pixiv作品 名探偵コナン
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「おはようございます」
「!…あぁ、おはよう」
翌日。
私が丁度 朝の巡回へ行く時、萩原が出勤してきた。
「浅葱さん」
萩原は真っ直ぐ私を見てきて。
「…なんだ。私はこれから巡回へ行くから手短に頼む」
どうせまたあいつのことだろうと、萩原へ向き直る。
「昨日の話の続きですが、私は“本当のあの人”を見たことがないので何とも言えませんが」
萩原は、どこか優しげな表情をして。
「でも“本当のあの人”を見たとしても、私はきっとあの人が好きだと思います」
そう言った。
「……」
“本当のあいつ”を知らないお前が、なぜあいつを好きなままで居られると思う?
……腹立たしい。
「……だったら知ってみろ」
「え?」
私は紙とペンを手に取り、走り書きであいつの家の住所を書く。
「あいつの家の住所だ。行ってみろ」
そして知れ。
あいつの冷たさを。
「…で、ですが…」
「知らないのに好きでいる自信があるんだろ?だったら自分の目で見て、自分で経験してこい」
知らなければよかったと。
“明るく元気な冬華”だけを見ていればよかった。
後悔すればいいさ。
萩原は紙を握り締めて、小さく頭を下げて去って行った。
「……あいつ…」
仕事をサボって今から行く気じゃないだろうな…?
––––––––––––––––––––––––––
「……ここだ」
浅葱先輩が教えてくれた住所を訪ねた私。
そこは高そうなマンションで、階数は三階。
“こいつはお前が思ってるほど明るく元気な女じゃないぞ”
私は普段のあの人しか知らないから。
浅葱さんの言う“本当の○○さん”を知らない。
学生時代一目惚れをした時も、たまたま視界に入って。
“……可愛い”
“あ?千速、なんか言ったか?”
“姉ちゃんどうしたよ”
嬉しそうにアイスを食べてる表情と、隣の奴と話してる時の笑顔に一目惚れした。
それから結構探したんだが結局見つけられず、大人になって。
“…浅葱先輩、あの人…”
“ああ、冬華か。あいつがどうかしたか?”
神奈川県警本部へと配属された時に、再び見つけた。
“冬華”
“一華じゃーん。刑事課に来るの珍しいわね”
“こいつが、お前を紹介しろと煩くてな”
“んー?え、誰?この子、めちゃ美人ちゃん!”
“…萩原 千速です。神奈川県警 交通課に配属されました”
浅葱先輩の同期と知って、紹介してもらった。
“あらー!千速ちゃんって言うの!よろしくね!”
そう言って、あの時と同じ笑顔をくれたのに。
「…あれは“偽りの笑顔”だというんですか…冬華さん…」
紙を握り締め、あの人のマンションを見上げる。
“お前が好いているのが普段の冬華なら、これ以上踏み込むな”
浅葱さんにそう警告をされた時。
悔しかった。
あの人の本性を知るのは浅葱さんだけで。
“……浅葱さんの前では、違うんですか?”
“…あぁ、私の前でだけは“本当のこいつ”だよ”
浅葱さんの前だけ。
貴女は本当の自分になる。
浅葱さんにだけ心を許している事実に。
どうしようもないくらい苛立って。
“でも“本当のあの人”を見たとしても、私はきっとあの人が好きだと思います”
強がってしまった。
浅葱さんが言う“本当の冬華”さんを知るのは怖い。
もしかしたら、私の言葉が嘘になってしまうかもしれない。
それでも、浅葱先輩の話だけで判断はしたくないし諦めたくはないから。
「…よし…行ってみるか」
深呼吸をして。
開いたエレベーターに乗り、間も無く三階で止まった。
「……」
あの人の部屋の前。
私は片手に持っている買い物袋を見る。
昨日は酔い潰れたし、絶対に二日酔いになってるはずだ。
もう一度深呼吸をして。
ピンポン
インターホンを押した。
「……」
シン、と。
反応はない。
「…いない、のか…?」
ピンポン
もう一回押してみる。
シン、と。
やはり反応はない。
「…謹慎中なのに出掛けてるのかあの人は…」
二日酔いじゃないのか、と思っていたら。
『……あ゙いあい…今出ますよ…』
酒焼けをしてるんじゃないかというくらい掠れた声が聞こえてきて。
「…うぃ……って…」
カチャ…とドアがゆっくりと開いて出てきたのは…。
「……ッ!?」
「…あらま、千速ちゃん?…どしたの?何か用…?」
白いヨレヨレのワイシャツ姿の冬華さんだった。
真っ青な顔で、如何にも二日酔いですといった様子だ…。
しかもそのワイシャツも真ん中の二箇所しか留まっていないから。
「…っ冬華さん!なんて格好をしてるんだ貴女は!!」
角度的に見てしまう。
「…えー…だって謹慎中だし…寝てたし…頭痛いし…助けて千速ちゃあん…っ」
と、抱きついてきた。
理性よ、働け。
無職になるな、働き続けろ。
「…っ二日酔いだろうと思って、色々買ってきましたよ」
冬華さんに買い物袋を見せると、真っ青な顔色ながらに。
「やー!ありがと!助がぁ……ああ…頭に響く…っ」
喜びを見せたのも束の間、頭痛に襲われて蹲った。
「これ渡しときますので、中に戻ってください」
そんな格好の貴女を誰にも見られたくないから、買い物袋を渡して中に押し込む。
「ゔぅ゙…上がってかない…?何もないけど、水くらいなら出すわよ…?」
い、いいのか、入っても…。
「…お、お邪魔します」
「はーい」
二日酔いでフラフラしてるが、今のところ“いつも通りの冬華”さんだ。
「ん?」
不意に、一室の戸が僅かに開いていることに気付いた。
その部屋の前を通る時。
冬華さんは、パタン…と静かに戸を閉めた。
何の変哲もない行動に、何故か違和感を持ってしまった。
“誰の部屋だ?”と。
その部屋のドアを横目で見つめ、冬華さんの背中を追った。
「……」
「何もなくてごめんねー?ベッドの上とか適当に座っててー」
リビングと思われる部屋の中心に、白い大きなベッドが一つあった。
他の家具はない。
ソファーも、テレビも、テーブルも。
キッチンのほうを見ても食器棚すらなくて。
寝に帰ってるだけ、というのが見て取れて。
生活感を一切感じなかった。
「……」
そっとベッドに座ると、僅かに沈む。
「いただきまーす」
パキュッと、小瓶の蓋が開く音が聞こえて。
私が持ってきた二日酔いに効くドリンクを飲んで。
