ノアの研究
第四話「その距離が心地良い」
ノアによる研究が始まってから早一ヶ月。ルカは寝ても覚めてもこの宇宙人がいる事に慣れてしまっていた。普通の人ならば、数日で音を上げるだろう。しかし、他人がいても自分のペースを崩すことのないルカにとっては、ノアがいるのは些細な事だった。
「ルカ、また零した」
「あ、本当だ」
昼休み、ノアとルカは机をくっ付け隣合って食べていた。これが日課になっていた。一ヶ月間一緒にいれば、自然と相手の事が分かってくる。ルカは何か食べる際に話していると、必ず食べ物を落とす事にノアは気がついていた。
「話している時は何も持たない方が良い」
「分かってんだけど、なんつーか……。小さい頃からの癖みたいだから中々直んないというか」
「何度も注意されるのは、馬鹿だ。阿呆だ。間抜け野郎だ」
「そこまで言わなくたって良いだろ。んな事言ってるとノアの正体言いふらすぞ」
言った瞬間ノアの瞳が真っ赤になった。他の生徒がいる所で触手は出せないのだろう。ルカは赤い瞳から目が離せなくなった。何故だか息がしづらいような気もする。
「ルカ、約束を破ればどうなるか忘れたか?」
「忘れてないって!今のは冗談」
「そうか、なら良い」
ゆっくりとノアの瞳が漆黒へ戻っていく。それと同時に息もしやすくなった。気が付けばルカは冷や汗をかいていた。一瞬、本当に殺されると思ったからだ。宇宙人に殺されるのは本望と言ってしまったが、本当は死ぬのが怖い。生き物の本能的なやつだとルカは考える。そんなやり取りをしていると、昼休みを終える鐘が鳴った。
「まだ弁当全部食べてなかったのに……」
「ずっと喋っているからだ。阿呆」
そう言い捨てるとノアは机を元に戻し、教科書を準備する。一方のルカは急いで弁当を片付けると、ノアと同じく教科書を出そうとした。
――あれ、もしかして忘れた?
慌てて鞄の中を見るも教科書は無かった。どうやら忘れてしまったらしい。今度は違う意味で冷や汗が出て来る。ノアに助けを求めようと視線を送ると、すぐに気が付いたのかルカの方を向いた。
「忘れたのか?」
「うん」
「放課後、私に何か捧げろ」
教科書を手に取ると、もう一冊同じものが現れる。初めから二冊重なっていたのを取ったようにも見えた。ノアはそれをルカへ差し出す。
「ありがとう、ノア」
「放課後、忘れるな」
「分かったって」
ノアから教科書を受け取ると、ルカは中のページを確認する。どこからどう見ても新品の教科書であった。宇宙人の能力に感心していると、先生がやって来て授業が始まった。
放課後、二人は学校からほど近いドーナツ屋へと来ていた。教科書の礼をする為だ。
「好きなの何個でも頼んでいいから」
「ルカの財布に入っている金ぎりぎりの値段までにしてやる」
「ありが、とう?」
ショーウィンドウ越しにドーナツを見ると、何にするかノアはじっくり考える。決まったのか生クリームが中に入っているであろうものを指差すと、店員にそのドーナツを十個頼む。ルカは色々な種類のものを選ぶと思っていたので驚いていた。
会計を済まし店員からドーナツを受け取ると、店内の空いている席へ行く。学校から近いのもあり、店内は同じ学校の生徒でごった返していた。
「席空いてて良かったな」
「空いていなければ、譲ってもらえば良い」
転校初日にやっていた謎の力で他の生徒を操ればいい。そう言っているようだった。
「あれ反則だろ」
「抵抗する術を持っていない地球人が悪い。それよりルカ。ひとつだけ食べることを許可しよう」
トレーの上で山盛りになっているドーナツをひとつ取ると、ルカへと渡す。食べられないと思っていたルカは、ただただ驚くばかりである。
「良いの?」
「ルカと共に過ごしている中で分かったことがある。何か食べる時は、共に食べた方がより美味しい」
「ふーん、ありがとう」
ドーナツを受け取りルカはにこりと笑った。それにノアも微笑み返す。そんな時、聞き馴染みのある声で名前を呼ばれた。
「お、ルカじゃん。お前らずっとつるんでるよな。ところでルカちゃん、その後宇宙人は見ちゅかりまちたか?」
馬鹿にしたように聞いてくるこの男こそ、ノアが転校してきた日に「ルカ二号かよ」と言った張本人であった。ルカは返答に詰まってしまう。この男はそんなに好きではなかった。何かにつけてルカの事を馬鹿にしてくるからだ。思わず俯いていると、ノアはいつもの笑みを浮かべたまま男子生徒に声をかけた。
「今ルカと大事な話をしている。邪魔をするな」
ノアの瞳が真っ赤に染まる。すると男子生徒はまるで何かに乗り移られたかのように、その場から立ち去って行った。
「ルカ、邪魔者は消えた。あの者は何年かしたら死ぬ。だからあまり気にしない方が良い」
「う、うん。なんかありがとう」
「次の小遣いが手に入ったら、また何か捧げろ」
「分かった」
「では、ルカ。このドーナツを共に食べよう」
ノアはドーナツを両手にひとつずつ手に取ると、嬉しそうな表情でそれを口に入れていく。ルカも貰ったドーナツをひと口齧る。甘い生クリームの味が口内へ広がった。
「美味しい」
「ここのドーナツ屋はとても良い。後で仲間へ教えておこう」
その一言でルカは思わず大きな声を出してしまう。
「他にもいんの?」
「ルカ、声が大きい。それ以上その声量で話したら後で殺す」
「ご、ごめん。で、他にも来てるってこと?」
「ああ、そうだ」
ノア以外にも地球外生命体がいる事に、ルカは興奮した。きっと目の前の宇宙人のように、上手く擬態しているのだろう。もしかしたら、今この空間にも紛れ込んでいるかもしれない。日常と非日常の狭間で、ルカはこれ以上の喜びなどないと思っていた。
