさ」
新撰組は京の町では"人斬り集団"と呼ばれている。治安維持という名目で人を斬る機会が多いためだ。
勿論幕府に仇なすもの…言わば罪人を取り締まっているため間違った行いでは無い。
ただ新撰組の中には自身の立場を悪用し利潤を得る横柄な輩もいる。
ひと握りとは言え乱暴で横柄な輩が存在しているおかげで、いまではそういった者の集まりで出来た組織だと思われている。
そんな人斬り集団に悪い噂以外、一体どんな噂があると言うのだろうか。
近藤の言う噂があまりにも想像できなかったため、ななしは考え込むように顎に手をあて悩んでしまった。
黙りこくったななしの代わりに運ばれてきた赤葡萄酒を飲みながら沖田は「ほなどんな噂があっるっちゅうんや」とそう近藤に聞き返した。
「祇園の遊女はいっつも新撰組の話に花咲かせてやがる」
『とても局所的ですね…』
「特に総司と総司の右腕。どちらもとびきりの剣豪でとびきりの美少年って話で持ちきりだ」
『近藤さん、悪い噂じゃないって言いませんでしたか?』
「なんだ、悪い噂じゃないだろ?女にモテてるんだ、嬉しい限りじゃねぇか」
『全然嬉しくありません。それに総司さんはともかく私は美少年でも剣豪でもありません』
「所詮噂なんてのはそういった根も葉もないもんばかりだ。ただ悪い噂ばかりで恐々とさせるより、女が色めき立つような噂の方が平和的でいいじゃねぇか。なぁ、総司?」
「ま、平和的っちゅうのはそうかもしれん」
『そういった噂は確かに新撰組の印象を少し変えるかもしれませんけど…決していい噂でもないです。噂される方の身にもなってくださいよ』
「俺が美少年!なぁんて噂されてりゃ手放しで喜んだだろうなぁ!」
「ヒヒッ、勇ちゃんらしいのぉ」
『…はぁ』
ガハガハと豪快に笑い、膝を叩く近藤。
彼が女好きなのはよく知っているし、美少年と噂され手放しで喜ぶ姿も想像出来る。そうなればきっと連日噂で寄ってきた女の子達を侍らせ楽しむのだろう。
結局噂の内容はかなり下らないもので、ななしにとっていい噂に分類していいかかなり怪しい。
そんな事を噂するよりもっと世間にもいい影響を与えるような噂を流してもらいたいものだ。
嘘でも新撰組には掃除上手で頭脳明晰な平隊士がいるとか。
こんな噂なら大歓迎とななしは運ばれてきた緑茶が入った湯呑みを持ちながら一人うんうん頷いた。
「まぁ、そんな噂話も良い関係のお前達にとってはどうでもいいもんだろうがな」
ぼちぼち運ばれてくる料理や酒の肴を食している沖田とななしに向けて、近藤はどこか穏やかそうに目を細めて静かにそう言う。
湯豆腐をモグモグと食していたななしは近藤の発した言葉に箸を止め、続けて口を開こうとしている彼をみつめた。
「月日が経つのは早いもんで元々お想い人だったお前達を新撰組にさせてからもう二年だ。…ななしに関しては男になってからも二年経つってことになる。あっという間だよなぁ」
どこか昔を思い出すような、懐かしむような口調で言う近藤。
その表情をみつめたななしも沖田もまた、自身の過去が脳裏に蘇ってきて二年前の出来事をぼんやりと思い起こした。
新撰組として働く起点となった出来事。
近藤の言う通りななしが"女"ではなく"男"として人生を歩むきっかけとなった出来事だ。
新撰組という組織ができて、"沖田総司"、"無名ななし"として生きるようになるまでにはそれはもう色々なことがあった。
酷く辛いこともあったし、それこそ逃げ出したくなるような事も数知れず。
だが今もこうして歩みを止めることなく新選組として進み続けているのは隣に座る沖田が、常に"想い人"として傍にいてくれたからだ。
今もその関係は変わらず、お互いの足りぬ部分を補い合うようにして生きている。
『ふふふ、確かに早いものですねぇ』
「せやな。もうこっちのがしっくり来るようになってもうたわ」
「総司もななしも、様になってるぜ。ななしはだんだん男前になってきたしな!」
『…よ、喜ぶべきですか?』
「ヒヒッ!腹痛いわ!」
『わ、笑わないでくださいよ〜。結構複雑なんですからね!』
「ええやんけ!このままワシの右腕として頑張ってくれやななし」
『ひ、他人事だと思って…!まぁ、これからも頑張りますけどね。総司さんも一緒に頑張ってくださいね?』
「当たり前や」
