pixiv作品 名探偵コナン
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【……いつの間に罠なんか仕掛けてたのかしら…】
今から二十年以上前。
相模国(さがみのくに)の、とある山の中で。
あ、相模国のというのは、今で言う神奈川県のことね。
明治時代ではまだ神奈川県ではなく、相模国って呼ばれていたの。
で、その相模国のとある山の中で。
食べ物を探しに出たら罠にかかっちゃった。
この山は私の庇護下だから、普段は踏み込まれた瞬間わかるんだけど。
その時はわからなかったのね。
いつの間にか人間が入山してて、いつの間にか罠を仕掛けられちゃってて。
【…衰えたものね…私も…】
罠に気付かないなんて、随分弱くなったものだとため息を零した。
そう、私はこの山の神。
明治時代よりさらに昔から存在する古い神。
神格化した理由はもう覚えてないけど、とにかく神様なのよ。
昔はよく、人々が参拝しに来てくれた。
食べ物をお供えしてくれたり、花を添えてくれたり。
神を信じ、信仰してくれる人間の願いは叶えてやった。
そうしてまた参拝に来て、食べ物をお供えして、を繰り返して。
神と人が、とても近い存在にあった。
けれど、時が経つにつれて。
土地は開拓され、動物たちが次々と追い立てられ、死に至った。
遠くから下界を見下ろし、いつも考えていた。
この山にも人の手が伸びるのも時間の問題だと。
登山目的で入山する人間は、ゴミを捨て山を汚した。
山の恵みを求めて人間が入山し、動物たちにその人間を襲わないよう説得して回った。
その間にも私のお社は朽ちていき、参拝ではなく霊的現象を求めて訪れる人間も現れて。
【挙動不審もいいとこね】
ちょっと驚かせてやろうと思って、オバケに化けて人間の前に出ると、悲鳴を上げて逃げて行った。
最初は面白かったけど、それが噂になって入山する人間が増えて。
【白狐様、もう止してください…】
【山が汚れちまいます…】
【…ごめん止める…】
結果、ゴミが増えて、動物たちに注意された…。
それからまた月日が流れ、ついにこの山も切り崩されそうになって。
けど、まだ信仰してくれていた麓の村の人間たちが身を挺して止めてくれた。
けれど、やっぱり時代の流れというか。
たった数年で村からは一人、また一人と人間が居なくなって。
信仰してくれる人間たちがどんどん居なくなっちゃって。
信仰が薄くなり、徐々に力も失って。
なんとか力を保てていたのは、お社がまだあったからで。
お社まで朽ちて崩れてしまえば。
【白狐様…】
【…大丈夫よ…大丈夫…】
信仰が終わり、私は消えてしまう。
動物たちは私が消えることを恐れ、心配してくれた。
しかし。
今の私にはもう、山を守れるだけの力はなくて。
だからこの罠を外して逃げるという気力もなかった。
私はもう十分生きたし、十分願いを叶えてきた。
たくさん遊んで、たくさんの時代を越えてきた。
今は願いを叶えてやれるだけの力はなく、物を少し動かせる程度の力しかないただの化け狐に過ぎないから。
このまま消えても構わないと。
そう思っていた矢先だった。
『え!?キツネ!?けんじ!!キツネいた!ワナにかかってる!』
あの子、千速に出会ったのは。
『おいけんじ!このワナとるぞ!』
『え…でも…かってにとっていいのかな…』
誰かが仕掛けた罠だから、勝手に触っていいのかわからずオロオロしていた男の子。
『いいにきまってるだろ!カミサマがいる山にじーちゃんがこんなワナしかけるはずねーし!』
カミサマ?
じーちゃん?
まさか、この子たち。
あの家のお孫さん?
