鉢尾
兵助に言わせると、カルディで売っている珈琲杏仁豆腐は邪道なのだそうだ。杏仁豆腐は生(き)がいい、その一択だった。おそろしい。なんだよ生(き)って。アイツは豆乳を無調整で飲む男だ。
「こんなに美味しいのにな」
「な」
俺と鉢屋は部屋でぷるぷるのそれを皿に盛って、左右からスプーンでつついていた。鉢屋は最近一人暮らしを始めたばかりで、徐々に家具や食器が揃っていくのを見るのが楽しかった。
「ラグ敷いたんだな」
「部屋のなかにアクセントがあった方がいいと、ものの本に書いてあったから」
「ものの本にね」
「ものの本に」
どうせ「女ウケがいい部屋はコレ!」とかいう特集を、美容院とかで読んだのだろう。部屋に女を呼ぶタイミングなんてあるのか? 俺がいるのに?
杏仁豆腐は少しだけ冷凍したので、中心がしゃりしゃりとしていた。駅から鉢屋の家に来るまでの道すがらにカルディがあるせいで、俺らはつい寄り道してしまう。前は生ハムを買った。やけに塩辛かった。
二人であっというまに杏仁豆腐をたいらげ、さてアマプラで映画でも見ますかね、となったところで、鉢屋は俺にゆっくり覆いかぶさった。おお、余裕のない目。キスに応えると、甘ったるさの向こうに微かにコーヒーの香りがした。
「……ゴムあるか?」
「ない」
「じゃあ、やだ」
「我慢できない」
「ステイ。ハウス」
「……ぐう」
ぐっぼーいぐっぼーい。鉢屋の頭を撫でながら、俺は下痢の恐ろしさについて説く。鉢屋はわかったわかったと耳を塞いだ。
「ゴム買ってきたら、続きしてくれるか」
「……いいけど」
鉢屋は財布だけ掴んでそそくさと玄関を出て行った。ファミマまで徒歩二分。なかなかの好立地に住んでいる。羨ましい。
俺は鉢屋の部屋を見渡した。人にはプライバシーだとかプライベートだとかがあるから、ベッドの下をわざわざ詮索したりはしないけれど、多少の物色は許してほしい。
部屋の真ん中にあるローテーブルの下部分は、棒が四本横たわっている形で、物が置けるようになっていた。そこに手帳らしきものが置いてあるのを見つけ、いやいやこれこそ間違いなくプライバシーだとかプライベートだとかいうものだから見る訳にはいかない、と頭を振ると、その下の床に何かが落ちているのを見つけた。
「なんだろ、チケット?」
手帳に挟まっていたのが落ちたのだろうか。指を伸ばして拾ってみると、それは映画のチケットで、日付は一年前のものとなっていた。
そのタイトルを覚えている。鉢屋とはじめてのデートで見に行った映画だったからだ。
え、これ、わざわざ取っておいているということか。もしかしてこの手帳がパンパンなのって、今まで一緒に行ったレジャー施設とかのチケットを、全部保管しているということなのか。
俺はどうしようもなく恥ずかしくなって、そのチケットを握りしめたまま動けなくなってしまった。心臓がじわじわする。顔が熱い。嬉しいような、泣きたいような、逃げ出したいような気持になった。この感情も知っている。はじめてキスした時も、こんな感情になった。
「ただいま」
「お、おかえり」
「どうした? ……なんだそれ」
「あ、あの、落ちてたんだ。見るつもりはなかったんだ。あの。えっと」
「……げ」
鉢屋はがさがさとビニール袋を置き、俺の手の中のチケットが何かを認識すると、かあっと顔を赤らめた。ああ、ごめん、勝手に隠し事を暴いてしまって。
「……お察しの通り、その手帳は去年のもので、全てのチケットが挟まっております」
「まじかよ、お前そういうタイプだったのかよ」
