鉢尾

 窓がない教室って潜水艦の中みたいだ。潜水艦に乗ったことがないから実態を知らないけれど。知らない間に、深く深く潜っていく。
 チャイムが鳴り、海上に意識が浮上する。次の講義までに一コマ時間が空く、食堂にでも行こうか、それならば雷蔵を誘おう、というところまで考えながら荷物をまとめていると、目の前に一枚の紙が差し出された。見るとピンク色の長方形の紙、顔を上げれば勘右衛門だった。
「なんだ」
「ん? チケット」
「だから、なんの」
「誕生日パーティの」
 さも当然のように返され、困惑した。要領を得ない奴だ、と訝しがりながらチケットを受け取る。黄色の文字で「かんちゃんたんじょびパーティ」と書いてある。
「お前って天秤座じゃなかったか?」
「実はここだけの話なんだけど、誕生日パーティって、いつでも何度でもやっていいらしい」
 ようするに、どんちゃん騒ぎがしたいだけだな。私は頷いて紙を受け取り、しぶしぶ日時を確認した。今日の十九時からじゃないか。本当にただの気まぐれのようだ。
「急すぎるだろう」
「でも、来てくれるだろう?」
 緊急でバイトが入っている可能性は考えていなかったのかと問うと、「雷蔵に聞いたら暇だと思うと返された」らしく、私はほとほと呆れかえった。まったく、雷蔵のお茶目さんめ。
 ともかく十九時に俺んちねと念を押されたので、はいはいと返して別れた。ビールでも手土産に持って行けば満足してもらえるだろう。食堂に行くと兵助が冷ややっこを食べており、相変わらずだなと笑っておいた。
 五限目が終わり、勘右衛門の家に早歩きで向かった。途中コンビニでビールを買う。本当の誕生日ならプレゼントも必要だろうが、ただの飲み会なら必要ないだろう。道端にモッコウバラが咲き乱れており、春と夏の狭間の香りを振りまいていた。風は昼に比べて少し肌寒く、帰る頃には酒で身体があたたまって丁度良くなっているはずだ。
 勘右衛門の家は大学から歩いてニ十分ほどの距離にある。くたくたになりながら向かい、チャイムを押すと「どうぞー」と中から声が聞こえる。遠慮なくドアノブに手をかけた。ドアを引き、玄関に一歩入った途端。
 ばん、ばんばん。破裂音が三つ響いた。何事かと驚き固まっている視界に広がる紙吹雪。
「おめでとう!」
「おめでとう三郎」
 雷蔵と兵助と八左ヱ門が、クラッカーを持ってにこにこ立っていた。何が起きているのかさっぱりわからず、私は言葉を失う。
「さあ、中に入れよ」
 八左ヱ門に促されるがまま靴を脱ぐが、いやお前の家ではないだろというツッコミが遅れた。1Kなので狭い台所の横にドアがある、私はそれを押し開いた。
「じゃーん」
 居間に入ると、リボンを全身に巻いた勘右衛門が仁王立ちしていた。また固まる私を、兵助と雷蔵が無理やり中に押し入れた。よろよろと勘右衛門の前に立つと、頭に真っ赤なリボンを乗せた勘右衛門が「どう?」と訊ねてくる。
「な、なにが」
「サプライズ」
「……なんの?」
「鉢屋が俺のことを好きになって一年が経った記念日のサプライズ」
 兵助が私の左手からコンビニの袋を奪い取り、三人が勝手にビールを開けだした。ぷしゅ、と缶を開ける音、炭酸の弾ける音、苦い匂い。なんだこれは。なんの時間だこれは。地獄かここは。
「ええっと」
「付き合った記念日は一ヶ月後だけど、鉢屋が俺のことを好きになったのって、去年の今日だよ」
「……なんで?」
「ライブのチケットを渡したじゃないか。あのとき、じっと俺のことを見ていた」
 唐突に目の前に差し出される、ピンクの長方形の紙――なにかで見覚えのある光景だと思った。デジャヴだったのだ。一年前、それほど交流のなかった勘右衛門が、突如友人たちに「来てね」とライブのチケットを配って回っていたのだ。
「どうして私が好きになったのがそれきっかけだと……?」
「目がはあとだった」
 ヒュウヒュウと口笛を吹く後ろの三人をぶっ飛ばしたくなった。酔っ払いどもめ。私は手持無沙汰になって、勘右衛門の胸元のリボンを解いていく。
「勘右衛門だってそうだったよ」
「あ、バレてた?」
「私だけ意識していただろう。……ばればれ」
 しゅるりと解かれたリボンが足元に落ちていく。雷蔵がそれを拾い、私の頭に巻きだした。まったく、お茶目さんめ。
「だからね、サプライズなんだ。……祝いたかったんだ」
 勘右衛門の顔が赤らんでいる。リボンの赤のせいではないだろう。私は八左ヱ門が抱えていた残りのビール缶を奪い取って、勘右衛門に一缶差し出した。
「乾杯しよう」
 五人で――うち三人はもう飲んでいるが――乾杯した。ばればれ記念日に。リボンとはあとが弾ける初夏に。
 深夜まで続いた飲み会は、色とりどりの魚が泳ぐ海底のようだった。潜水艦のなかにいてはわからない。自分で泳いでみなきゃわからない。紙吹雪が舞い、ビーフジャーキーがしょっぱい。
「ね。あいしてる」
 雷蔵と兵助と八左ヱ門が眠気に転がっている横で、私たちは愛を交わした。あぶくを零すように、波と波のあいま。
 来月の記念日には、サプライズをし返さなければ。まずはリボンの調達から。
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