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エレボスの淵

 爆発の原因は小型時限爆弾のようだった。
「一体、何者が……? このあたりに出入りできるといえば、研究棟の人間だけだが……」
 部下から現場検証の結果を受け取ったアレキサンダー・リバーは顎をつまみながら思案し、再会を喜んでいる若者たちに目をやる――正確には、その傍に立っている初老の男性に――。

「じゃあ、お前を逃がしてくれたのはエリスの兄さんだったのか?」
「ああ、間違いないと思う。よく似てるし。……それで、ソールン、兄さんには会えたのか?」
 ダグラスの言に頷いたダリューンは、エリスへ顔を向ける。
「いいえ……」
 兄と似ていると言われて少し嬉しく思ったエリスだったが、もう生きていないかもしれないと思うと体の中心から凍えていくような気がした。
「……ソールン様。あきらめてはいけません。安否は知れませんが、お兄様を信じてさしあげられるのは貴女だけなのですよ」
 そっとオリヴィエがエリスの肩に手をのせ、弱気になる彼女を叱咤する。
「……っ。はい」
 エリスはオリヴィエにしっかりと頷いてみせた。
 そのとき、彼らの頭上から聞きなれない『声』が降って来た。
「クソッタレ」
「え?」
 彼らは顔を見合わせたが、唯一この『声』を知っていたダリューンは巨鳥を見上げる。
「ピキ、どうした?」
 巨鳥――ピキ――は、長い首をぴんと伸ばし、建物の向こうを凝視しているようだった。
「アソコ ニ クソッタレ ノ ニンゲン」
 見れば男が一人、こそこそと移動している。
「……あっ! あんときお前を蹴ったヤツか?! よし、お前も蹴り飛ばしてやれ!」
 誰のことを指しているのか理解したダリューンは、憤然としてその男を指差した。
 ピキはその脚力にものをいわせ、凄まじいスピードで駆けていく――長く鎖につながれ運動らしい運動もできずにいたため、おそらく本来の速さで走れてはいないのだろうが、それでも、驚くべきスピードだった。
 仰天したのは作業中の兵士たちだ。いきなり走り出した巨鳥に何事かと集まってきたが、ダリューンが逃亡する研究員を指したとたん、軍の猛者たちが文字通り、猛ダッシュで鳥を追っていく。
「すぅげえ……」
 ダグラスが感心しきりに呟いた、
 さすが日々訓練に明け暮れる兵たちの走りっぷりもさることながら、巨大な鳥が猛スピードで走るさまはさらに圧巻である。
 ピキはあっという間に研究員に追いつくと、地を蹴り、その大きな足で男の背中を蹴り飛ばした。
「ぎゃっ!」
 研究員は数メートル吹っ飛ばされ、植木に激突して気を失い、地面に倒れこんだ。
「ナイス、ピキ!」
 後方でダリューンがもろ手を突き上げ歓声をあげる。
 ピキは満足げに羽を震わせると、どや顔で戻って来た。
 入れ替わるように、鳥に追いついた兵たちは倒れこんだ男が生きていることを確認し、重要参考人として一応、医療班に引き渡すべく運び出していった。

 ――その賑やかな捕り物を少し下がったところで見ていたオリヴィエに、そっと声がかかった。
「失礼ですが……貴方はオリヴィエ・ダルトン少尉ではありませんか……?」
「……いいえ。確かに私の名はオリヴィエと申しますが、一介の執事でございますよ」
 短い沈黙の後、リバーに振り向いたオリヴィエは、柔らかな笑みで否定する。
「……そうでしたか。たいへん失礼をいたしました。私の知っている方によく似ていらっしゃるものですから……」
 ほんの少しだけ寂しげな笑みを浮かべ、謝罪したリバーは気を取り直したようにオリヴィエに言った。
「では、ミスター。少しご協力願えませんか。見たところ銃器の扱いに長けてらっしゃるようだ。爆発物の知識もお持ちではないかとお見受けします」
 オリヴィエは苦笑とともに頷いた。
「……私でお役に立てるかわかりませんが、できる限り協力いたしましょう」
「ありがとうございます!」
 リバーは嬉しそうに笑い、最敬礼した。