「歳も俺もななしの手腕を買ってる。今となりゃ新撰組の頭脳はお前と言っても過言じゃねぇ」
『それは絶対過言ですよ!』
「ほなワシは新撰組の刀か?」
『なんだか言い得て妙ですね』
「新撰組の切り込み隊は総司だ。その例えはあながち間違えじゃねぇ」
「頭脳と刀…ワシら仕事でも最高の相性っちゅうことやなななし」
『ふふ、なんですかそれ』
酒を飲み白い顔を少し赤らめた沖田と視線を合わせてななしは可笑しそうに笑った。
向かい側で近藤も同じように「見せつけてくれるじゃねぇか」と、歯を見せてニカニカと笑っている。
今この関係を続けられるのも、沖田と共に仕事ができるのも全ては目の前で笑っている近藤のお陰。
彼のやり方に嫌気がさすこともしばしばあるが、新撰組の頭 であり頼れる人物であることは間違いない。
豪快であり、大きな野望を持った近藤だが新撰組の局長を務められるのはこの人物しかいないとななしはそう思っている。
「女一人が野郎共に囲まれて生活すんのは厳しいだろうがこれからもよろしく頼むぜななし」
『はい。総司さんだけでなく皆さんに良くしてもらっていますから、これからも一番隊隊長補佐として、出来る限り尽力していきます』
「心強いな!さて、硬っ苦しい話はこの辺にして美味いもん食うか」
「ヒヒッ!大賛成や!!」
「お前さんは本当に現金なヤツだよなぁ」
『ふふ、彼らしいと思いますよ。それに私もお腹すいたんで、遠慮しないで頼みますね!』
「おいおい、少しは遠慮してもバチは当たらねぇぞ?」
「一銭にもならんっちゅうのに遠慮するなんてアホらしいわ」
『近藤さんに遠慮するってのもおかしな話ですし…』
「そういう事じゃなくてだな、目上のもんを敬うって話をしてんだ。まぁ、お前達に言っても聞きやしないんだろうがな」
「お!ななし、このだし巻き美味いでぇ。ひとつ食べてみぃ!」
『本当ですか??ん〜!美味しいぃ』
「…本当に聞いちゃいねぇな」
目の前にいるのは新選組を総括する凄腕の人物だが、こうして腹を割って話すとどうにも気のいいおじさんと喋っているような感覚になってしまう。
勿論敬ってはいるし、局長だと認めている沖田とななし。
これら全ての言動はそれなりに慕っているが故の無遠慮である。
「とりあえず品書き全部頼んどけ」
『え!?私お酒は飲めませんよ』
「任せとけ、ワシが全部飲んだるさかい」
『明日潰れても知りませんよ?』
「その時は補佐の出番じゃねぇか、ななし」
「お、ええ事言うやんけ!勇ちゃん!」
『ちょっと、これ以上私に仕事押し付ける気ですか??』
ななしと沖田が慕っているがゆえの無遠慮であることを理解している近藤も、満更では無いようで。
三人しかいないのに本当に品書きの食事を全て注文し、女将を困らせている。
『これ朝まで続いたりしないですよね?』
「それは総司と俺の飲みっぷりを見てりゃ分かるんじゃねぇか?」
「まだまだいけんでぇ!」
『ちょっと二人とも酒豪なんですから、ちゃんと自制して飲んでくださいね?いい時間になったら置いて帰りますよ?』
「そう言うなよななし。なんならお前も一緒に飲み明かしてもいいんだぜ?」
『嫌ですよ!遅刻でもして土方さんに小言言われたらどうするんですか』
「その時は俺を言い訳に使えばいいだろ」
「ほなワシもそうさせてもらうで」
「総司はその言い訳で通用するとは思えねぇがな」
「ヒヒッ、歳ちゃんに目ぇつけられとるしのぉ」
「じゃ、無理だな!」
「無理やな!」
『もう、酔っ払い過ぎですって!』
ゲラゲラ笑っている沖田と近藤。運ばれてきた酒が次々になくなっていく様を見、変な頭痛とため息ばかりが出てくる。
結局二人の酒豪を前にななしは為す術なく。定期報告にと祇園にきたにもかかわらず、最終的には二人の飲み比べに発展してしまった。
そしてこの後恐れていた通り夜通し飲み明かすこととなる。
勿論、ななしは途中でお暇するのだが。
朝飲み明かした後の凄惨な現場で近藤は一夜で消えていった額を知り、絶句したのは言うまでもない。
(おはようさんななし)
(おはようななし、総司の奴はどうした)
(あ、おはようございます。新八さん、源さん。あの人は今頃祇園で潰れているんじゃないでしょうか)
(ど、どういうことや)
(いつものことですよ)
(……)
(お前も中々苦労するなななし)
(慣れました!)