ただ一軒だけ、私を信仰してくれている家の。
頭を上げて、子供たちを見る。
女の子は、明るい茶色の髪をしていて。
頬っぺたに絆創膏が貼ってあるからヤンチャな子なのかも。
『わ…!う、うごいた…!まだ生きてるよねーちゃん!』
『息してんだから生きてるだろ!』
男の子は黒髪で、オロオロしててどこか大人しそう。
古い罠だから、錆びついていて子供の力ではとても開けない。
『ぃ…い゙ぃいい…ッけんじ…っもっと力いれろ…っ』
『ぅうぅいいい…っむ、むりだよ…っねーちゃん…!』
それでも頑張って開こうとしてくれて。
このままじゃ、もしかしたら罠が壊れてこの子たちが怪我をしてしまうかもしれないから。
『ガァアッガウ…ッ』
唸り声を上げて、噛み付く素振りを見せて。
『ぅわ…っ』
『…!』
子供たちを私から離れさせた。
狐に噛まれたら菌が移る、と最近では言われてるし。
これで無理には近づいて来ないでしょ。
『うるせぇ!とってやろうとしてんだからだまってろ!』
…怒られた。
神様、幼子に怒鳴られた…。
『っでもなんかどうぐないとむりか…』
『…っあぶないよねーちゃん…!』
男の子は怖くて近寄れなくなったけど。
『…っどうぐもってくるからまってろ!いいな!にげるんじゃないぞ!』
…逃げれたら万々歳じゃないの?
これだから子供は摩訶不思議だと思っていたら。
『はらへってるだろ?なんか食べものもないしょでもってくるからな!』
女の子は私に手を伸ばして、頭を撫でてくれた。
数年ぶりに。
いえ、数十年、数百年と月日が流れた中で。
本当に久しぶりに人に触れられた。
小さな手。
でも暖かい手。
『じゃあ一回かえるぞけんじ!』
『ねーちゃんおいてかないでよぉ…!』
子供たちは走って帰って行った。
こんな罠、人に化ければ。
いえ、化けなくても外せるんだけど。
【……食べもの…何かしら…】
もう一度、人の子と遊べるかもしれないという期待を胸に。
私は人の子を待った。
【…来ないんですが…】
暗くなり、まだ夏になりきっていない時期だから夜は少し冷える。
と言っても、私は自前の毛皮を纏っているから寒くはない。
待てども待てども戻って来ないあの子たち。
いえ、齢8つやそこらの子を信じた私が悪いわね。
子供は気紛れなのは昔から変わらない。
ただもう一度、遊べるかもしれないという期待があったからガッカリはしたけどね。
私は体を起こし、罠に噛み付く。
罠から抜け出す気力をもらっただけ良しとしようと思って。
罠を開こうとした時。
『…っぃ…いた…っいたぁ…っ』
女の子の声が聞こえてきた。
え、嘘。
来たの?
こんな時間に?
『…っま、まいごになっちまって…っなかなかこれなくて…っ』
しかも一人。
嘘でしょ?
女の子は泣きながら、なんか細長い小さな武器みたいなのを持って。
もう片手にはパンの袋を持って。
『…っいまはずしてやるからな…!』
ぐし…っと涙を拭いながら、小さな武器みたいなやつで罠をこじ開けようと頑張ってるけど。
『ぃいぅいいい゙…ッ』
やっぱり開かないのよねぇ…。
あなたのじーちゃん呼んできたほうがよかったのよねぇ…。
必死に、必死に開けようとして。
私を助けようとしてくれて。
なんだか嬉しくて。
『……っぅ゙…っい…ま…っの…うち…に…っ』
僅かに残る【神通力】で、あたかもこの子の力で開いたかのように。
『っよ…っし…っ!よーし…!』
罠から抜け出した。
女の子はニッと笑ったから、ありがとうという意味を込めて女の子の頬を舐める。
『はは…!こら…!くすぐったいだろ…!』
涙に濡れていたせいか、僅かに塩っぱかった。
でも、私を罠から解放したはいいけど。