鉢屋はこちらが何も言っていないのに粛々と自供しはじめた。なにをとち狂ったのか「安心しろ、雷蔵とのチケットも全部とってある」とのたまったので、それに関しては頭突きをしておいた。よくわからない感情にさせるな。
「……そういうの、無頓着だと思ってた」
「よく言われる」
「あと、みにまみ……みむ……まりすとだと思ってた」
「ミニマリスト? そんなことはないんだがな」
俺の口がみまみましたのが面白かったのか、顔を赤くしたまま、鉢屋は俺の顎を掬った。みまみましたままの口でキスをすると、また心臓が痛くなり、どうしたもんかと逡巡する。
「か、隠したかったのか? チケットのこと」
「……かっこ悪いだろ」
「そんなことないよ。か、かっこいいよ」
「……ばか」
差し込まれた舌はずいぶん熱くて、俺は溺れそうになってしまう。必死に息継ぎをしながら、彼の肩甲骨を撫でた。
鉢屋の一番好きなところ。肩甲骨。このことは本人には言っていない。
肩甲骨って、天使の羽が生えてくる場所だと思っている。だから、彼の肩甲骨は、世界で一番美しいのだと信じてやまない。だからもなにも、文脈が繋がっていないけれど。別に鉢屋が天使だとか、ロマンティックなことを言うつもりはないのだが、自分の中ではなぜかそこが繋がっている。
この美しい肩甲骨が手の中にあることが、嬉しくてたまらないのだ。
「……暑いね」
「夏だな」
「まだだよ」
「まだだったか」
二人で鼻を突き合わせて、くすくすと笑う。なあ、今このまま続きをしたら、お前はさあというところで立ち上がって、袋をがさがさ言わせて、コンドームの箱をかりかりやってテープを剥がし、個包装を千切るんだぞ。その瞬間の勃起したイチモツの情けなさって、なかなかに面白いんだぞ。
指摘してやらない。かっこつけたがりのお前の、かっこ悪いところが見たい。
「なに笑ってるんだよ」
「あはは。愛してる」
鉢屋の手が俺の服の中に入ってくる。吐息の向こうに、微かなコーヒーの匂い。
「こんなに美味しいのにな」
「な」
俺と鉢屋は部屋でぷるぷるのそれを皿に盛って、左右からスプーンでつついていた。鉢屋は最近一人暮らしを始めたばかりで、徐々に家具や食器が揃っていくのを見るのが楽しかった。
「ラグ敷いたんだな」
「部屋のなかにアクセントがあった方がいいと、ものの本に書いてあったから」
「ものの本にね」
「ものの本に」
どうせ「女ウケがいい部屋はコレ!」とかいう特集を、美容院とかで読んだのだろう。部屋に女を呼ぶタイミングなんてあるのか? 俺がいるのに?
杏仁豆腐は少しだけ冷凍したので、中心がしゃりしゃりとしていた。駅から鉢屋の家に来るまでの道すがらにカルディがあるせいで、俺らはつい寄り道してしまう。前は生ハムを買った。やけに塩辛かった。
二人であっというまに杏仁豆腐をたいらげ、さてアマプラで映画でも見ますかね、となったところで、鉢屋は俺にゆっくり覆いかぶさった。おお、余裕のない目。キスに応えると、甘ったるさの向こうに微かにコーヒーの香りがした。
「……ゴムあるか?」
「ない」
「じゃあ、やだ」
「我慢できない」
「ステイ。ハウス」
「……ぐう」
ぐっぼーいぐっぼーい。鉢屋の頭を撫でながら、俺は下痢の恐ろしさについて説く。鉢屋はわかったわかったと耳を塞いだ。
「ゴム買ってきたら、続きしてくれるか」
「……いいけど」
鉢屋は財布だけ掴んでそそくさと玄関を出て行った。ファミマまで徒歩二分。なかなかの好立地に住んでいる。羨ましい。
俺は鉢屋の部屋を見渡した。人にはプライバシーだとかプライベートだとかがあるから、ベッドの下をわざわざ詮索したりはしないけれど、多少の物色は許してほしい。