「あ゙〜…効くぅ〜」
「そんな即効性はないですよ」
「あるかもしれないじゃん!」
冬華さんのおっさん臭さに笑ってしまった。
「昨日飲み過ぎてなーんにも覚えてないんだけど、私なんかやらかしてなかった?」
カランと音を立てて、氷で冷えた水をくれた。
「…ありがとうございます」
トレーに乗せてとかじゃなく、手渡しで。
「めちゃくちゃ文句言ってましたよ」
「文句の一つも言いたくなるわよ。だって謹慎よ?私悪くないのに」
「一つどころじゃなかったです…」
「…二つか三つ?」
「もっとあったかもしれません」
冬華さんはクスクスと笑って。
「でも久しぶりに飲んで楽しかったー」
そう言った。
「“なーんにも覚えてない”」
「く…っ痛いところを突いてくるわね…」
こんなコロコロと表情が変わる人が。
本当に浅葱さんの言う“暴力的な一面”があるのだろうか。
しかし、刑事課の連中も“やりすぎだ”とか浅葱先輩も“どうせボコボコにしたんだろ”とも言っていたから。
…こんな華奢な体のどこにそんな力が…。
「というか、よくうちがわかったわね?一華に聞いたの?」
私の隣に座り、グラスに口を付けて。
「……」
水を飲むその仕草でさえ。
「千速ちゃん?」
好きだと思ってしまう。
コクリと息を呑む。
水を飲んだことで濡れた桜色の小さな唇と。
ワイシャツから覗く首筋。
私の角度から見えてしまう胸の先。
視線を逸らしても白く綺麗な太腿が目に入ってしまって。
しかも二人きりという、この状況に。
「……千速ちゃん」
「………ッ!」
気がつけば。
「あー…」
「あ…いや…これ…は…」
私は貴女を押し倒していた。
やってしまった…。
…理性が無職すぎて泣ける。
貴女からの抵抗はない。
シン、と静まり返る室内。
「……(この人…もしかして…)」
交差する視線の中に、一つ思ったのは。
この人は。
本当は、優しい人だったんではないだろうかということ。
何がこの人を変えたのか。
何がこの人の暴力性を駆り立てているのか。
「…冬華さ「こんな気持ちだったのかなぁ」
そのことを聞こうと思えば、貴女は私の呟く言葉を遮って。
「強殺された私の妹も、こんな気持ちだったのかしらね」
私を軽蔑するかの如く。
「どう思う?千速ちゃん」
とても冷たい瞳で私を見据えた。
ああ、そうか。
やっと貴女がわかった気がする。
軽蔑と嫌悪が入り混じる貴女の瞳の奥に、今度は確かに見えた。
「……確かに、妹さんは怖かったと思います」
怖い。
助けて。
痛い。
この人の妹は、想像を絶するほどの恐怖を味わっただろう。
「……でも冬華さん」
そしてこの人も。
変わり果てた妹の姿を見て、絶望した。
けれど。
犯人への憎しみ以上に。
「…貴女は悪くないですよ」
妹を救えなかった自分への憎悪で。
おかしくなってしまったんだ。
「…ッ!!」
冬華さんは目を大きく見開いた。
「貴女は悪くないです」
もう一度口にすれば。
「な…にを…ッ」
私が押さえている手に力が入ったが、体躯の差と体勢から押し返せない。
変わった。
「…ッあんたに何がわかるのよ!!」
一瞬の冷たさから。
弱さを見せ始めた。
冬華さんの瞳に涙が浮かぶ。
「“貴女は悪くない”!?何も知らないくせに偉そうに!!」
私には貴女の悲しみを癒すことは出来ない。
「どうせあんたも思ってるんでしょ!?“どうしてあの時あの子の手を離したの!?”って!私が一瞬だけ手を離したから…ッ!離れちゃったから…っ…っあの子は…ッ」
貴女の苦しみを、わかってあげることは出来ないけれど。
「…あの子は…っ絶対に…“どうして助けにきてくれないの”って…“お姉ちゃん助けて”って…っ思って…っ」
貴女の傍に居て。
「……それでも貴女は何も悪くない。悪いのは、貴女の妹を殺した犯人だけです…」
貴女を抱き締めて、寄り添うことは出来るから。
止め処なく溢れ続ける貴女の涙に、胸が張り裂けそうになりながらも。
私は強く、冬華さんを抱き締め続けた。
この人は、自分の成そうとしていることを止めてほしかったんじゃない。
“お前は悪くないよ”って。
誰でもいいから言って欲しかっただけなんだ。
犯罪者だろうと誰だろうと、暴力は絶対にダメだ。
だが、殴られてから殴り返す理由もそれ。
“お前は悪くない”を聞きたかったから。
その言葉を聞くには、その手段しか知らなかったからだ。
だからあの時。
“……っそれは星が悪すぎだろ重悟!”
そう言った私を、驚くように見てたんだろう。
……もう一度言うが、大前提として暴力は絶対にダメだがな。
「落ち着きましたか?」
「……ぅん」
しばらくして、貴女は落ち着きを取り戻した。
私は貴女の上から退いて。
「…とりあえずボタン留めます」
…さっきから見えるから、ワイシャツのボタンを留めさせてもらった。
これでもう理性は大丈夫…。
太腿が目に入るが…まだ…“アレ”よりはましだ。
「…襲われるかと思ったんだけど」
「正直ヤバかったです」
貴女は苦笑を零して。
「寝る時はいつもこうなの。今度から気をつけるわね」
そう言った。
冷たかった声色が、今は暖かさを帯びて。
「本当に気を付けてくださいね」
「はい、気を付けます」
柔らかくなった。
これが、本来の貴女なのだろう。
「千速ちゃん、意外と力強いのねぇ」
全然押し返せなかった、と。
「体躯の差と体勢でしょうね。気を付けてください」
「ふふ、気を付けますよ」
強気な貴女は消えて、弱々しい貴女になった。
貴女は立ち上がり、私へと手招きをした。
付いて行くと、そこは来た時に冬華さんが閉めた部屋で。
中には小学生が使ってそうな、可愛らしいキャラクターの布団がかけられたベッドと。
小学生が使ってそうな机。
そこには一つの新聞の記事があって。
「……これは…妹さんの…」
貴女は頷いて、部屋に入る。
ここは、冬華さんの妹が使っていた部屋だった。
冬華さんは机に歩み寄り、撫でるように机に触れて。
「…妹はね」
語り出したのは。
「…夏祭りの時に、一緒に出掛けて…」
貴女たち姉妹に、悲劇が降り注いだ夏の夜の話。
「人混みが凄くて…でも手を離さないようにしっかり繋いでいたの…」
“すごい人だねぇお姉ちゃん”
“みんなお祭り大好きだからねー”
“あ!わたし焼きそば食べたい!”
