鉢尾

 十一月にもなると、みな話題にするのは「冬眠の用意は出来ているか?」だ。
 地球の急速な温暖化に伴い、寒冷化も進んだ結果、人類は冬を越せなくなってしまった。クマやリスのように冬眠することを覚え、低体温を維持し、必要最低限の生命活動で深く眠る。
 十二月の第一週頃から、三月の第四週頃までを、人類は冬と呼んでいた。大昔は三月は春だったようだが、今の時代では冬としか形容できなかった。
 生命活動を維持するための、冬眠用のスーツやカプセルベッドが国から支給されているが、メンテナンスは各自で行わなければならない。保険に入っていても、最終メンテナンスの予約枠はこの時期になると常にいっぱいだった。
 十一月は秋のくくりだったが、気候は冬を纏っており、マフラーが手放せない。枯葉はとっくに全て落ち、剥きだしの枝が寒そうに震える季節。吐く息の白さは毎日濃度を増す。
「三郎は? 今年の冬眠、いつからにする?」
 大学に入ってから一人暮らしを始めた俺は、「あわよくば一緒の部屋で眠れたらな」という下心で三郎に問いかけた。我が家はカプセルベッド用のコンセントが二つ付いており、部屋はベッドを二つ並べるくらいの広さはある。
 一緒の部屋で眠るということは、一緒に目覚めるとうことだ。目覚めて一番最初に「おはよう」を言えるのが愛しい恋人であれたら、この上ないしあわせだろうと考えたのだった。
 けれど、三郎の答えは俺の考えをはるかに凌駕するもので、俺は思わず耳を疑った。
「私は、冬眠しないよ」
 三郎の持っているホットコーヒーのカップからは絶えず湯気が出ており、その揺らめきに、今この瞬間が現実であることを思い知る。俺は数秒間ハテナを頭の上に表示させたのち、しっかりと三郎の瞳の中を覗き込んだ。
「……いま、何て?」
「だから。私は今年、冬眠をしない」
 しない、なんて無理だ。人それぞれ眠りの長さに誤差はあれど、全く眠らない人などいない。いたとしても希少な存在だろうから、たぶん病院とかに保護されていると思う。
 俺だって小さい頃、冬眠したくないと駄々をこねて、眠くなるぎりぎりまで粘ったことがある。けれども強烈な寒さと眠気に耐えられず、結果いつのまにかカプセルの中に入っており、目が覚めたら春が訪れていた。そのくらい、意思じゃどうしようもない問題なのだ。冬眠は、人間に備わっている「機能」なのだから。
「何かまた悪ふざけを企んでいるとか」
「まさか。雷蔵だって冬眠するし、誰も巻き込んでいない」
「兵助も、八左ヱ門も、冬眠するよ。お前だけ起きてたって、ひとりぼっちだよ。親も田舎だろ?」
「田舎とは失礼な」
 三郎はどこか遠い目をして、ホットコーヒーを持っていない方の手で俺の頬を撫でた。指先が冷たい。冬は誰だって冷たい。
「……雪を、見てみたいんだ」
「……そんなの、いつでも見られるじゃん」
「東北地方で一年中見られるやつじゃないよ。俺たちの家の周りを覆い尽くす、冬だけの雪が見たいんだよ。一面の銀世界を」
 東北地方や日本海側は、雪の危険性から、夏の間を除いてほとんどの時期が立ち入り禁止区域となる。その空間に没入できるVR体験は、各家庭のチャンネルでいつでも遊べた。もっぱら真夏に需要がある。
「起きたら、真っ先に勘右衛門におはようを言うよ。大丈夫」
 俺は三郎のその言葉に、うんと答えた。そう答えるほかなかった。どうせ三郎のことだ、ただの気まぐれの発言にすぎない、眠くなったら眠るだろう、と浅く思ってしまった。
 彼はこの時、すでに自分の死期を悟っていたんだと思う。もっとほかに、かける言葉があったんじゃないかと思う。
 俺は毎年目覚めるたびに、この時の彼の手のひらの温度を思い出す。


