鉢尾
散り終わった桜の枝から、瑞々しい若葉が生えてきていた。
枝を見上げる俺を、陰から見つめる者がいることには気づいていた。三郎だ。隠れる気もなさそうだし、向こうも俺が気付いていることに気付いているだろう。
風が強い。髪が宙を舞い踊る。春には春の、夏には夏の風が吹くなあ、と季節が巡るたびに思う。雨の前の香りや、月夜の土の匂いも、季節ごとに変わる。透き通った向こう側、俺たちの確かな足取りを撫でるように流れていくそれらに、時折錆臭さが混じる生き方をしていることが、たまに、どうしようもなく、むなしかった。辞める気はないけれど。
「勘右衛門」
三郎が、つい今しがた見つけた、という風を装ったので、俺も、声をかけられたので気付いたというていで振り返る。こういうのは不文律だ。俺らの間を流れる風の色は、最近少し緊張している。
「どうした」
「……いや。なんでも」
「変な三郎」
声をかけるなら、しっかり用事を考えてからにすればいいのに。俺はくすりと笑って、何も勘づいていないフリをする。
三郎は、たぶん、俺のことが好きだ。好きと言うのは、なんとも曖昧な感情だから、断定はできないのだけれど。
「……団子でも、食いに行かないか」
「花見には、ずいぶん遅いよ」
「別にいいだろう。お前の好物なんだし」
委員会の仕事もないし、断る理由もない。俺は二つ返事で承諾し、さっそく二人で私服に着替えた。髪を梳くと、砂埃がはらはらと零れる。春の風の凶暴さはこれだからいけない。
町に繰り出すと、人々は活気に満ち溢れていた。春爛漫、陽気な笑顔は勇ましく、太陽のあたたかさも相まって眩しい。それでも俺と三郎は無言で歩いた。時折、大根が安いな、と言ったり、筆を新調しなければ、といった、小さな言葉を零すこともあったけれど、それらは様々な「よってらっしゃいみてらっしゃい」に掻き消されていく。
「……イモリの黒焼きっておいしいのかな」
「どうした、何を血迷った。黒魔術か」
「ああ。カエルのヘソ、マンドラゴラ、イモリの黒焼きをまとめて煮詰めて、三郎に飲ませるんだ」
「何で」
「早く俺に、言えばいいのにって」
「……何を」
分かっているくせに。
もちろん町にそんな物騒なものが売っているはずもなく、俺たちは茶屋に到着し、つつがなく茶を飲み、団子を頼んだ。茶柱は、今日はいない。留守かあ。
気まずい雰囲気を出したくなくて、あたりさわりのない会話をする。学園長先生の思い付きには困ったものだね、だとか、傷の治りが遅い、だとか。三郎の左腕には、先日の実習訓練で付いた切り傷があった。風呂のたびに沁みる沁みると騒いでおり、明日は我が身、と級友たちと笑っていた。
三色団子は春の味がした。柔らかな甘さ、歯ざわり。喉元を通り過ぎていく時のつるりとした感触。思わず顔を綻ばせていると、三郎がじっと俺のことを見つめていることに気付いた。
「何だよ」
「……なんでも。お前は本当に、おいしそうに食うなあ」
「悪いか」
「悪くない」
なあ。好きなら好きって、早く言えばいいのに。団子と一緒に、その言葉を飲み込んだ。言わないなら言わないなりの理由があるはずだ。不文律、不文律。
三郎が目をしぱしぱさせながら茶を啜っていたので、どうしたのか聞いたら、砂が仮面と素顔の間に入り込んで痒いとのことだった。俺はなんだかそれがおかしくてけらけらと笑い、三郎もそれに釣られて、しぱしぱしながら笑った。
茶屋を出た俺たちは、町を練り歩いた。筆も買えたし、三郎の変装用の化粧品も見た。でたらめな情報ばかり吹き込んでくることで有名なおっちゃんを冷やかしに行ったり、新しく出来たうどん屋の行列に驚いたり。口の中で、茶の渋みが揺蕩っていた。渋みの残る笑い声だったかもしれない。
