鉢尾

 祖父の遺品整理でカメラを貰った。手慰みに風景を切り取りだしたが、いわゆるファインダー越しの世界というものが思ったよりも鮮やかで、近頃私は写真を撮るという行為にすっかりはまってしまっている。
「インスタもやっていなかった鉢屋がなあ」
 喫茶店のナポリタンは、ジャンキーであればあるほどいい。向かいに座っている勘右衛門は頬いっぱいに頬張りながら、私の口元のケチャップを指摘した。お手拭きでそれを拭いつつ、この赤はどうのようなフィルターでうそぶけば人に懐かしみを覚えてもらえるのだろう、とつい考えてしまう。
「俺がパフェとかいちいち写真撮ってたの、お前、ばかにしていただろう」
「食事記録としか思えなくてな……今じゃわかるよ。綺麗な思い出って、保存しておきたくなる」
 私はフォークを置き、スマホで勘右衛門を撮った。勘右衛門は「食事中はやめろよ」とだけ言い、構わず咀嚼を続けている。彼は食事中、本当に幸福そうな顔をする。
 風景を切り取るようになってしばらくしてから、私は無性に勘右衛門を撮りたくなった。木漏れ日を見ればこれが勘右衛門に落ちればいいのにと思い、水の飛沫を見ればこれを勘右衛門が浴びればいいのにと恋しくなる。それを本人に伝えてみれば、照れくさそうに「そんなに俺のこと好きなんだ」と笑ってくれたので、私はそれすら撮りたくなった。もうすっかり依存の域である。
「でもさあ、これから一緒に旅行とかに行ったら、お前、カメラ越しにばかり景色を見るのかなあ。それはちょっと嫌かも」
「一緒にいる時は、隣に居る瞬間を楽しむつもりだけれど」
「その一瞬を切り取りたいんだろう? なんだろう、嫉妬てきな」
 皿を綺麗に空にした勘右衛門は、食後のコーヒーを頼むかどうか悩みだした。私も便乗して、二人で希少種のケニアを頼む。オレンジの分厚いカバーのメニュー表は、ところどころ破けていて年季が入っていた。店主と常連客が、カウンターを挟んで政治の話で盛り上がっているのが漏れ聞こえてくる。
「鉢屋、カメラにハマってから、なんか遠くに行っちゃった気がする」
「どうして」
「もっと、直接俺のこと見て欲しい」
 寂しい思いをさせてしまっているのかもしれない。少し反省した。コーヒーは奥深いほどに香ばしく、後味の苦さが心地よい。腹をあたためながら、けれど、と思う。
 カメラのおかげで、勘右衛門への愛の解像度があがったように感じるのだ。
 前髪が眉にかかる様、まつ毛の長さ、頬の産毛が日光を反射する柔らかさ。少し丸い鼻筋から、厚い唇の輪郭。どれも愛おしいと、ひとつひとつに感じることができる。
「俺はざっくり、鉢屋は鉢屋だなあって大好きだけど」
 随分簡単に、愛の告白をしてくれるものだ。コーヒーの苦みがそうさせるのか。ウエイターが気だるそうに水のおかわりを注いでいき、彼の、客ひとりひとりへの興味のなさそうな態度がとても気に入った。この店はいい店だ。取繕う必要が無くて。
「何を取繕うっていうんだ、いつも雷蔵の顔を真似しているくせして」
「この方が落ち着くんだから仕方がないだろう」
「知ってる知ってる。ねえ、ひとつ提案なんだけどさ」
 勘右衛門はテーブルの下で私の右足をこつんと蹴った。
「お前のこと、これから三郎って呼ぶから、あとでカメラ貸してくんない?」
「……どういうトレード条件だ、それは」
「愛しているから、愛をちょうだいってこと」
「カメラを借りて、何を撮りたいんだ」
「三郎のこと」
 にひひ、と口角をあげ、勘右衛門はとっておきの企みをひらめいた時のように、わざとらしく声を潜めた。必然的に、私も前傾姿勢になる。彼の声を拾うために。
「俺がいつもどんなふうに三郎のことを好きだと思っているか、お前もわかればいいんだ」
「……心得た」
 彼の切り取る風景は、確かに見たいかもしれない。彼の瞳から世界はどう見えているのか、そして、彼がどのように世界を愛しているのか。私の姿——顔こそ雷蔵に寄せてはいるけれど、彼にはどんな風に見えているのか。知りたいという素直な欲求が胸を満たす。
「そんで、次の旅行では、カメラは置いて来いよ。一緒にナマの世界を見ようよ、隣で」
「そうだな……最近、切り取ることばかり意識してた」
「時の流れを一緒に感じよう。そうしようそうしよう」
 勘右衛門が小指を差し出すので、流れで小指を結んでしまった。破ったら針を千本飲まなけれなならない。なんて恐ろしい拷問なんだ。
「指切りって、元を辿れば、確か遊郭での約束ごとだったよな」
「お客に、また会いに来てくださいねって意味でやるやつだろ。約束を取り付けなければ明日を迎えられないかもしれない身分って辛いよなあ」
 勘右衛門はうんうんと頷いて、でも、と続ける。
「俺たちは、約束し放題。これからの未来、いくらでも約束できるってすごくない?」
「ははは。たくさんしていこうか」
「どんな約束してくれる?」
「例えば? ……私と結婚してください、とか?」
 勘右衛門の顔が真っ赤に染まると同時に、店主と常連客からの拍手が届いた。向こうにもこちらの話し声が漏れ聞こえていたようだ。私は途端に愉快になり、仰々しく勘右衛門の左手を取る。
「この指にぴったりな指輪を贈らせてください、ハニー?」
「……ばーか」
「ああ、今のお前の顔、撮りたくて仕方がない」
「ばーか!」
「答えは?」
「イエスに決まっているだろう、ばーかばーか!」
 勘右衛門がテーブルの下でじたばたと私の足を踏む。どんな照れ隠しだそれは。痛いし汚れるじゃないか、とは、無粋だから言わないけれども。
「……あとでツーショットを撮ることを許します」
「ウエディングフォトも撮りましょう、ハニー」
「うるせえですよ、ダーリン」
 ファインダー越しでなくても、この世界はこんなにも鮮やかだ。勘右衛門は口をとがらせて、「とりあえずあとで三郎を撮る」と呟いた。
「お前が鼻の下をでろでろに伸ばしている今の顔、撮ってやる」
「まじか、そんな顔してたか。やめてくれ」
「俺のファインダー越しの世界を食らいやがれ」
「勘弁」
 ウエイターが、今度はにやにやしながら水のおかわりを注ぎに来た。この裏切者め。勘右衛門は一気に水を飲み干すと、「とりあえず公園行こう」と私を急かす。
「店主の拍手が恥ずかしすぎるから、早く」
「あの人いったいいつまで拍手しているつもりなんだろうな」
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