 冬眠の準備をせねばならない。
 カプセルベッドの電力は夏の間の灼熱をエネルギーに電力会社に貯められており、専用コンセントから供給される。冬眠中はインフラももちろん止まるけれど、水道だけは止まらないようになっていた。万が一起きてしまった人がいても、水さえあれば、どうにかして生き延びられるとされていた。各家庭には緊急用の蓄電システムがある。水道管も越冬できるような配管に整備されており、どこかで破裂してしまう心配もほぼなかった。
 なので準備といえば、緊急時用の備蓄品の見直しと、もっぱら目覚めてすぐに食べることになる食料の調達だった。
 三郎は俺の冬眠準備に付き合ってくれたが、俺の手伝いというより、自分の越冬の準備のついでだったようだ。カップ麺や宇宙食、缶詰。カセットコンロのカセット、レトルトカレーや鍋パック。大量のホッカイロに、暇つぶしのための本。
「昔の人類はどうやって冬を越していたんだろう。こたつだけで乗り越えらえるとは思えない」
「こたつだって充分、文明の利器だよ」
 着るだけで体温調節が出来るインナーを三枚買いこんだ三郎の表情はいつもと変わらず、冬眠をしないだなんて嘘にしか思えなかった。特別な人間、というのは当たり前のようにその辺を歩いている。オリンピック金メダリスト、ノーベル平和賞受賞者は注目されるかもしれないけれど、例えばピアノのコンクールで毎年優勝しているだとか、華々しく小説家デビューをしたばかりだとか、歴代の総理大臣の名前を全部諳んじられるだとかは、その辺にごろごろいるのだ。三郎は、まるでそういう人たちと同じくらいの、ありきたりな、ありふれた特別さしか纏っていなかった。
「……冬眠をしなかった分の眠気が、夏にくるとかないかな。昼夜逆転生活みたいに、みんなで活動している間、一人だけ眠ってたりしないかな」
「どうだろうなあ」
「そうしたら、二つの季節でお前と会えなくなる。俺、そんなの嫌だよ」
 本音を漏らすと、三郎は愛しそうな表情をして、俺にヨシヨシと言った。ヨシヨシと言われたって、この寂しさは拭えない。
 一緒に冬眠がしたいのだ。カプセルベッドは寝袋のように一人分の大きさしかないけれど、並んで寝たかったのだ。子供が親と並んで寝た時に、不安じゃなくなるように。同じ夢が見られるんじゃないかと思ったのに。まあ、冬眠中は夢なんて見ないのだが。
 人類は以前、冬眠をしていなかった。まだ地球がそこまで寒くなく、外で立っていられた時代のことだ。今でいう秋の寒さだという。その時代に生まれていたら、俺も三郎も、一緒に冬を越せていたのになあ、と悔しくなった。なんだってこんな時代に生まれた。まあ、同性愛が煙たがられていた時代よりはマシか。
「それなら、私が冬を越すの、勘右衛門の部屋にしようか? 光熱費とかはあとでまとめて払うから」
「ええ、俺の部屋でがさがさされるの? 春になってから警察が乗り込んできたらどうすんだよ、監視カメラで、冬の間不審者が出入りしてましたよって」
「ずっと寝顔、見守っててあげるのに」
 そんなの恥ずかしい、と一蹴したい気持ちと、それならずっと近くにお前を感じられるね、と嬉しく思う気持ちが同居した。三郎は寂しくなったりしないんだろうか、真横に起きない恋人がいる中で、一人で生活するというのは。
「……起きたら、まっさきにおはようを言ってくれる?」
「ああ。もちろん」
「俺の目覚まし、止めるなよ」
「止めないよ。止まってたら、キスで起こすよ」
 三郎は小指を差し出した。ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のます。俺は無理やり約束をとりつけられる。
 この指切りの誓いって、遊女がお客さんにやっていたやつじゃなかったっけ。また来てくださいね、の合図みたいな。俺は遊女か。遊郭は息苦しくて敵わないだろうに。
 その頃は、雪で遊べたはずだ。雪はしんしんと降るらしいから、その「しんしん」という音を聞けたに違いない。三郎はその音を聞くために眠らない。
 少し、羨ましいな、と思ってしまった。
 俺の知らない景色を見られることが。
 みんなと少し違うことをするのがかっこいい、と思っていた時代が、俺にもあった。けれど、三郎はそういうんじゃない。本当に違う事をやって、それでいてかっこういいのだ。たとえばメイクで誰にでも顔を似せられるところとか。高校生の頃からずっと雷蔵の顔をしているので、もうすっかり慣れてしまった。
 誰の顔をしていても、三郎は三郎だ。俺は二人の見分けがつくし、困ったことはない。一度俺の顔になった時は、驚いた後ゲラゲラ笑った。目の前に自分と同じ顔がいると、人は笑ってしまうらしい。ドッペルゲンガーもびっくりだ。そしてもう二度と俺の顔になるなと言った。面白くてたまらないからというのと、その顔で粗相されたらたまったもんじゃないから。雷蔵はすごいな、ずっとこれを許していて。隣に三郎が立っていても、彼は笑わない。
「そういえば、雷蔵たちには言ったの? 冬眠しないって」
「うーん。言うべきかな?」
「余計な心配かけるだけかな……」
「そう思ってね」
 みんな、驚いた後に、必死に止めるだろう、というのは容易に想像できた。兵助は冷静に、身体にかかる負荷の話をするだろうし、八左ヱ門は「どんな生物も冬眠する」とたくさん例をあげるだろう。雷蔵は困ってしまうだろうか、叱るだろうか。
「俺には、どうして言ったの?」
 素朴な疑問。恋人だから教えてくれたに過ぎないだろうけど、それでも、俺だってやっぱり心配になる。
「いちばんに、おはようを言いたかったから」
 三郎は保温効果のある靴下もカゴに入れていく。春の挨拶の一番を俺にくれる約束は、小指に絡まってほどけなかった。