陽がすっかり傾いて、橙色に染まった道を、ゆったりゆったり歩いていた。早く帰りたいような、このまま二人で帰らないでいたいような、なんとももどかしく、むずがゆい空気に、俺は溜息を吐く。風は一日中強かった。俺まで目がしぱしぱした。
町の活気が薄らいで、夕方の匂いになっていく。夜が訪れる前の匂い。三郎の方を見上げると、きっと俺と同じことを思っていたのだろう、「だいぶ遅くなってしまったな」と微笑まれた。
「なあ、勘右衛門」
「なあに」
「……本当は、言いたいことがたくさんあるんだ。お前が勘づいているように、たくさん、たくさん」
「……うん」
「それでもな」
三郎は、空を見上げた。これから藍色に染まっていく空。月の目覚め出す空。俺たちを包んで離さない空。
「……お前に向けるこの感情に、名前をつけなかったから、私はお前と、ずっと一緒にいられるんだよ」
「…………ふうん」
「だから、言わない。この感情に、私は、名前をつけない」
さあ、帰ろうか。三郎は笑った。俺は何も言えないまま、こくりと頷いた。
不文律、不文律。そう思っていたけれど。そうかあ、この気持ちに、名前ってつけちゃいけないんだ。俺はぎゅっと唇をかみしめて、何もなかったかのような足音で前に進んだ。何もない。何もないのだ。俺と三郎は、過去も未来も、何も変わらないのだ。
桜、もう、散っちゃったもんな。散るのが早すぎるんだよ、ばか。どうせなら、桜吹雪のなかに、この感情を置いて行きたかったのに。
瑞々しい緑色は萌えて、生命力に溢れていて。俺はその力強さに圧倒されて、何もできないでいるというのに。
春は過ぎていく。いずれ夏になる。春には春の、夏には夏の風が吹いていく。それでも、俺と三郎は変わらない。
俺から言えばよかったなあ。三郎の髪が風に舞うのを見ながら、渋いままの口で、笑うしかなかった。
枝を見上げる俺を、陰から見つめる者がいることには気づいていた。三郎だ。隠れる気もなさそうだし、向こうも俺が気付いていることに気付いているだろう。
風が強い。髪が宙を舞い踊る。春には春の、夏には夏の風が吹くなあ、と季節が巡るたびに思う。雨の前の香りや、月夜の土の匂いも、季節ごとに変わる。透き通った向こう側、俺たちの確かな足取りを撫でるように流れていくそれらに、時折錆臭さが混じる生き方をしていることが、たまに、どうしようもなく、むなしかった。辞める気はないけれど。
「勘右衛門」
三郎が、つい今しがた見つけた、という風を装ったので、俺も、声をかけられたので気付いたというていで振り返る。こういうのは不文律だ。俺らの間を流れる風の色は、最近少し緊張している。
「どうした」
「……いや。なんでも」
「変な三郎」
声をかけるなら、しっかり用事を考えてからにすればいいのに。俺はくすりと笑って、何も勘づいていないフリをする。
三郎は、たぶん、俺のことが好きだ。好きと言うのは、なんとも曖昧な感情だから、断定はできないのだけれど。
「……団子でも、食いに行かないか」
「花見には、ずいぶん遅いよ」
「別にいいだろう。お前の好物なんだし」
委員会の仕事もないし、断る理由もない。俺は二つ返事で承諾し、さっそく二人で私服に着替えた。髪を梳くと、砂埃がはらはらと零れる。春の風の凶暴さはこれだからいけない。
町に繰り出すと、人々は活気に満ち溢れていた。春爛漫、陽気な笑顔は勇ましく、太陽のあたたかさも相まって眩しい。それでも俺と三郎は無言で歩いた。時折、大根が安いな、と言ったり、筆を新調しなければ、といった、小さな言葉を零すこともあったけれど、それらは様々な「よってらっしゃいみてらっしゃい」に掻き消されていく。
