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エレボスの淵

※※※ペンタスの魔女



 「おやおや、せっかくのみかどの厚意を無にしてしまうなんて……」
 天然の樹木で造られたテーブルに頬杖ついていた女が、小さく笑いながら呟く。
 立ち上がった女の背を、濡れ羽色の長い髪がさらりと流れた。

 広い部屋は館主の私室にふさわしく、すべて最高級の調度でそろえられているが、華美を嫌う性質たちなのか装飾には乏しい感がある。
 あかあかと燃えている暖炉は時折、不思議な金色の煌めきを放った。

御前ごぜん……」
 誰もいなかったはずの部屋に、低く囁くような男の声が響く。
じんか。客はついたのか?」
 女は驚いた様子もなく背後を振り返る。
 立っていたのは涼やかな目元の美しい男だった。
 女と同じ長い黒髪を後ろで束ね、どこの民族衣装なのか一風変わった装いをしている。
 黒い上衣は合わせになっており、下はスカートを思わせるような黒いズボン。それらを腰帯で束ね、左側には黒鞘に収まった細くしなった剣が差されていた。
 仁と呼ばれた男は軽く一礼し、言った。
「西の塔の一階、石柱の広間に誘導いたしました。開門の際に入り込んだ子供数名ですが、いかがいたしますか?」
「ああ、しばらく放っておいていい。……何をすき好んで夜の森を探検したいのだか、さっぱりわからないけど。ヴァルとガブリエルもしばらく戻りはしないだろうから、転ばない限り怪我もしないだろう……だけど、不思議なこともあるものだね……」
「帝のことでございますか? ……左様でございますね」
 黒衣の主従は、そして、部屋を出て行った。



 暗い森を走り抜けると、城が見えてきた。
 月明かりにぼんやりと浮かび上がる石造りの城は、想像を絶するほどに大きく、そして荘厳なものだった。
 五角形を形作る塔は高く聳え、正面玄関に至るまでの階段はまるで舞台のようだ。
 息を飲み、我を忘れてふらふらと城に近づこうとしたエリスは、横合いから強く引っ張られた。
「きゃ……」
「しっ!」
 叫びそうになった口を大きな手がふさぐ。
 ダリューンはエリスの口をふさいだまま、城のほうを厳しい目で見やった。つられてそちらに視線を移すと、階段の脇に先ほどの高級車が止まっており、スーツの男が二人、見張りのように立っていたのだった。
 彼らに見つかっていないことを確認すると、少年はそっと手を離した。
「……さっき、上院議員のホーンが入って行った」
 少年の一人がエリスに囁く。
 彼女は小首を傾げた。
 引っ越してきてまだ一か月しかたっていない彼女には、この惑星ほしの勢力分布がよくわかっていないのだ。それに思い至ったか、別の少年が注釈を加えた。
「ダリューンの親父さんの政敵さ」
 エリスは瞠目し、ダリューンに目を移す。
 だが、彼の耳には会話が届いていないのか、厳しい目つきで城のドアと、その脇に停まっている車を見つめているばかりだった。