 いよいよ、俺が冬眠する日がきた。部屋中の掃除を終わらせて、窓のシャッターのロックも確認した。水道の蛇口もしめたし、冷凍庫には目覚めた時のための食料がぱんぱんだ。
 眠る前の最後の夜、兵助たちと通話をした。みんな眠気を孕んだ声だった。三郎は当たり前のように俺の横にいて、俺の端末から一緒に通話をしていた。みんなからしたら、それは「恋人たちの、冬眠前最後のデート」くらいに思われていたのだろう、誰からもなにもつっこまれなかった。
「起きたら、みんなで連絡しあおうな。誰が一番最初に起きるか競争だ」
 八左ヱ門がそう言って、高校の頃からの変わらなさにみんなで笑った。俺はそっと思った。三郎は、誰よりも先に、俺におはようをくれるのだ、と。
 春の最初のあいさつは、特別な愛情の表れだった。眠る前に、誰に一番最初に挨拶を送るか約束をとりつけあうのは、小学生の頃からあった文化だ。あたしにちょうだい、あたしにいちばんにちょうだい、と泣く女の子のことを覚えている。
 結局、みんなには三郎が冬眠をしないことを言わなかった。春に体調を崩したら、みんなに「なんで言わなかったんだ」「なんで止めなかったんだ」と怒られるのだろうけど、それでも俺たちだけの秘密にしようということになった。三郎がそうしたいというのだから、それでいいのだ。
 カプセルベッドのコンセントをしっかりと取り付ける。三郎を見上げると、穏やかな顔で微笑んでいた。
 これから彼は、一人で冬を越す。
「いいのか? ほんとうに」
「いいんだよ。決めたんだから。部屋、使わせてもらうな」
 三郎はゆっくりと俺を抱きしめて、それから丁寧な丁寧なキスをした。冬眠前に、数多の夫婦や恋人たちがそうするように。
「おやすみ、勘右衛門。また春に」
「……おやすみ、三郎。どうか無事でいてね」
 カプセルベッドの中に入って、最後にもう一度三郎を見上げてから、蓋をしめた。
 もうあとは、黙って十秒数えるだけ。目を閉じて、次に開ける時は、春になっている。
 おやすみ、世界。おやすみ、三郎。俺は長い長い眠りに落ちていった。