『…はは…は…』
この子、どうやって帰るつもりなのかしら。
ここに来るまでに随分迷ったみたいだし、真っ暗な山道を子供一人でなんて帰れるわけがない。
ガサッ
『……ッ』
風で草木が擦れる音に、肩を震わせて。
『…じーちゃん…ばーちゃん…けんじぃ…っ』
女の子は怖さでポロポロと泣き出した。
気付いてほしいけど、子供だから気付かない。
私たちの周りだけ、何故明るいのかを。
行灯の明るさでもなく。
火を起こしているわけでもない、不思議な明るさに。
『ぅ…っう…う…っうま…っぃ…か…っ?』
泣きながら、パンの袋を開けて私に食べさせてくれて。
泣きながら美味しいかを聞いてくる。
何この子、可愛すぎる。
…もしかしたら怖がらせてしまうかもしれないけれど。
【泣かないで、人の子。お家まで連れて行ってあげるから】
たとえ怖がれても。
この子をあの家に送り届けよう。
きっと心配して探しているだろう家族の下に。
『……』
女の子はきょとんと私を見る。
追われないように、汚れたままでいた毛を浄化するように。
【神通力】で、白く輝く白銀の体毛を蘇らせて。
【さぁ乗って。帰りましょう、あなたのお家に】
女の子の前で屈めば。
『っはなせるならさいしょからはなせ!』
また怒られた…。
怖がるどころか、神様に怒ってきた…。
でも怒りながらも、私に跨ってきて。
【誰にも言っちゃダメよ?私とあなたの秘密だからね】
ギュッとしがみついて。
『…ぅん…』
グリグリと私の背中に顔を押し付けてきた。
【人の子、名前は?】
『…ちはや…』
【そう、ちはや。字は書けるの?】
『…こうやって…かく…』
【そう、凄いじゃない】
なんて書いたかはわからないけれど、きっと漢字を使って書いただろうから褒めてあげると。
『…へへ』
少しだけ嬉しそうな声が聞こえた。
それから。
お家に着くまでに、少しだけお話をした。
両親と弟の四人で祖父母の家に遊びにきたと。
山には神様がいるという言い伝えは祖父から聞いたと。
だから神様を探しに山に入ったら、私を見つけたと。
白い狐は初めて見たと。
お話をしていくうちに、“ちはや”は恐怖心もなくなったのか泣き止んで。
そんな“ちはや”に、小さく笑いかけた時に。
人にはまだ聞こえないだろう遠くから、“ちはや”を呼ぶ声が私の耳に届いた。
『千速ー!!どこだー!!』
また【神通力】を使い、その声を“ちはや”に届ける。
『!おとーさんだ!おとーさーん!!』
“ちはや”の耳に届き、私から降りて走って行く。
でもまだ姿は見えない。
【…スゥ………フゥ……】
私は軽く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
白く、甘い香りが“ちはや”に取り巻いて。
その香りを。
“ちはや”と、“ちはや”の家族へと結びつけて。
甘い香りで、お互いを導いた。
『っ千速!!っお前一人でどこ行って…っ!!』
『もうっ!バカなんだからっ!!』
間も無く、“ちはや”は家族と再会した。
『ごめ…っごめんなさ…っ』
『ねーちゃん…!おれしんぱいしたんだよ…っ』
“けんじ”も“ちはや”に抱き着いて、家族みんなで泣いている中で。
【…!】
“ちはや”の祖父と祖母が山を、私を見つめて両手を合わせていた。
“ちはや”の祖父母だけが唯一私を忘れず、信仰してくれる人間で。
二人は足や腰を悪くしたせいで、山へ入ることが出来なくなり、お社の掃除にも来れなくなってしまっていた。
だから感謝は言葉ではなく、お社の掃除に来て欲しいけれど。
もう無理は出来ないわよね。
私は父親に抱っこされている“ちはや”を見つめて。
