プリンセスにはまだなれない





「あんた小学生の頃から結婚願望強かったよね? なのに彼氏まだ高校生って、馬鹿じゃないの?」
「……もうすぐ大学生だもん」
「うわー、『もん』だって。出たよぶりっ子」

 世の中で一番遠慮がないのは学生時代の友人だと思う。聞きたがるから話したのに、とまだ抜けない癖で頬をふくらませるとあの頃と同じ距離感で笑われ、言い返す代わりにグラスを傾けた。

 ついさっき、へーカシオレやめたんだ、と揶揄われたばかりのそれは梅酒のお湯割りだ。初々しさアピールするためのあのジュースのような味のお酒は嫌いじゃないけど特別好きでもなかった。まあ梅酒も充分可愛けど、そもそも誰かにアピールする必要がもうなかった。

「だって好きになっちゃったんだからしょうがないじゃん」
「いや……まあ、わかるよ。蔦子の弟って格好良かったもんね。いいんじゃないたまには若い子、うん」

 意見を翻したのはどうせまた数ヶ月で別れると思われたのかもしれない。今度は違うもんとまた唇を尖らせながらもそれ以上はやめておいた。

 まだ高校生。そのことになにも引っかからないわけじゃなかったから。




 ◇




 子どもの頃、わたしはお姫様だった。ずっと誰かに守られていられるんだと思っていた。

 最初それはパパとママだった。家は裕福で仲が良かったし、ふんだんに愛を注がれて不自由なく育った。少し大きくなると世界に男の子が加わった。わたしと話す順番ができたり、わたしを巡って喧嘩が起きた時はドキドキした。可愛いって言われるのは好きだしそのための努力は苦じゃなかった。
 大人になるまでにいくつか恋をして、次は優しくて包容力も金銭的余裕もある旦那様が幸せにしてくれるんだと疑わなかった。甘やかされていると気付かないほど大切に育てられたわたしにとってはそれが既定路線だったし、『めでたしめでたし』で終わる平穏な生活が送れるはずだった。わたしはずっとお姫様だった。

 だけど、パパとママが離婚した。あんなに仲良しだったのに。
 みんなが『めでたしめでたし』じゃないんだと知って傷ついたけど物は考えようだ。毒りんごや意地悪な継母的なハプニングがなにもない物語はつまらないって思えばいい。
 それでも色んな男の子と付き合ってみた。
 わたしだけ愛して幸せにしてくれる人を探して。



 
 義勇くんに最初に会ったのは、まだ彼が小学生の時だ。
 同じクラスに転校してきた蔦子ちゃんとは部活も一緒で家も近所ですぐに仲良くなった。初めて遊びにいった時、弟の義勇、と背を押されてやってきた男の子は青い目で真っ直ぐわたしを見つめながらランドセルのベルトをぎゅっと握りしめた。

「義勇くん、こんにちは。お邪魔します」
「……こんにちは。姉がお世話になってます」

 ベビーピンクに塗った唇でとっくに癖になっていた一番可愛くみえる角度で笑うと、声変わりもしていない声で返事をしながら赤くなったその耳に、あーわたしって年下キラーでもあったのかと内心ご満悦だったのだ。お姫様が聞いて呆れる。

 それでもその日からわたしは、義勇くんの『きれいで可愛い憧れのおねーさん』になった。
 つもりだった。




 それからも会う機会は何度もあった。
 ママが遅くなる日は夕ご飯をご馳走になることもあったし、週末や夏休みには蔦子ちゃんと一緒に買ったパジャマを持って泊まりに行くことも少なくなかった。

「義勇くん、それ……もしかしてひげ?」

 高校を卒業してからも時々遊びに行っていたその夕方、洗面所を借りて蔦子ちゃんの部屋に戻るところで義勇くんが帰ってきた。
 学ランに大きなスポーツバッグを背負った中学生が通れるよう廊下の壁際に寄った時、なめらかな頬に生えている産毛のようなものがすれ違いざまにちらりと見えた。

「すっかり男の子になっちゃって」

 そこに手を伸ばしたのは恋人ターゲットの範囲外からくる余裕とお年頃の男の子をからかいたい悪戯心だった。なのにすんでのところでそれが防がれた瞬間、うろたえたのはわたしのほうだった。

 あの日ランドセルのベルトを握っていた手はいつのまにかわたしの手首を余裕で掴めるほど大きく力強かった。
 真正面よりも少しだけ上にある目が真剣な色を帯びて、

「俺はずっと男だ」

 低く静かな声で憧れのおねーさんなんかじゃなかったことを教えてきた。
 



 それからあまり行かなくなった、わけでは全然ない。わたしの世界の男の子が一人増えただけだ。
 適度な褒め言葉と笑顔、上目遣いとさりげないボディタッチ。他の男の子にするのとなにも変わらない。それが少しだけ緊張するのは友達の弟だからだ。絶対に。高校生になってぐんと伸びた背やふいに見せる大人びた表情に、きっとすぐに彼女ができるんだろうなと思えば胸がざわつくのも、――絶対に。