「おはよう、勘右衛門。おはよう」
 聞きなれた春専用アラーム音の向こうから、聞きなれた声が聞こえる気がする。
 沼の底にいるような身体から、とろとろ、とろとろと眠気が冴えて消えていく。ぼうっとする頭で、ああそうだ、冬眠していたのだ、と思い出した。
 重たい。鉛で全身覆われているようだ。この感覚はこの歳になっても慣れない。カプセルベッドを開けると、ぬくもりがゆっくりと俺を抱きしめた。
「おはよう、勘右衛門」
「……おはよう、三郎」
 まだぐるぐるとする意識のなかから、恋しさという感情を思い出す。会いたかった、会いたかった。感覚的にはついさっき別れたような気がするけれど、実際は四ヶ月も会っていないのだ。
「おれがいちばん?」
「一番最初のおはようだよ。おはよう、勘右衛門」
 三郎は愛の言葉を絶やさないで注いでくれた。俺の頭がしゃっきりと覚醒するまで、そのまま抱きしめてくれていた。
 やがて俺がしっかりと目覚めると、改めておはようのキスをして、端末を確認する。まだ誰からもおはようの挨拶は届いていなかった。
「俺が一番乗りだ!」
「ほらね、一番だった」
 くすくす笑いながら、二人で一緒にみんなにおはようのメッセージを送った。今年は俺の勝ち。なかなかいいスタートだ。
 三郎はおかゆをつくってくれた。春一番に食べるものはおかゆと相場が決まっていた。寝起きの身体が受け入れられるよう、ゆるめの、やわらかいおかゆ。
「この四ヶ月ですっかり料理上手になったよ」と笑う三郎はすこしもやつれていなくて、きちんと生活できていたことが窺えた。
「ねえ、どうだった? はじめての冬は」
 俺がそう聞くと、三郎は特段嬉しそうにするでもなく、ただあたりまえに、トーストにバターを塗るかのような単純さで、俺に答えた。
「とても、楽しかったよ」


「ええ!? 三郎、冬眠しなかったの!?」
 兵助の部屋に集まって、新年会をしていた時。三郎はついに秘密を打ち明けた。
 兵助も雷蔵も八左ヱ門も、信じられないものを見るような目で三郎を見て、それからすごいすごいと囃し立てた。雷蔵はやっぱりとても心配していて、「身体に異変はないのか」としきりに聞いていた。
「勘右衛門の部屋で四ヶ月過ごしてたの?」
「寂しくなかったのか?」
「食事はどうしてたの、寒くなかった?」
 みんな口々に言いたい放題だ。三郎は何故か照れ臭そうにして、それでも愉快そうに、まあ見てくれよ、と端末から写真を見せてくれた。
「雪」
「雪だ」
 俺の家の周りを取り囲む、一面の雪原。
 三郎はそれを何枚も写真に収めていた。
「これがゆきだるま一号、こっちが二号」
 足跡が三郎のものしかない、まっさらな白い地面と、鼻を赤くした三郎。この時はたまたま晴れていたそうだ。それでもやっぱり長時間は外にいられなかったと言う。
「みかんを雪の中に埋めてみたんだ。次の日掘り起こしたらかちんこちん。こたつに入って食べるのがうまかった」
「いいなあ、それ。昔の人類がやってたやつじゃん」
 皆は口々に三郎を称賛する。三郎も得意げだ。俺もはじめはそれに乗っかって、どうだ俺の三郎はすごいだろうなどと言っていたものの、次第に口を噤んでいった。
 三郎、寂しくなかったのかな。世界にたった一人で、四ヶ月も。
 地球の反対側が夏だからと言って、その現地の人たちと仲が良いわけではない。日本は深い眠りのなかにいたのだ。彼だけが、彼だけが息を潜めていた、凍える季節の沈黙を思うと、胸が苦しくなった。
「ねえ、三郎」
「ん?」
「さみしくなかった?」
 みんなに聞こえないようにそう訊ねると、三郎は少し考えたのち、ううん、と答えた。
「皆との思い出の動画とか写真とか見返してたし、気になってた映画や本に没頭できたし、ゲームもやりこんだ。学校もバイトもない、最高の休暇だったよ。勘右衛門の寝顔もいつでも見れたしね」
 そう笑う彼の顔がいつもどおりだったので、それならいいんだけど、と留飲を下げたふりをした。本当はそれでも心配だった。
 宇宙に投げ出されたようなものじゃないか。それか、一人きりのプール。自分が立てる波しかない、足取りの覚束なさ。
 俺だったら気が狂ってたんじゃないかと思う。三郎だったから越せたのかもしれない。今こうしてここで元気に振舞えているということは、きっとそこまで辛い思いはしなくてすんだのだ。俺は自分に言い聞かせた。
 三郎は、三郎なりに楽しんだのだ。だったら俺が今から言えることなんて、なにもない。