優しさと威厳に満ちた
(親愛と尊敬)
『はぁ…はぁ…つ、疲れた』
「掃除はできても走んのは苦手なんやな」
『そりゃ、別物ですし…はぁ』
「今度から走んのも鍛えた方がええんやないか?」
『外周くらいはした方がいいかもしれませんね…』
沖田とななしが祇園に到着した頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。
本来であればもう少し早く仕事を終えて向かう予定だったのだが、二人してうつらうつらとしており見事に遅刻してしまったのだ。
せっかく井上が副長である土方に早く上がれるようにと取り成してくれたと言うのに、屯所を出たのは結局いつも仕事を終える時間とほとんど大差ない。
天候の悪い空には朧気に月が浮かんでいる。
明日屯所に出向いた際にはきちんと井上に謝ろうと、ななしは走ってきたせいで跳ねる息を何とか落ち着かせながら胸の奥でそう決意した。
『ふぅー。それにしても小雨になって良かったですね』
「せやな。昼時みたいに降られとったらもう着る服も無くなるとこやったわ」
『ふふ、総司さんはそうかもしれませんね』
「せやけど慌てとったせいでななしは浅葱の半着のままや。これやと悪目立ちしてまうのぉ」
『た、確かに。羽織では無いですがこの色と言うだけで目立ちますもんね…早く旭屋に向かいましょう』
「おう、こっちやななし」
『はい!』
井上に急かされ寝起きのまま慌てて飛び出してきてしまいななしは新撰組の半着のまま祇園に来ている。そのせいで祇園に居る人々の視線が面白いくらいにこちらに向けられているのが分かる。
見られていて心地の良い視線ではなく、寧ろ嫌悪感を含んだような、鋭い視線ばかりだ。
そんな人々の双眸に少し居心地が悪く、ななしと沖田はそそくさと局長である近藤が待つ旭屋へと向かった。
大きな料亭の旭屋に到着し現れた女将に近藤の事を伝えると話は通してあったようで、「こちらです」と近藤がいるであろう離れに案内された。
いつみても豪華絢爛な建物であり、離れに続く廊下や庭もとても綺麗に造られている。
小雨で朧気な夜でも設置された行灯が辺りを優しく照らし、とても幻想的な光景であった。
『ここの料亭はいつも綺麗ですね』
「屯所とは大違いやで」
『そりゃそうですよ〜皆さん綺麗に使わないんですから』
「男ばっかりやししゃあないやろ」
『皆さん土方さんみたいに几帳面だといいんですけどね』
「ヒヒッ、想像しただけで気色悪くておもろいわ」
『えぇ?そうですか?静かで事務仕事も片付いて、いつもなんでも冷静に対処出来て。いい事ばかりですし素敵じゃないですか』
「アカンアカン、歳ちゃんばっかり集まってみぃ。小言の嵐で胃が痛たなるわ」
『それは総司さんが真面目に仕事してないからですよ。私は全然平気です』
「ワシはいつでも真面目に働いとんでぇ」
『ふふふ、真面目ぇ?』
「ヒヒッ、なんや疑っとんか。ワシは今日も雨の中必死に巡回しとったんやで?びしょ濡れの羽織も見たやろ?」
『そういえば昼時びしょびしょでしたもんね』
「せや、働いた証や」
昼時びしょ濡れの羽織と袴のせいで大掃除をしたことを思い出したななしは可笑しそうに肩を揺らして笑った。
確かに朝からずっと外を周り京の治安維持に務めていたのだから、沖田も沖田なりに真面目に働いてくれていたはずだ。
やり方は少し過激な時もあるしもう少し落ち着いて行動してもいいと思うことがあるが、沖田の力は新選組にとってなくてはならない存在だろう。
「ヒヒッ、ほな勇ちゃんの奢りでたらふく食うでぇ!」
『そうですね!』
襖の向こうにいる近藤にも聞こえているであろう音量で正直に奢られに来たと言った沖田はヒヒッと楽しそうに笑った後、女将の案内で到着した離れの荘厳な襖を開いた。