【…ありがとね、人の子…】
小さく呟いて、山の奥へと戻った。
その翌日。
“ちはや”は、両親と“けんじ”と一緒に山へ入ってきて。
私のお社の掃除をしてくれた。
賽銭箱にお金を投げ入れ、二回手を叩き鈴を鳴らす。
でも鈴は古くて鳴らなくなっていた。
そんな“ちはや”たちの様子を、離れた木の上から見ていた。
“ちはや”はキョロキョロと周りを見回して、落ち着きがない様子。
“ちはや”の祖父母の代から、“ちはや”の親の代に継がれた私への信仰。
もう少しだけ、生き存えられそうだけど。
【…永く生きすぎるのもねぇ…】
昔みたいに、人の子と遊べるならまだしも。
神と人がこんなにも遠くなってしまったなら、もう遊べない。
ただ崇め祀られるだけの。
居るか居ないかわからない神様なんて、人はすぐに忘れちゃうだろうし。
【…寂しい時代になったわよね、本当…】
ポツリと呟き、高い木の枝で体を伏せた。
『…!』
【!…】
“ちはや”と目が合った。
“ちはや”は私を見つけて、パァ…ッと顔を輝かせて。
【……っ!】
太陽のように、笑った。
その笑顔を見て。
私はあの子を、“ちはや”を。
生涯を懸けて護りたいと思った。
それから、下界では幼子たちが通う学び舎が“夏休み”というものになった。
“ちはや”…いえ、千速は祖父の家に遊びに来て、山に入って来た。
『まってよねーちゃん…っ』
『おそいぞ!けんじ!』
斜面を泥だらけになりながら登り、私のお社まで来て。
『カミサマ!きょうはアイスもってきたぞ!』
と、デロデロに溶けたアイスをお供えしてくれたり。
『か、かみさま…っクワガタがいる木はありますか…?』
弟の研二は、透明の箱を私に見せてきてクワガタ虫が欲しいと願ったから、大量に詰めてやったら悲鳴を上げたり。
『カミサマ!いるんだろ!でてこいよ!』
錆びて鳴らない鈴の綱を揺さぶりまくられたり。
【…ふ、ふふ…、面白い子】
いつの世も、摩訶不思議な動きをする幼子を観察するのは楽しいもので。
夏休みの間、毎日のように私のお社に来ては研二と遊んで。
私のお社で勉強をしたりしていた。
【…あら?】
そんなある日の昼下がり。
一人で遊んでいた千速が、なんか静かだなと思えば。
【…寝てる】
私のお社、襖の前で寝息を立てていた。
汗を掻きながら、スゥスゥと規則正しく。
寝ているなら、と思って千速へ近づく。
千速の隣に腰を落とし、寝顔を見つめる。
『ん…』
【…!】
寝返りを打つことで縁側から落ちそうになったのを尻尾で支え、そのまま抱え込むように私も横になる。
忘れられたくないなぁ。
崇め祀られなくてもいいから、この子の記憶に残りたいな。
ただの狐に成り下がってもいいから。
……いえ、ダメね。
ただの狐になっちゃったら、真っ白な私は絶対に毛皮剥がされちゃうわ…。
剥製にされるかもしれないと考えると、ただの狐にだけはなりたくないと思った。
『…かみ…さま…』
私の夢を見てるのかな。
また寝返りを打ち、ギュッと私に抱き着いた。
【…このまま隠してしまおうかしらね】
…それじゃあ恨まれ、憎まれ、祟り神になってしまうか。
『……ぅ…ん…』
千速が身動ぎ、ゆっくりと体を起こした。
また姿を隠そうか悩んだけど。
もう一度、人の子と遊びたいから。
【…おはよ、千速】
ペロッと千速の頬を舐めてやれば。
『……』
千速はパチパチと数回瞬きをして。
『っやっとでてきたな!もうはなさないからな!』
また、ギュッと抱き着いてきた。
【千速が約束を守って、私のことを内緒にしてくれていたから出てきちゃった】
『わたしはやくそくはやぶらないぞ!』
グリグリと私の体に顔を押し付ける。