 夏の頃には三郎が一人で冬を越したことなんてすっかり忘れて――主に暑さのせいで――、各々が大学の単位取得について日々汗を流していた。
 秋の頃にはそれぞれの生活が落ち着きを見せ、冬眠に向けての準備がはじまる。
 また、冬がやってくる。
 三郎は「今年も、冬眠しないつもりだ」と言った。
 俺は怒って詰問すべきか、呆れるべきか、はたまた泣いて縋るべきか悩んで、悩んで悩んで、乾いた声で「なんで?」とだけ聞いた。
「なんで、三郎は冬眠しないの?」
 まるで今日のカレーの肉はビーフですと言うくらいの、ちょっとだけ特別なことくらいの言い方でいうものだから、重く苦しく冷たい冬を一人で越そうとしているという事実に、うまく結びつかない。俺だけが混乱しているような感覚になる。
 三郎は「なんでだろうなあ」と他人事のように呟いて、「私はなんだか、眠ってはいけないような気がするんだ」と俺に耳打ちした。
「三郎って実はアンドロイドか何かなの? 人間じゃないの?」
「ばか、私が人間なのはお前が一番知っているだろう。私の隅々まで見ておいて」
 ああ、見ているとも。感触も味も、なにもかも知っている。だからこそ、人間だとわかっているからこそ、不安になるといっているのだ。
「大丈夫だよ。この私に不可能があると思うか? 去年だって、一人でやってみせた」
「一回成功したからって、二回目も成功するとは限らないよ。俺、やだよ。春目覚めて、俺の部屋でお前が倒れていたら」
「大丈夫。信じて」
 三郎が俺にキスを落とす。そうするともう何も言えなくなってしまう。
 この世からなくなったほうがいいものベストスリー。灼熱地獄の真夏、死と隣り合わせの冬、黙らせるためのキス。
 俺の冬眠準備と一緒に、三郎の越冬準備がはじまる。俺はそのひとつひとつに眉をしかめないように気を付ける。
 この時、もっと引き留めればよかったのかもしれない。あとからそう思ったって、時は無情に進む。
 三郎はこの冬も、ひとりでゆきだるまを作るのだろう。一体何号まで作るだろうか。俺に似てるだとか言って写真に撮って、みんなに見せびらかして遊ぶのだろうか。
「勘右衛門。冬って案外、すぐだよ。お前がひとつまばたきをしたら春なんだから」
 三郎のその言葉を信じてしまったのがいけなかった。黙って繋いだ手があたたかかったのがいけなかった。


「勘右衛門、おはよう」
 春専用アラームの向こう、愛しい声が降ってくる。俺はカプセルベッドから起きて、ぼうっとする頭のまま、三郎に抱き着いた。
「おはよう、三郎。俺がいちばん?」
「いちばんだよ。誰よりも先に、おはようを言うって言ったろ」
 三郎のうなじが冷たかったので、さすっていると、頭をぽんぽんと撫でられる。会いたかったよ、という言葉に、うん、俺も、と返す。
「なんだか顔色が悪い? さみしかった?」
「……うん。少し」
 去年の強情っぷりはどこへやら。三郎は頼りない声でそう呟いた。俺はそれが愛の証のような気がして、ちょっとだけ嬉しく思ってしまった。恋しかったのは俺だけではないのだと。
 おかゆを食べながら、この冬どうやって過ごしていたのかを聞く。新作ゲームをやりこんだとか、ゆきだるまは小さいのを量産したりとびきり大きいのを作ろうと頑張ってみたりしたこととか、逆立ちに取り組んでみたこととか。
「逆立ち?」
「なんか、身体を鍛えてみんなを出し抜くなら今だよなって」
 コイツは人の心配をよそに何を言っているのだろう。みんなと揃った時に披露してやると言われたけれど、そんなに長時間出来ないんじゃないかと踏んでいる。
 俺の部屋でひとり逆立ちの練習をしている三郎を想像したら滑稽でおかしかったので、思わず笑ってしまった。三郎はそれに安心したのか、おかゆを食べる手を止め、「な?」と言った。
「私は私なりに、うまくやったんだよ。なにも心配することはないんだよ」
 俺はおかゆをごくりと飲み込んだ。眠くて仕方がない冬を乗り越えている時点で、確かにすごいことなのかもしれない。
「悪夢とか見なかったの? 寒い時って悪夢を見るんだろ」
「……勘右衛門がもう起きなかったらどうしよう、とかは思ったよ。でも呼吸してるのを確認して、安心してた」
「……そう」
 じゃあ次からは、一緒に寝ようよ。一緒に呼吸をして、一緒に目覚めようよ。
 そう言おうとして三郎の顔を見上げようとすると、俺の視界から、彼がゆっくりと倒れて消えていった。
 ばたん、と床が大きな音を立てて、三郎が叩きつけられる。一瞬、ただ転んだだけかと思った。でもそんなはずはなかった。受け身も取らなければ、「痛てっ」の声もない。静かに静かに、彼は倒れた。
「三郎? 三郎!」
 ゆすってはいけないと知っていても、ゆすってしまう。三郎は返事をしなかった。顔色が真っ青だった。救急車を呼ぼうとした。春目覚めて一番の救急車は全く捕まらず、俺は泣きながら病院まで三郎を背負っていった。