誰かの顔色を伺うことなく気ままなさまはとても沖田らしい。悪びれなく入室して行く自由人な彼の背中を見つめ、顔を綻ばせたななしも開かれた襖から部屋の中へと足を踏み入れた。
「よぉ、来たか」
「お邪魔すんでぇ、勇ちゃん」
『こんばんは、近藤さん』
襖を開き入室すれば直ぐに此方に気付いたらしい近藤は持っていたお猪口を掲げながら「こっちに来て座れ」と楽しげにそう言った。
言われた通り近藤の側まで行けば既に沢山の酒を飲んでいるのか、徳利が数本転がっている。
微かに香る酒臭さに苦笑いしながらななしは近藤の前に腰を下ろした。
沖田は部屋を離れていこうとしていた女将に早速"赤葡萄酒"を頼んでいる。ちなみに赤葡萄酒この料亭で一番高い品書きであり、金額は他のものとは一桁ほど違っている。
やはり沖田は自由人だ…仮にも新撰組の
「それにしても久々だってのに挨拶そっちのけで酒を頼むなんて本当にお前らしいな、総司」
「ヒヒヒッ、今夜はご馳走になんでぇ勇ちゃん」
「ハハハ!全くお前ぇは…好きなだけ食って飲んでけ。勿論ななし、お前もだ」
『はい、近藤さん』
高い酒を頼めたことでご機嫌になった沖田がななしの隣にどかりと腰を下ろし胡座をかく。
近藤も沖田の言動に少し呆れていたようだが、彼らしいと諸々諦めたようで「好きなだけ頼め」と酒で赤くなった顔を緩めてそう言った。
それならば自分も遠慮せずに食べてやろうと、ななしは傍にあった品書きを手に取りずらりと並んだ料理名を眺めた。
刺身の盛り合わせ…だし巻き玉子…雨で少し濡れたから茶碗蒸しなんて言うのもいいかもしれない。
でもまずは温かい緑茶でも貰おうかなぁ。
「ななし」
『はい?』
品書きを眺めながらあれもいい、これもいいと色々思案していると正面にいる近藤が声を掛けてきた。
なんですか?と顔をあげると近藤はこちらを指さしてくる。何事かと首をかしげれば近藤は「新撰組のその半着もだいぶ様になってきたじゃねぇか」と話を続けた。
なるほど、近藤が指を指していたのはこの浅葱の半着か。
新撰組の一員になって早二年、この浅葱にもようやく慣れてきた。
初めて着る際は明るい着物だと戸惑ったものだが、今考えれば京のどこにいても新撰組だと分かるようにこの浅葱色にしたのだろう。
今ではこの浅葱が浸透してしまい、見ただけで新撰組だと京の人々を恐れさせてしまうこともある。
そんな半着が良くも悪くも様になってきたらしい。
少し複雑ではあるが新撰組の一員として認めて貰えたという意味では喜ばしいことかもしれない。
『まだまだお役に立てないことの方が多いですがそう言っていただけて嬉しいです』
「謙遜しなくていい。お前ぇのことは歳や源さんから聞いてる。それに祇園にまで噂が届いてんだ」
『噂ですか?』
「ま、こんな組織や。噂が立つのも無理ないわなぁ」
『確かにそうですね…』
「噂は多いがなにも悪い噂ばかりじゃねぇさ」
新撰組は京の町では"人斬り集団"と呼ばれている。治安維持という名目で人を斬る機会が多いためだ。
勿論幕府に仇なすもの…言わば罪人を取り締まっているため間違った行いでは無い。
ただ新撰組の中には自身の立場を悪用し利潤を得る横柄な輩もいる。
ひと握りとは言え乱暴で横柄な輩が存在しているおかげで、いまではそういった者の集まりで出来た組織だと思われている。
そんな人斬り集団に悪い噂以外、一体どんな噂があると言うのだろうか。
近藤の言う噂があまりにも想像できなかったため、ななしは考え込むように顎に手をあて悩んでしまった。
黙りこくったななしの代わりに運ばれてきた赤葡萄酒を飲みながら沖田は「ほなどんな噂があっるっちゅうんや」とそう近藤に聞き返した。
「祇園の遊女はいっつも新撰組の話に花咲かせてやがる」
『とても局所的ですね…』
「特に総司と総司の右腕。どちらもとびきりの剣豪でとびきりの美少年って話で持ちきりだ」
『近藤さん、悪い噂じゃないって言いませんでしたか?』
