ダイエット
義勇はわたしの体に触るのが好きらしい。
そしてそれが上手だ。
頭を指先でかき混ぜられるのもあごをくすぐられるのも手を揉まれるのも気持ちいいし、背中を撫で下ろしてお尻を軽く叩かれると思わず腰が上がってしまう。
だけどそういうのはわたしが喜ぶからしているだけで本当に義勇がやりたいのはちょっと違う。義勇は、わたしの柔らかい胸に顔を埋めて匂いを吸い込むのが好きなんだ。
そうしてくるのは大体夜だ。
機嫌をとるみたいにそうやって触った後で様子を窺いながら、横向きで寝ているわたしの胸元にそっと手を差し込んでくるといきなり乳首の周りをいじくりだす。
なにすんのよ、と寝ぼけながら身を捩るけど義勇の手は大きいからすぽりと包まれて簡単には抜け出せない。でも何かを確かめるとすぐに離れていくから少しの辛抱だ。
――問題は、そのあと。
わたしを仰向けにしてからゆっくり顔を埋めて何度か吸い込むと、焼き菓子みたいな匂いがする、とちょっと笑う。それは時々ポップコーンとかキャラメルとかに変わるけどなにか香ばしいものなのは間違いないようだ。
それを何度も何度もされると、くすぐったさよりも身動きが取れないままならなさに我慢の限界が来て、わたしはいつも両手でぎゅうぎゅうと押し返したり時々は頭やほっぺたをぺちりと叩いたりして抵抗する。
——やめてよっ。気持ちよく寝てるのにっ
「ごめん。寝てるからいいかと思った」
——そうされるのはいやなのって前にも言ったっ
「わかったからそんなに怒るな」
そう言うのに三日もすればまた同じことを繰り返すのだから本当に悪いとは思ってないんだろう。
それでもその時の柔らかな表情を見ると結局許してしまうのだからお互い様だった。
◇
「もしかしてお前は少し太ったのか」
ある日、満腹になってソファーでくつろいでいると突然義勇がそう言った。
自慢じゃないけどわたしの体はきれいだ。細い手足に柔らかさと弾力性を備えた太ももも、しなやかに曲がる背中からお尻にかけてのラインなんて我ながら完璧だと思う。なのにそんな言い方ってとってもとっても屈辱だ。
——え、うそ。どのへんが
「このへんがだいぶ立派になった気がする」
抗議まじりの声をあげるとそう言って両手でわたしの腰回りを掴んだ。おかしいな、立派って褒め言葉じゃなかったっけ。
……でも、たしかに。たしかに大事な場所をお手入れする時に背中を曲げるとちょっとだけ邪魔だなと思うことがあるかもしれない。ちょっとだけ。
下腹をたぷたぷと揺さぶってくる手を振り払ったわたしに義勇は真剣な顔で告げた。
「お前は今日からダイエットだ」
◇
——ねぇ義勇。お腹すいた。もう少し食べたい
それから三日、決めたら義勇は徹底していた。カロリー計算はもちろん、よそうごはんも0.5グラム単位で測ってからだ。義勇の口元についているごはん粒でいいから食べたくて近づいてもふせがれてしまうし、おやつ時に膝に乗って甘えた声を出してもほだされてくれない。
どうしてこんな意地悪をするんだろうと空のお皿を見つめながら俯いていると、
「お前は何も悪くないのに、ごめん」
と隣に来てそう言った。わたしよりもなんだか辛そうな顔をしていた。
「俺のせいだ。お前は頑張ってる。えらいな」
いい子だ、と優しく抱き締められてしまえばもう口をつぐむしかない。わたしはこの人のことが大好きなんだ。そんな顔をしてほしくはない。
……いいよ、わかった。がんばる。いつもわたしのことを考えてくれているのは知ってる。乳首をいじるのはそこが病気になりやすいと聞いたから異常がないか確認してくれてるんだもんね。きっとこれもそういうことなんだろう。
窓辺に座って外を見ると、茶色くなった葉っぱが地面に落ちて乾いた音を立てながら風で飛んでいった。
また冬が来るんだ。そう思ったら体の奥から震えが駆け上ってきた。そうだ、あの頃のひもじさに比べたらこんなのどうってことない。
◇
義勇と出会う前、わたしは住宅街の公園の植木の陰で震えて過ごしていた。お母さんは何日も前に兄姉だけ連れてどこかに行ってしまった。
まともなものを食べていなかった。ちょっと虫をかじって、落ちていたお菓子の袋の裏側を舐めた。きれいなお水も飲めなくて喉が渇いて仕方がなくて、植木鉢にたまっていた雨水を飲んだらお腹をこわした。
お腹は空っぽなのに黄色いものを吐いて余計に喉が渇いて、耳の奥はかゆいし目には膿が張りついていて、ああこのまましぬのかなと思った時、ふわりと全身を暖かいものでくるまれた。人間が首に巻いている布らしかった。
「ひとりでよく頑張ったな。もう大丈夫だ」
昼間にぎゃーぎゃーと叫んで走り回る子どもの甲高いものとは全然違う低くてゆったりとした声に目を開けて、最後に見るのがこんなきれいな青でよかったなと思ったんだ。
◇
昔の夢から覚める前に鼻がひくんと動いた。
顔を上げるとキッチンで義勇がなにか袋を開けていて、駆け寄るとお皿によそったものを食事台に置いてくれる。ごはんだ。しかもこんなにたくさん。
「これならいつものより多く食べれる。今まで俺があげすぎていたんだな。気にいるといいが」
その袋はいつものごはんと似ているけれど色も書かれている文字も違っていた。
——『肥満が気になる成猫用』。
肥満だなんて失礼な。そう思うのに止まらない。わたしってこんなに食いしん坊だったっけ。
食べ終えていつもより満足して振り返ると買い物の片付けをしていた義勇の手元で揺れたものがチリンッと音を立てて反射的に飛びついていた。
「おもちゃも新しいのを買ってきた。後でたくさん運動させるからな」
「ニャァーッ!」
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