「相当な負荷がかかっています」
 医者はそう言って、俺を睨んだ。彼だって目覚めたばかりのはずだ。目覚めてすぐ、駆け込んできた患者が、実は冬眠をしていませんでしただなんてふざけた事を言ってきたら、そりゃ怒るだろう。
「二度も冬眠をしなかっただなんて。身体が冬に適応できていません。無理やり動かしていたにすぎない――そもそも、彼の身体は弱り切っていたようです。冬眠をしないと言い出したのも、死期を悟ってのことだったんじゃないですか?」
 三郎は様々な管に繋がれて、ベッドに横たわっている。酸素マスクも、点滴のチューブも痛々しかった。
「そんなはずは」
「回復の見込みはありません。覚悟しておいたほうがいいでしょう」
「――え」
 医者は深いため息を吐いた。色素の薄い瞳が、俺の身体を貫く。
「鉢屋さんは、次の冬を越せないかもしれません」


「……おはよう」
「……おはよう。あれ、私」
「ばか。三郎のばか」
 大粒の涙を流しながらベッド横の椅子に座っていた俺を見つけた三郎は、ぎょっとした顔をしたのち、全てを理解したように眉を下げた。
「……どうだった?」
「……次の冬は、越せないかもしれないって」
  テレビでは冬眠中に亡くなった人のニュースをやっていた。高齢だったり持病があったりして、冬を越せず、カプセルベッドのなかで生涯を終える人もたくさんいる。その名前の中に三郎はいない。けれど、もしかしたら、来年。
「……泣かないで、勘右衛門」
「なんで言わなかったんだよ。なんで信じてくれなんて言ったんだよ」
「勘右衛門」
 あとからあとから溢れてくる俺の涙を、手を伸ばして拭き取る三郎の手に繋がれた管を、蹴り飛ばしてやりたかった。お前はこんなところに繋がれてる場合じゃないだろ。みんなに逆立ちを披露するんだろ。
「……サンタクロースが絶滅したわけが、わかったよ。冬は寒い」
「当たり前だろ。ばか」
 三郎の胸に突っ伏して泣いた。俺が泣いてもどうにかなることじゃなかった。
 端末に、みんなからのおはようメッセージが届いていた。三郎のことをどう伝えようか悩んだせいで、俺は返信するのに二日要した。


 みんなお通夜状態だった。そりゃそうだ。春一番の、おめでたい世の空気のなか、俺たちだけが暗い顔をしていた。
「……じゃあ、もう、来年の春は、三郎に会えないのかもしれないのか」
 泣きながらそう言う雷蔵に、俺はこくりと頷いた。頷きたくなんかなかった。三郎は「すまない」と謝っていた。謝られたってどうしようもない。
「だからさ、この一年は、みんなでとびっきりの思い出を作ろう」
 俺が明るい声を出すと、みんなはごしごしと顔を拭って、うん、そうだね、そうしよう、と口々に賛同した。
 どこに行こうか、なにをしようか。涙目で旅行の計画を立てているみんなを見ながら、どこか遠い目をしている三郎をどつく。みんながお前を愛しているんだぞ。お前が応えてやらないでどうする。
「三郎は、どうしたい?」
 兵助がそう問いかけた。八左ヱ門がタブレットに指で「行きたいところ」という表を書いている。雷蔵の手が三郎の肩に置かれる。三郎はひとりひとりの目を見て、やがて笑って言った。
「花火がしたい」


 ありとあらゆる花火をした一年だった。探せば夏以外でも花火は売っていて、とくに去年の余り物は安く手に入った。
 ねずび花火に悲鳴を上げたり、火花を飛び散らしながら追いかけっこをしたり。みなの笑顔も花火のように満開だった。
 写真も動画もたくさん撮った。調子に乗りすぎて火傷もした。みんな泣かなかった。あとからいくらでも泣けるのだから、笑っていようとなった。