“いいわよー!たこ焼きも買っちゃおっか!”
有り触れた日常の中で、細やかな幸せを噛み締めながら。
たった一人の妹と祭りを満喫していただけなのに。
“わ!”
“湊!”
人混みに押され、手が離れてしまって。
“湊ー!どこー!”
人混みを掻き分けて探して。
“お姉ちゃーん!こっちー!”
という妹の声を最期に。
“湊…ッッ!!!”
ようやく見つけた妹は。
祭り会場からそう遠くない林の中で。
“うそ…っうそよ…っねぇ!湊…っ!ねぇ…ッ起きて…っ起きてよぉ…っ湊…っやだよ…っねぇ…っ湊…っ”
変わり果てた姿で発見された。
「…両親にも“なんでちゃんと手を繋いでなかったんだ”って責められて…殴られて…」
“この家に居たら、湊を思い出して気が狂いそうになるからって言って出て行っちゃった”、と。
悲しそうに笑った。
「…そうだったんですね」
冬華さんの傍に立ち、手を握る。
「…浅葱先輩には話してないんですか?」
浅葱さんは知っているのだろうか。
この人の真実を。
「妹が強殺された話はしたけど、“そうか”の一言」
「……浅葱さんらしいですね」
貴女はクスクスと笑って。
「一華は私に関心がないからね。でもそれが居心地が良かったの」
深く詮索してこない、変に関わってこない、自分のしてることを否定しない。
この人にとって、もう一つの救いだったのかもしれない。
「浅葱さんから、貴女が刑事課を選んだ理由も聞きましたよ」
犯人に襲わせて“正当防衛”で犯人を殺す。
「…千速ちゃんは否定する?」
どこか不安気な冬華さんに、私は胸ポケットから一枚の写真を取り出して見せる。
「…これは…」
「警視庁の爆処にいた弟の研二です」
「弟さんなの…」
警視庁警備部機動隊、爆発物処理班に所属していた研二。
「七年前、爆弾解体中に殉職しました」
「…殉職…」
私は目を閉じて、小さく頷く。
「確かに私だって犯人が憎いです。もし可能ならボッコボコにして殺してやりたいですよ」
お前の仇を討てるなら。
私は犯罪に手を染めたって構わない。
でもな。
「…そう思っていたんですが、やめました」
「どうして?可能ならやるでしょ」
まだ物騒なことを言う貴女に笑いかけて、研二の写真に視線を戻して。
「弟が、それを望まないでしょうから」
あいつなら絶対。
“仇討ちなんてダセェことするくらいなら、俺の分まで生きて幸せになってくれよな”
そう言うに決まっているから。
「……っ」
冬華さんは視線を落とす。
「私は貴女が成そうとしていることを否定出来るほどの説得力は持ち合わせてないが、よく考えてみてください」
––– 貴女の妹は、どう思うのかを。
貴女の中で生きる大切な妹は。
大好きな姉に、犯人を見つけて殺してくれと望む妹なのか。
それとも。
大好きな姉だからこそ。
自分を責めずに自分の分も生きてほしいと、望んでくれる妹なのかを。
よく考えて。
「…自分で答えを導かないと前には進めない」
難しいことなのかもしれない。
それでも。
私たちは進まなければならないから。
死んだ者の思いと無念を晴らすために。
そう告げると、冬華さんは顔を上げて。
「…そうね。自分で答えを…導かないと…」
貴女は頬を伝う涙をそのままに。
とても綺麗で、儚い笑みを浮かべた。
「というかあなた、仕事中なんじゃないの?」
「え?」
貴女は私を指して。
「制服だし」
「……」
出勤してすぐに貴女に会いに来たのを忘れていた。
「……今から入れる保険はありますかね」
「誠心誠意、謝りましょう」
…報告書と始末書と副隊長のお叱りが確定した。
「……報告書と始末書を五枚ずつも…」
県警本部に戻った瞬間、呼び出された。
白バイを私情で私用した理由と、任務に当たらず謹慎中の人間に会いに行ったことへの罰らしい。
「…萩原」
「!浅葱さん」
交通課のオフィスに戻れば、浅葱先輩が巡回から戻ってきていた。
「……あいつの様子はどうだった?」
気になるんだろうな。
“……だったら知ってみろ”
私が、あの人の冷たさを垣間見たのかどうか。
誰に対しても冷たく、冷酷で。
止めなければ相手が死ぬまで殴り続けるような奴。
“知らないのに好きでいる自信があるんだろ?だったら自分の目で見て、自分で経験してこい”
この言葉は、私があの人の闇に足を踏み入れて逆鱗に触れる事を想像していたんだろう。
「…二日酔いでフラフラしてましたよ」
あなたも“本当の冬華”さんを知らない。
普段、県警で見るあの人は“明るく元気で喧しい人”
「…それだけか?」
浅葱さんは怪訝な表情で私を見る。
浅葱さんだけに見せていたのは“暴力的で冷たい人”
でも、私に見せてくれたのは。
“とても儚く、弱くて脆い冬華”さんの姿で。
「あとはワイシャツ姿だったし、ボタンなんて真ん中しか留めてなくて胸が見えてたし、パンツだし」
「……」
「正直理性がヤバかったですね」
それを浅葱さんや県警の奴らに話すつもりはない。
私だけの秘密であり、私だけが知っていればいい。
「……そうか」
詳しく聞きたいんだろうけど、プライドが邪魔をして聞くに聞けないといった感じか。
「でも」
ただ一つ、教えておくとしたら。
「あの人は大丈夫だと思いますよ」
あの人なら、悲しみを超えて。
前に進めるようになるだろうということ。
「……ふん」
浅葱さんは眉間に皺を寄せて、無言で去って行った。
きっと浅葱さんは。
あの人のことが好きだったんだろうな。
あの人を一番理解していたのは浅葱さんで、傍にいたのも浅葱さんだ。
それなのにポッと出の私に掻っ攫われて。
「……私がスーパー邪魔だろうな!」
私はクツリと笑って、デスクに付く。
「だがあの人だけは譲りませんよ、浅葱先輩」
この後だって会いに行こうと思ってるくらいだからな。
まぁその前に。
「……残業か」
報告書と始末書を5枚ずつ違う理由で書け、だものな。
…やっぱり今日は会いに行けそうにない。
––––––––––––––––––––––––
「……」
“あの人は大丈夫だと思いますよ”
だと?
