4章

火山へ続く道は、炭鉱よりも露骨に“生き物”だった。
岩が熱を吐き、地面がじわじわと脈打つみたいに温かい。
ときどき遠くで、ぶぅん……と低い唸りが聞こえる。噴気だ。
俺は走った。
崩れた道を飛び越え、灰の斜面を踏み抜き、近道を探して…
「っ…!」
足首が、嫌な角度でぐきりと鳴った。
瞬間、体重が抜けて膝が折れる。
「…くそ」
痛みが遅れて来る。熱い岩の上なのに、そこだけ冷えたみたいだった。
『ほーら見ぃ!!』
胸の奥から、待ってましたと言わんばかりの声が響いた。
『無茶するからや!言うたやろ、止まれって!』
「…うるさい。平気だ」
俺は立ち上がろうとして、足を着いた瞬間にまた顔が歪む。
ブランが、横から淡々と言った。
「どうみても平気じゃない」
「…お前まで言うのか」
『そら言うわ!足挫いたまま火山突っ込む気か!?』
ネーロの声は怒ってるのに、どこかホッとしてるのが分かる。
怒鳴れるってことは、まだ余裕があるってことだから。
俺は歯を食いしばった。
「もたもたしている場合ではない…」
「分かってる」
ブランが短く言う。
「だから休む」
『せや。休憩が必要や。いまは我慢や、ノア』
「休んでる暇なんか…」
その時、風向きが変わった。
硫黄と、湿った湯気の匂いが鼻先を掠める。
俺たちは、同時に前を見た。
ブランが様子を見に行った。俺も後に続く。
岩の裂け目の向こうに、湯気が立っていた。しかも小さな溜まりじゃない。
割と大きめの湯だまりが、岩に囲まれてぽっかり開いている。
そして妙に整っていた。
湯の脇には木の立て札。
その横には脱衣所みたいな小屋…いや、ちゃんと“湯屋の簡易版”みたいなものがある。
「…温泉?」
俺が呟くと、ネーロが即座に食いつく。
『確か…天然の風呂と聞いた。てことは…そう!天が休め言うとる!』
「天の声みたいに言うな」
触腕が伸びて湯に手を入れた。どうやら湯加減を確かめているらしい。
『湯加減もちょうどええぞ。ちょっと休憩しよか!』
「いらない」
俺は即答した。
「こんなところで浸かってる場合じゃ…」
「必要だ」
ブランが言った。
「今のお前は、浸からないと動けない」
「…断る」
俺が一歩踏み出した瞬間…視界が斜めになった。
「!?」
「しかたあるまい」
ブランに背中を押されたようだ。
押したというより、雑に突き落とされた。
「うおっ!?」

ばしゃん!

湯が跳ねた。
熱いのに痛くない。ちょうどいい湯加減が、容赦なく全身を包む。
「ぶっ…おま、なにして…!」
尻もちをついた状態で俺が顔を上げる。
すかさずネーロが下半身に触腕を生やして底をがっちり掴んだ。これでは動けない。
『ほらほら、ノア。観念せぇ。温泉は逃げへん』
「別に逃げてない」
『おい暴れんやない。足もっと悪化するで』
俺は湯の中でジタバタしかけて、足首の痛みに顔をしかめた。
…湯の熱が、そこにじわっと染みる。
『捻挫って温めるのも効くって知ったで』
ネーロが勝ち誇ったように言う。
『ほな、服はあっちで乾かせ。びしょ濡れや。風邪ひくで』
「…誰のせいだ」
俺が睨むと、ブランは何事もなかったように湯面を見つめた。
「必要な処置だ」
「雑すぎんだろ!」
「脱げないなら、俺が手を貸そう」
「いやちょっと待って…」

