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エレボスの淵

※※※相羊



 テイル上院議員の屋敷は重苦しい空気に包まれている。
息子ダリューンの行方は杳として知れず、反対派閥からの攻撃も日に日に激しさを増して追い討ちをかけられていた。

 先ほど、息子の行方不明は反対派の一人カッセル・ホーンの仕業であることを突き止めたという報告が入ったが、肝心の息子の行方までは書かれていなかった。
 彼は報告書を机に放ると、ダリューンとよく似た端正な相貌に憂いを浮かべたまま、大きくため息をついて白髪の多くなった頭を無造作に撫で付けた。
 無論、引き続き捜索命令は出してあるが、犯人が分かった以上、これが罠であったとしても手をこまねいているわけにはいかない。
 そうして、通信機に手を伸ばしかけたとき、バトラーの控えめな声が来訪者を告げた。

 でっぷりと太った男が入ってきた。政敵カッセル・ホーンである。
 息子ダリューンを盾に脅迫に来たのか、それともくだらない提案をふりかざしてきたのか……どちらにせよ、真相を問い質したい本人が来てくれたのだ。
 椅子から立ち上がる気もせず、執務机に腰掛けたまま男をむかえたのであるが――。

 ホーンは……かつてのふてぶてしいまでの様相は消えうせ、目は落ち着きなくきょろきょろと動き、青白く艶を失った顔は以前の彼とはとうてい思えないほどに変貌していたのだった。
 そのあまりにも激変した姿に、さすがにテイルも言葉を失った。だが、ほどなく態勢を立て直す。
「……ホーン。聞きたいことがある。私の――」
 テイルが詰問を口にのぼせた途端、ホーンは飛び上がった。
「違うんだ、テイル! 俺は、あんたの息子を攫ってなどいない! 俺は、あんたの息子に……その……ちょっと脅しをかけただけなんだ! そうすれば、今度の選挙で勝てるように細工してやると言われて……」
「なんだと……?」


 ひと月ほど前、ホーンの前にある人物が現れた。
その人物は、
『レイダスホールディングカンパニー 第一営業部 ヤーン・アヴェン』
 そう名乗り、名刺を差し出した。
 そしてホーンに、来年に迫った党選挙の支援を申し出てきたのだ。無論、これは取引である。
 ホーンの弟が経営する会社の株を目的に……否、そればかりでなくテイルの親族が興している企業をも、この会社は狙っているようであった。
 だが、零細企業を営む弟の会社がどこぞのホールディングに吸収されてしまおうが、ホーン自身にとっては何ら痛痒を感じない取引であったし、宿敵であるテイルに繋がる企業が吸収されるならそれも良い。
 ましてや、金のかかる選挙が控えている――とりあえず、彼は一週間ほど返答を待たせ、レイダスホールディングカンパニーとやらの調査を行った。
 他星系で株式会社として出発したその会社は、吸収合併を繰り返し、数年のうちには巨大な総合商社となっている。
 本社、支社と経営状況など調査した結果、なんら問題はないと見られ、ホーンは取引を承諾した。

 そして、ダリューン・テイルが行方不明となる数日前、レイダスホールディングカンパニーのヤーンから、奇妙な指示を出される。


 「……その指示というのが、あんたの息子を、少しばかり脅せというものだったんだ……だが、脅せといったところで子供相手にどうしたものか……だ、だから、強面の連中に、少しばかり怖がらせてやれと……」
 ホーンの目は、怪訝な面持ちのテイルの顔をちらりと見やるも、また落ち着きなくあちこちにさ迷う。
 つまり、なんの目的なのかわからないが、金をつかまされた連中はダリューンを脅しに行ったものの、息子はあのヽヽ性格である。しかも傍らには似たような友人がいたことだろう――そのあたりのやりとりがどうであったのかは想像にかたくない。
 テイルはこっそり嘆息した。だが、次のホーンの言葉に耳を疑った。
「やつらは、一回目の脅しが効かなかったからと、あんたの息子を見張ってたらしい。あの晩、魔女の城に忍びこんで……あ……」
「魔女の城に忍びこんだだと?! どういうことだ?!」
 ホーンは失言を悟って口をつぐんだが、すでに遅い。聞き捨てならない言葉に、テイルはホーンに掴みかからんばかりに迫った。
「お、俺は、あの日たまたま魔女に会っていた。助力してくれるように……そ、それで、城から出たときに、お前の息子を見張っていた奴らから、お前の息子と数人が城へ入っていったと知らされた。
だから、城と、この屋敷を見張らせていたんだ……お前の息子は、突然、門の前に現れたらしい。そこへ、知らない男たちが現れて、攫って行ったんだ……ほ、本当だ! 攫ったのは俺の手の者じゃない! レイダスとかいうやつらに決まってる! その証拠に、あの会社は消えてるんだ!!」
「……消えてる……?」