【ふふ、ありがと】
私と再会出来たのが余程嬉しかったのか、千速はずっと笑顔で。
『こんどけんじとも会ってくれる?』
【あなたの願いなら喜んで】
千速の願いは全部叶えようと思った。
それからは、研二を連れてきたり、または陣平という幼馴染の男の子を連れてきたり。
あ、陣平を連れて来る前にちゃんと“つれてきてもいい?”と許可取りをしてくれる良い子なの。
【字、違うわよ、それ】
『ま、まちがっただけだし!』
『カミサマはべんきょうみてくれるし、頭いいよな!』
【まぁ当然?ですが?】
『でもカミサマ、電車とか知らねぇんだぜ!』
【っ昔はそんなのありませんでしたー!】
三人の人の子と、たくさん遊んで、たくさん勉強を見てあげた。
千速は勉強よりも遊び優先だったけど。
千速たちは毎日遊びに来てくれて、その都度お社の掃除もしてくれた。
お菓子とかも持って来るけど、ちゃんとゴミは持ち帰ってくれて。
『だれだよこんなところにゴミ捨てたやつ!』
『バチあたれ!』
『かみかくしにあえ!』
【面白い子たちねぇあなたたちは】
文句を言いながら落ちてるゴミも拾ってくれて。
また私の周りに、子供たちが集まってくれたことが嬉しかった。
『なぁ、カミサマってさ、なまえなんていうの?』
またある暑い日。
千速だけで私のところに来て、私に寄りかかりながら本を読んでいた。
昔みたいな文字だらけのものじゃなくて、なんか奇抜な絵が描いてある本。
そんな本を読みながら、私の名前を聞いてきた。
【名前はないのよ。野生の狐から神格化したから】
『え!?なまえないのか!?』
ガバッと起き上がり、小さな両手で私の顔を挟んだ。
『…わ…っぷ…っ』
ベロッと千速の顔を舐めて。
【ないの。まぁお稲荷様とか白狐様とか、そういう感じで呼ばれてはいたけどね】
千速の祖父母には、昔“お稲荷様”と呼ばれていた。
『でもそれ、なまえじゃないんだろ?』
【そうね。名前ではないわ。でも私に名前はいらないのよ】
それに、神に名を与えると、因果が結ぶ。
『なんでだよ!なまえってだいじだっておとーさん言ってた!』
名前は大事だけど。
【神様に名前を与えるというのは 『わたしはカミサマのことを冬華様ってよぶから!』
私の言葉を遮り、私に名付けてしまった。
【…ちょっと千速】
『だってなまえよびたいしさ!いいなまえだろ!?わたしのすきなマンガのキャラクターなんだよ!』
すごいカッコいいバイク乗ってるんだ!と笑顔で言ってるけれど。
これはまずいことになった。
周りを見る。
嫌な気配が集まってくる。
因果を結んでしまった。
これからこの子には、不可解なことが起きてしまう。
今で言う霊感を持ってしまったから。
どうする。
このまま一人で帰すわけにはいかない。
『冬華様?…やっぱりなまえやだった?』
千速は不安そうな表情を浮かべたから。
『…っわぁ…っ』
ベロッともう一度、千速の顔を舐めて。
【千速、ちょっと待っててね】
『?うん』
私は千速から離れ、お社の中へ入った。
中に祀られている一つの煙管を咥え、千速の下に戻って。
【これをあなたにあげる】
煙管を千速へと渡した。
『なにこれ』
神様の煙管をブンブンと武器みたいに振り回してる…。
【それはお守りみたいなやつかしら】
『おまもり?』
千速を取り巻くように座って。
【咥えてみて】
『ん』
【吸って】
『………ケハァ…ッハァ…ッ』
煙管を思いっきり吸い、咳き込んだ。
千速の口や耳、鼻からも白く甘い煙が出ていて。
『…あまい…っ』
その甘さが気に入ったのか、千速はまた煙管を吸って。
『…ッケハ…ッハ…ッ』
また咽せた。
ちなみに体には無害です!
