4章

霧の森を抜ける道は、いつも湿っていて、音が吸い込まれる。
木々の間に立ちこめる白い靄が、足音まで丸め込んでしまうみたいだった。
「…バースト火山方面って、こんなに遠かったっけ」
俺がぼやくと、ステラが前を向いたまま肩をすくめる。
「遠いよ。だって火山だもん。アタイが案内してなかったら迷うって」
「たしかに」
「スタラも迷わない?」
「スタラはにおいでわかるー!」
スタラが胸を張る。頼もしいけど、あいつの“におい”が当てになるのは大体知っている匂いの時だけだ。
霧の森の出口が近づくにつれて、空気が少しずつ変わっていく。
湿った冷気が薄れ、代わりに、乾いた粉っぽさが混じった。
「あ…」
足元の土が、黒くなっている。
靴の底に、さらさらしたものがまとわりつく。
「ここから先、火山灰の森だよ」
ステラが言った。
霧が晴れるかわりに、木々の葉が鈍い灰色を帯びていた。枝の間に、灰が積もっている。
触れれば崩れそうな静けさで、森全体が“燃えた後”みたいに見えるのにまだ生きている。
「すげえ…景色、急に変わるな」
「火山が近いってことだね」
ローザが低く言った。いつもの柔らかさより、少しだけ硬い声だ。
そのローザが、歩きながらふいに目を閉じた。
唇がほんの少し動く。声じゃない。テレパシーだ。
「…ネーロ。聞こえる?」
「…」
「ねえ、返事して。いま、どこまで進んだの?」
返ってくるはずの“気配”が、戻らない。
ローザは眉を寄せ、もう一度、ゆっくり言葉を送る。
「ネーロ、お願い。ノアを止めて」
返事が、途切れ途切れにしか届かないのか。ローザの表情がわずかに歪んだ。
「…っ、だめ。ノイズみたいで…聞き取れない」
「ローザ?」
俺が声をかけると、ローザは目を開け、首を横に振った。
「まだ繋がってはいる。…でも、遠い。すごく電波が悪いみたい」
電波って言い方が妙に現実的で、逆に怖かった。
このテレパシーは、急にできるようになったらしい。
ヴェルの核を回収してから、ネーロが少しずつ力を取り戻してその“証拠”みたいに、ローザとネーロの間に細い道が通った。
だからこそ、今のこの不調が嫌な形で刺さる。
繋がるはずの道が、途切れかけている。
「…火山灰のせいか?」
マジカルが周囲を見回しながら言った。
「魔力の流れが、ずっと変なの。薄いのに、変な渦がある」
「渦…」
「うん。なにかが“かき乱してる”感じ」
背中がぞわりとした。
もしロッソが、ただ火山にいるだけじゃないとしたら…そこにジールさんが、勝負を挑いにいく。
「急ごう」
俺が言うと、みんなの足が自然に早くなる。
灰が舞い上がり、息を吸うたびに喉がざらついた。
やがて森の向こうに、赤茶けた地面と、煤けた建物の影が見えてきた。
煙突が何本も突き出ていて、遠くで金属を叩く音が響く。
「見えた。バーストタウン!」
ステラが指をさす。
霧の森の湿り気も、火山灰の森の粉っぽさも、その町の熱気の前では薄れていく。
胸の奥に、嫌な予感と焦りが一緒に入り込む。
(ノアさん、ジールさん…間に合え)
ローザが、もう一度だけ目を閉じた。
「ネーロ…聞こえる?…お願い、返事して」
返事は、返ってこない。
そして俺たちは、バーストタウンへ駆け込んだ。

バーストタウンに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
霧の森の湿り気も、火山灰の森の粉っぽさも、ここでは“熱”に押し流される。
地面の下から湧き上がる温度が、靴底越しにじわりと伝わってきた。
町は炭鉱の匂いがした。
煤と鉄と油の匂い。どこかでハンマーが鳴っていて、荷車の軋む音が途切れない。
それと、もう一つ…硫黄の匂い。
「ここって温泉の町でもあるんだよ」
ステラが胸を張って言う。
見ると、通りの先に湯気の立つ施設がいくつも並んでいた。湯屋の看板、湯気、濡れた髪の客。
火山の恩恵は確かにある。
けど、その恩恵と背中合わせで、被害もはっきり見えていた。
屋根の一部が黒く焦げた家。
補修板で塞がれた壁。
道端に積まれた、火山灰まみれの土嚢。
「最近、噴火が激しいらしいってバスタが言ってた」
「バスタ?」
「炎の精霊よ。普段はこの火山を見守ってるんだけど…精霊は皆やられたっていうなら今火山は無防備状態だもの…より噴火が激しくなっててもおかしくないわ」
マジカルが低く言った。魔力の流れを探る時みたいに、視線が町の空気をなぞっている。

 俺たちはすぐに聞き込みを始めた。
“全身黒い服の男”のノアさんの特徴を伝えると、何人かが顔をしかめた。
「黒い服ででかい?ああ、見たかもしれねぇ」
「どこに行ったか、分かりますか!」
「炭鉱の方へ入ってったよ。ここ数日、噴火で坑道がぐちゃぐちゃでな。入ってくのは正気じゃねえ」
ローザが一歩前に出た。
「一人でした?」
「いや…それがさ。白い服の男と一緒だった気がするんだよな」
俺の背筋がぴくりと反応した。
「白い服…?」
ハーデスさんの顔が脳裏に浮かぶ。
けれど、すぐに打ち消す。ハーデスさんは今、ダンの検査中のはずだ。ここにいるわけがない。
「白い服って、どんな感じなの?」
ステラが食いつく。
「すらっとしてた。妙に上品っていうか…炭鉱の町に似合わねえ白さだったな」
「…」
「二人とも急いでた。誰か追ってるみたいに」
俺は口の中が乾くのを感じた。
ノアさんは単独で走り出した。
なのに、“誰かと一緒にいた”?
「ノアさん…誰かと行動してるのか?」
俺がつぶやくとスタラが不安そうに耳を伏せた。
ローザも眉を寄せる。マジカルは黙り込んで、町の外れ、炭鉱へ続く道を見つめていた。
とにかく、炭鉱に入ったのは間違いなさそうだ。
「必要なもの、揃えてから行こう」
俺は言った。
炭鉱は暗い。火山灰で崩れやすい。噴気もあるかもしれない。
山登りのグッズはショップで売っている。登山道具や携帯食とか買えるものは買う。
「…急げるだけ急ごう」
町の喧騒の中で、俺たちは装備を整えた。
煤と湯気の匂いが混ざる通りを抜けて、炭鉱へ続く坂道へ向かう。
炭鉱の入口は、黒い口みたいにぽっかり開いていた。
そこから流れてくる冷たい空気が、火山の町とは別の顔を見せている。
(待ってろ、ノアさん。ジールさんも)
俺は一度だけ息を吸って、暗闇へ踏み出した。
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