渡し損ねたチョコをホワイトデーに渡そうとがんばる話
わたしは怒っていた。
というよりも、焦っていた。
明日で中学卒業だというのに、いつもより30分も早く家を出たというのに、ゴミ出しに出ていたお母さんと井戸端会議をしていた錆兎のおばさんに、
「あら、錆兎も10分くらい前に行ったわよ」
と告げられたからだ。
「ええっ? なんでそんなに早く……」
……信じられない錆兎のやつ。
入学してから去年の夏まで約2年半はずっと朝練で早かったけど秋からは少しゆっくりめに出ていたはずなのに、よりにもよって今日、もっと早くでかけるなんて。
「ほら、今日はホワイトデーだから朝から色々まわらないとお返しを渡しきれないんじゃない?」
「錆兎くん今年もすごかったわよ。このくらい大きな紙袋二つにもう何十個もぎっしりと」
「……ふぅん、さすが、モテる男はちがうね」
先月の14日、錆兎がおばさんにエコバッグをいくつも持たされて登校したことは知ってる。毎年そうだ。だけど今年はそれでも足らずにはみ出したまま帰ったものだから結局帰り道にばら撒いてしまって、それを後ろから見てしまったら、渡した子たちには申し訳ないけどわたしのバッグの空きスペースも提供するしかなかった。
思い出して内心ふくれているとお母さんたちはまるで見透かしたように顔を見合わせにやりと笑う。
……嫌な予感。
「あんた、今年は錆兎くんになにも渡さなかったんだって? 今日早いのってもしかして渡そうとしてる?」
「あら、それなら帰ってきてからうちに来ればいいわ。あの子今日はなにも予定ないはずだから」
「いまさら幼なじみに義理でもらったって嬉しくないでしょっ! いってきます!」
会話をぶった切って歩き出した背中に、義理かしらねぇぇぇー、とわざとらしく語尾をあげた声が追いかけてきた。
「……だから待ち伏せたかったのに……」
すぐにああやってからかってくるんだから。若い頃ならともかく中学生にあれはさすがにやめてほしい。幼なじみって案外不便だなぁ、と歩くたびバッグの中で揺れる缶をそっと手で押さえる。
バレンタインは渡さなかったんじゃない。用意したけど渡せなかったんだ。
タイミングを見計らって結局一日中持ち歩いて、ようやく一人のところを見つけた放課後にはあの大量のチョコレート。
「どうせ全部義理だろう」と苦笑していたけど、本気でそう思っているなら錆兎は馬鹿だ。馬鹿というよりその方面にはにぶいのか、もしくは興味がないか。モテるのに誰とも付き合わないんだから……ありうる。
だからこそ「チョコばっかりじゃ飽きるでしょ」と毎年さきいかや堅焼きせんべいしか渡していなかったわたしが、いまさらどんな顔でチョコを渡せばいいかわからなかった。
あの晩やけくそで口に放り込んだ一粒何百円の大奮発したチョコは涙が出るほどおいしくて、今度こそと同じお店で買い直したのは、一目で本命だとわかるはずの水色のハート型の缶に詰まったアソート。
遠くの女子校を選んだわたしと沿線の共学へ進む錆兎じゃ家を出る時間が違う。当然帰りも違うし部活も友達も遊ぶ場所だってきっと違う。幼稚園から一緒だったわたしにとってはそんなのもう離れ離れと同じようなものだ。
だからきっと今日が、卒業前の最後のチャンス。
「……ずっと錆兎のことが好きでした。わたしを彼女にしてください」
何度も練習した言葉を一度復習して足を速める。バレンタインの二の舞はごめんだ。
◇
はい。只今情けなくも二の舞を演じ中です。
三年生の階まで戻りチョコレートの缶を見下ろしながら大きくため息をつく。
……忘れてた。今日は卒業式の予行の日だったんだ。教室と体育館はクラスごとの移動で、戻ってからはホームルームであっという間にもう放課後。しかも目を離した隙に姿を消してしまった。