「……イモリの黒焼きっておいしいのかな」
「どうした、何を血迷った。黒魔術か」
「ああ。カエルのヘソ、マンドラゴラ、イモリの黒焼きをまとめて煮詰めて、三郎に飲ませるんだ」
「何で」
「早く俺に、言えばいいのにって」
「……何を」
分かっているくせに。
もちろん町にそんな物騒なものが売っているはずもなく、俺たちは茶屋に到着し、つつがなく茶を飲み、団子を頼んだ。茶柱は、今日はいない。留守かあ。
気まずい雰囲気を出したくなくて、あたりさわりのない会話をする。学園長先生の思い付きには困ったものだね、だとか、傷の治りが遅い、だとか。三郎の左腕には、先日の実習訓練で付いた切り傷があった。風呂のたびに沁みる沁みると騒いでおり、明日は我が身、と級友たちと笑っていた。
三色団子は春の味がした。柔らかな甘さ、歯ざわり。喉元を通り過ぎていく時のつるりとした感触。思わず顔を綻ばせていると、三郎がじっと俺のことを見つめていることに気付いた。
「何だよ」
「……なんでも。お前は本当に、おいしそうに食うなあ」
「悪いか」
「悪くない」
なあ。好きなら好きって、早く言えばいいのに。団子と一緒に、その言葉を飲み込んだ。言わないなら言わないなりの理由があるはずだ。不文律、不文律。
三郎が目をしぱしぱさせながら茶を啜っていたので、どうしたのか聞いたら、砂が仮面と素顔の間に入り込んで痒いとのことだった。俺はなんだかそれがおかしくてけらけらと笑い、三郎もそれに釣られて、しぱしぱしながら笑った。
茶屋を出た俺たちは、町を練り歩いた。筆も買えたし、三郎の変装用の化粧品も見た。でたらめな情報ばかり吹き込んでくることで有名なおっちゃんを冷やかしに行ったり、新しく出来たうどん屋の行列に驚いたり。口の中で、茶の渋みが揺蕩っていた。渋みの残る笑い声だったかもしれない。
陽がすっかり傾いて、橙色に染まった道を、ゆったりゆったり歩いていた。早く帰りたいような、このまま二人で帰らないでいたいような、なんとももどかしく、むずがゆい空気に、俺は溜息を吐く。風は一日中強かった。俺まで目がしぱしぱした。
町の活気が薄らいで、夕方の匂いになっていく。夜が訪れる前の匂い。三郎の方を見上げると、きっと俺と同じことを思っていたのだろう、「だいぶ遅くなってしまったな」と微笑まれた。
「なあ、勘右衛門」
「なあに」
「……本当は、言いたいことがたくさんあるんだ。お前が勘づいているように、たくさん、たくさん」
「……うん」
「それでもな」
三郎は、空を見上げた。これから藍色に染まっていく空。月の目覚め出す空。俺たちを包んで離さない空。
「……お前に向けるこの感情に、名前をつけなかったから、私はお前と、ずっと一緒にいられるんだよ」
「…………ふうん」
「だから、言わない。この感情に、私は、名前をつけない」
さあ、帰ろうか。三郎は笑った。俺は何も言えないまま、こくりと頷いた。
不文律、不文律。そう思っていたけれど。そうかあ、この気持ちに、名前ってつけちゃいけないんだ。俺はぎゅっと唇をかみしめて、何もなかったかのような足音で前に進んだ。何もない。何もないのだ。俺と三郎は、過去も未来も、何も変わらないのだ。
桜、もう、散っちゃったもんな。散るのが早すぎるんだよ、ばか。どうせなら、桜吹雪のなかに、この感情を置いて行きたかったのに。
瑞々しい緑色は萌えて、生命力に溢れていて。俺はその力強さに圧倒されて、何もできないでいるというのに。
春は過ぎていく。いずれ夏になる。春には春の、夏には夏の風が吹いていく。それでも、俺と三郎は変わらない。
俺から言えばよかったなあ。三郎の髪が風に舞うのを見ながら、渋いままの口で、笑うしかなかった。