第五話 露草
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◇
「というわけで、本日からお世話になります」
鎹鴉に案内してもらった水柱邸、その玄関先で深々と頭をさげると冨岡さんは珍しくわかりやすい迷惑そうな表情を浮かべた。
「何をしに来た」
「お館様に言われて来ました」
いきなり伝家の宝刀を抜くとまんまるに目を見開くので思わず笑いそうになった。冨岡さんは無表情じゃないけどこんなにもころころと変わるのは初めてだ。
「先日の件の説明にと今朝お屋敷に呼ばれました。しばらく冨岡さんのお手伝いをする様に仰せつかりました」
「お前が? 俺ではなく?」
今度は信じがたいとでも言いたげに眉をひそめてわたしの全身を上から下まで眺めまわしてくる。あんまりにも遠慮がないので、そうです、とお返しにわたしも真っ直ぐに見つめ返す。いつもきちんと留めている隊服とシャツの釦を今日はいくつかはずしていて、その内側からのぞいている包帯を見ていることがわかるように。
「冨岡さんはお怪我であまり動けないでしょう」
今朝突然、後藤さんに連れられて向かったのが鬼殺隊本部だという広大なお屋敷だった。連れられてというより連れ去られてのほうが正しい。後藤さんはわたしを運ぶ間ずっと「お前何やらかしたんだよ」と震えていた。冨岡さんが大怪我をした経緯は蝶屋敷でしのぶさんに話していたしその後に指令はまだ来ていないから、本当にその通りだった。
連れていかれたお屋敷の広い座敷で何を言われるのかとガチガチになって畳の目を見つめ続けていると、
「少し話を聞かせてくれるかな」
聞こえた声に恐る恐ると顔を上げた。
華奢な女性――おそらく奥様――に支えられるようにしていらしたその方の姿を拝見して息をのんだのは、お顔の傷に驚いたのもたしかにあるけどこれが気品というものなのかと初めて知って圧倒されたからだ。
お館様、と呼ばれたその方はわたしに、他に鬼がいなかったかとお尋ねになった。十二鬼月、上弦の鬼は、と。そういうことかと先日隊を激震させた訃報を思い出した。きっと柱が普通の鬼相手に大怪我をすることがないからなんだろう。必死に記憶を探るけれどすぐに首を横に振る。ひとえにわたしがあの鬼の策略に嵌り冨岡さんの指示もきかずに先走ってしまっただけのことに思えた。
そこには他にしのぶさんとなぜか風柱様もいて、その晩のことを改めて説明している間中、風柱様の視線で射殺されるのではないかと思った。
「……本当に申し訳ありませんでした。冨岡さんに怪我をさせてしまった責任は取ります」
しどろもどろと説明を終えて頭を下げると、風柱様がこちらを睨みながら唸る。
「簡単に責任なんて言ってんじゃねぇ。柱の代わりが務まるとでも思ってんのかァ」
「実弥」
お館様に制されて風柱様はそれ以上は何も言わなかったけど言われたことがもっともすぎてわたしも口を開けなかった。いたたまれずさらに小さくなったわたしに、だけどお館様は微笑んだ。
「今、私たちには義勇が必要なんだ。だから一日でも早く元気になってもらわないと困るんだよ。そしてイチカが義勇の傍にいてくれることが近道だと考えてるんだ。どうかな、聞いてくれるかい」
どうしてだろう。穏やかで親しげなお声はそれでいてお腹の底から奮い立たせてくれた。鬼殺隊には百人以上の人がいると聞くのにわたしの名前を知っていてくださったことも後押しするのか、初めて会ったのにこの方の役に立ちたいと思ってしまう。
「はい! 頑張ります!」
湧き上がるままに全力で返事をしすぎて声が裏返ってしまったわたしにお館様は、頼んだよ、とまた微笑んでくれた。
お館様が出て行かれた後、それで結局どうすればいいのかとその場から動けずにいるわたしにしのぶさんが教えてくれたのは、要するにまだ任務に出られない冨岡さんの担当地域の警備をしのぶさんと風柱様が受け持つ代わりにお二人の事務仕事を冨岡さんが引き受ける、その手伝いをしてほしい、ということらしい。なるほど、それなら鬼殺隊の足並みを乱したわたしが風柱様に怒られるのも当然かもしれない。
「えっと、その事務仕事というのは蝶屋敷で治療しながらではできないものなんでしょうか」
冨岡さんが数日で退院したのは知っていたけれどあれほど深かった傷だ、おそらくまだ治りきっていない。
不思議に思ってそう聞くと、
「そうですね。できなくはないです。ですが柱がいつまでも入院しているとどうしても隊の士気が下がります」
と答えが返ってきた。
「気づいていますか。先日炎柱の煉獄さんが亡くなってから隊全体に悲観的な空気が漂ってます」