部屋の真ん中にあるローテーブルの下部分は、棒が四本横たわっている形で、物が置けるようになっていた。そこに手帳らしきものが置いてあるのを見つけ、いやいやこれこそ間違いなくプライバシーだとかプライベートだとかいうものだから見る訳にはいかない、と頭を振ると、その下の床に何かが落ちているのを見つけた。
「なんだろ、チケット?」
手帳に挟まっていたのが落ちたのだろうか。指を伸ばして拾ってみると、それは映画のチケットで、日付は一年前のものとなっていた。
そのタイトルを覚えている。鉢屋とはじめてのデートで見に行った映画だったからだ。
え、これ、わざわざ取っておいているということか。もしかしてこの手帳がパンパンなのって、今まで一緒に行ったレジャー施設とかのチケットを、全部保管しているということなのか。
俺はどうしようもなく恥ずかしくなって、そのチケットを握りしめたまま動けなくなってしまった。心臓がじわじわする。顔が熱い。嬉しいような、泣きたいような、逃げ出したいような気持になった。この感情も知っている。はじめてキスした時も、こんな感情になった。
「ただいま」
「お、おかえり」
「どうした? ……なんだそれ」
「あ、あの、落ちてたんだ。見るつもりはなかったんだ。あの。えっと」
「……げ」
鉢屋はがさがさとビニール袋を置き、俺の手の中のチケットが何かを認識すると、かあっと顔を赤らめた。ああ、ごめん、勝手に隠し事を暴いてしまって。
「……お察しの通り、その手帳は去年のもので、全てのチケットが挟まっております」
「まじかよ、お前そういうタイプだったのかよ」
鉢屋はこちらが何も言っていないのに粛々と自供しはじめた。なにをとち狂ったのか「安心しろ、雷蔵とのチケットも全部とってある」とのたまったので、それに関しては頭突きをしておいた。よくわからない感情にさせるな。
「……そういうの、無頓着だと思ってた」
「よく言われる」
「あと、みにまみ……みむ……まりすとだと思ってた」
「ミニマリスト? そんなことはないんだがな」
俺の口がみまみましたのが面白かったのか、顔を赤くしたまま、鉢屋は俺の顎を掬った。みまみましたままの口でキスをすると、また心臓が痛くなり、どうしたもんかと逡巡する。
「か、隠したかったのか? チケットのこと」
「……かっこ悪いだろ」
「そんなことないよ。か、かっこいいよ」
「……ばか」
差し込まれた舌はずいぶん熱くて、俺は溺れそうになってしまう。必死に息継ぎをしながら、彼の肩甲骨を撫でた。
鉢屋の一番好きなところ。肩甲骨。このことは本人には言っていない。
肩甲骨って、天使の羽が生えてくる場所だと思っている。だから、彼の肩甲骨は、世界で一番美しいのだと信じてやまない。だからもなにも、文脈が繋がっていないけれど。別に鉢屋が天使だとか、ロマンティックなことを言うつもりはないのだが、自分の中ではなぜかそこが繋がっている。
この美しい肩甲骨が手の中にあることが、嬉しくてたまらないのだ。
「……暑いね」
「夏だな」
「まだだよ」
「まだだったか」
二人で鼻を突き合わせて、くすくすと笑う。なあ、今このまま続きをしたら、お前はさあというところで立ち上がって、袋をがさがさ言わせて、コンドームの箱をかりかりやってテープを剥がし、個包装を千切るんだぞ。その瞬間の勃起したイチモツの情けなさって、なかなかに面白いんだぞ。
指摘してやらない。かっこつけたがりのお前の、かっこ悪いところが見たい。
「なに笑ってるんだよ」
「あはは。愛してる」
鉢屋の手が俺の服の中に入ってくる。吐息の向こうに、微かなコーヒーの匂い。