【その甘い香りがあなたを守ってくれるわ】
私の力が込められた煙管。
白く甘い香りで千速を【良くないもの】から守り、遠避けるもの。
『やった!ありがとうカミサ……冬華様!』
私がまだ存在している限り効力を発揮する。
【ふふ、様はいらないわ。せっかく千速が名付けてくれたんだもの、冬華とそのまま呼んで】
もしかしたら、もうすぐに効力が切れてしまうかもしれないけれど。
『冬華!』
【なぁに?千速】
『へへ…!冬華ー!』
【千速ー!】
それでも私は、少しの間でもあなたを守りたいから。
夏が過ぎ、秋の足音が聞こえ始めた頃。
私は冬を越すために木の実やら魚やらを獲って食べていた。
夏が過ぎれば、千速が来る頻度は劇的に減って。
【…なんか寂しいわねぇ…】
あの賑やかな声が聞けない季節になることを恨んだ。
千速が煙管を吸う度に、私に甘い香りが届く。
ちゃんと結界を張っているようで安心した。
本当なら私が傍にいて、守ってあげたいけれど。
私への信仰の薄さと、お社の老朽化で。
今の私はこの山から離れられるほどの力はなかった。
自分のお社の屋根の上。
ミシミシと音を立てる足元の屋根に視線を落とす。
【…そろそろかな】
屋根から飛び降り、今度は正面から私のお社を見つめる。
今にも崩れてしまいそうなくらい朽ちている。
それはそうだろう。
このお社が建って千年以上経つ。
よくもまぁ保ったものだと思うほどの月日が流れている。
人々に忘れられて消えるのが先か、お社が崩れて消えるのが先か、どっちだろうと思っていたけど。
【お社が崩れて消える、が先だったわね】
こんな古いお社、建て替えてくれることはないだろうし。
せめて、千速にお別れを言ってから消えたいものだと思いながら。
いつ来るかわからない千速を、ずっと待っていた。
『冬華ー!!』
季節はまた変わり、雪の降る季節になった。
積雪により、お社の軋む音がさらに増して。
もしかしたら今年中には崩れちゃうかもしれないなと思っていたら、ずっと聴きたかった声が聞こえてきた。
【千速!】
『わぁ!冬華…!』
千速に駆け寄り、飛び付く。
千速と一緒に転がり、雪だらけになって。
『冬華は真っ白だから、ゆきみたいだな!』
笑いながら、私の体に付いた雪を払ってくれた。
【今なら隠れんぼ、無敵になれるわよ?】
『ぜったいに見つからないだろ!』
夏は白い毛が仇となってすぐに見つかっちゃうけど、今なら勝てる。
『あ!そうだ冬華!きょうはモチをもってきたんだ!』
【あら、私お餅好きよ】
千速は背中に背負っている鞄から紙の袋を取り出して。
『ほらこれ!』
カチカチになってるお餅をくれた。
『…あ…さっきまでやわらかかったのに…』
【ふふ、ありがと!】
さすが幼子。
焼いてから持ってきてくれたみたいだけど、ここに来るまでに冷えてカチカチになっちゃったのね。
『ごめん…冬華…』
【何言ってるのよ。千速のその気持ちが嬉しいし、ほら見て?私、実は牙がたくさんあるの】
ニッと笑うことで牙を見せる。
『ほんとだ!牙がたくさんある!』
【……ひ、ひはあ…ふひのははいへほひへあひへ…】
“ち、千速…口の中に手を入れないで…”
千速の手を噛まないようにお餅を受け取り、ポンと上に放ってパクリと食べる。
『うまい?』
【最高に】
また千速は太陽のように笑うから、寂しかった気持ちが嘘のように晴れた。
『きのうからふゆやすみなんだ。だからまだもうちょっと居れるんだ』
千速は鞄を背負い、お社のほうへと歩いて行くから。
【あ、千速。もうお社に近づいちゃダメよ】
『え?なんで?』
私は千速を守るように寄り添い、お社を見上げて。
【もうすぐ崩れてしまうから。怪我をしちゃうでしょ?】
『くずれる?』
千速もお社を見上げて。
【そう、崩れちゃうの】
『え、くずれたら冬華どこでねるの?』
バッとまた私の顔を小さな手で挟んだ。
【眠るよりも先に、消えちゃうわね】
『きえる?どこに?』
まだ小さいからわからないか。
【お社が崩れるということは、新しいお社がない限りは信仰の終わりを意味するの。つまり、信仰が途絶えた神は消えちゃう…まぁ死ぬってことかしらね】
神には死の概念はないけど、子供の千速には“消える”よりも“死ぬ”という言葉のほうがわかりやすいわよね。