 ホーンが言うには、仕事をさせた男たちから仔細を聞き、ヤーンの名刺に書かれてある連絡先へ通信を試みた。
 だが、それは既に存在しておらず、宇宙空間通信網のどこにも見つけ出すことはできなかったのである。
 そうして、彼はさらに詳しい調査を行ったのだが……

「……その会社は何らかの組織のカヴァーだったということだな? バックボーンは何だ?」
 テイルの厳しい追求に、ますます蒼白になったホーンはぶるぶると首を振った。
「……いい。貴様が言わないなら、私は自分で突き止める!」
テイルは卓上の端末に戻ろうとした。だが、ホーンがその腕をしっかりと掴んだ。そして、真っ直ぐにテイルを見据えた。
「やめろ、テイル! 俺たちの手に……こんな……こんな小さな惑星の一政治家の俺たちの手でどうにかできる相手じゃない! ……それを口にしたら、俺は……俺たちは抹消ヽヽされてしまう!!」
「…………」
 テイルは、凝然としてホーンを見た。
 なぜだか……。
 かつて――何かにつけて競争し、お互いをライバルとしていた、数十年も前の彼を見ているような気がした。





 いったい、何日たったのだろう?
 ダグラスやエリスたちと魔女の城へ忍び込んだのが、もうはるか昔のような気がしてくる。
 ダリューンは冷えきった素足を丸めるようにして、床にへたりこんだ。
 もはや、自分がどの扉から入り、そしてどこが出口なのかもわからなかった。
 暗く冷たい通路が左右に伸び、いくつもの無機質な扉の向こうからは呻きとも唸りともつかぬ声が漏れでてくる。
 不思議なことに、ある一定期間を過ぎると、その部屋から気配が消えてしまう。死臭はするのに腐敗臭がない――つまり、ここにある部屋の一室一室が固体を消滅させるための装置なのだと、さんざん歩き回ったあげくに悟ったのがそれだった。
 さらに戦慄をした事実が、 「ここはあの病院の地下である」 ことだった。

 あの時のおぞましい光景を思い出すたびに、体中に震えが走る。
自分を逃がしてくれたあの医者はどうなっただろう?
 彼の、緑の目がひどく印象的だった――強い意志を秘めた瞳は、どこかで会った事があるような気がした……。
 あのとき、彼が逃がしてくれなければ、今ごろ自分は身体をばらばらにされたあげく、動物とも昆虫ともつかぬものに変えられていたはずだ。
「……何が政府病院だ……バケモノ工場じゃないか……」
 掠れた声で悪態をついてみる。
 ふと、ダリューンは顔をあげた。
 確か、エリスの兄はこの病院の医師だと言ってなかったか?
(――まさか、あの医者――?!)
 そう――あの緑の目は、エリスとそっくりだ。
 エリスは、おそらく、兄があそこヽヽヽにいることを知らない。そして、自分を逃がしてしまったことで、彼もまた危ない目にあっているかもしれない――
 ダリューンは通路を振り返る。だが、闇になれたはずの目にさえ、視線の先には暗黒しかなかった。

 脱出しなければ……!

 何としても外へでて、この病院の暴虐を父へ知らせなければ……いや。議員である父では潰されてしまうかもしれない……
 もっと、大きな……
 この惑星の政治家たちなどものともしない存在……

 ダリューンの目に輝きが甦る。
 彼は、決然と顔を起こし、凍えてかたまりそうになる足を叱咤して立ち上がった。

 魔女に……
 ペンタスの魔女に会わなければ――!

 大きく呼吸し、つとめて心を沈静させる。
 感覚を研ぎ澄ませ、どんな変化、違和感も掴めるようにゆっくりと壁伝いに歩き始めた。

 果てしのないように思われた壁が途切れたとき、奇妙な臭いに気がついた。
 壁は左に曲がっているが、かすかな空気の流れが感じられ、どうやら右にも通路が延びているらしい。
 ダリューンは眉根を寄せ、闇の向こうへ視線を凝らしてみる。が、何も見えなかった。全神経を集中させ、臭いが流れてくる左へ折れた。
 驚いたことに、左通路には壁が続いているばかりで、部屋はないらしい。
 そうして、その壁が終わったとき、扉らしき金属が手に触れた。
 闇の中、両手で扉を探っていると、シューという音とともに声がした。
「……ソコニ イルノハ ダレデスカ……?」
「――っ!」
 ダリューンは、驚愕して思わず扉から手を離した。
 頭上――闇の中に、一つの目が鈍い光を放ってこちらを見下ろしていた。


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