甘いものをいただこう




「義勇、バレンタインにチョコいる?」
 
 誕生日の翌日にそう尋ねたら恋人は首を横に振ったから、今年は用意しないことにした。
 
 わたしはイベントごとが苦手だ。ハロウィンもクリスマスも、なんなら大掃除もお正月も、一斉に浮き足立つ世間の雰囲気は、プレッシャーというよりストレスに近い。
 だから今年のバレンタインはとても気楽だった。義勇は甘いものが特別好きじゃないし、わたしも料理は好きだけどお菓子作りは苦手だ。ラッピングセンスもないし、華やかな売り場で並ぶ気力もない。
 バレンタインがないならホワイトデーもないということで、ようやくイベントラッシュが終わったことにわたしは昨日の残りの鮭大根を食べながらほっと息を吐いた。

 
 ◇

 
「ただいま」
「おかえりー」
 
 二月十四日、いつも通りの時間に帰ってきた義勇は、コートを脱ぐ前にテーブルの上に紙袋を置いた。
 
「……え、なにこれ。まさかチョコ?」
「ああ」
 
 聞けば、毎年このくらいはもらうそうだ。知らなかった。
 
「あ、これ美味しいよね。わぁ、これ整理券もらわないと買えないやつなんだよ! すごい!」
「食べたければ食べていい」
 
 義理チョコというには豪華だなと目を丸くしながら数えてみたら、チョコレートは31個もあった。

 
「うう……、おいしい」
 
 夕飯の後、ソファーに座ってありがたく摘ませていただく。
 パリっとチョコレートが割れてすぐに濃厚なガナッシュが口の中を満たす。
 ほろ苦いカカオの香りとミルクの甘さがほどけて思わず目を閉じると、となりのクッションが沈んだ。
 
「義勇も食べる? こっちのはそんなに甘くないはずだよ……って、わたしが言うことじゃないんだけど」
 
 シックなハイカカオチョコレートの箱に手を伸ばすと、指先にかさりとしたものが触れた。
 
「あ、ごめんっ」
 
 見るつもりはなかったけれど目に入ってしまった。慌てて手渡したのは、可愛らしい文字の可愛らしいカード。
 
『冨岡さん、いつもありがとうございます』
 
 いつもチョコレートで精一杯だったわたしは一度も書いたことがない。世の中の女の子はこんなにもマメなのかと感心するばかりでやきもちすら焼かないのだから、我ながらバレンタインに興味がなさすぎると思う。
 
「義勇はモテるんだねぇ」
「モテない」
「モテてるじゃんっ。31個ももらっといて贅沢だなっ」
「……モテない」
 
 どこか硬い声音に見上げると、ほんの少しの間を開けて。
 
「お前にもらってない」
 
 テレビから視線を逸らさないままそう言うから思わずきょとんと瞬きをした。
 
「え、チョコいらないって言ったよね?」
「チョコはいらない」
 
 見つめても義勇はこちらを見ない。拗ねてると気づいたのは、「チョコは」の「は」のイントネーションがほんのり強かったからだ。
 ほんの少し痛んだ胸と、思いがけないに姿にゆるむ頬。
 口に入れていたチョコレートを飲み込んでから、わたしは体を寄せた。ソファーが沈みわずかにこちらを向いた義勇の頬に軽く口付ける。
 
「ちゅ。……これでいい? わたしからの甘い甘いばれんたいんでーきっす。いちおうチョコの味」
 
 わずかに目を細めた義勇の視線がようやくわたしを捉えた。静かな青い目の奥にはっきりとした不満の色が宿っていて、また胸の奥がくすぐられた。
 
「……甘くない」
「……たしかに。でも甘いの好きじゃないでしょう? 今のはカカオ70%というところです。……何パーセントが良かったの?」
「10パーセントくらい」
「それはチョコどころか準チョコですらないですねぇ。……きゃっ」
 
 ふいに腕を掴まれ、引き寄せられた。腰に回ってきた手が思ったよりもずっと力強かった。
 
「義ゆ……」
「チョコじゃなくていいと最初から言ってる」
 
 次の瞬間、わたしの口の中はガナッシュよりも濃厚で甘いもので塗り替えられていた。
 
 こんなものをもらっちゃったらホワイトデーにはちゃんとあげないといけないな。
 頭の隅でそう考えながら、わたしはソファーで義勇に溶かされていった。








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