萩原の奴。
あいつの何を知ったんだ。
あいつを理解しているのは私だけだというのに。
“二日酔いでフラフラしてましたよ”
“あとはワイシャツ姿だったし、ボタンなんて真ん中しか留めてなくて胸が見えてたし、パンツだし”
この辺はいつも通りなんだが。
「……お前は…何を見たんだ…萩原…」
あいつはもう大丈夫だと言えるくらいの何かがあった。
大丈夫という意味は何を指して言っている。
…あいつに連絡をしてみるか?
「……」
いや、だめだ。
私からあいつに連絡を入れたことがない。
全てあいつから連絡が来ていたから、それに返事をするだけだった。
それなのにいきなり連絡などしたら、“正気?”とか笑われるに違いない。
「……くそ」
苛立ちから壁を殴る。
ピロン
スマホが鳴った。
「!」
画面を確認すれば、あいつからで。
“千速ちゃん、どうなった?”
萩原を気にする文面だった。
他人に興味がなかったお前が萩原を気にするのか。
「……」
“報告書と始末書を持っていた”
とだけメッセージを送る。
“保険、入れなかったのねぇ”
と、笑っている絵文字付きで返信がきた。
…保険?
何の話をしていたんだ?
「……」
“萩原と何の話をした”
聞くのは癪だが仕方ない。
“一華も知ってる話よ”
私も知っている話。
…妹の話か。
そこを聞きたいわけじゃなく、“大丈夫だと思いますよ”に繋がった話を聞きたいんだが。
「…チッ」
腹立たしい。
ピロン
またあいつから。
“押し倒されたわ。あの子、力強いの”
押し倒した、だ?
「……あの馬鹿。こいつの妹が強殺された話をしたというのに」
同じ事をしたのか、あの馬鹿は。
けれど。
“大丈夫なのか、お前”
文字だから感情を汲み取りづらいが、何となく冷たさを感じなくて。
“あら、一華が心配?珍しー”
揶揄ってきた。
“誰が心配などするか”
心配など、するわけがないだろ。
どうせ萩原を殴ってでも……。
いや、あいつ殴られた様子はなかったな。
押し倒されたのに、殴らなかったのか?
まごう事なく暴力を振るわれたというのに。
“お前が殴らないのは珍しいと思っただけだ”
“そうかもね。まぁ大丈夫よ。あの子根性ないから”
一体何があったっていうんだよ。
私の知らないところで、どんなやり取りがあったんだ。
「…教えなければよかったな」
萩原にあいつの住所を教えなければ。
こんな苛立つこともなかったかもしれない。
“明日から勝手に復帰するわ”
“好きにしろ”
“ふふ、一華らしいわね。ありがと”
スマホをポケットに入れて。
“一華にも性欲あるんだ”
私がお前にキスをした時のことを思い出す。
妹の写真を愛おしそうに見ていたお前に。
何を思ったのか自分でもわからないが。
気が付けばキスをしていて。
“…ボコボコにしないのか?”
平手打ちをされた。
“そんな気分じゃないからしない”
お前は立ち上がって。
“じゃあね、一華”
冷たい目で私を見て、お前は居なくなった。
しかし。
“おはよーん”
翌日、お前は何事なく私に近付いて。
“……おはよう”
“今日は帰りにパフェ食べて帰ろー”
“…あぁ、わかった”
何事もなかったかのように振る舞ってきた。
私はボコボコにはされなかったが、殴られた。
「…くそ…っ」
もう一度壁を殴る。
萩原 千速。
お前が現れてから最悪だ。
白バイの競技大会で毎年優勝をしていたのに、お前が現れてから準優勝に堕ちた。
私に媚を売ってきた奴らは、私が準優勝に堕ちたと同時に陰口を叩くようになった。
バイクの速さだけは誰にも負けたくなかった。
プライドと誇りを持って磨き上げてきたものなのに。
お前が現れてから…。
それなのに。
あいつまで奪うつもりなのか?
あいつを一番知っているのは私なのに。
一番の理解者は私なのに。
バイクの速さだけではなく、あいつの中の一番まで私から奪うというのか。
「……なんて、な」
私は何を言っているのやら。
あいつが誰を好きになろうが私の知ったことじゃないだろ。
面倒くさい感情を抱くな、私。
スマホを出して、自分が発信したメッセージを見る。
「…“大丈夫か”、か」
…初めて言ったな、そんな言葉。
学生時代でも、あいつを気遣うような言葉はかけてこなかった。
萩原は私が持っていないものを持っている。
私が欲しいと思ったものを。
それが苛立たしくて。
––––– 羨ましくて。
無いもの強請りをしてしまう自分に笑ってしまう。
「…浅葱さん」
「!………なんだお前か」
萩原はそんな私を見ていたようで、神妙な面持ちをしていた。
……ムカつく。
そんな目で見るな。
ムカつくから私は笑って。
「萩原。私は学生の時にあいつとキスをしたことがあるんだが、お前はしたことあるのか?」
そう言ってやった。
「……はぁ?」
萩原はピキッとコメカミに青筋を浮かばせた。
「なんだ、ないのか。寂しい学生時代だったんだな」
ムカつくから揶揄ってやった。
「っ浅葱先輩!それセクハラですよ!」
「お前こそ、さっきあいつを押し倒したんだろ?」
「な、なんでそれを…っ」
“お前しか知らないあいつ”が居たとしても。
「言っただろ?“私しか知らないあいつ”も居るんだよ」
それが本当のあいつかどうかはわからない。
でも。
それでもあいつであることには変わりはないから。
「…く…っ」
「報告書と始末書、今日中に終わるといいな」
私は片手を上げて、歩き出す。
お前さえ居なければと思ったが、居るんだから仕方ない。
「手伝ってくださいよ!!浅葱先輩!!」
だったら、居るなら居るなりに。
「やなこった。自分のケツは自分で拭け」
適当に相手をしてやるよ。
面倒の極みだがな。
END
「おはようございます」
「!…あぁ、おはよう」
翌日。
私が丁度 朝の巡回へ行く時、萩原が出勤してきた。
「浅葱さん」
萩原は真っ直ぐ私を見てきて。
「…なんだ。私はこれから巡回へ行くから手短に頼む」
どうせまたあいつのことだろうと、萩原へ向き直る。
「昨日の話の続きですが、私は“本当のあの人”を見たことがないので何とも言えませんが」
萩原は、どこか優しげな表情をして。
「でも“本当のあの人”を見たとしても、私はきっとあの人が好きだと思います」
そう言った。
「……」
“本当のあいつ”を知らないお前が、なぜあいつを好きなままで居られると思う?
