3章

ブラッドアップルパイの香りを抱えて、俺たちは霧の森に足を踏み入れた。
日中でも霧が立ちこめ、まさに迷いの森ってやつだ。霧は足もとからじわじわと這い上がってくる。
木々の輪郭はぼやけて、少し目を離すと、さっきまで見えていた道がどこだったか分からなくなる。
「…さっきから同じ木の前、三回は通ってないか?」
俺が眉をひそめると、マジカルが尻尾をぱたぱた揺らしながら頷いた。
「うん。あの変な顔したキノコ、さっきからずっと右に見えてるし。どう見ても、アタシたち迷わされてる側よね、これ」
「ねー、これけんきゅうじょのときとおなじ?」
「不思議迷宮だなこれ…絶対カンコンソーサイの仕業じゃねえか…」
スタラが霧の奥をむむーっとにらむ。ラルドは腕を組みながら鼻を鳴らした。
「ゴースト達の様子がどうも変だな。見境なくなってる感じが強い。霧の“質”もさっきからいやな流れ方してる」
「と、とりあえず、たまきちちゃんに付いて行けば間違いはないかと…!」
ノオの肩の上で、青いサンタ帽をかぶったたまきちが、ぴょこぴょこ上下に揺れる。
その動きに合わせるように、彼女は足を進めた。
確かに、たまきちなら迷うことはない。
俺たちは顔を見合わせて、ノオの背中を追っていく。
霧の中、足音と滝の遠い音だけが、やけに大きく響いていた。

どれくらい歩いただろう。
やがて霧が少し薄くなり、視界が開けたその先…そこだけ、空気がひんやり重くなっていた。
古びた石碑がずらりと並ぶ、小さな墓地だった。
「…なんか、急に“ザ・霊界”って感じのエリアきたな」
「お墓がいっぱい…このあたり、ジェム家の管理エリアかしら?」
マジカルが周囲を見回す。
墓石ひとつひとつに、薄く光る紋章が刻まれていた。ジェム家のものだろう。
「おい、誰かいるぞ」
ラルドの低い声に、俺たちは一斉にそちらを振り向いた。
墓地の中央、朽ちた大きな墓石にもたれかかるように、誰かが座り込んでいた。
ボロボロの服。少し顔色の悪い肌。頭には小さなドクロの飾り。
「…あれ、もしかして」
ノオには見覚えがあるようだ。
「ルピ、さん…?」
ノオが息を呑む。
たまきちが、彼の方へふよふよと近づいていくが、その途中でぴたりと止まった。そしてノオの所に戻ってくる。
「ルピ?」
「あ、あいつじゃねえか、ルピアス=ジェム。サフィの双子の弟。死に違いでゾンビになってんだ」
ラルドが思い出したかのようにつぶやく。
じゃあサフィのことも知ってるとな?
…だが、嫌な予感がした。
「おーい、ルピ…さん?大丈夫か?」
俺が声をかけた、その瞬間だった。
がしゃん、と乾いた音を立てて、ルピが顔を上げた。
目が、真っ赤に血走っている。
「…はらへった」
しゃがれた声が漏れた。
「…は?」
「はらへった…くいもの…よこせえ…」
次の瞬間、地面を蹴り、ルピの姿が俺の目の前まで跳んできた。
「っぶな!」
咄嗟に後ろへ跳んだ俺のいた場所に、がつん、と墓石にひびが入る。
さっきまで、そこに俺の肩があった。
ルピはというと、墓石にかじりついたのか一部の歯が折れたようだ…。
「ちょ、ちょっと!?俺を喰う気!?いきなり噛みついてきたんですけど!?」
「ダルクたべてもおいしくないよ!」
スタラが爪を構え、ラルドが風魔法で牽制しようとする。
ルピは痛みをまったく気にしてない様子で、ふらふらと立ち上がった。
というか…今、折れてた歯、再生してないか?
「…におい…する…うまそう…」
ぎらり、と彼の視線がローザの背中…彼女が抱えていたバスケットに向いた。
「あ、やば、パイ狙われてる!ダメダメ!これおみやげなんだから!」
「いや話しても無駄だろ!?」
俺は叫びつつ、剣を抜いた。
「ルピ、ごめん!一回大人しくなってくれ!!」