『え?しぬ?冬華が?』
【そうよ】
私は永く生きたから。
たくさんの時代の流れを見てきて、もう私のような古い神は必要ない。
千速の成長を見れないのは残念だけど、もしも来世があるのなら、人として千速のお友達になりたいな。
『え!?やだ!!』
【んー、でもお社がねぇ…】
お社を建て直すには莫大なお金がかかるから、こればかりは子供も力ではどうしようもない。
建て直したところで管理するのも大変だしね。
『やだぁ!冬華いなくなったらやだぁあ!!うあああっ』
大声で泣き出しちゃった。
本当、優しくて愛しい子だわね。
【千速、煙管を持ってる?】
『うわぁあっあるぅうっこれ…っこれだろ…っ』
泣きながら鞄から煙管を出して。
【吸って】
『……っ……っ』
もう咽せることなく、スッと取り込めるようになったみたいね。
【それが私のお守りだって話したわよね?】
『…っうん…っ』
千速の頬を舐めて。
【だから大丈夫。それがあなたを守ってくれるから】
私が消えれば、効力を失い香りも消える。
でも今は、千速を納得させるには言わなくてもいいことだから。
『やだぁ!冬華がっいなくなるならっこれっいらないぃいっ!』
嗚咽を零しながら、私に煙管を押し付けてくる。
ふふ、なんて可愛い子なのかしら、この子は。
私は煙管を咥えて。
【ねぇ千速、見てて】
『…っ?』
千速の周りをクルクル回って、後ろに回るように飛び跳ねて。
『…っわ…っ』
人の姿になり、片手で千速を抱き上げた。
『え!?冬華!?人に化けられるの!?』
『ふふ、そうよ』
もう片手で煙管を吸って。
『…っ!』
千速に口付け、白く甘い香りを千速の中に送り込む。
『……っふ…っ』
耳から白い煙が出てきた。
『この煙管はあなたが持っていて?生まれ変わったらこの香りを頼りにあなたに逢いに行くから』
私が消えると甘さを失ってしまうけど、辿ってみせる。
またあなたに逢うために。
『…っ冬華…っ』
千速を下ろし、額に口付ける。
『短かったけど、あなたと出会いあなたと過ごした日々は私の宝物よ』
お別れの挨拶が出来てよかった。
『…っうあああっ!やだぁあっ!』
『千速…』
また大きな声で泣いて。
『………あたらしいお社があればいいの?』
ハッと思い出したかのように、スッと泣き止んだ。
え、すご。
幼子の摩訶不思議にまた立ち会っちゃった。
『そうね。でもそう簡単にはいかないのよ』
子供の千速にはどうすることも出来ないこと。
『……ちいさくてもいいの?紙でもいいの?』
『紙?』
紙で、お社?
『まぁ、そのお社に鳥居と幣束があれば依代になれるかしら』
『へいそくってなに?』
『ほら、あのお社の屋根のところに白いギザギザしたやつあるでしょ?』
『うん』
『あれと赤い鳥居があれば、住めるようになるわ』
千速は幣束と鳥居を交互に見て。
『わかった』
キュッと口を噤んで。
『またくるから!!』
『え?えぇ、気を付けて帰るのよ』
走って帰って行った。
『……人の姿になって、ここまで気にされなかったの初めてなんだけど』
まぁ千速は幼子だし。
でも昔は幼子にも驚かれたんだけどなぁ、なんて思いながら。
『大した子だわ、あの子』
人の姿のまま、お社の中へと戻った。
あれから七日経った。
【……また…暇…】
千速が来なくなった。
冬休みというやつらしいから、多分まだ祖父の家にいると思うんだけど。
お社の縁側で、空を見上げる。
ミシミシと相変わらず軋む音が聞こえて、いつ崩れるのかなぁと呑気に思う。
この七日間、誰も来なかった。
研二はまだ小さいから、一人では来れない。
陣平は幼馴染ってだけだから、ほぼ来れない。
【…寂しい】
昔のように、人の子と遊べるようになったのに。
この季節は本当に寂しい。
【…!】
パサ、と。
屋根の雪が頭に落ちた。
ああ、もう無理か。
私はお社から離れた位置で座って。
ミシミシと。
バキバキと音を立て始めるお社を眺めて。
ゆっくりと。
ゆっくりと崩れて行く様を。
“白狐様ー!あそぼー!”
“お稲荷様!隠れんぼしましょ!”
“お稲荷様が鬼だぜ!”
“白狐様!ありがとうございます!”
遠い日に、一緒に遊んだ幼子たちと。
“カミサマ!これうまいぞ!”
“なぁカミサマはさ、いつからカミサマなんだ?”