どこにいたって目立つ人だからすぐに見つかったけど先月以上にタイミングなんてなかった。まわるのが一、二年生ばかりなのは今日は時間がないことを見越して同級生には朝渡したんだろう。その手抜かりのなささえ腹が立つのは八つ当たりというより、緊張と諦めに似たような気持ちのせいだ。
さっきまで見ていた光景を思い出せばどんどん気持ちがしぼんでしまう。後輩たちは笑顔で、錆兎も笑顔で、だけど大きな紙袋から花柄のパッケージが次々と出てくるたび、誰にでも平等に優しい錆兎の特別になんてなれない気がした。
教室に戻ってきた時にはとっくにみんな帰ってしまっていた。残っているのはわたしと錆兎の通学カバンだけ。
金色の日差しでちらちら舞っている埃が綺麗で、この教室も明日で最後なんだなと思ったら自分のバッグを掴んでトイレへと駆け込んでいた。
渡すだけならどこだってかまわない。だけど家じゃきっと素直に言えない。憎まれ口ばっかりのわたし達だったんだから。バッグがあるなら戻ってくるんだろう。卒業間近の誰もいない教室でなら、錆兎だってそんな雰囲気になるかもしれない。
だけど、髪を整えリップを塗り直して、いざ、と気合を入れて戻ってすぐに廊下を走り出すはめになった。
最悪だ。
ついさっきまであったバッグが消えていた。
なんでこんなにタイミングが悪いんだろう。告白する前から振られたみたいで泣きそうだ。いや泣いてる場合じゃない。
「錆兎まって!」
階段ホールの下に向けて放った大声はただ響くだけで形をなさない。慌てて駆け降りたところで昇降口の端っこにたたずむ人影を目の端でとらえた。
錆兎はこちらに横顔を見せて立っていた。缶を取り出し呼びかけようとして、足が止まる。
壁際にある大きなゴミ箱の前、両手で握り締めているのは、うすい茶色にピンクのリボンの――わたしのものと同じお店のチョコレートだった。
……どうして? みんなに配ってたのは花柄だったじゃん。
その意味なんて理解したくないのに、見たことのない真剣な顔がそれはたった一つだけ特別に用意したものなんだと教えていた。すでに捨てられていた大きな紙袋までが、本命チョコどころかさきいかすらもあげなかったわたしは花柄すらもらえないという当たり前のことを突きつけてくる。
去年もおととしも、もう十年もずっと、わたしが一番近くにいたはずなのに。
ふいに足元で上履きがキュッと音を立てた。無意識に一歩あとじさったわたしに気がついて薄鼠色の瞳が見開かれ、――すぐに逸らされる。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか」
それはそうだろう。恋愛ごとなんて、今までわたし達の間にはひとかけらだってなかった。今一番会いたくないのは、きっとわたしだ。
「……捨てちゃうの?」
「ああ。……もともともらってないんだ。なのにこんなもの用意して、男らしくないよな」
「……渡せばいいのに」
「お前には言われたくない」
わかってはいても拒絶するような口調に思わず黙り込むと、さすがにきつかったと思ったのかわずかに雰囲気がやわらぐ。
「お前の持ってるそれ、お返しか。さては本命からもらったんだろう」
良かったな、と笑う顔はいつもの錆兎だ。だけどこめかみをバンバンと殴られている気がした。わたしだって錆兎にだけは言われたくない。そうだよ、本命だよ、だけど。
「もらったんじゃなくて、これは先月渡せなかったやつ」
「なんだ、あんなに一日中そわそわしてたのに渡さなかったのか。……どうせもたもたしてタイミングを逃したんだろう」
「……うるさいな」
ほんとうるさい。ばかさびと。にぶちん。そういうとこどうかと思うよなおしたほうがいいんじゃない。うそ。そのままでいい。いまの錆兎がすき。すきだけど。