……腹立たしい。
「……だったら知ってみろ」
「え?」
私は紙とペンを手に取り、走り書きであいつの家の住所を書く。
「あいつの家の住所だ。行ってみろ」
そして知れ。
あいつの冷たさを。
「…で、ですが…」
「知らないのに好きでいる自信があるんだろ?だったら自分の目で見て、自分で経験してこい」
知らなければよかったと。
“明るく元気な冬華”だけを見ていればよかった。
後悔すればいいさ。
萩原は紙を握り締めて、小さく頭を下げて去って行った。
「……あいつ…」
仕事をサボって今から行く気じゃないだろうな…?
––––––––––––––––––––––––––
「……ここだ」
浅葱先輩が教えてくれた住所を訪ねた私。
そこは高そうなマンションで、階数は三階。
“こいつはお前が思ってるほど明るく元気な女じゃないぞ”
私は普段のあの人しか知らないから。
浅葱さんの言う“本当の○○さん”を知らない。
学生時代一目惚れをした時も、たまたま視界に入って。
“……可愛い”
“あ?千速、なんか言ったか?”
“姉ちゃんどうしたよ”
嬉しそうにアイスを食べてる表情と、隣の奴と話してる時の笑顔に一目惚れした。
それから結構探したんだが結局見つけられず、大人になって。
“…浅葱先輩、あの人…”
“ああ、冬華か。あいつがどうかしたか?”
神奈川県警本部へと配属された時に、再び見つけた。
“冬華”
“一華じゃーん。刑事課に来るの珍しいわね”
“こいつが、お前を紹介しろと煩くてな”
“んー?え、誰?この子、めちゃ美人ちゃん!”
“…萩原 千速です。神奈川県警 交通課に配属されました”
浅葱先輩の同期と知って、紹介してもらった。
“あらー!千速ちゃんって言うの!よろしくね!”
そう言って、あの時と同じ笑顔をくれたのに。
「…あれは“偽りの笑顔”だというんですか…冬華さん…」
紙を握り締め、あの人のマンションを見上げる。
“お前が好いているのが普段の冬華なら、これ以上踏み込むな”
浅葱さんにそう警告をされた時。
悔しかった。
あの人の本性を知るのは浅葱さんだけで。
“……浅葱さんの前では、違うんですか?”
“…あぁ、私の前でだけは“本当のこいつ”だよ”
浅葱さんの前だけ。
貴女は本当の自分になる。
浅葱さんにだけ心を許している事実に。
どうしようもないくらい苛立って。
“でも“本当のあの人”を見たとしても、私はきっとあの人が好きだと思います”
強がってしまった。
浅葱さんが言う“本当の冬華”さんを知るのは怖い。
もしかしたら、私の言葉が嘘になってしまうかもしれない。
それでも、浅葱先輩の話だけで判断はしたくないし諦めたくはないから。
「…よし…行ってみるか」
深呼吸をして。
開いたエレベーターに乗り、間も無く三階で止まった。
「……」
あの人の部屋の前。
私は片手に持っている買い物袋を見る。
昨日は酔い潰れたし、絶対に二日酔いになってるはずだ。
もう一度深呼吸をして。
ピンポン
インターホンを押した。
「……」
シン、と。
反応はない。
「…いない、のか…?」
ピンポン
もう一回押してみる。
シン、と。
やはり反応はない。
「…謹慎中なのに出掛けてるのかあの人は…」
二日酔いじゃないのか、と思っていたら。
『……あ゙いあい…今出ますよ…』
酒焼けをしてるんじゃないかというくらい掠れた声が聞こえてきて。
「…うぃ……って…」
カチャ…とドアがゆっくりと開いて出てきたのは…。
「……ッ!?」
「…あらま、千速ちゃん?…どしたの?何か用…?」
白いヨレヨレのワイシャツ姿の冬華さんだった。
真っ青な顔で、如何にも二日酔いですといった様子だ…。
しかもそのワイシャツも真ん中の二箇所しか留まっていないから。
「…っ冬華さん!なんて格好をしてるんだ貴女は!!」
角度的に見てしまう。
「…えー…だって謹慎中だし…寝てたし…頭痛いし…助けて千速ちゃあん…っ」
と、抱きついてきた。
理性よ、働け。
無職になるな、働き続けろ。
「…っ二日酔いだろうと思って、色々買ってきましたよ」
冬華さんに買い物袋を見せると、真っ青な顔色ながらに。
「やー!ありがと!助がぁ……ああ…頭に響く…っ」
喜びを見せたのも束の間、頭痛に襲われて蹲った。
「これ渡しときますので、中に戻ってください」
そんな格好の貴女を誰にも見られたくないから、買い物袋を渡して中に押し込む。
「ゔぅ゙…上がってかない…?何もないけど、水くらいなら出すわよ…?」
い、いいのか、入っても…。
「…お、お邪魔します」
「はーい」
二日酔いでフラフラしてるが、今のところ“いつも通りの冬華”さんだ。
「ん?」
不意に、一室の戸が僅かに開いていることに気付いた。
その部屋の前を通る時。
冬華さんは、パタン…と静かに戸を閉めた。
何の変哲もない行動に、何故か違和感を持ってしまった。
“誰の部屋だ?”と。
その部屋のドアを横目で見つめ、冬華さんの背中を追った。
「……」
「何もなくてごめんねー?ベッドの上とか適当に座っててー」
リビングと思われる部屋の中心に、白い大きなベッドが一つあった。
他の家具はない。
ソファーも、テレビも、テーブルも。
キッチンのほうを見ても食器棚すらなくて。
寝に帰ってるだけ、というのが見て取れて。
生活感を一切感じなかった。
「……」
そっとベッドに座ると、僅かに沈む。
「いただきまーす」
パキュッと、小瓶の蓋が開く音が聞こえて。
私が持ってきた二日酔いに効くドリンクを飲んで。
「あ゙〜…効くぅ〜」
「そんな即効性はないですよ」
「あるかもしれないじゃん!」
冬華さんのおっさん臭さに笑ってしまった。
「昨日飲み過ぎてなーんにも覚えてないんだけど、私なんかやらかしてなかった?」
カランと音を立てて、氷で冷えた水をくれた。
「…ありがとうございます」
トレーに乗せてとかじゃなく、手渡しで。