 やがて、玄関が開いて数人が出てきた。
 真ん中に恰幅のいい壮年、それを囲むようにボディガードが四人。彼らは油断なくあたりを窺い、一人がさっと車のドアをあけて壮年の男を乗せると、ボディガードたちも速やかに乗り込み、高級車は門へ向かって発進した。
 潜んでいる藪の脇を車が通り過ぎていく。
 堪え切れなくなったように飛び出そうとしたダリューンの腕をエリスが掴んだ。
「だめよ! 見つかるわ!」
「抑えろ、ダリューン! ここで見つかったら、それこそ親父さんが危なくなる!」
 エリスに同調するように、一人の少年が声を抑えて叱責する。ダリューンは彼を見ると、悔しそうに拳で地を叩きつけた。
「……魔女は、ホーンの味方かもしれない……」
 絞り出すような声で呟いたダリューンの肩を、少年は軽く叩くと静かな声で諭すように言った。
「ダリューン。少し冷静になれ。魔女とホーンがどんな話をしたのかなんてわからない。それに、今までペンタスの魔女はどんな政治家の肩も持ったことはない。あのヽヽブライトナー 一族の中から政治家がうまれた時でさえ、彼女は一貫して中立を守っていた。ましてや、ホーンのような悪名高い政治家に肩入れするなんて、あるわけがないよ」
「けど、ダグラス……!」
 それまで、そのやりとりをあっけにとられて見ていたエリスは、やっと口をはさんだ。
「ねえ、ちょっと……一体、何の話をしてるの……?」
 今回の件は単に興味本位で決行されたものではなかったのか?
 怪しい噂の絶えない魔女の館の秘密を知るのだと言ってなかったか?
 それが、なぜ政治家の話になるのだ……?
 ダグラスは失言だったと言わんばかりに口を閉じ、傍らの友人をちらりと見やった。
 ダリューンは口を引き結び、ふいと横を向いた。
「……ソールンには関係ない」
「関係ないって……そりゃ関係ないけど! あんたたち、本当は何の目的でここに……」
 少年の言い方にカチンときた少女が言いつのろうとしたとき、ふいに背後から低く冷たい声がかかった。

「ここで何をしている」

 少年少女たちは飛び上がって一斉に振り返った。
 音もなく、気配さえ気付かせず闇に溶け込むように立っていたのは、鳥肌が立つような美貌の青年だった。
 つややかな黒髪が、淡い月光に光を発している。
 その長身から放たれる殺気は、呆然と立ち尽くす少年たちを押しつぶさんばかり。
 底光りする双眸は彼らの足を竦ませるに十分な威力を持っていた。
「誰の許しを得て入り込んだ」
 冷たい声音が少年たちの心臓をわし掴む。が、一人の少年が前へ進み出た。
「すみません。俺たちは、ホーンの車を追って入りました」
 ダグラスは青年に向って軽く頭を下げる。それへ不満そうな声をあげたダリューンを押しとどめる。
「ホーン? ああ、あの下種な政治屋か。で、お前たちはここがどういう場所か、知らないのか?」
 青年は眉をひそめて呟き、さっさと話の矛先を変えた。
 ダグラスの手を振り払い、ダリューンは青年に食ってかかった。
「知ってるさ! いかがわしい噂だらけの魔女の館だってこ……っ!」
 ダリューンが言い終わらぬうち、少年の体は数メートル先に吹っ飛ばされていた。
「ダリューン!」
 青年はダリューンに手をあげたわけでも、蹴り飛ばしたわけでもなかった。
 だが、なにか巨大な力が発せられたのだけは理解できた。
 容赦のない仕打ちに少年たちは抗議しかけたが、青年の全身から噴き出す凄まじい殺気に声を失ってしまう。
「わきまえろ、子供。外の人間がたてる噂など、あるじの知ったことではない。
ここは外の法律など効かぬ。不法侵入者は殺されても文句は言えぬ場所だ」
 淡々と告げられる言葉は事実――少なくとも、長くこの星に住んでいるものなら、誰でも知っていることだ。
 そう、知っていること。
 だが、彼らは理解していなかった。
 侵入の前にエリスが言った言葉は――「ここには警備もいなければ、セキュリティボールも存在していない」
 それは、つまり、招かれざるものがこの地を侵せば、二度と生きては出られないということなのだ。
 突きつけられた現実に、少年たちは慄然と佇むしかなく……ダリューンは、友人たちの傍らに蒼白になって立っている少女を見た。
 そして、意を決して立ち上がる。
「……待ってくれ。ここに忍び込もうと言ったのは、僕だ。みんなは関係ない」
「不法侵入に誰が首謀者であるかなど、問題ではない」
 友人たちの前に駆け戻ったダリューンの言葉にも、だが、返ってきた青年の反応はにべもなかった。
「そんな……っ」