…待ってくれなかった。

身ぐるみをすべて剥されネーロがどこから拾ったのかわからないタオル一枚にされる。残りの服は、温泉のすぐ横。自然の岩盤が温かいため、そこで乾かすことにする。
湯気と熱で、布がゆっくり乾いていく。
ネーロはというと触腕で足首を揉みほぐしてくれていた。
痛みが少しずつ“鈍い熱”に変わっていく。
上で見ていたブランは、風呂というものに興味を示したのか、一緒に入ってきたのだが…
「何故お前はそのままだ」
一切脱がず、そのまま湯に入ってきた。
「問題ない」
「大ありだろ」
ブランは真顔で首を傾げた。
「そもそも、温泉というものはなぜ服を脱ぐ概念がある?」
「俺に聞いても知らん」
『まあ別にええやろ。どっかでは水着着て泳げる温泉もあるっちゅうし、服必ず脱ぐということはあらへん』
ネーロが割って入る。
俺は湯気越しにブランを見る。
変なやつだ。けど、変なくせに…見張りだけは怠らない。視線はずっと周囲を掃いている。
「ダルクから聞いたが…ブランは完全に敵かと思っていた。ネーロ側だったのか…」
『まあせやな。実は俺達、二人だけの時期が長かった。だから信頼関係ってのは厚い』
「俺がネーロを裏切ることは一切ない」
ブランが言い切る。
湯気がふわっと揺れる。
俺は胸の奥の気配を意識した。ネーロは今も俺の中にいる。
けど、その声はさっきより少し柔らかい。
『俺はリーダーや。あいつらのまとめ役や。…でも核を壊されて、身体が不完全になってしもうた。修復には時間がかかんねん』
「なぜノアを選んだ?」
ブランがネーロに尋ねた。決闘相手にまさかネーロがいたのは、内心驚いたのかもしれない。
『俺の魔力と近かったんよ。だからノアを選んだ。助ける代わりに、匿う契約や。お前も気に入ってるようやし俺達やっぱ相性ええな』
「…そうか。ネーロに選ばれたということか」
『ほんまは万全になってから来たかったんやけどな。ローザも…まだひよっこやし』
「ローザか…」
俺が口にすると、ブランの視線がほんの一瞬だけ湯気の向こうへ逸れた。
すぐ戻る。戻すのが早すぎて分かりやすい。
『あー、ここだけの話な。ローザは最後に作られたんよ。じつは俺達と構造は違っててな』
『魔法生物は基本食べなくても平気や。しかしローザは違う。普通に腹が減る。糖分に拘るんも、効率がええからや。せやけど、精神的には幼い。俺が面倒見とる。』
「…面倒見てるって言い方、保護者みたいだな」
『保護者や。文句あるか』
「ない」
俺が受け答えしてると、隣でブランが小さく言った。
「ローザは、弱くない」
その声は淡々としているのに、妙に真面目だった。
『知っとる。けどな』
ネーロの声に、少しだけ笑いが混じる。
『ブラン、お前、ローザに冷たいんやないか?もしかして…俺とローザ一緒にいるの気に食わないんか?』
「違う」
ブランの返答は速い。速すぎる。
『ほら図星や』
「違う」
『違う言うほど怪しいわ』
ブランは黙っている。
そして黙っているくせに、さっき俺を温泉に突き落とした行動を見るに、そのまま放ってはおけない性格なんだろう。
(…分かりにくい)
『ま、あいつはあいつで、影で色々手ぇ貸しとるで。あのスイーツに使ったセブンフルーツもブランが送ったんやろ?』
「送ってない」
ブランがぼそっと言う。
『ほな何や』
「…あの後使うだろうと感じた。それだけだ」
『はいはいわかってたやんけ』
俺は思わず笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。
温泉の熱が、足の痛みをじわじわ溶かしていく。
それと同時に、焦りの角が少しだけ丸くなる。
「あと少ししたら行く」
ブランが頷く。
ネーロが満足そうに言った。
『よし。支度終わったら、行こうか。俺が危ない言ったら止まれよ』
「…善処する」
湯気の向こうで、火山が低く唸った。
でも今だけは、その唸りが遠い。
 
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