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エレボスの淵

 専用回線の通信機が鳴り、モニターを見ると、今まで音信不通だった最高幹部の通信用ナンバーが映し出されていた。
 通話ボタンを押すやいなや、馴染みの声が届く。
『よう、ボス。久しぶりだな』
「……トイ。てめえ、今どこにいやがる」
『ちと遠方へな。これからちょっとばかし騒がしくなるだろうから、あらかじめ言っておこうと思ってよ』
 相変わらず飄然とした声音で銀環――シルバーリングの幹部は言う。
「はん? そういやD.Dの奴らの姿が見えねえが、知らねえか?」
 これはカマかけだった。だが、トイはあっさりと答えた。
『ああ。あいつらにゃ個人的な仕事を頼んだからな。しばらくしたら戻ってくるんじゃねえか』
「ちっ。まったく、てめえはいつもそうだ」
『知ってんだろ。じゃ、あばよ』
 ボスが何か言うより早く通話は切れ、掛けなおしてもつながることはなかった。
 多少の違和感に、彼は少しばかり思案する――トイという男は目的のためなら同じ組織の構成員でさえ平気で売るような男だ。またぞろ何か企んでいるのかもしれない。

 闇組織『銀環シルバーリング』――

 いまや裏社会に通じる者には知らぬものはない名である。また一方で、表の顔も持ち合わせているため裏社会だけにとどまらず、幾多の惑星に存在する財界、政界、軍、一般企業にも少なからず関わっている。
 無論、表裏あわせてだ。
 『銀環』がこの三十年足らずでここまで拡大したのは、トイの力によるところが大きい。
 当時、しがない窃盗グループのリーダーだった自分の前に現れ、銀行のATM機のセキュリティシステムをものの数十秒で黙らせた。
 言葉もまともに喋れない、というよりどこの言葉なのか見当もつかず、どこから来たのかもわからない男だったが、システムに関する能力がずば抜けていた。
 のちにトイがこちらの言葉を喋れるようになってから最初の銀行ATMのハッキングの種明かしを聞いたところ、あっさりと、ずっとあの路地裏に座っていたため業者が操作するパスワードが見えたのだと言った――どこまで本当かはわからないが。
 だが。
 そのハッキング能力は、巨大な銀行の中央管理システムに侵入し、浮遊する口座をごっそり書き換え、痕跡も残さないほどのものだった。そうして巨額の金を難なく手に入れたあと、トイは組織のカヴァー……あるいは金づる……を作り上げていった。
 それもどういう情報を握ってかわからないが、一流企業とみなされている会社をまるごと呑み込むようなやり方でだ。一般社員は自分の会社が闇組織に呑まれたことさえ知らないだろう。
 カヴァーを広げていく間、関係者が幾人か謎の死を遂げたところをみると、十中八九、彼の持ち札の中には暗殺結社も含まれているだろうと思われる。
 組織の頂点に立つ自分でさえ、トイの持っている『カード』がどれくらいあるのかは判らない――余計な詮索をしなければ、あの男はこちらに牙を剥くことはなかった。それ故、勝手にさせておいたのだ。

 ――ただ、今回のように連絡を入れてくることはなかった。ただの一度も。



 (義理立てはしたぜ。あとはてめえらの運まかせだ)
 トイは切ったばかりの通信機を銃で打ち抜き、そのまま床へ放った。塗装の剥げかけた床に軽い音が響き渡る。
 古い貨物船の中、彼はまっすく操縦室に向かった。

 今頃は指定した倉庫に研究棟所長だの、軍人だのが新しい旅路のために集まってきているころだろう。
 

 操縦室のドアが開くと、微かに甘い果物の匂いがする。
 いつぞや、巨大な鳥と一緒に珍しい果物を運び、何度か鳥のエサを運んで往復しているうちに匂いが染みついた。その古い貨物船の操縦室は自分しかいない――いつものことだったが。
「さて……お前さんも最後のひと仕事だぜ……」
 トイは手慣れた手つきでコンソールに入力をし、エンターキーを押した。
 モニターが点灯し、機械音声が流れる。

≪当機ハ コレヨリ 自動運行ニ 移リマス。 管制塔ヨリ離陸開始指示マデ 待機シマス≫

 トイは貨物船のメインコンピューターのコマンドを確認し、再びキーボードをたたく。
 サタナ軌道上に浮かぶ一つの衛星に侵入したトイは、目的地の座標を入力する。するとメインスクリーンが切り替わり、地図と小さな光点が映し出された。
 政府病院とその周辺が映し出され、光点の周りには人間の生体反応は確認されない。傍に居るのは大きなイキモノのようだ。
「ちょうどいい頃合いだったな。……さて。そんじゃ人質交換といくか……」