「およし、モールヴァルフ」

 ふいに、やわらかな女の声が割って入った。
 月光の中に立っていたのは、長い黒髪をゆったりと背に流し、黒いドレスに身を包んだ二十代も半ばとみられる女だった。
 凛とした相貌はエキゾチックな美しさがあった。黒い双眸は月光のせいなのか、金色の光を放っていた。
 それまで、美貌の青年を包んでいた殺気が瞬時にかき消え、彼は驚くほどやさしい微笑を彼女に向けると、優雅に一礼してみせた。
 女は苦笑を洩らし、
「見れば、まだ年端もいかない子供じゃないか。今日のところは許しておあげ。幸い、誰も怪我を負うような危ない真似は、していないようだしね……」
「……他人の敷地に侵入することが、違法だということがわからぬほど小さくもなさそうだが……表の害虫に時間を取られすぎた」
 何となく含みのある女の言葉に、モールヴァルフは忌々しげに呟く。
 彼女はその小さな呟きを聞き逃さなかった。
「害虫?」
「いつもの、招いてもいない無粋な輩だ。貴女が気にかけることはない。片づけて持ち主に返しておいた」
「……そうか。ありがとう。――じゃあ、君たちはもう帰りなさい。そして、二度とここへ入ってきてはいけない。
次は、無いものと肝に銘じておきなさい」
 女は、先ほどとはうって変わって厳しい目を少年たちに向け、刃のような鋭さを伴った声音で告げた。
 そして、煙を払うようなゆったりとした仕草で手を振ったとたん、少年少女たちは忽然と姿を消した。

 あとには、いつも通りの静かな、月光に照らされた前庭が広がっているのみ―――
「……それにしても、まったくお前は。こんな恰好の私を走らせるなんて……お前が帰るまでに、もう少し時間がかかるだろうと思っていた私の落ち度だが。毎度のことながら、お前の手際の良さには頭が下がるよ」
 嘆息した女主人に、青年は楽しげな笑顔をみせる。そして、見惚れるような優雅な所作で礼をとり、彼女の手に唇を落とした。
「恐れ入ります、我が主マイロード……でも、千早ちはや。今日はとても素敵だ。綺麗だよ。いつもそんなドレス着てればいいのに……
あの汚らしい政治屋なんかに見せてやるのはもったいない…………まさか、手なんか握られてないだろうね?」
 真剣な顔で問いかけてくる青年に、ペンタスの魔女はやれやれというように首を振った。
「そんなことになってたら、あの男の首は胴体と永遠の別れを告げていたよ。……まあ、いい。中に入ろう」
 青年は手を差し伸べ、彼女の手をとると恭しく館の中へと導いていったのだった。



 気づいたとき、エリスはひとり、門の前に立っていた。
 なんだか妖精に化かされたような気持で入ると、降りてきた自分の部屋の真下に向った。
 だが、垂らしていたロープはなく、窓はぴったりと閉じられ、ご丁寧にカーテンまで閉められていた。
(あちゃ……)
 兄が眠っていることを祈りつつ、そっと玄関の扉を開くと、凄まじく仏頂面のランディ・ソールンが仁王立ちで妹を待っていた。



          ※



 五角形の城に囲まれた中庭には、直径数十メートルの泉が存在している。その泉もまた、彫刻されたぎょくで五角形に囲われていた。
月が東に消えかかる頃、女主人――千早は彫刻の一つに浅く腰掛け、泉に向って語りかけた。
「……みかど、あの子たちを守ってくださったんですね。ありがとうございます。全員、無事に帰ったようですよ」
 この地の気を乱す侵入者を嫌う『存在』が、なぜ少年たちの侵入を許したのか……モールヴァルフの報告を聞いて納得した。

 ホーンが敷地に入ったと同じくして、千早自身に向けられた刺客が城を囲んでいたのだ。
 かれが少年たちを招き入れなければ、屋敷の門前に無関係な少年たちの無残な屍が転がっていたことだろう。
 やがて、水底から金色の気泡がきらきらと浮き上がり、低く地鳴りのような声が響いた。
『……左様か』
「それから、先にお詫びしておかねばなりません。しばらくまた騒がしくなるかもしれませんので……」
『我のことは気にせずともよい。そなたのよきにはからうがよい』
「恐れ入ります。では、おやすみなさいませ」
 微笑み、一礼した千早に、水中から小さな金色の気泡が応えた。



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