「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 冬眠前の、最後の晩餐会の、閉会の挨拶。
 ひとりひとり、三郎とハグをした。八左ヱ門が一番泣いた。だから、泣くなって言ってるだろ。
「三郎。最後まで、僕の顔でいてね」
「ああ。大切に、この顔で過ごすよ」
 これは雷蔵だけの特権だ。双子のような相棒。これからは片割れだけになる。
「ずっと、楽しかったよ」
 兵助は最後まで笑顔だった。三郎もそれを嬉しそうにしていた。
 みんなが帰っていくのを見送った。おやすみ、おやすみ。次の春に、一緒に泣こう。
「それじゃ、勘右衛門。お前も――」
「三郎。話がある」
 俺は三郎をまっすぐに見た。ずっと思っていたことを伝えた。
「今年は俺も、起きてるよ」


 やりたいことがいっぱいあるんだ、と言った。
 こたつでミカンだろ、ゆきだるま作り競争だろ。かまくらも作ってみたいし、そうだ、外でラーメンを食べるのはどうだろう。
 俺がにこにことそう言うのを、三郎はぽかんと見つめていた。
 やがて意識が戻ってきたのか、あわてて「私と一緒に起きていることはない」と制してきたが、そんなのはどこ吹く風だ。俺はもう決めたのだ。
「なあ三郎、花火しようよ。夏の間にやったやつ、取っておいたんだ」
 三郎がへにゃりと顔を歪ませて、その場に蹲った。俺はそれを抱きしめた。
 三郎が泣き止むまで、ずっと背中をさすっていた。俺の鼻もずびずびだった。

 本当にさまざまなことをした。雪の上にバタンと倒れて、手を上下に動かす。天使の像になると言うから起き上がって見てみれば、ぐちゃぐちゃの残骸しかなくて、ゲラゲラ笑った。
 かまくらはかなり本格的に作った。大きなシャベルを使うのは全身運動で、その日の夜から筋肉痛が来た。かまくらの中があったかいというのは言い得て妙で、二人でその中でカップラーメンを食べた。頬も鼻も耳も真っ赤だった。
 花火は水の用意をしなくて済んで楽だった。火花がしゃーっと弧を描いて雪を溶かしていき、流れ星が手から零れて、きらきらと反射していくのは美しかった。
 線香花火では、どっちが長く持っていられるか競争した。俺が勝ちそうになるたび、三郎は俺にキスをしてきた。
 夜空の下で食べるにくまんは格別だった。はんぶんこすると、湯気がさらさらと消えていく。俺は泣かないように、泣かないように、笑っていた。
 クリスマスを祝った。一月一日も祝った。かつての人類たちが祝ってきたことをした。
 メリークリスマス、ハッピーニューイヤー、どちらもキスをした。抱き合って、手繰り寄せて、熱を混ぜた。

 眠かった。立っていられないくらい。
 それは三郎も同じようだった。眠そうだった。けれど、それが最後の眠りだと、お互いわかっていた。
「ねえ、勘右衛門。一緒に眠らないか。一緒の夢が見られるかもしれない」
「……本当? どんな夢?」
「春の夢」
 あはは、そりゃいいや。三郎と最後のキスを交わした。重くて敵わない身体を引きずって、俺はカプセルベッドに入る。
「おやすみ、勘右衛門」
「……おやすみ、三郎。ねえ、俺がいちばん?」
「いちばんだよ、ずっと。愛してる」
 カプセルが閉じていく。瞼が閉じていく。
 次に目が開いたのは、春専用アラームの音がした時だった。泣きながら春を迎えたのは、これが初めてのことだった。



 こうして春を迎えるのは何度目だろうか。
 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がり、大きく伸びをする。端末にメッセージは来ていない。今年も俺が最初のようだ。
 冷凍庫から、花束を取り出す。カチコチに凍った花束を持って、俺は自動電車に乗った。今日からの運転で助かった。
 「――次は、○○霊園。○○霊園」
 花から水が滴っているが、乗客は俺ひとり。誰も気にしない。無機質なアナウンスの向こう、海が開けている。海が見える場所で眠れるって素晴らしい、と思う。
 歩いて歩いて、霊園まで行った。きらきらと、春の日差しが、びっしりと並んだ石を照らしている。
 俺はそのなかの一つの前に行って、ほとんど融けた花を手向けた。
「おはよう、三郎」
 線香花火を灯した。ぱちぱち、流星が飛び散っていく。
 うららかな春だった。春の訪れだった。
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