もちろん気づいていた。炎柱様はとても強く眩しくて、訃報を聞いた時は文字通りみんな火の消えたように明るさを失って何も言えなかった。特に先日蝶屋敷ですれ違った時の竈門くんの落ち込みようはひどく、アオイによるとその場にいたというのだからとても声をかけられたものじゃなかった。
「冨岡さんもそれをわかっているからあの状態で任務に出ようとするんです。気持ちはわからなくはありません」
守られて怪我をさせただけじゃなく鬼殺隊の大きな問題の一因になってしまったんだと気付かされて下を向くわたしに、しのぶさんが声をかけてくれる。
「あなたのせいじゃありません。冨岡さんが判断を間違えただけです」
励ましてくれるような言葉は同時に、風柱様に言われたのと同じ意味だ。
ますます項垂れそうになるけれどしのぶさんの紫色の瞳があまりに綺麗で切なげだったから気持ちを無理矢理立て直す。わたし達隊士より炎柱様と余程近しかっただろうしのぶさんや風柱様や冨岡さんは、それでももう飲み込んで進んでいるんだから。
「あの、事務仕事はやったことありませんし得意なわけではないと思うんですがわたしでいいんでしょうか。他にもっと適任な方がいるんじゃ……」
「あなたの役目は事務仕事ではありません。もちろんその手伝いをしてくれることを見越してではありますが、一番は冨岡さんの見張りです」
なるほど。怪我は治りきっていないものの任務をこなせないことはないのにどうしてそんな役目を、しかもこんな大げさなことをしたのかと疑問だったけれどようやく合点がいく。冨岡さんが誰の言うことも聞かないからわたしを通すことでお館様が見ているぞと言いたいんだろう。
「わかりました。冨岡さんが無茶しないように見ています。事務のお仕事は指示通りに、内容は他言しません」
「お館様が許可していますしそこは心配してません。それに冨岡さんもそこまでうっかりさんではないと思いますけど」
理解したことを伝えるとしのぶさんが頷き、そしてやっぱり最後は気遣うように言ってくれた。
「冨岡さんの手伝いはつらいかもしれませんよ」
経緯を話ししのぶさんから預かった文を渡すと、冨岡さんは目を通してからやがて観念したように溜息をついた。
「その前にひとつ約束をしろ」
「はい」
「任務中は俺に嘘をつくな」
「……うそ?」
「左上腕」
言われ、どきりと心臓がはねた。思わず隠すように体をひねると冨岡さんの目がすっと細くなる。
「肋骨」
隊服の下が見えるんだろうか。
「後頸部」
冷や汗が出そうだ。
「何が言いたいかわかるな」
「……はい」
もちろんすべてあの時に怪我をした箇所だ。心配をかけたくなくて咄嗟に髪だけだと申告したことを怒られているんだろう。
「すみませんでした。今後は正しく報告します」
来た時と同じように深々と頭を下げると高いところから大きな溜息がこぼされた。
「上がれ」
鬼の出現地域と場所、その強さと特徴、過去の情報との照らし合わせと分析、選別用にと捕らえた鬼の詳細、隊士の任務状況や戦績、階級の決定に必要な情報、育手からの報告、隊内で起きた諸問題の解決、隠とのやりとり、任務にかかる経費の確認などなど。お館様や奥様が鬼殺隊を運営していくのに必要な情報を取りまとめる仕事は多岐にわたっていた。
冨岡さんは、
「本当の機密情報などはお館様に直接行くからまだ少ない」
と言うけれど。
知らなかった。
柱の方々はいつも広大な範囲を駆け回った上にこんな書類仕事までしていたなんて。隣の部屋には隠の人が詰めていてほとんどのことはそちらでおこなっているとはいえ、続々と届く文を確認して色々な担当に指示して迅速に報告書をまとめる冨岡さんの手伝いをするのは、確かに忙しくて大変だと感じる時もあったけれど。
「……なぜだろう。最近伊黒の分が増えた気がする」
冨岡さんがそうこぼすのに笑ってしまうくらいには楽しささえ感じる日々だった。
◇
「意外と早く終わっちゃった」
その日の午前中、冨岡さんは蝶屋敷に診察に出かけていた。それまではしのぶさんが来て処置していたから久々に外出する後ろ姿はなんとなく嬉しそうに見えた。
留守中に頼まれていた書類のまとめを早々と片付けてしまって一息つく。何事も慣れるものだなぁ、と感心しながら何気なく視線を彷徨わせていると、冨岡さんの机の脇に重ねられている束にたどりついた。
「ここにあるものはやらなくていい」と初日に言われていた。一般隊士のわたしが知ってはいけない区分のものは専門の隠が持ち帰っているのは知っていたので、置きっぱなしということは見られても問題はない位置付けのものではあるんだろう。やりかけだとか、わたしには難しいだとか。
