松葉牡丹 柳散り菊 宵の花
◇
「義勇さん、一緒に花火しませんか」
縁側の沓脱石にしゃがんで並べていた手花火を持ち上げて見せると、浴衣姿で戻ってきた湯上がりの義勇さんが何度か目を瞬いた。
「買ったのか」
「はい。髪を乾かすあいだ暇だなって思って」
その肩にかけている手拭いに髪から滴った水滴がぽたりぽたりと吸い込まれている。一通り拭いてから庭へと降りると、竹林に囲まれた穏やかな庭に二人分の足音が響く。
「こういうの久しぶりで懐かしいです」
そうだな、と色とりどりの花火を覗き込んできた目が遠くを見るように細められた。
花火の先の薄紙をちぎってろうそくの火に近づけると、途端に火花がシューッと勢いよく吹き出す。長く尾を引きながら庭にたなびく白い煙を見ながら漂う火薬の匂いに大きく息を吸い込んだ。
「いい匂いですね」
「……変わってるな」
もうすぐ満ちる月と部屋から漏れる灯りで辺りはほんのりと明るい。
次々と色を変えて燃える花火が少し下から義勇さんを照らしていて、普段とは違う陰影をつくっている。澄んだ青い瞳が今はオレンジ色の光を宿しているのもよく見えた。
「どうした」
「……いえ、なんでも」
横顔を見つめていることに気づいたのかふいにこちらを振り向いたので、慌ててかぶりを振って目を逸らし次の花火を取るついでにまたこっそりと視線を向ける。今度は、お風呂上がりで血色の良い唇に。
これはなんだろうと火をつけるといきなり三尺程も噴き出した大きな花火に驚いたり、ねずみ花火に追いかけられて息を切らせているうちに髪が乾いてきたので、最後に線香花火を二本手に取った。
「どっちが長く落とさずにいられるか勝負しませんか」
「勝負?」
「はい。負けた方は勝った方の言うことをひとつ聞くっていうのは」
「なんでも聞いてくれるのか」
「どうして当然のように自分が勝つつもりなんですか。……まぁ、いいですよ。あんまり大変なのとか痛いのとか恥ずかしいの以外なら」
頷いたその手に一本渡して同時に火に近づけると、頼りないほど細い先っぽはあっという間に細かく震えながら丸くなっていく。それから数秒、力を溜め込むように静まるとぱちぱちと激しく燃え始めた。
「結構派手ですね」
四方八方に勢いよく飛び散る火花に驚きつつも義勇さんのものと比べてみれば、球の大きさはほとんど同じ、……いや、わたしのものよりも少し大きいかもしれない。
……よし、いい感じ。
思わず口元が緩んだ。きっと大きい方が早く燃えるだろうし落ちやすいはず。
それがやがて穏やかな音に変わり柔らかな線のようになってきたので、先を揺らさないように少しだけ斜めに傾ける。たしかこうすると長持ちするのだ。ここからが気合の入れどころだ。
目を逸らさずにいた小さな丸い珠の上に、ふいに影が落ちた。肩がぶつかり何かが頬をくすぐって隣へと視線を向ける前に、義勇さんの顔が目の前に迫っていた。
え、という小さな驚きの声を塞ぐように突然に重ねられた柔らかな感触に思わず目をつむってしまい動けずにいると、
「……落ちたな」
と離れていったその唇が告げた。
はっと気づいて手元を見れば、わたしの火球はすでにない。続けて義勇さんの手元へ視線を向けた時、ちょうどそれが地面へぽとりと落ちていった。
「ああっ、ずるい!」
「ごめん」
邪魔するなんて、と睨むと案外素直に謝られてそれ以上責められないうえ、
「あんまり真剣だからつい、」
我慢できなくて、と続けられ柔らかな笑顔さえ向けられてしまえば怒るに怒れないのだから、やっぱりずるい。
「もう……。いいです、許してあげます」
勝ったらお願いしたかったことは叶ったし。
感触を思い出すように唇を擦り合わせてから水を張ったバケツに持ち手をぽいとすると、同じようにした大きな手が火照ったままの頬を撫でてきた。
「それで、なにをして欲しかったんだ」
そのまま親指の腹で唇を軽くつぶされ、企みがばれていたことを知りますます顔が熱くなっていく。
「わかってるなら言いません」
「お前の口から聞きたい」
「その邪魔をしたのは義勇さんですよ」
問いに答える代わりにろうそくの火を吹き消して急いで立ち上がると、その腕を掴まれ引き止められた。
間近で顔を覗き込まれ目線が泳いでしまう。頑なに顔を背けていると軽くはかれた息に少し焦ってちらりと窺い、途端にむっと唇を尖らせてしまった。義勇さんは目尻を下げて笑っていた。
「なんでも聞くと言ったな」
「……なんでもとは言ってないです。大変なのとか痛いのは嫌です」
「痛くはしない」
二の腕を上ってきた手のひらが、湯上がりで広めにくつろげていた首筋をするりと撫でた。
「ちゃんとよくしてやる」
真面目な顔でとんでもないことを言いながら距離を詰めてくる胸元をぺしりと叩き、――だけどそのまま布地を握りしめる。そうすると義勇さんの匂いが鼻腔をくすぐってきて胸がどくんと大きく打つ。首元から滑り込んできた手に包まれる肩が汗ばんでしまうのも、たったそれだけで息が上がってきてしまうのも、きっと夏のせいじゃない。
顔を埋めて小さく頷くと頭のてっぺんに口付けが落ちてきて、そのまま布団を敷いた寝室へと手を引かれる。
「あのっ、でもその前に花火を片付けないと……」
「終わったらでいい」
握り締めてくる手の熱さとこちらを振り返りもしない性急さに、それはきっと明日の朝になるんだろうなと予感した。
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