…………ばいばい。
「ねぇ、これもらってくれない? わたしも持って帰っても食べないから。一ヶ月遅れのバレンタイン代わりに、……ね?」
結局どこでだって告白なんかできないんだ。タイミングはきっともう来ない。それでもまた泣きながら一人で食べたくはなかった。
だけどわたしの渾身の笑顔と反比例するように錆兎の顔から表情が消えていく。
「いらない」
ああ、告白しなくてよかった。もししてたらこれからずっとこの顔をされていたのかもしれない。
なのに、どうしてわたしは、次の言葉を探しているんだろう。
「……まぁ、そうだよね。あ、じゃあ交換しない? ここのチョコおいしいよ」
「しない」
「……でっ、でもっ、捨てるのはもったいないじゃん? わたしがもらってあげる。だから、代わりにこれ……もらってよ」
「それだけはいらない。義理のほうがまだマシだ」
「……わたしは欲しいよ……っ!」
どうしてわたしは、背を向けてゴミ箱へ放り投げようとしている腕にこんなに必死にしがみついているんだろう。
「ちょうだい……。受け取ってくれなくていいから……捨てるくらいならわたしにちょうだい……」
そうだよ。もたもたなんて、してたよ。
一ヶ月どころじゃない、もう何年も。こんなの用意する相手ができたことにも気づかないでばかなわたし。
でもばかみたいに好きだった。ばいばいなんて簡単にできない。
ぽろぽろと涙をこぼしながらちょうだいと繰り返すと、ふわっとその腕の力が抜けた。ほら、と目の前に差し出された、叶わなかった錆兎の片想い。
「……いいの……?」
「ああ。その代わり受け取るなら覚悟を決めろ」
「……え……? か……、かくご?」
大げさな言葉に呆けたわたしの手に押し付けると、代わりにわたしの持っていた缶を奪い取り乱暴に開けはじめる。
「いいか、それはもともとお前に買ったものだ。期待を持たせるようなことをしたのはお前だからな。他に本命がいたとしてももう知ったことか」
「な、なにが……?」
「だから、俺はお前のことが、……」
肝心なところを言わないまま黙り込んだのは、一気に食べた高級チョコレート5粒で口が埋まったからだ。包装をまとめてゴミ箱に投げ入れ、『燃えないゴミ』箱がないから缶だけ仕方なく自分のバッグに突っ込むと、錆兎は口をもぐもぐしながらちょっとだけわたしを睨む。
「……」
「……」
「……」
「……おいしい?」
答えないのは、きっと、恥ずかしいのと、やきもちを焼いてるからだ。そんなの勘違いなのに。でもお互い様だと気づくと可笑しくて、――もしくは緊張しすぎて――吹き出した。
「それね、その本命チョコね、錆兎に買ったの。あのね、わたしずっと錆兎のことがんぐぐぐ……」
待ちきれずに告げようとする寸前、伸びてきた手で口元をふさがれた。反対の手でわたしを制したり、首を振ったり、自分の頬や胸元をさすジェスチャーは、たぶん――。
『飲み込んだら俺が言うから待ってろ』。
頷くと慌てて離れていったその手は、空中で一瞬だけ迷ってからわたしの手をきつく握りしめる。傍にいろ、と言ってるみたいに。
……誰も通らなくてよかった。いつも余裕な錆兎が顔を赤くして焦る姿も同じくらい真っ赤になっているだろうわたしも見られずにすんだから。
遠くから吹奏楽部が練習している校歌が聞こえる。
目の前には制服の金色のボタンと一ヶ月遅れの甘い甘いチョコレートの匂い。
やがて錆兎の喉が大きく動き、咳ばらいをした後に唇が開く。
卒業式より早く、ほんの数秒後にやってくるだろう新しい日々が待ち遠しかった。
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