 「素敵! 鳥と会話できるなんて!」
 エリスは嬉しそうに【鳥】に近づいた。
 ピキは目をパチパチさせると、少し首を曲げて彼女の顔を覗き込むように見つめた。
 一方、ダグラスとダリューンの方は見解が違うらしい。
「待てよ。そいつだって本当に自然にいた鳥かどうかわからないだろ?」
 ダグラスが言えば、
「そんなことない。こいつはどっかの惑星から連れてこられたんだ」
 ダリューンが反論する。それへ、
「それだって本当かどうかわからないだろ? だいたい鳥がテレパシー送るなんてヘンだろう」
 ダグラスが反発する――と言った具合に。
 黙ってそれを眺めていたエリスは深々と溜息をついた。
「魔女に聞いてみれば何か知ってるかもしれないわよ? まあ、私はこの子から嫌な感じはしないけど」
「……へえ。じゃあ大丈夫なのかな。あとで魔女に聞いてみるか」
 あっさりと頷いたダグラスを、ダリューンは驚いたように見つめる。自分がいない間に彼らはそれなりの信頼関係を築いていたようだ。
 寂しいような悔しいような気分に浸りかけたとき、ダグラスがくるりとこちらへ振り向いた。
「……で、名前はなんていうんだ?」
「えっ? ……ああ、ピキ。ピキって名付けたんだ」
 ダリューンがピキと出会った時のことをかいつまんで話すと、なぜか友人たちは深いため息とともに首を振る。
「……すごいネーミングセンスね」
「だよな。頭と顔はいいのになあ」
「顔は関係ないだろ!!」
 ダリューンは顔を赤くして怒鳴るのだった。

 その後、オリヴィエに呼ばれた三人と一羽(?)は士官に事情聴取を受けた。
 監禁されていた部屋から逃がしてくれたのが、現在行方不明のエリスの兄だということ――週二回、ピキのエサを運んでくる者がいたこと。爆破された扉がそれだということ。
「ん? その果物どっかで……」
 ダグラスがふと首を捻る。
 エリスが声をあげた。
「あ! ドラゴンサイクパイン?! ほら、いつだったか、教室で食べたじゃない。おじさんが箱ひっくり返したからって」
「そうだ。それだ」
 リバーは彼らの証言と裏門の通門記録を照らし合わせる。確かに一日だけひと箱少なかった日があり、そこには船内で腐敗したとあった。
 リバーは先ほどオリヴィエの協力を得て、使用された爆弾がどんなものかを検証した。そして、青年たちの言と通門記録の相違――。
(これは、ひょっとして……)
 リバーは一瞬、オリヴィエに視線を向ける――どうやら、彼も自分と同意見らしいことを理解した。そのまま表情を動かさず、ダグラスとエリスに目を向けた。
「では、君たちはなぜここに?」
 ダグラスはダリューンを、エリスは兄の救出のために軍の突入のどさくさに紛れて研究棟へはいりこんだことや、途中、オリヴィエに出くわし一緒に探してもらえることになったことを話した。
「……そうですか。それで、ミスターはなぜ研究棟に?」
 リバーはオリヴィエに尋ねる。
「わたくしは、こちらのお二人とは少しご縁がありましたので、手をお貸しすることにしたのです」
「それは貴方のご主人の命令で?」
「いいえ。主に知れれば、解雇の可能性もございますね」
 淡々と穏やかな口調でそんなことを言う。
 エリスの方はとても平常を保ってはいられなかった――かといって、ここであの少女のことを言うわけにはいかない。
 青い顔で見上げてくるエリスに、オリヴィエはにっこりと微笑む。
「大丈夫でございますよ。きちんと説明申し上げれば、旦那様はご理解くださるはずですから。それに、これはあくまでわたくしの独断ですから、貴女がご心配なさる必要はないのですよ」
「……は、はい……」
 恐縮するエリスに、リバーが声をかけた。
「ミス・ソールン」
「はい」
「貴女のお兄様の行方を追えるよう上申してみます。逃亡した研究棟の所長たちの人質となっている可能性もありますから」
「……はい、よろしくお願いします」



      ※※※



 宇宙港の一角に立ち並ぶ倉庫群――その目の前には政府軍の宇宙船が並んでいた。
 宇宙船のクルーらしき男がドアを開けると、研究棟所長ほか十数名の男女が一斉にこちらを向いた。
「遅いじゃないか。何をやっていたんだね」
 上等のスーツを着込んだ中年の男が怒鳴るように言えば、
「おい、本当に大丈夫なんだろうな? 多額の金を払ってるんだ。奴らの手が届かない場所まできっちり送ってもらわないと困るぞ」
 別の男が畳みかけるように問う。
「妻と子供は別便だそうだが、そのあたりは大丈夫なのか」
 彼らはいずれもこのサタナでの上流階級に所属するものたちだった――特に研究棟の「研究」に深く関与するものたちだ。無論、その中には軍幹部もおり、化学兵器開発主任や多方面にわたる研究機関からの「研究物」売買に携わる経理部長などもいた。

 彼らはある『保険』に入っていた。

 万一のときにはサタナから安全に避難するという目的の――つまり、すべての責任を放り投げ他星系へ逃亡を図り、見知らぬ土地で安穏な生活を送るというスペシャルオプション付きの『保険』である。

「はい。すべて滞りなく準備は整いました。ご安心ください。皆さんを安全な場所へ移動させるのが私の仕事ですから。もちろん、その後の安全も保証させていただきます」
 トイはクルーキャップの下から笑みを向け、人々を安心させた。

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