鉢尾

「当たり前じゃない国に行きたいなあ」
 勘右衛門がそんなことを言いながら、パフェをつついた。春のとちおとめフェアだとかで、真っ赤なイチゴの並んだそれは見事に華々しく、一口もらってみれば甘いクリームに脳が焼かれそうだった。
 昼時、ファミレスに行こうとなったのは自然な流れだったが、じゃあネコチャンが配膳しているファミレスに行こうと言ったのは勘右衛門の方だった。いざファミレスに来てみると、ネコチャンは働いているものの、なんだかニンゲンの方が忙しそうだ。
「当たり前じゃない国に行ったら、そのパフェも甘くなくなるぞ」
「えー、それは嫌だなあ」
 勘右衛門の頬に付いた生クリームを指で掬ってやる。指先が迷子になったので自分の口に含むと、「そういうところさあ!」と指をさされた。何のことだ。
「例えばさ、当たり前じゃない国に行ったら、俺とお前って結婚できると思うんだけど」
「でも、当たり前じゃない国では、愛の定義が違うかもしれない」
「絶対ってないもんね。永遠みたいに」
「当たり前じゃない国では、あるかもしれないな」
 さりげないプロポーズに気付かないフリをしながら、私は揚げた芋を食べる。気まぐれに勘右衛門のパフェの生クリームを芋に付けて食べてみたが、甘さと塩辛さそれぞれが舌の上で分離して、特に意味はなかった。
「そこでならさ。三郎も、自分の顔で生きていけるかも」
「……なるほどな。私は雷蔵の顔のままでいいけど」
「当たり前じゃない国では、驚かれないかもしれないな」
「たしかに。珍しくないのかもしれない」
 あーん。勘右衛門がイチゴを私によこす。私は大人しくそれを食べながら、勘右衛門の指先を見つめた。こいつはペン回しがうまい。高校生の頃から、退屈な授業中にずっと練習をしていたのを覚えている。大学の講義中、昔より随分上達したペン回しをノートの上で披露しながら、コイツはあくびを噛み殺している。
「……当たり前じゃない国では、空も海も青くないし、コーヒーも苦くない」
「それってしあわせか?」
 勘右衛門は長いスプーンをグラスと口の交互に運びながら、夢物語を続けた。
「当たり前じゃない国で、当たり前のことを発見して、当たり前じゃなくなってから帰ろう」
「どんなふうに?」
「好きって言葉を見つけてさ。好きって伝えるの。当たり前のことみたいに」
「両思いになれるのは、当たり前じゃないのに、当たり前のことになるのか」
「そういうこと。ノーベル賞貰おう」
 揚げた芋を最後まで食べ終えた俺は、手持無沙汰にドリンクバーに寄った。コーヒーとコーラと持ってきて、どちらの舌になっても対応出来るように、という作戦を立てたが、見事に勘右衛門にコーラを奪われる。
「炭酸って最初に飲んだ人すごいよな。しゅわしゅわしてびっくりしなかったのかな」
「それ高校生の時も言ってたぞ」
 仕方なくコーヒーを飲み、強制的に胃を落ち着かせる。普通パフェにコーヒーを合わせないか。当たり前じゃない国だからいいのか。
 ネコチャンが隣のテーブルにハンバーグ定食を配膳し、賑やかに厨房に帰っていく。やっぱりニンゲンが運んだ方が早いと思うんだけどなあ、というのは、野暮だから言わない。
「ここって当たり前の国?」
「部分的にそう」
「俺、三郎のことが好き」
「……知ってる」
「三郎は?」
「……大好き」
「知ってる!」
 パフェを食べ終えた勘右衛門は、なんと「俺もフライドポテト食べたくなっちゃった」とメニューを開きだしたので、俺は目を疑ってしまう。そんなんだから私に腹を摘ままれるし、そんなんだから私も頬を摘ままれるはめになるのだぞ。
 好きという言葉の当たり前さ、当たり前じゃなさを噛みしめる。甘くて、苦くて、油がじゅわっと染みて、すとんと胃の中に落ちていく。どちらから言ったんだっけな。どちらとも言ったんじゃなかったかな。ミルクを足したコーヒーは、幾分かまろやかになった。
「三郎ってさ。最初、俺からの好意に気付いてないフリしてたでしょ」
「……そのほうが面白かったから」
「ダウト。雷蔵のことが大好きだったからでしょ」
「部分的にそう」
 憧れ、依存、愛情、友情、そんなものがごっちゃになっていた私を照らしたお前の笑顔を、私は忘れないよ、というのは、野暮だから言わない。ネコチャンがリズミカルにミックスグリルを乗せて遠ざかっていく。
「三郎は、当たり前じゃない国に行ったら何がしたい?」
「……せっくす」
「ばーか」
 勘右衛門はタブレットでフライドポテトを注文した。また揚げた芋がくる。せっかくコーヒーで胃を落ち着かせたのに。
「……勘右衛門がいるなら、何でもいい。私は素顔で、甘くないパフェと苦くないコーヒーを頼んで、青くない空と海を眺めて、愛とはなんたるかを発見して、好きと伝えられれば、それでいい」
「……おお」
「なんだよ」
「改めて言われると恥ずかしいな」
「プロポーズまでしておいて?」
 ネコチャンがニャンニャンとポテトを運んできてくれた。勘右衛門はありがとーと言いながらネコチャンを帰すと、ほら、一緒に食べようと皿をテーブルの真ん中に置く。だから、それ、二皿目なんだって。
「……あるよ。絶対と永遠」
「え、急に何だよ」
 勘右衛門はまんまるの目をさらにまんまるにして、私を見つめる。私はストローの包装のしわくちゃの紙を丸めて、勘右衛門の左手を取った。
「私がお前を、好きってこと」
 薬指にそっと紙の指輪を巻き付ける。勘右衛門はぱちくりと瞬きを繰り返したのち、はじめはくすくすと、次第に大声でけらけらと笑いだした。
「すごい、俺たちちゃんと両思いだ」
「当たり前じゃない国も、当たり前の国も、ちゃんとあるよ」
 照れくささが勝って、私は勘右衛門の口に芋をつっこんだ。勘右衛門は丸い頬をもごもごと動かしてそれを飲み込むと、おいしい、と返す。当たり前だろう、ここは当たり前の国なんだから、揚げた芋はおいしい。
 机の下で足を蹴り合った。明日までに提出のレポートを、まだお互いに完成させられていなかった。どうにかなるだろうという主義主張を携えて、私たちはドリンクバーに立つ。端から端まで全部混ぜたら、当たり前じゃない国に行けるだろうか。というのは、野暮だから、言わない。
37/47ページ
スキ