迦楼羅先生×寂雷先生

 ある日の寂雷は、夜遅くまでカルテ整理をしていた。
 ブツブツ独り言を言いながら、綺麗な字を書いていく。

「仕事熱心なのも寂雷ちゃんの『美徳』だが、そろそろ切り上げたらどうだい?」
「かっ、巫先生……。」

 寂雷は、戦時中に衛生兵でありながらも殺し屋をしていた過去がある。
 気配には人一倍敏感なはずなのに、巨躯の迦楼羅は音もなく引き戸を開いて、上レール部分に両手をかけながら現れた。

「巫先生こそ、時間、遅いですよ。」
「たはは、いやぁ、没頭しちまうよなぁ。」

 上レールから両手を離した迦楼羅は、寂雷に近づく。
 背後から身を屈めて、デスクに両手をつき、寂雷の頭頂部に顎をのせて密着する迦楼羅に対して、寂雷の鼓動は速くなる。
 寂雷は、ペンを置いた。

「お、この人かい。」
「……ええ、巫先生の精神科にも、通院、してますね……。」
「いかんせん自己評価が地の底なお人だからなぁ、いっそ退職代行を手配しちまうかぁ。そーしねえと、死んじまうぞ。」
「……そこまで、介入しても、よろしいんでしょうか……?」
「俺も寂雷ちゃんも、患者さんが休職する為の診断書を書くだろう?あれと一緒。救える命があるなら、救うのが医者だ。」
「たし、かに……。」
「ま、そこは俺がするわ。寂雷ちゃんは寂雷ちゃんの言葉で、技術で、救えばいいんだよ。」

 この人は、そうやって、独りで「戦う」──そう寂雷は思うのだ。
 さりとて寂雷は、その「立場」に「追いつけていない」のも、痛感している。
 寂雷は、それがとても「歯痒く」て、なのにとても「安心」してしまう。

「……巫先生は、とても『狡い』です……。」
「ジジイにもなりゃ『狡さ』にも『磨きがかかる』ものさね。」

 寂雷は、デスクについたままの無骨な両手で囲われたまま、回転椅子でくるりと回り、前屈みの迦楼羅の胸板に抱きついた。
 トク、トク、トク──規則正しい心音に、また、寂雷は「狡い」と、ベルベットの艶やかな声を吐息に混ぜて言う。

(私の心音は『騒がしい』のに、迦楼羅さんの心音は、とても穏やか……。『狡い』です……。)

 迦楼羅の両手は、デスクにあるまま。
 抱き締めることは、しない。
 寂雷から、してほしいと言われていないからだ。

「……私、は……迦楼羅さんの、『何』、ですか……?」

 寂雷は迦楼羅の胸板から顔を離し、迦楼羅を見上げる。
 迦楼羅の、天然パーマの前髪から、世にも珍しいアースアイがチラチラ見え隠れしている。

「可愛い寂雷ちゃん。」
「……『それ以外』で……。」

 顔が、熱い。
 耳が、熱い。
 身体の内側が、熱い。
 寂雷の全てが、『熱く』なっていく。

 迦楼羅の右手が、動いた。
 目隠れの前髪が、上げられた。
 「雄」の、目を、している。

「……言って……っ、迦楼羅さん……っ!」

 寂雷は美しい顔を歪め、迦楼羅に「訴える」。

「ジジイは『重い』ぞ?」

 ずい、と顔を近づける迦楼羅の顔は、「見たことがない男の顔」をしている。

「そうじゃないっ。……『もう逃げないで』ください……っ!」
「逃げちゃいねえさ。ただ、『待っていた』だけだ。」
「私はっ、貴方無しじゃっ、『息の仕方すら忘れてしまった』のです……っ!」
「堪んねえなぁ……。」

 アースアイは再び、前髪で隠れた。
 無骨な両手が、寂雷を、白衣ごと抱き締める。
 寂雷は、しなやかな指で力一杯、迦楼羅の白衣を掴む。

「私はっ、迦楼羅さんでっ、『めちゃくちゃ』になってしまいたい……っ!」
「してやらぁ。……ジジイの『重さ』に、腰抜かすなよ?」

 迦楼羅の左手が、寂雷の顎をクイと上に向かせた。
 潤むライトブルーのような寂雷の瞳が、そっと閉じられる。

「んっ……ん、ふ……。(私は、この唇の感触を、知っている……。……なぜ……?)」
「──考えんな……今は、『溺れとけばいい』んだよ……。」

 噛みつかれるような唇へのキスは、暫く、寂雷の診察室で行われた。

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