鉢尾

 花屋に行こうとする私を這いずって止めてくれた勘右衛門に感謝している。
「それは、それだけは恋人として」
 と言って、私の胴体に容赦なくグーパンした。私が雷蔵から借りていた本を汚してしまい、その詫びに花束を贈ろうと思うと告げた途端の出来事だった。身構えていなかったので本当に痛かった。
「俺には贈ったことないくせに」
「道端にさいてるタンポポ……」
「わざわざ買うという行為! 人類が娯楽のためだけに栽培した一瞬の栄華に金を落とし、物に心を込めて贈るという行為!」
 勘右衛門は何度もグーパンした。そのたびに私はオエッとえずく。あざが出来ているかもしれない。健康診断が無くて良かった、いや今どきの健康診断は脱がないけれど。
「わかったわかった、ごめん。確かに双方に誤解を生む」
 さんざん説得されて、「恋人でもない、自分に執着している男から花束を貰ったらそれは恐怖だ」に納得し、無事雷蔵にドン引きされる未来を防いだ私は、次いで勘右衛門のご機嫌取りのフェーズに移行した。こちらの方が重要なミッションである。
「勘右衛門に花を贈りたい場合はどうしたらいい?」
「とびきりのステーキととびきりの口説き文句、とびきりのロマンティックな夜」
「きみ、言うほどロマンティックを好んだか?」
 私は胴体をさすりながら、勘右衛門の膨らんだ頬にへらりと口角をあげた。やきもちをすぐ焼くところは、厄介でもあるがチャームポイントでもある。
 ロマンティックな夜、というのは、どういう夜を指すのだろう。百万ドルの夜景? 私たちならきっと、窓辺で「こんな時間まで勤務してる……」と言って揶揄してしまうだろう。上等なシャンパン? まだ二十歳になっていない、子供用のシャンパンしか用意できない。それってロマンティックか? あとは何だろう、ダンスパーティくらいしか思いつかない。ダンスなんてしたことがない。
「ばかやろう、鉢屋、おまえ」
 勘右衛門は大げさなほどに首を振ってみせた。ばかにしやがって、こっちは手負いなんだぞ。
「あまいあまい、キッスがあるだろう」
「キッスでいいのか」
「ばかやろう。あまいあまい、と言ったじゃないか」
 少しだけ照れた様に紅くなった頬。あいかわらず膨らんでいる。勘右衛門の目線が少しだけ横に泳いだ。
「そのあと、しっぽりすればいいじゃんか。ろまんてぃっくだろ」
 とびきりのステーキ、とびきりの口説き文句、薔薇の花束。あまいあまいキッスをして、しっぽりと夜が更けていく。たしかにそれって、ロマンティックと呼べるだろう。
「どんな風にしっぽりしたいんだ?」
「そういうところロマンティックじゃない。ロマンティック警察だぞこっちは」
「そんな警察あってたまるか」
 ひとまず、とびきりの薔薇の花束を贈ろう。理由は何だっていい、恋人として贈るなら、それが愛の言葉になる。
 薔薇の本数の意味でも調べようかな、とスマホを取り出すと、勘右衛門にその手を制されてしまった。なんだよ、と目線をあげると、唇に唇の感触。
「ばーか」
 勘右衛門がそういって私を睨み、紅い頬のままばたばたと家から出て行ってしまった。私はぽかんとして動けず追いかけることもままならなかったが、数秒して意識を取り戻す。
「今日の夜をロマンティックにするのは許されるか?」
 慌ててLINEにそう送ると、すぐさま返事が返ってきた。警察なんだろ、歩きスマホはよくないぞ。
『すでに減点1だからな、おまえ』
 減点を取り返すために、何本の薔薇が必要だろう。ロマンティックな夜を迎えるために、私は頭を巡らせる。まずは、そうだな、ステーキの美味しい店の予約だな。
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