3章

ゲンの「食事」の心配に限って言えば、ダルク側よりもむしろ恵まれていた。
海底研究所の一角。古びた実験区画とは別に用意された、やたらと豪華な食堂。
長いテーブルの上には銀の蓋が乗った皿がずらりと並び、天井には場違いなほど大きなシャンデリアがぶら下がっている。
「…おい、やりすぎじゃないか、アラン」
すっかりダンの身体に馴染んだゲンは、目の前の光景を見て思わず眉をひそめた。
「何をおっしゃいますかー。せっかく“器”を手に入れたんですし。
栄養バランスはもちろん、味も見た目も一流でなければ。死なれたら困るでしょう?」
向かいの席で薄く笑ったのは、現段階では実質リーダー格のアランだった。
いつものスーツとは違い、今回は給仕係ということで、きっちりと着こなした執事服の袖口を整えながら、手際よくグラスに飲み物を注いでいく。
「あ、彼は未成年でしたね。シャドーグレープソーダで代用させてもらいますよー」
「もとから酒なんて飲まんがな…そこまでせんでいい」
「やるからにはちゃんと拘りますよ、僕は。これはフルコースというやつです。前菜、スープ、肉料理、デザートまで、完璧に取り揃えてありますからねー。
ただ、ダン君も経験したことないんじゃないかな。なんせ最初見た時、完全に庶民って感じでしたし」
「確かに腹は減ったとは言ったが…こんなちんけな研究所で出すメニューじゃねえだろ…」
ゲンはぼやきながらも、目の前のメインディッシュに視線を奪われる。
こんがりと焼き上げられた厚切りステーキ。ナイフを入れると、じゅわりと肉汁が溢れた。
(うまそうだ…)
ダンがつぶやいてるような気がした。
ゲン自身は、元々そこまで食に執着する性格ではない。研究の合間にチョコレートバーや即席めんなど、簡単に済ませられる携帯食で充分だった。だが今は違う。
ダンという“狼の魔物”の器に入っているせいか、体の奥底から「肉を喰いたい」と命じられているような感覚があった。
「…ちっ、仕方ねえ」
ナイフで豪快に切り分け、ステーキを口に放り込む。
表面は香ばしく、中は柔らかくてジューシーだ。血の気を残した絶妙な焼き加減が、獣としての本能を刺激する。
「あれー? 悪趣味だの何だの仰ってましたが、結局がっつり召し上がっているじゃないですかー」
アランがくすりと笑う。
「…認めたくはねえが、うまいのは事実だ。だが、これは過剰だ。お前の『高級志向』もここまでくると、ただの悪趣味だぞ」
「悪趣味? ふふ、褒め言葉ですね」
注意されてもアランは反省するどころか、むしろ嬉しそうに肩をすくめた。
「なんせ千年も閉じ込められていたんですから。復活のお祝いくらい、豪華であるべきです」
「…そういうところだ。変なとこで拘るな」
ゲンはため息をひとつ落とし、もう一切れ肉を頬張った。やっぱりうまい。
一瞬だけ、ダンの表情に戻った気がする。
若い身体というのもあり、食欲はかなり旺盛だった。
食事は順調に進み、やがてテーブルの上の皿は次々と空になっていった。アランの用意周到さは、食事に関しても完璧と言っていい。
そこまでは良かったのだが…問題は、その後だった。
「おー、すごい。お代わりもできるなんて流石ですね。では、最後はお楽しみのデザートを」
アランがぱちんと指を鳴らすと、結晶でできた人型の生き物が、無言で別のカートを転がしてくる。
ふわりと甘い香りが食堂に広がった瞬間、ゲンの背筋がぴくりと震え、思わず鼻を押さえた。
「うっ!?…おい、アラン。それはまさか…」
「流石鼻がいいですね~。本日のデザートは、ジャロの好物をふんだんに使ったセブンフルーツのタルトです。
つい先ほどまでフォレストタウンに向かわれたそうですし、せっかくなのでジャロから少し分けてもらいましたよ」
銀の蓋が外される。
綺麗に盛り付けられたセブンフルーツのタルトが姿を現した瞬間、ジャロの工場で感じたきっつい臭いが、ゲンの脳裏をよぎる。まさかこのフルーツって…
(おい!なんだこの臭いは!!腐ってないか!?)
(えー?しょんなことないじょ?ボクちんにはしあわせのかおりー!)