戻りが何時だとかは聞いていないけど蝶屋敷との往復にしては少し遅い。わたしにできることならやっておきたい。
あいにくと今日は隠の人は夕方から来ることになっていて誰にも聞けないけど、この束になっている手紙のようなものをこっちの帳面に写せばいいだけなんだろう。重ねられた手紙の束と帳面を、じっと見比べる。
冨岡さんが戻ってきたのは昼をとうに過ぎてからだった。
襖が開く気配に机から顔を上げると、薬や軟膏だろうか、いくつかの包みを抱えている。
「おかえりなさいませ」
「昼はどうした」
「え? 今から召し上がるんですか? てっきりどこかで済ませてこられるのかと……。ごめんなさい、急いで作ります」
部屋を見渡してからそれを言われるまで昼食のことを忘れていた。隠の方もまだ来ていないようだ。
「いや、いい」
慌てて立ち上がろうとするとそれを制するみたいに目の前に、とん、と大きな包みが置かれた。
「甘味は好きか」
濃いめのお茶をいれて戻ると出ていたのは銅鑼焼きだった。まさかお土産を買ってきてくれるなんて予想外。何十個もあるのはわたしが食いしん坊だからではなくてもちろん後から来る隠の分なんだろう。
二、三個だけ色が違うので、もしかして、とそれを選んで一口かじると中から黄色の餡が出てきた。口の中いっぱいに広がる南瓜の味に思わずほころぶ。
「おいしい……。どうしたんですかこれ」
「街で甘露寺に会った」
なるほど、恋柱様に教えてもらったんだな。包み紙は、最近街に出来て大流行りしている和菓子屋・三日月堂のものだった。
「なにをしに街まで行かれたんですか?」
何気なく聞くと、ことん、と今度は小箱が置かれる。手のひらよりも少し大きめの紙の箱だ。これを買うために出かけたということなんだろう。
「買い物なら言ってくれればわたし行ってきますよ」
「そういう買い物じゃない」
中を見るよう促されて蓋を開けたその手が、固まってしまう。
「……え……、これ……」
「前のものと同じような薄い色のは見つからなかった」
思わず冨岡さんの顔を見つめ、手元に視線を戻す。
小箱の中、露草のような明るい青色のリボンが鎮座していた。一部に矢絣模様が入っていて見るからに上質な布は艶めいてさえいる。
これ、もしかしてわたしに……?
「一番近いものを選んだつもりだがもしも気に入らなければ」
「違いますっ」
いつまでも黙っていたせいかとんでもない勘違いをされ、急いで遮って前のめりになった。
「あれはっ、あれしか持ってなくてずっとつけてたから色が抜けてしまっただけなんですっ」
それこそ鬼殺隊に入る前、育手の先生のところにいくよりもずっと前から。もちろんお気に入りだったしあの頃からのほとんど唯一の持ち物だ。無くしてしまって落ち込まなかったわけじゃない、けれど。
冨岡さんに驚いたように、そうか、と言われ、つい勢いづいてしまったことを恥じて座り直し手のひらに乗せてみる。
「きれい……」
うそみたいだ。しっとりして柔らかいのに張りがあって。きっと高級なんだろう。わざわざわたしのために買ってくれたなんて。
そう思った時、ふいに自分の身を顧みて襟足に片手を添える。
「でも、わたし……」
鬼に切られてバラバラだった髪は自分で揃えたら男の子のように短くなってしまった。長い部分でも首筋すら隠せない程度。前のように結えるのはきっとまだ何ヶ月も先だ。
「他のもののほうが使いやすければ気にせず適当に処分してくれていい」
「いえ、あの、違うんです、髪はそのうち伸びますし、長さを気にしてるわけじゃないんです。こんな髪で嘆くような両親もいませんし」
よぎったのは、たしかにただでさえぴょんぴょんと跳ねていうことを聞かない髪が余計にくせが目立ってしまってまとまらないこと。それから、今のわたしにはきっと相応しくないこと。
そして、このまま何も持たなければもう失うこともないと思ってしまったから。
「ただ、わたしじゃこのリボンを着けるには色々といたらないな、って」
「そうなのか」
「あ……」
嬉しいのに素直に喜べずにいると手の上からリボンが取り上げられた。気を悪くさせたと落ち込みそうになる前に今度は冨岡さんが身を乗り出してきた。わたしの後頭部にあてがうその距離はいつもよりぐっと近くて。
「そんなことはないと思う」
そう言ってまた手のひらに戻してくれた。
……きっと気を遣ってくれただけ。
なんて、こんな素敵な贈り物をされてそこまで気持ちを疑うほど馬鹿じゃない。
「ありがとうございます」
えへへへへ、と、自分でも聞いたことのない変な声が漏れる。
「嬉しいです。大切にします」
不意打ちばかりくらった胸の早鐘はもうふたつみっつ銅鑼焼きを食べた後になってもなかなか収まらなかった。
◇