「なんだ、悪い噂じゃないだろ?女にモテてるんだ、嬉しい限りじゃねぇか」
『全然嬉しくありません。それに総司さんはともかく私は美少年でも剣豪でもありません』
「所詮噂なんてのはそういった根も葉もないもんばかりだ。ただ悪い噂ばかりで恐々とさせるより、女が色めき立つような噂の方が平和的でいいじゃねぇか。なぁ、総司?」
「ま、平和的っちゅうのはそうかもしれん」
『そういった噂は確かに新撰組の印象を少し変えるかもしれませんけど…決していい噂でもないです。噂される方の身にもなってくださいよ』
「俺が美少年!なぁんて噂されてりゃ手放しで喜んだだろうなぁ!」
「ヒヒッ、勇ちゃんらしいのぉ」
『…はぁ』
ガハガハと豪快に笑い、膝を叩く近藤。
彼が女好きなのはよく知っているし、美少年と噂され手放しで喜ぶ姿も想像出来る。そうなればきっと連日噂で寄ってきた女の子達を侍らせ楽しむのだろう。
結局噂の内容はかなり下らないもので、ななしにとっていい噂に分類していいかかなり怪しい。
そんな事を噂するよりもっと世間にもいい影響を与えるような噂を流してもらいたいものだ。
嘘でも新撰組には掃除上手で頭脳明晰な平隊士がいるとか。
こんな噂なら大歓迎とななしは運ばれてきた緑茶が入った湯呑みを持ちながら一人うんうん頷いた。
「まぁ、そんな噂話も良い関係のお前達にとってはどうでもいいもんだろうがな」
ぼちぼち運ばれてくる料理や酒の肴を食している沖田とななしに向けて、近藤はどこか穏やかそうに目を細めて静かにそう言う。
湯豆腐をモグモグと食していたななしは近藤の発した言葉に箸を止め、続けて口を開こうとしている彼をみつめた。
「月日が経つのは早いもんで元々お想い人だったお前達を新撰組にさせてからもう二年だ。…ななしに関しては男になってからも二年経つってことになる。あっという間だよなぁ」
どこか昔を思い出すような、懐かしむような口調で言う近藤。
その表情をみつめたななしも沖田もまた、自身の過去が脳裏に蘇ってきて二年前の出来事をぼんやりと思い起こした。
新撰組として働く起点となった出来事。
近藤の言う通りななしが"女"ではなく"男"として人生を歩むきっかけとなった出来事だ。
新撰組という組織ができて、"沖田総司"、"無名ななし"として生きるようになるまでにはそれはもう色々なことがあった。
酷く辛いこともあったし、それこそ逃げ出したくなるような事も数知れず。
だが今もこうして歩みを止めることなく新選組として進み続けているのは隣に座る沖田が、常に"想い人"として傍にいてくれたからだ。
今もその関係は変わらず、お互いの足りぬ部分を補い合うようにして生きている。
『ふふふ、確かに早いものですねぇ』
「せやな。もうこっちのがしっくり来るようになってもうたわ」
「総司もななしも、様になってるぜ。ななしはだんだん男前になってきたしな!」
『…よ、喜ぶべきですか?』
「ヒヒッ!腹痛いわ!」
『わ、笑わないでくださいよ〜。結構複雑なんですからね!』
「ええやんけ!このままワシの右腕として頑張ってくれやななし」
『ひ、他人事だと思って…!まぁ、これからも頑張りますけどね。総司さんも一緒に頑張ってくださいね?』
「当たり前や」
「歳も俺もななしの手腕を買ってる。今となりゃ新撰組の頭脳はお前と言っても過言じゃねぇ」
『それは絶対過言ですよ!』
「ほなワシは新撰組の刀か?」
『なんだか言い得て妙ですね』
「新撰組の切り込み隊は総司だ。その例えはあながち間違えじゃねぇ」
「頭脳と刀…ワシら仕事でも最高の相性っちゅうことやなななし」
『ふふ、なんですかそれ』
酒を飲み白い顔を少し赤らめた沖田と視線を合わせてななしは可笑しそうに笑った。
向かい側で近藤も同じように「見せつけてくれるじゃねぇか」と、歯を見せてニカニカと笑っている。
