第一話 姫女苑
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◇
「……おいお前、あんまり無理すんなよ」
肩を支えてくれている隠の後藤さんが、わたしの口から漏れ出たうめき声に気がついて声をかけてくれた。
大丈夫です、と答えるものの一度立ち止まった足はなかなか動かず、左の脇腹を押さえてその場にしゃがみこんでしまう。うずくまったままのわたしの上に軽く溜息が落ちてきた。
「だから、おとなしく運ばれろって言ってるだろうが」
「だって横抱きにしようとするじゃないですか」
「腹を怪我してるんなら背負えないだろうが。担架も足りねぇしな」
「そうですけど……、赤ちゃんみたいで恥ずかしいです」
日付が変わる前からこの山の麓で続いていた戦闘は、三十分ほど前にあっという間に片がついていた。
わたしを含む隊士数名で手こずっていたその鬼を斬ったのはどうやら、ハシラ、という人らしい。先輩たちの興奮度合いからしてとても強い人なのがわかった。階級はなんだろう。どのくらい強くなればあの鬼をあっという間に斬れるんだろう。
応急処置をしてもらったばかりの左脇腹を押さえながら、わたしも頑張らないといけないなと立ち上がった時、背後からやってきた背の高い人がわたし達を追い抜いて行った。
無造作に束ねられた長い黒髪と片身替わりの派手な羽織りに思わず目が丸くなる。
「後藤さん! あの人! あの人誰ですかっ!」
「ん? あー、ミズバシラ様だろ」
「……ミズバシラ、様?」
その聞き慣れない言葉に首を傾げると、今度は盛大に溜息をつかれてしまう。
「……はぁー、またかよ、なんなの新人、なんで柱のことすら知らないの。誰か入隊する時に教えておけよ。鴉に任せっぱなしだから無知なやつばっか増えるんだよ。可哀想に。いや、俺がな。説明ばっかさせられる俺が可哀想。いや別にいいんだよ、いいんだけどな」
「す、すみません……?」
思わず謝ってしまうわたしに三度溜息をつきつつも結局は、あのな、と教えてくれるのだから面倒見のいい人だ。
「柱ってのは鬼殺隊で一番階級が上の剣士のこと。で、あれは水柱の冨岡義勇サマ。さっき鬼の首斬ったのも結局あの人だろ」
「……とみおかぎゆう、さま」
……柱。水柱。なるほどそういうことか。
早々に怪我を負わされ脱落していたから見れなかったけれど、鎹鴉からの連絡を受けて駆けつけて一瞬で斬ってしまったらしい。
「柱怖ェんだから、次に会った時はちゃんと挨拶しとけよ。以上。行くぞ」
支えてくれる後藤さんの言葉に曖昧に頷きながら、わたしの頭にはいつかの夜が甦っていた。
——忘れられない。
初めての任務だった。
頼りない月明かりと折れた肋骨の痛み。
刀を握りしめて震えている手は血で滑りそうで。
追って踏み入った林の向こうから躍り出た、大きな鬼の影。
避け様に放った苦し紛れの水面斬りで勢いよく突き出された腕を斬る。
だけど、弱かったのか斬り落とせず、そのまま鋭い爪が眼前に迫る。
刀を握り直すけれど間に合わない、そう覚悟した──瞬間。
体を貫くはずだったそれが草の上に落ちていた。
よろめいたわたしの前に立つ大きな背中。
片身替わりの羽織の裾がたなびいて、
「下がってろ」
淡々と命じた声。
そして、一閃。
水柱様の背中を目で追ったままでいると、後藤さんが胡乱な目つきで忠告してきた。
「……一応言っとくけどな、もしあの人に懸想してるとかならやめとけよ」
「そういうのじゃないですよ!」
そう、そういうのじゃないんだ。これが鬼殺隊の仕事なのだとたった一閃で教えてくれた、あの人。瞼を閉じなくたって鮮やかに思い描ける。とても自分と同じ呼吸とは思えない、滑らかで力強い動きを何度も何度も繰り返し思い出した。
憧れ、尊敬。うまく言えない。あんな風に戦えたら。
あの日からずっと追いかけていたその背中が、遠ざかっていく。
次なんて来ないかもしれないことはとっくの昔に思い知っている。その現実が背中を押して、気づけば後藤さんの手を振り切っていた。