“冬華は真っ白でフワフワだな!”
“へへ!冬華!”
“なぁ冬華!”
今の世を生きる幼子を思い出しながら。
【ありがとね、千速】
目を閉じた。
『冬華ー!!!』
私を呼ぶ千速の声に、振り返る。
『これ!!はいれ!!はやくー!!』
走ってくる千速の手には、紙で出来た小さなお社と小さな鳥居があって。
どうしたのそれ、とか。
危ないから来ちゃダメ、とか。
そんな言葉を紡ぐ暇もなく。
私は走った。
「だから!次は俺だってば!姉ちゃんずっと独占してんじゃん!」
「喧しいぞ研二!まだ一時間も経ってないからな!」
「…耳元で喧嘩しないでちょうだいよ」
二十三年後、現在。
相模国…いえ、神奈川県横浜市の某所にあるマンションの一室で。
ソファーで丸くなる私を枕代わりにしている千速と、千速の場所を奪おうとする研二の声で目を覚ました。
「だって研二が退けろって煩いんだよ!」
「俺だって冬華を枕にしてぇよ!」
そもそも枕じゃないけど、とは思ったけれど。
「「あ…!」」
私は体を起こし、クッと伸びる。
「冬華!こっちで一緒に寝ようぜ!」
「だー!まだ私と寝ろ!」
「一人で寝る選択肢をちょうだい」
ギュッと千速と研二に抱き締められて、身動きが取れない。
そう。
私は今、あの山から降りて千速と研二と暮らしている。
古いお社が崩れる瞬間、新しいお社を千速が与えてくれたから。
千速が造ってくれたお社が、今の私の居場所。
あの時。
千速は七日もかけて新しいお社を作ってくれてたみたいで、お社が崩れる瞬間に入れたから消えずに済んだ。
あと一歩遅かったら消えていたわ。
新しいお社は小さいからどこへでも運べちゃう。
最初はもうどこへでも持ち歩いていたわ。
学校とやらへ行くにも、遊びに行くにも。
私はその間、お社から出ないけれど。
お友達の悪ふざけで壊されそうになった時は泣きながら喧嘩をしていた。
ご両親には学校や遊びには持って行くなと怒られてから、千速のお部屋にある机の上が定位置になった。
毎日お菓子をお供えしてくれたわ。
ご両親もお花を添えてくれたりと、信仰してくれた。
千速が学校から帰ってきたらお社から出て、千速の帽子に変身して一緒に遊びに出歩いた。
たまに【良くないもの】が近づいてきて、大きな力は使えないままだけど、変身と千速たちへの加護くらいは出来るから。
私は私なりに千速と研二を守った。
この子たちは【良くないもの】の存在には気付いてないんだけどね。
「ほら、二人とも。ご飯支度するから手伝って」
で、今はなんかね、この二人のお母さんみたいになってるわ。
神様にご飯支度をさせるのよ?凄くない?
「今日は何飯?」
「俺オムライスがいい」
「野菜炒めよ」
「「やだ!!」」
人の姿になり、キッチンに立つ。
あ、今の世の言葉や物の名前は結構覚えた。
千速は神奈川県警というところで働いて、始末書とか報告書というのを書かされまくってるらしく帰りが遅いことが度々ある。
研二は警視庁というところの爆笑……ばくしょ?ばく……まぁそんな名前のところで働いていて。
結構危ない目に遭ってるみたいだけど私の加護があるから大丈夫。
そしてなんと研二は、相模国から江戸…神奈川県から東京まで通ってるの。
昔なんて江戸へ行くのに随分かかったのに、今の世はここから30分程度で行けるらしいわよ。
便利になったものよね。
…古い神が、新しい時代を生きているなんて。
信仰が薄れ、お社が朽ちて消えると思っていたのに。
“カミサマ!”
私は千速に生かされた。
十分すぎるほど長い時を生きて、もういいやって思っていたけれど。
「野菜炒めを先に完食したほうと今日は寝るわ」
「絶対に俺!」
「バカ言え!!負けてたまるか!!」
もう少しだけ。
もう少しだけ生きてみようかしらね。
神である私と友になってくれたこの子たちと一緒に。
END