今この関係を続けられるのも、沖田と共に仕事ができるのも全ては目の前で笑っている近藤のお陰。
彼のやり方に嫌気がさすこともしばしばあるが、新撰組の
豪快であり、大きな野望を持った近藤だが新撰組の局長を務められるのはこの人物しかいないとななしはそう思っている。
「女一人が野郎共に囲まれて生活すんのは厳しいだろうがこれからもよろしく頼むぜななし」
『はい。総司さんだけでなく皆さんに良くしてもらっていますから、これからも一番隊隊長補佐として、出来る限り尽力していきます』
「心強いな!さて、硬っ苦しい話はこの辺にして美味いもん食うか」
「ヒヒッ!大賛成や!!」
「お前さんは本当に現金なヤツだよなぁ」
『ふふ、彼らしいと思いますよ。それに私もお腹すいたんで、遠慮しないで頼みますね!』
「おいおい、少しは遠慮してもバチは当たらねぇぞ?」
「一銭にもならんっちゅうのに遠慮するなんてアホらしいわ」
『近藤さんに遠慮するってのもおかしな話ですし…』
「そういう事じゃなくてだな、目上のもんを敬うって話をしてんだ。まぁ、お前達に言っても聞きやしないんだろうがな」
「お!ななし、このだし巻き美味いでぇ。ひとつ食べてみぃ!」
『本当ですか??ん〜!美味しいぃ』
「…本当に聞いちゃいねぇな」
目の前にいるのは新選組を総括する凄腕の人物だが、こうして腹を割って話すとどうにも気のいいおじさんと喋っているような感覚になってしまう。
勿論敬ってはいるし、局長だと認めている沖田とななし。
これら全ての言動はそれなりに慕っているが故の無遠慮である。
「とりあえず品書き全部頼んどけ」
『え!?私お酒は飲めませんよ』
「任せとけ、ワシが全部飲んだるさかい」
『明日潰れても知りませんよ?』
「その時は補佐の出番じゃねぇか、ななし」
「お、ええ事言うやんけ!勇ちゃん!」
『ちょっと、これ以上私に仕事押し付ける気ですか??』
ななしと沖田が慕っているがゆえの無遠慮であることを理解している近藤も、満更では無いようで。
三人しかいないのに本当に品書きの食事を全て注文し、女将を困らせている。
『これ朝まで続いたりしないですよね?』
「それは総司と俺の飲みっぷりを見てりゃ分かるんじゃねぇか?」
「まだまだいけんでぇ!」
『ちょっと二人とも酒豪なんですから、ちゃんと自制して飲んでくださいね?いい時間になったら置いて帰りますよ?』
「そう言うなよななし。なんならお前も一緒に飲み明かしてもいいんだぜ?」
『嫌ですよ!遅刻でもして土方さんに小言言われたらどうするんですか』
「その時は俺を言い訳に使えばいいだろ」
「ほなワシもそうさせてもらうで」
「総司はその言い訳で通用するとは思えねぇがな」
「ヒヒッ、歳ちゃんに目ぇつけられとるしのぉ」
「じゃ、無理だな!」
「無理やな!」
『もう、酔っ払い過ぎですって!』
ゲラゲラ笑っている沖田と近藤。運ばれてきた酒が次々になくなっていく様を見、変な頭痛とため息ばかりが出てくる。
結局二人の酒豪を前にななしは為す術なく。定期報告にと祇園にきたにもかかわらず、最終的には二人の飲み比べに発展してしまった。
そしてこの後恐れていた通り夜通し飲み明かすこととなる。
勿論、ななしは途中でお暇するのだが。
朝飲み明かした後の凄惨な現場で近藤は一夜で消えていった額を知り、絶句したのは言うまでもない。
(おはようさんななし)
(おはようななし、総司の奴はどうした)
(あ、おはようございます。新八さん、源さん。あの人は今頃祇園で潰れているんじゃないでしょうか)
(ど、どういうことや)
(いつものことですよ)
(……)
(お前も中々苦労するなななし)
(慣れました!)
優しさと威厳に満ちた
(親愛と尊敬)
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