あの時のセブンフルーツ工場で、大量にフルーツが加工されていた過程。
そしてそのフルーツを量産している正体…ものがフルーツにされる瞬間も、ゲンは知っている。ジャロは一切気にせず、そのジュースを一杯飲んでいたのだ。
「おい! セブンフルーツはやめろ!!」
ゲンは顔をしかめて椅子を引いた。
「えー? なんでですか? 見た目は綺麗ですよ?」
アランが悪びれもせず、タルトをくるりと回してみせる。
「見た目の問題じゃねえ…鼻が腐る…」
「…さてはジャロのところで、なんかおぞましいものを見ましたね? まあ、僕たちは耐性があるので」
そのとき、食堂の扉の陰から、ひょこっと青い影がのぞいた。
「…?」
「おや、ブルじゃないか」
アランが気づいた。ブルだ。
ゲンに近寄り、言葉を発さずタルトをじーっと見つめている。涎でも垂らしそうな勢いだ。
「もしかして、食べたいのか? このタルト」
「…!」
ブルは期待のまなざしをゲンに向けてくる。
「ちょうどいい。それはくれてやる。…さっさと全部持っていけ」
即答だった。
「これ全部食べていいの?」と言わんばかりにブルはぱあっと顔を輝かせ、皿に盛ったタルトを抱えて、るんるんで奥へ下がっていく。
「ブルも甘いもの食べたかったみたいですなー。さっきまでダン君を抑え込むのに集中してましたから」
「本当にお前らというのは…おい、手で食うな。フォーク使え」
ゲンはブルめがけてデザートフォークを投げつけ、呆れて額を押さえた、そのとき。
 
静かに、食堂の扉が開いた。
「ゲン様、ちと失礼するぞ」
「おや、僕らカンコンソーサイ四天王“最弱”なヴェルじゃないか」
「アラン殿、会うたびにいちいち煽るでない」
入ってきたのはヴェルだった。さっきまで雪うさぎの森にいたのか、体中うっすら雪まみれだ。
「ヴェル。何の用だ? 魔力を集めるよう命じたはずだが」
「そうなんじゃが、ちと緊急事態が起きたのでの」
ゲンが飲んでいたソーダグラスを置き、真剣な表情に切り替える。
 「ジャロが…やられたわい」
食堂の空気が一瞬で冷えた。
「…なんだと」
「えー、僕らの中では、ブルと同様戦闘能力が低いジャロが?」
「いちいち余計なことをつけるでない」
ブルは自分が呼ばれたのかハッとしながら、奥でこそこそタルトを食べている。
ゲンは一瞬だけ目を見開き、すぐに椅子にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。
ジャロに関しては戦闘能力こそ低いが、持ち前の変化呪いや、からくり程度に弄れるメカの才能がある。
あの(おぞましかった)フルーツ工場ごと落とされたというなら…
「ネーロか」
「そうじゃ。そして新参者のローザ、それにダルクという小童も絡んでおる。
 ジャロの核は回収されており、精霊も何名か、アランの宝石化から逃れたようじゃ」
「…ちっ」
ゲンは舌打ちした。
「あれー? 僕の術が見破られたのかー。思ったほか早かったなあ」
「明らかに精霊の救出方法も見出したか」
「ネーロが完全復活したら、僕でもお手上げですよー」
「とはいえ、まだ不完全な存在。ネーロを叩くのもいいが後ろ盾がでかい。そっちを潰さんとネーロに手出しも不可能か…」
「ダルク君の一味のことですね。誰が行きますか?」
「ロッソはどうした?」
「相変わらず、火山の温泉巡りですよ」
「使えん野郎だ…」
「なら、儂がいこうかの?」
ヴェルが名乗り出た。
「ほう、できるか?」
ゲンが目を細める。
「えー? 四天王最弱のヴェル、君にできるというのー?」
「余計なこと言うではない。儂のこの変身能力を使えば……」
ヴェルが煙をあげてどろんと変身し、ダルクの姿になった。
「周りを混乱させることで、戦わずして潰し合いなんて簡単だぜ」
アランがくすっと笑った。
「ダルクはそんなこと言わねえが…」
ゲンはうっかり口を滑らせる。今のはダンの意識か、それとも…
「ほうほう。でも君の本来の仕事は“魔力の回収”でしょう?」
挑発めいた物言いに、ヴェルの笑顔が一瞬だけ引きつる。
またどろんと変身し、今度はスタラになる。
「さぼってないもん!けんかしてもらえば、なにもしなくても…」
今度はラルドに化けてアランを挑発する。
「散らばった魔力を集めればいいんだよ!」
「変身能力だけは素晴らしいねえ」
アランは褒めているようで、あおっている。
ゲンはしばし、黙ってヴェルを眺めた。
「…わかった。だが、お前の実力は“戦闘型”としては最小に調整してある。それを補うためにも、精霊石を2個まで持っていけ」
ヴェルはローザに化けた。
「えー! 2個も持ってっていいの?」
「ただし、絶対にしくじるな。いいな? アラン、渡してやれ」
「いいけど…ローザの姿はやめてくれよ…」
精霊石はアランが管理しているらしく、ケースの中から石を2個取り出し、ヴェルへと渡した。
色からして、地と風か。
「おおきに、ゲン様! ほな、俺ちといってくるわ!」
ネーロの声で言いながら、どろんと消える。しかし姿は煙を出しすぎたせいで、よく見えなかった。
「煙出しすぎだよ…そういえばネーロの姿ってああでしたっけ…?」
「どうでもいい。もう破壊された存在、俺の手で作ってないカンコンソーサイなんてな…」
アランには一瞬だけ、ネーロの“本当の姿”が見えた気がした。だが、ゲンにとってはどうでもいいことだった。
「さて、一刻も早く“アレ”を完成させるか」
「お、もう終わりですねー。ビストロ・アランのご利用ありがとうございました~」
ゲンは席を後にすると、再び研究エリアへと向かっていった。
2/8ページ
スキ