冨岡蔦子の破顔

 
 冨岡蔦子は困惑していた。
 仕事が休みのその日、別で洗う自分の下着やブラウス以外の洗濯物を乾燥機から取り出して畳んでいると、弟のTシャツとともに一枚、小さな布がはらりと落ちてきたからだ。
 どう見ても女性ものの下着だ。けれど自分のものではない。機能性の高いものを好む母にしては頼りなさすぎるし父と弟では入らないと思う。
 薄いブルーのサテン生地と花柄のレースに縁取られたそれは若い女性の、具体的に言えば、学生時代からの親友のショーツだった。

 なにも蔦子とていくら親友でも他人の下着を把握する趣味は持ち合わせていない。それは数週間前、久しぶりに休みを合わせて二人で温泉に行った時に彼女が身に付けていたものなのだ。
 たったそれだけで記憶していたのにも理由がある。気心の知れた仲ゆえか洗い立ての髪と下着姿でフルーツ牛乳を一気飲みする彼女を見ながら、
「こういう下着姿を義勇ももう見たことがあるのかしら」
 と考えていたからだ。
 親友は、昨年の夏から弟の恋人でもあった。
 彼女はとても可愛い。顔や服装や髪型、仕草も声までも可愛らしい。勉強もできたしスポーツも色々チャレンジしていた。少し面倒くさがりで服を片付けなかったりよくスマホの充電を切らしてしまうけどまぁそれはご愛嬌。彼女の魅力の何パーセントが持って生まれたものなのか蔦子は知らない。けれど多くが彼女自身の努力の賜物であることは知っている。ぶりっ子、あざとい、男好き。昔から色々言う人はいたけれど「自分は愛されて幸せになりたいんだ」と一貫して頑張る姿が蔦子にはとても好ましくみえた。そしてそれは弟も同じらしかった。
 小学生の頃からの長年の片想いを昨年ようやく実らせた弟は、今年の冬に十八才になったその日にプロポーズをした。弟の片想いは家族全員知っていて密かに心配も応援もしていたし付き合い始めた時は母とこっそりケーキなんか食べたけれど、前から話を聞かされていたとはいえ本当に婚姻届の証人欄に署名をしてほしいと持ってきた時はさすがに驚いた。でも義勇は昔からそういうところがある子だった。
 結局結婚は先延ばしにはなったけれど、大学生になった義勇は「泊まる」と言って出掛ける日ができた。一応はもう結婚もできる成人男性、それでもまだ学生。「今日義勇くんうちに泊まります」と毎回彼女からもうちに連絡が入るのを本人は知っているのかいないのかわからないけれど、蔦子にとってはその程度には弟は子どもだった。

 ……それにしても。
「……どうしよう、これ」
 ひとまず中が見えない袋には入れたけど義勇に渡すわけにはいかないし、彼女に連絡してみようか。『義勇がうっかり持ってきちゃったみたいごめんね』って、いや、無理。というか万が一、これは本当に万が一だけど、思春期のほぼすべてを彼女のことばかり一途に思っていた男の子だ、うっかりじゃない可能性もなきにしもあらず。……まさかおかしなことに使ったりはしてないわよね。
「義勇……姉さんは心配よ……」
 とりあえず下着姿を見ているのは決定だ。泊まっているんだからまぁそうだろう。おそらく遅くに帰ってきたあのプロポーズの日以来。どうせまた部屋に散らかっていた洗濯物か何かがタオルとかに紛れ込んで持って帰ってしまったとかそんなとこだろう。でも弟のそういう行為をあまり考えたくはない。まして相手は親友だ。
 はぁぁぁ、と袋を前にしてリビングで頭を抱えた時、
「姉さん」
 開いていたドアからひょこりと覗いた顔に、ソファーの上できゃあっと漫画のように飛び跳ねた。
「出掛けてくる。今日、泊まると思う。母さん達にも言っといて」
「わ、わかった。……あっ、待って! これ……、渡してくれる? 私からって」
「壊れるもの?」
「ううん、……ハンカチ。でも家で一人で開けてって言ってね」
 義勇は一瞬きょとんと目を瞬くものの、うん、と頷きその袋をバッグに詰め込んだ。その手の意外な大きさに今さら気がつく。子どもだと思っていたこの可愛い弟がいつの間にかそんな大きな手で好きな子を抱き締めるようになっていたのかと思えば急に感慨深かった。
 
 玄関まで見送るとスニーカーを履いた義勇が、姉さん、と改まった顔で振り返った。
「ありがとう」
「なにが?」
「あいつと出会わせてくれて。俺は今もこれからも幸せだから」
 行ってきます、と五月の明るい光が降りそそぐ中へ駆け出していく後ろ姿に鼻の奥がじわりとする。……もう、いやだわ、今からこんなんじゃきっと姉さん当日は号泣しちゃうわ。

 いつか来るだろうその日を思い浮かべながら、冨岡蔦子は破顔する。
 サムシングブルーにはあの下着に似たガーターベルトを彼女に贈ろうと決めながら。

 
 
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