中ボス ルピ
  
「本当に食うことしか頭にねえな…!」
あまりのしつこさに、ラルドは軽蔑したように吐き捨てる。
「うわっ!?」
「ダルクー!」
ルピに押されて体勢を崩してしまう。とっさに剣でガードするも、力で明らかに負けている。
ラルドも背後からフレイルの棒でルピを抑えているものの、棒が折れるのも時間の問題だ。
このままじゃ頭からガブリとされちまう…。
まだ死にたくねえよ!
「ノオ、どうしよう! あのままじゃダルクが食べられちゃうわ!」
「なにか食べ物があれば…」
「たべもの…」
「どきっ」
ノオ達はとっさにローザに視線が行く。
「ああ、あのアップルパイがあるじゃねえか!早くこいつの口に放り込んでくれ!」
ラルドが懸命に抑え込む。しかし暴れっぷりは増す一方で、ラルドの武器が持たなくなるのも近い。
「分かってる! 分かってるよ!今あげられる食べ物これしかないもん!」
「ダルクとパイどっちが大事なんですか!?」
「え、えっと…」
「いやそこ迷うとこじゃねえだろ!!!早く助けてくれーーーー!!!」
俺は必死に叫んで助けを求める。やばい、めちゃくちゃルピの顔が近い。噛む気満々の距離だ。
「ま、また作ればいいもんね…!ノオ、早くこれを!」
ローザがブラッドアップルパイのホールを取り出したと思ったら、とっさに食べやすいように1ピース切ってノオに渡す。
「まずは一口から!いくらお腹減ってても、味わってもらわなきゃノオだってわかってくれないと思う!」
ああ、俺もうダメだ…そう思った瞬間…。

「ルピさん! 落ち着いて! 食べ物はここにあります!!!」
ノオの叫びに、ルピの動きがピタリと止まる。
ルピはゆらりとノオの方へ振り向いた。
まずい、今度はノオがやばい…。
「…パイ?」
ノオからアップルパイを奪うと、そのままむさぼり食い始めた。
がつがつと、息もつかずに。
しばらくして目の色が、少しずつ戻っていく。
「これ…ノオのアップルパイ…」
「落ち着きました?」
「うまあい…」
その声がした途端、“ゾンビ”から“ただの食いしん坊の青年”になったように見えた。
たぶん見た目は、俺と同年代くらいだ。
「もっと食っていい?」
「はい、どうぞ」
ノオは残りのパイを差し出した。

しばらくして、パイはすっかりなくなってしまった。
「ああ…おみやげのパイ…」
ローザが茫然としていたが…今はあっちはあっちでスタラが慰めている。任せることにした。
「相変わらず食い方汚ねえなー」
「なんだ、お前もいたんかラルド」
「最初からいましたぜー。食い意地ナンバーワンのルピアスさんよお」
ラルドのジョークに、ルピはむっとしている。
どうやらこの二人、ちょっとからかい合う仲らしい。
「ノオとラルドがいるのはわかったんだが…お前ら誰だ?」
「俺はダルク、こっちはマジカル、あっちはスタラだ。向こうで茫然としてるのはローザ」
「アタシ達、サフィに会いに行こうとしてたのよ。皆好きだというアップルパイ焼いてね。あんたが空腹で襲って来たから、やむなくあげたってとこよ」
「兄貴に会いに? なんでだよ」
「話すと長いんだが…」
「俺あまり覚えらんねえから簡潔に頼む」
「頭腐ってんもんな」
「うるせえ!」
ゾンビだからしょうがないか…と内心思いつつも、ラルドのゴーストジョークは相変わらず冴えている。
「わかった。簡単にいうと、サフィの力で俺の友達を助けてほしいんだ!」
「僕からもお願いするつもりです」
 たまきちもノオに賛同してるのか、一緒にぺこりとお辞儀をしている。
「ふうん、なるほど…まあそういうことなら通ってもいいぞ」
「話が分かる奴で助かったぜ…」
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