 エリスはポケットの振動に気が付き、それを取り出した。
 研究棟に入ったとき見つけた兄のネームプレートだ。それが振動しているのだ。
「……え……? なに?」
 どこを触れたものか、いきなりトイの声が聞こえた。
『よう、お嬢。ちゃんとコイツに気が付いて持ってたんだな、感心だ』
「……っ! おじさ……」
『しっ! 大きな声を出すな。……一応、念のために確認するが、傍には誰も居ねぇな?』
 ダグラスやダリューンたちは軍人たちと何か話しており、魔女もランドカーへと呼ばれて入っていった。
 この口ぶりからすると、彼はどこかから見ているのかもしれない。
 ここに取り残されていたのは自分と、巨大な鳥のピキだけだ――エリスはその【誰も】の中にピキを含めるかどうか一瞬 悩んだのだが。
「……う、うん……。ねえ、おじさん。兄さんを……」
『ああ、ここにいるよ。ちゃんと生きてるから安心しな。言っておくが、お嬢の兄さんを痛めつけたのは俺じゃなくて、研究棟のやつらだからな』
 なんだか子供のような言い訳じみた言葉に出鼻をくじかれる。その隙をついてトイが続けた。
『じゃあ、お嬢。人質交換だ。もちろん一人で来るんだぞ』
「……わかったわ。……私もおじさんに聞きたいことがあるの」
 エリスの決然とした声音に、通信機となったネームプレートの向こうで無言の苦笑が漏れたような気がした。
『……そうだろうな。じゃ、急ぎ宇宙港のゲート20まで来てくれ』
「わかった」
 そこで通話は切れた。
 エリスはダグラスに伝えるべきか悩んだが、結局このまま行くことにした。
 人質交換といったところで、トイの目的が解らないなら自分で行って、自分で確かめてくるしかない。
 真実を――
 エリスはふと、傍らに佇んでいるピキを見上げ、
「ピキ。ダリューンのところへ戻って。きっとあなたを無事に保護してくれると思うから。……じゃあね。元気でね!」
 言って、手を振ると宇宙港へ向かって駆けだした。


 「ピキー! おいで!」
 ダリューンに呼ばれ、ピキは赤い羽をふわふわさせながら駆け寄る。
 ダリューンの傍にいたダグラスがあたりを見回した。
「あれ? エリスはどこ行った? 魔女といるのかな……」
「……ヒトジチ コウカン」
 ピキが呟く。
「へ?」
 ダリューンが怪訝そうに鳥を見上げた。
「オンナノコ ヒトジチコウカン スルタメニ げーとニジュウ ニ 行ッタ ヨ?」
 そう言ってピキは可愛らしく小首を傾げる。
「え? 人質交換って、どういうことだよ? 誰からだ?」
 幾分あわてたように尋ねるダグラスに、ピキはエリスとトイのやり取りを再現してみせた。
「な……なんだってえええっ?!」
 青年二人の絶叫があたりに響き渡る。
「行ってくる!」
「待てよ、ダグラス! 僕も行く!」
 駆けだすダグラスにダリューンが叫ぶが、ダグラスは振り向きざま叫び返した。
「閉じ込められててマトモに走れないだろ? お前は軍に知らせてくれ! ああ、ほら! さっきのリバーっていう軍人に!」
 不服そうなダリューンは思わずピキを見る。機先を制したのはダグラスだった。
「間違っても! 目立つその鳥で追っかけてこようとはすんな?!」
「ちぇ。わかったよ」
 ダリューンは事の次第を知らせるべく、父親と軍人たちのほうへ駆け戻っていった。



 「てなわけで、あんたは解放だ」
「エリスをどうするつもりだ!」
 ランディは縛られたまま、思わずトイに掴み掛ろうとしたが、軽く躱された。
「どうもしやしねえよ。まあ、お嬢もこれまで『蚊帳の外』だったからな……聞きてえこともあるだろうよ」
 ランディには意味のわからない単語が聞こえたが、トイの言いたいことは理解できた。
「……トイ……あの子に余計なことは言うな。薄汚い世界のことなど……」
 ランディの言に、トイは呆れたような眼を向けた。
「お前さんが思ってるほど、お嬢は何も知らねえ子供じゃねえぞ? 自分で考えて、自分で行動できる」
 言われて、ランディはぐっと詰まってしまう。
「……まあ、今回の件でずいぶん仲良くなった男友達もできたようだがな……」
「……なに?」
 今度は聞き捨てならない単語が聞こえ、ランディの緑の目が光を増す。
 トイは面白そうにそれを見やり、おもむろに手を突き出した。
「ま、あんたが起きてると面倒だ。ちっと寝ててくれ」
「な……!」
 何を吸い込んだのか、ランディの意識は闇に飲み込まれていった。


 サタナ宇宙港 第20ゲート。
 ここはどうやら一般人が利用するゲートではないようで、高い塀の向こうにいかめしい船がちらちら見える。
 無人タクシーから降りたエリスは、しんと静まり返ったあたりを見回した。
 再びポケットのネームプレートが振動し、トイのひそやかな声が聞こえた。
「そこの端末に今から言う番号を入力しな」
 トイの言われた通り入力すると、ゲートが開いた。
「……っ! 兄さん!」
 トイに担がれていたのはぐったりとした兄――薄い毛布でぐるぐる巻きにされ、固く目を閉じている。殴られたのか美貌には赤黒い痣があった。綺麗だった金髪は血と埃で汚れて固まっていた。
「兄さん……」
 それでも、生きて会えたことに心底ほっとする。
「……心配しなくても眠ってるだけだ。……発信機をつけてある。しばらくしたら軍が迎えに来るはずだ」
 トイはそっけなく言うとランディをゲートの外へ運び出し、壁際に転がした。
「……っ」
 もう少しだけでも兄の様子を見たかったのだが、トイに急かされ、エリスはゲートの中へ入って行った。
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