「めちゃくちゃ文句言ってましたよ」
「文句の一つも言いたくなるわよ。だって謹慎よ?私悪くないのに」
「一つどころじゃなかったです…」
「…二つか三つ?」
「もっとあったかもしれません」
冬華さんはクスクスと笑って。
「でも久しぶりに飲んで楽しかったー」
そう言った。
「“なーんにも覚えてない”」
「く…っ痛いところを突いてくるわね…」
こんなコロコロと表情が変わる人が。
本当に浅葱さんの言う“暴力的な一面”があるのだろうか。
しかし、刑事課の連中も“やりすぎだ”とか浅葱先輩も“どうせボコボコにしたんだろ”とも言っていたから。
…こんな華奢な体のどこにそんな力が…。
「というか、よくうちがわかったわね?一華に聞いたの?」
私の隣に座り、グラスに口を付けて。
「……」
水を飲むその仕草でさえ。
「千速ちゃん?」
好きだと思ってしまう。
コクリと息を呑む。
水を飲んだことで濡れた桜色の小さな唇と。
ワイシャツから覗く首筋。
私の角度から見えてしまう胸の先。
視線を逸らしても白く綺麗な太腿が目に入ってしまって。
しかも二人きりという、この状況に。
「……千速ちゃん」
「………ッ!」
気がつけば。
「あー…」
「あ…いや…これ…は…」
私は貴女を押し倒していた。
やってしまった…。
…理性が無職すぎて泣ける。
貴女からの抵抗はない。
シン、と静まり返る室内。
「……(この人…もしかして…)」
交差する視線の中に、一つ思ったのは。
この人は。
本当は、優しい人だったんではないだろうかということ。
何がこの人を変えたのか。
何がこの人の暴力性を駆り立てているのか。
「…冬華さ「こんな気持ちだったのかなぁ」
そのことを聞こうと思えば、貴女は私の呟く言葉を遮って。
「強殺された私の妹も、こんな気持ちだったのかしらね」
私を軽蔑するかの如く。
「どう思う?千速ちゃん」
とても冷たい瞳で私を見据えた。
ああ、そうか。
やっと貴女がわかった気がする。
軽蔑と嫌悪が入り混じる貴女の瞳の奥に、今度は確かに見えた。
「……確かに、妹さんは怖かったと思います」
怖い。
助けて。
痛い。
この人の妹は、想像を絶するほどの恐怖を味わっただろう。
「……でも冬華さん」
そしてこの人も。
変わり果てた妹の姿を見て、絶望した。
けれど。
犯人への憎しみ以上に。
「…貴女は悪くないですよ」
妹を救えなかった自分への憎悪で。
おかしくなってしまったんだ。
「…ッ!!」
冬華さんは目を大きく見開いた。
「貴女は悪くないです」
もう一度口にすれば。
「な…にを…ッ」
私が押さえている手に力が入ったが、体躯の差と体勢から押し返せない。
変わった。
「…ッあんたに何がわかるのよ!!」
一瞬の冷たさから。
弱さを見せ始めた。
冬華さんの瞳に涙が浮かぶ。
「“貴女は悪くない”!?何も知らないくせに偉そうに!!」
私には貴女の悲しみを癒すことは出来ない。
「どうせあんたも思ってるんでしょ!?“どうしてあの時あの子の手を離したの!?”って!私が一瞬だけ手を離したから…ッ!離れちゃったから…っ…っあの子は…ッ」
貴女の苦しみを、わかってあげることは出来ないけれど。
「…あの子は…っ絶対に…“どうして助けにきてくれないの”って…“お姉ちゃん助けて”って…っ思って…っ」
貴女の傍に居て。
「……それでも貴女は何も悪くない。悪いのは、貴女の妹を殺した犯人だけです…」
貴女を抱き締めて、寄り添うことは出来るから。
止め処なく溢れ続ける貴女の涙に、胸が張り裂けそうになりながらも。
私は強く、冬華さんを抱き締め続けた。
この人は、自分の成そうとしていることを止めてほしかったんじゃない。
“お前は悪くないよ”って。
誰でもいいから言って欲しかっただけなんだ。
犯罪者だろうと誰だろうと、暴力は絶対にダメだ。
だが、殴られてから殴り返す理由もそれ。
“お前は悪くない”を聞きたかったから。
その言葉を聞くには、その手段しか知らなかったからだ。
だからあの時。
“……っそれは星が悪すぎだろ重悟!”
そう言った私を、驚くように見てたんだろう。
……もう一度言うが、大前提として暴力は絶対にダメだがな。
「落ち着きましたか?」
「……ぅん」
しばらくして、貴女は落ち着きを取り戻した。
私は貴女の上から退いて。
「…とりあえずボタン留めます」
…さっきから見えるから、ワイシャツのボタンを留めさせてもらった。
これでもう理性は大丈夫…。
太腿が目に入るが…まだ…“アレ”よりはましだ。
「…襲われるかと思ったんだけど」
「正直ヤバかったです」
貴女は苦笑を零して。
「寝る時はいつもこうなの。今度から気をつけるわね」
そう言った。
冷たかった声色が、今は暖かさを帯びて。
「本当に気を付けてくださいね」
「はい、気を付けます」
柔らかくなった。
これが、本来の貴女なのだろう。
「千速ちゃん、意外と力強いのねぇ」
全然押し返せなかった、と。
「体躯の差と体勢でしょうね。気を付けてください」
「ふふ、気を付けますよ」
強気な貴女は消えて、弱々しい貴女になった。
貴女は立ち上がり、私へと手招きをした。
付いて行くと、そこは来た時に冬華さんが閉めた部屋で。
中には小学生が使ってそうな、可愛らしいキャラクターの布団がかけられたベッドと。
小学生が使ってそうな机。
そこには一つの新聞の記事があって。
「……これは…妹さんの…」
貴女は頷いて、部屋に入る。
ここは、冬華さんの妹が使っていた部屋だった。
冬華さんは机に歩み寄り、撫でるように机に触れて。
「…妹はね」
語り出したのは。
「…夏祭りの時に、一緒に出掛けて…」
貴女たち姉妹に、悲劇が降り注いだ夏の夜の話。
「人混みが凄くて…でも手を離さないようにしっかり繋いでいたの…」
“すごい人だねぇお姉ちゃん”
“みんなお祭り大好きだからねー”
“あ!わたし焼きそば食べたい!”