 けれど物語は、大抵そんなときに急展開するものなのだ。




 ◇




「……人の家の前で何してるんだ」

 玄関ドアに寄りかかってうずくまっていると自転車のブレーキ音に続いてそんな声が聞こえた。高校生が帰るにしては少し遅い。部活? と聞くと友達と勉強していたのだと義勇くんは言った。

「蔦子ちゃんかおばさんいないの?」
「出ないならいないんだろう。なんで連絡してから来ないんだ」
「充電切れちゃったの」
「コンビニに行け」
「……冷たい。どうせ男なんてみんな冷たいんだ」

 膝に顔を埋めて鼻をすするとしばらくして自転車を止め隣にしゃがむ気配がした。何も聞かず、それなら実家に行けばいいだろうとも言わないその沈黙がどこか心地よかった。

「……いつか結婚するのかなと思ってた人だったの。優しくてね、わたしのこと大好きで。でもわたしと暮らすことうまく想像できないんだって。何考えてるかわからなくて不安なんだって。……ひどくない? で、喧嘩になって、こじれて、今日別れた」
「お前は結婚したい相手にも猫かぶってるんじゃないのか」

 突然のお前呼ばわりや手厳しい指摘よりもそう思われていたことに驚いてしまってその端正な顔を見つめ返し、やがて肩から力が抜けた。いつからなのかは知らないけどそれなら楽だ。友達ってどうせ彼女なんだろうし。

「……いい大人がみっともないと思ってるんでしょう。高校生にまでこんな姿見せちゃって」
「相変わらずだなとは思ってる」
「どうせ成長してないもん。でも今はそんな遠慮なく言わなくてもいいじゃん」
「今だから言ってる。なんで男に合わせるんだ。一生そのままでいるつもりなのか」
「男がそういうの好きなんじゃん。なんだかんだ言っても結局自分よりはちょっと馬鹿で素直で可愛くて料理ができて華奢だけどおっぱいは大きくてセックスがいい女がいいんでしょう?」
「……いい大人が高校生に聞くな」
「それはすみませんね。……でも、さすがにね、ちょっとわからなくなっちゃった。わたしなりに頑張ってるんだけどな」
「今みたいに本音を見せないからじゃないのか」

 ……本音なんて。
 ふいに脳裏をよぎったパパとママの姿に口をつぐんだ。本音をぶつけ合うあの醜い声は覚えていない。覚えているのは目と耳を必死に塞いでいた自分の鼓動の速さだけ。
 ただ愛されたいだけなのにな。わたしのことを永遠に好きでいてくれる人がひとりいれば。
 そう言うと義勇くんは顔を少しゆがめた。

「それは、だけ、というより究極だな」
「でもわたし幸せになりたいんだもん。好かれたくて装ってなにが悪いの?」
「悪くはないけど、でももったいないと思う」
「なにが?」
「努力の向く先が他人なのが」

 生意気、とブレザーの肩を叩くと義勇くんはカバンのファスナーを開けて本を取り出した。何冊も厚い参考書が覗いている。勉強って、そうか、もう受験生なんだ。
 赤い本の背表紙の難関大学の名前にこんなに頭がいいんだと驚いていると、門灯に頼りながらめくったページを、これ、とこちらへ傾けてくる。

「『幸せになりたいのならなりなさい』ってロシアの文豪も言ってる」
「……わたしは『人生における無上の幸福は自分が愛されているという確信である』って言葉の方が好き」
「なら大丈夫だ」
「どうして?」
「俺が愛してるから」

 至極普通の顔でそんなことを言った後、ファミレスでも行くか、と手を取って立ち上がらせてきた年下の男の子に、愛してるだなんて王子様みたいと急にもじもじしだしたわたしはやっぱりお姫様思考なのかもしれなかった。




 付き合い始めて少しして仕事を変えた。取りまくっていた資格を活かせるようになったおかげか半年で収入も増えた。男の子より目立ち過ぎないよう抑えていたことをやったりやめたりすると離れていく人ももちろんいたけど、もっと親しくなれる人もいたし信頼してくれる人が増えた。なによりわたしが楽しかった。義勇くんは、格好いい、と笑った。

 それでも愛されている確信の最後の最後はいまだに持てずにいた。義勇くんが高校生だったから。こればっかりは一人で幸せになれなくて。




1/2ページ