「水柱様っ」
いやいやちょっと待ってなんでそんなに歩くのが速いの。お腹をかばいながらとはいえこっちは走っているのにちっとも距離が縮まらずもつれそうな足で必死に追いかける。
「水柱しゃまっ! みじゅ……、水ば……っ、……冨岡さまっ!」
足だけでなく舌ももつれさせたまま何度か呼びかけているとようやく振り返ってくれた。足を止めているその目の前に転げるように出て息も整えず話しかける。
「突然すみませんっ。階級癸、宵谷イチカといいます。あの、助けていただいたお礼を言いたくて」
今回のことだけじゃない。以前、痛みで声が出ずまともにお礼もいえなかった分も伝えたかったけれど、走ったせいで傷が開いたのか、きつく押さえて息継ぎをする間に言われてしまう。
「俺は仕事をしただけだ」
それでも、謙虚というよりは素っ気ないその一言に胸の奥がぎゅうっとなった。
……あぁ、この人だ。
短いのに胸に残るしっとりとした声。
その数秒の無言が、用件は済んだと思わせたのかもしれない。
「早く手当をしてもらえ。女は腹を大事にしろ」
強く押さえているわたしのお腹に目をやりそれだけ言うと、あっという間に去っていくのをもう引き止められなかった。
——女は腹を。
その意味を理解してあっけに取られてしまったから。
明日の命もわからない鬼殺隊に、隊士相手にそんなことを言う人がいるとは思わなかった。
目を丸くして水柱様の背中を見送っていると、震える後藤さんが追いついてきた。
「お、おま……っ、お前はァ……! 言ったよな? 今、俺言ったよな!!」
「いや、挨拶しただけですよ。後藤さんもそう言ったじゃないですか」
「そういうことじゃねぇ!!」
怪我をしてなかったら肩を掴まれて揺さぶられていたかもしれない。わなわなと振るわせている後藤さんの腕を、まあまあ、宥めるようにたたく。
「すみませんが、やっぱり運んでもらってもいいですか」
「俺の言うことは聞かねーくせにな」
「……べつに、水柱様に言われたからじゃないですよ」
猛烈に痛み出した横腹に結局横抱きにしてもらいながら、からりとした文句を続ける後藤さんをうかがう。
どうしてそんなに怒るのかはわからないけど、水柱という存在を知りもしなかったわたしに『懸想』の意味で釘を刺した理由はよくわかった。
真正面から見た水柱様は、正直、向かい合ったのを後悔するくらいに整った顔立ちだった。我ながらよく話しかけられたなと思わずにいられない。心臓が今ごろどきどきとしている。
あんな役者みたいな美しい見目で、凛々しくて、寡黙で鬼殺隊の最高位だなんて、さぞかし……。
「さぞかしモテるんでしょうね……」
「は? いきなり何の話だ?」
「水柱様の話に決まってるじゃないですか」
今この流れで他に誰がいるって言うんですか、と後藤さんを見上げると、なぜか複雑そうな表情で黙り込んでいる。
「もしかして女性関係問題ありって方ですか? ……まぁ、そうですよね。きっと取り合いになったりするんだろうな……」
「いや、そうじゃねェ。確かにモテるんじゃないか、あの顔だし真面目だしな。そうなんだけどあの人はなんというか」
そう歯切れ悪く言ったかと思うと、いいから大人しくしてろと言い渡され、しつこく催促しても、うるせぇ、と言ったきりもう話してくれないから黙るしかない。
そうしてただ揺られていると怪我と真夜中の寒さで急激に眠気が襲ってきて意識が朦朧としてくる。もしかしたら自分で思っているよりもずっと重傷だったのかもしれない。
夢うつつで、寒くねぇか、と聞かれ、寒いですよ、と答えたつもりが舌足らずな声しか出てこない。揺られて眠くなるなんて本当に赤子みたいだ。
「寝とけ寝とけ」
寒いとか眠いとか痛いとかをぼやきながら身を預けるうちに、いつしか本当に眠りこんでしまっていた。
いつかの壱ノ型と、今しがたの水柱様の顔を交互に思い浮かべながら。
また会いたい、話してみたい。
その気持ちのずっと奥底に憧れ以外のものが芽生え始めているとは、自分でもまだ知らずに。