“いいわよー!たこ焼きも買っちゃおっか!”
有り触れた日常の中で、細やかな幸せを噛み締めながら。
たった一人の妹と祭りを満喫していただけなのに。
“わ!”
“湊!”
人混みに押され、手が離れてしまって。
“湊ー!どこー!”
人混みを掻き分けて探して。
“お姉ちゃーん!こっちー!”
という妹の声を最期に。
“湊…ッッ!!!”
ようやく見つけた妹は。
祭り会場からそう遠くない林の中で。
“うそ…っうそよ…っねぇ!湊…っ!ねぇ…ッ起きて…っ起きてよぉ…っ湊…っやだよ…っねぇ…っ湊…っ”
変わり果てた姿で発見された。
「…両親にも“なんでちゃんと手を繋いでなかったんだ”って責められて…殴られて…」
“この家に居たら、湊を思い出して気が狂いそうになるからって言って出て行っちゃった”、と。
悲しそうに笑った。
「…そうだったんですね」
冬華さんの傍に立ち、手を握る。
「…浅葱先輩には話してないんですか?」
浅葱さんは知っているのだろうか。
この人の真実を。
「妹が強殺された話はしたけど、“そうか”の一言」
「……浅葱さんらしいですね」
貴女はクスクスと笑って。
「一華は私に関心がないからね。でもそれが居心地が良かったの」
深く詮索してこない、変に関わってこない、自分のしてることを否定しない。
この人にとって、もう一つの救いだったのかもしれない。
「浅葱さんから、貴女が刑事課を選んだ理由も聞きましたよ」
犯人に襲わせて“正当防衛”で犯人を殺す。
「…千速ちゃんは否定する?」
どこか不安気な冬華さんに、私は胸ポケットから一枚の写真を取り出して見せる。
「…これは…」
「警視庁の爆処にいた弟の研二です」
「弟さんなの…」
警視庁警備部機動隊、爆発物処理班に所属していた研二。
「七年前、爆弾解体中に殉職しました」
「…殉職…」
私は目を閉じて、小さく頷く。
「確かに私だって犯人が憎いです。もし可能ならボッコボコにして殺してやりたいですよ」
お前の仇を討てるなら。
私は犯罪に手を染めたって構わない。
でもな。
「…そう思っていたんですが、やめました」
「どうして?可能ならやるでしょ」
まだ物騒なことを言う貴女に笑いかけて、研二の写真に視線を戻して。
「弟が、それを望まないでしょうから」
あいつなら絶対。
“仇討ちなんてダセェことするくらいなら、俺の分まで生きて幸せになってくれよな”
そう言うに決まっているから。
「……っ」
冬華さんは視線を落とす。
「私は貴女が成そうとしていることを否定出来るほどの説得力は持ち合わせてないが、よく考えてみてください」
––– 貴女の妹は、どう思うのかを。
貴女の中で生きる大切な妹は。
大好きな姉に、犯人を見つけて殺してくれと望む妹なのか。
それとも。
大好きな姉だからこそ。
自分を責めずに自分の分も生きてほしいと、望んでくれる妹なのかを。
よく考えて。
「…自分で答えを導かないと前には進めない」
難しいことなのかもしれない。
それでも。
私たちは進まなければならないから。
死んだ者の思いと無念を晴らすために。
そう告げると、冬華さんは顔を上げて。
「…そうね。自分で答えを…導かないと…」
貴女は頬を伝う涙をそのままに。
とても綺麗で、儚い笑みを浮かべた。
「というかあなた、仕事中なんじゃないの?」
「え?」
貴女は私を指して。
「制服だし」
「……」
出勤してすぐに貴女に会いに来たのを忘れていた。
「……今から入れる保険はありますかね」
「誠心誠意、謝りましょう」
…報告書と始末書と副隊長のお叱りが確定した。
「……報告書と始末書を五枚ずつも…」
県警本部に戻った瞬間、呼び出された。
白バイを私情で私用した理由と、任務に当たらず謹慎中の人間に会いに行ったことへの罰らしい。
「…萩原」
「!浅葱さん」
交通課のオフィスに戻れば、浅葱先輩が巡回から戻ってきていた。
「……あいつの様子はどうだった?」
気になるんだろうな。
“……だったら知ってみろ”
私が、あの人の冷たさを垣間見たのかどうか。
誰に対しても冷たく、冷酷で。
止めなければ相手が死ぬまで殴り続けるような奴。
“知らないのに好きでいる自信があるんだろ?だったら自分の目で見て、自分で経験してこい”
この言葉は、私があの人の闇に足を踏み入れて逆鱗に触れる事を想像していたんだろう。
「…二日酔いでフラフラしてましたよ」
あなたも“本当の冬華”さんを知らない。
普段、県警で見るあの人は“明るく元気で喧しい人”
「…それだけか?」
浅葱さんは怪訝な表情で私を見る。
浅葱さんだけに見せていたのは“暴力的で冷たい人”
でも、私に見せてくれたのは。
“とても儚く、弱くて脆い冬華”さんの姿で。
「あとはワイシャツ姿だったし、ボタンなんて真ん中しか留めてなくて胸が見えてたし、パンツだし」
「……」
「正直理性がヤバかったですね」
それを浅葱さんや県警の奴らに話すつもりはない。
私だけの秘密であり、私だけが知っていればいい。
「……そうか」
詳しく聞きたいんだろうけど、プライドが邪魔をして聞くに聞けないといった感じか。
「でも」
ただ一つ、教えておくとしたら。
「あの人は大丈夫だと思いますよ」
あの人なら、悲しみを超えて。
前に進めるようになるだろうということ。
「……ふん」
浅葱さんは眉間に皺を寄せて、無言で去って行った。
きっと浅葱さんは。
あの人のことが好きだったんだろうな。
あの人を一番理解していたのは浅葱さんで、傍にいたのも浅葱さんだ。
それなのにポッと出の私に掻っ攫われて。
「……私がスーパー邪魔だろうな!」
私はクツリと笑って、デスクに付く。
「だがあの人だけは譲りませんよ、浅葱先輩」
この後だって会いに行こうと思ってるくらいだからな。
まぁその前に。
「……残業か」
報告書と始末書を5枚ずつ違う理由で書け、だものな。
…やっぱり今日は会いに行けそうにない。
––––––––––––––––––––––––
「……」
“あの人は大丈夫だと思いますよ”
だと?
萩原の奴。
あいつの何を知ったんだ。
あいつを理解しているのは私だけだというのに。
“二日酔いでフラフラしてましたよ”
“あとはワイシャツ姿だったし、ボタンなんて真ん中しか留めてなくて胸が見えてたし、パンツだし”
この辺はいつも通りなんだが。
「……お前は…何を見たんだ…萩原…」
あいつはもう大丈夫だと言えるくらいの何かがあった。
大丈夫という意味は何を指して言っている。
…あいつに連絡をしてみるか?
「……」
いや、だめだ。
私からあいつに連絡を入れたことがない。
全てあいつから連絡が来ていたから、それに返事をするだけだった。
それなのにいきなり連絡などしたら、“正気?”とか笑われるに違いない。
「……くそ」
苛立ちから壁を殴る。
ピロン
スマホが鳴った。
「!」
画面を確認すれば、あいつからで。
“千速ちゃん、どうなった?”
萩原を気にする文面だった。
他人に興味がなかったお前が萩原を気にするのか。
「……」
“報告書と始末書を持っていた”
とだけメッセージを送る。
“保険、入れなかったのねぇ”
と、笑っている絵文字付きで返信がきた。
…保険?
何の話をしていたんだ?
「……」
“萩原と何の話をした”
聞くのは癪だが仕方ない。
“一華も知ってる話よ”
私も知っている話。
…妹の話か。
そこを聞きたいわけじゃなく、“大丈夫だと思いますよ”に繋がった話を聞きたいんだが。
「…チッ」
腹立たしい。
ピロン
またあいつから。
“押し倒されたわ。あの子、力強いの”
押し倒した、だ?
「……あの馬鹿。こいつの妹が強殺された話をしたというのに」
同じ事をしたのか、あの馬鹿は。
けれど。
“大丈夫なのか、お前”
文字だから感情を汲み取りづらいが、何となく冷たさを感じなくて。
“あら、一華が心配?珍しー”
揶揄ってきた。
“誰が心配などするか”
心配など、するわけがないだろ。
どうせ萩原を殴ってでも……。
いや、あいつ殴られた様子はなかったな。
押し倒されたのに、殴らなかったのか?
まごう事なく暴力を振るわれたというのに。
“お前が殴らないのは珍しいと思っただけだ”
“そうかもね。まぁ大丈夫よ。あの子根性ないから”
一体何があったっていうんだよ。
私の知らないところで、どんなやり取りがあったんだ。
「…教えなければよかったな」
萩原にあいつの住所を教えなければ。
こんな苛立つこともなかったかもしれない。
“明日から勝手に復帰するわ”
“好きにしろ”
“ふふ、一華らしいわね。ありがと”
スマホをポケットに入れて。
“一華にも性欲あるんだ”
私がお前にキスをした時のことを思い出す。
妹の写真を愛おしそうに見ていたお前に。
何を思ったのか自分でもわからないが。
気が付けばキスをしていて。
“…ボコボコにしないのか?”
平手打ちをされた。
“そんな気分じゃないからしない”
お前は立ち上がって。
“じゃあね、一華”
冷たい目で私を見て、お前は居なくなった。
しかし。
“おはよーん”
翌日、お前は何事なく私に近付いて。
“……おはよう”
“今日は帰りにパフェ食べて帰ろー”
“…あぁ、わかった”
何事もなかったかのように振る舞ってきた。
私はボコボコにはされなかったが、殴られた。
「…くそ…っ」
もう一度壁を殴る。
萩原 千速。
お前が現れてから最悪だ。
白バイの競技大会で毎年優勝をしていたのに、お前が現れてから準優勝に堕ちた。
私に媚を売ってきた奴らは、私が準優勝に堕ちたと同時に陰口を叩くようになった。
バイクの速さだけは誰にも負けたくなかった。
プライドと誇りを持って磨き上げてきたものなのに。
お前が現れてから…。
それなのに。
あいつまで奪うつもりなのか?
あいつを一番知っているのは私なのに。
一番の理解者は私なのに。
バイクの速さだけではなく、あいつの中の一番まで私から奪うというのか。
「……なんて、な」
私は何を言っているのやら。
あいつが誰を好きになろうが私の知ったことじゃないだろ。
面倒くさい感情を抱くな、私。
スマホを出して、自分が発信したメッセージを見る。
「…“大丈夫か”、か」
…初めて言ったな、そんな言葉。
学生時代でも、あいつを気遣うような言葉はかけてこなかった。
萩原は私が持っていないものを持っている。
私が欲しいと思ったものを。
それが苛立たしくて。
––––– 羨ましくて。
無いもの強請りをしてしまう自分に笑ってしまう。
「…浅葱さん」
「!………なんだお前か」
萩原はそんな私を見ていたようで、神妙な面持ちをしていた。
……ムカつく。
そんな目で見るな。
ムカつくから私は笑って。
「萩原。私は学生の時にあいつとキスをしたことがあるんだが、お前はしたことあるのか?」
そう言ってやった。
「……はぁ?」
萩原はピキッとコメカミに青筋を浮かばせた。
「なんだ、ないのか。寂しい学生時代だったんだな」
ムカつくから揶揄ってやった。
「っ浅葱先輩!それセクハラですよ!」
「お前こそ、さっきあいつを押し倒したんだろ?」
「な、なんでそれを…っ」
“お前しか知らないあいつ”が居たとしても。
「言っただろ?“私しか知らないあいつ”も居るんだよ」
それが本当のあいつかどうかはわからない。
でも。
それでもあいつであることには変わりはないから。
「…く…っ」
「報告書と始末書、今日中に終わるといいな」
私は片手を上げて、歩き出す。
お前さえ居なければと思ったが、居るんだから仕方ない。
「手伝ってくださいよ!!浅葱先輩!!」
だったら、居るなら居るなりに。
「やなこった。自分のケツは自分で拭け」
適当に相手をしてやるよ。
面倒の極みだがな。
END