鉢尾
髪をばっさりと切った。切ってしまえばあっけないものだ。美容師に「頭の形が綺麗ですね」と褒められたので、思わず調子に乗る。床に落ちている長い髪の束に、心の中でばいばいと唱えた。
今日、鉢屋に告白した。単刀直入に「好きだ」と伝えた。鉢屋はきょとんとしたのち、にやりと笑って「待ちくたびれた」と言った。俺の気持ちを分かっていながら、その状況を楽しんでいたのだ。なんて罪深いやつなんだ。俺はキイッと怒ったけれど、鉢屋にはどこ吹く風だった。
「とりあえず、明日遊ぶか」
鉢屋はそう言ってすいすいとスマホに指を滑らせ、「カラオケ、映画、水族館、スポッチャ、ジョイポリス、花屋敷、ディズニー」と立て続けに候補を述べた。俺は告白することに精一杯で、これからのことなんて何も考えていなかった。
「い、いきなりディズニーは気が狂いそう」
「狂うな、落ち着け」
「あの、あの。いきなり何か変わりたいわけじゃないんだ」
「わかってる。私だって今どうしていいかわからなくて混乱しているんだ」
「混乱するな、落ち着け」
鉢屋の耳が赤いのを、愛しく思った。あの鉢屋が焦っている、心を乱している。俺のために、俺のせいで。これだけでもう、何だか全てが報われた気がした。今まで恋慕で悩んでいた時間は何だったのか。
「じゃあ、映画とゲーセン行こう。とりあえず、とりあえず」
「とりあえずね。とりあえず」
鉢屋のスマホで映画を予約して、俺たちは「とびきりめかし込んで来いよ」と別れた。俺としては清潔感のある服を着て来いよくらいの気持ちだったのだが、風に長い髪が煽られた時、そうだ、髪を切ってしまおうと思い立ったのだった。俺はその足で夕方の美容院に駆け込み、「ばっさりいってください。失恋じゃないです」と伝えた。
「すっきりしましたねえ」
美容師のお兄さんは俺の髪を整えながらにこにこしている。俺の髪は癖毛だから、切るのも大変だったろう。鏡の中の見慣れない俺が、俺に向かって誇らしげに頷いている。うん、なかなかいいんじゃないか。
「恋人に、おめかしして来いって言われたんです」
「そりゃ大変だ。今のお兄さんなら、何でもサッパリとした印象になって恰好いいと思いますよ」
何かしらのスプレーを振りまきながら、お兄さんも頷いた。お会計をして店を出ると、外の風がうなじを撫でた。頭がずいぶんと軽い。今ジャンプしたら、今までより数センチ高く飛べそうだと思った。
さて、ここで問題である。鉢屋は果たしてこの髪型を好いてくれるだろうか。
告白が成功した俺は調子に乗っているので、どんな俺でも鉢屋なら好きと言ってくれるだろうという、どこから来るのかわからない自信で溢れている。夜の街のショーウインドウに映る俺は確かにサッパリとしていて、明日着て行こうと思っているシャツもスマートに着こなせそうだった。
鉢屋、何て言うかな。似合ってるじゃんって言ってくれるだろうか、それともどうしたんだよと心配してしまうだろうか。俺としては、今までのうじうじした自分を切り捨てて新しい一歩を踏み出すくらいの気持ちで切ったので、深い意味は特にないから、変に勘繰られでもしたら困る。
一人暮らしの家に帰宅して、ああそう言えば夕飯の材料が何もないんだったと思い出す。カップ麺で良いか、明日のデートでカフェなりファミレスなり寄った時、たらふく食べればいいだろう。風呂を溜めながら、財布の中のレシートを捨てた。
湯船に浸かりながら、今までのことを振り返った。鉢屋に初めて会った時、なんだコイツと思った。隣にいる男――のちに雷蔵と知る――とそっくりな顔をしておきながら、双子でもいとこでもないと得意げに自己紹介をされた。特技はメイクだと言って、お前の顔に近付けることも出来ると脅されたのが懐かしい。普通は「俺の顔で変なことをしないでくれ」と縋るらしいところを、俺は「やれるもんならやってみろ、俺だってお前の顔でヘソ出して街を闊歩してやる、お前の顔でインスタアカウント作って自己流のヨガのポーズでバズってやる」とのたまったものだから、なんだコイツと思われたらしい。第一印象はお互い「なんだコイツ」なのだ。そこからよく恋仲にまで発展できたものだ。
風呂から上がり、ドライヤーの時間が異様に短くなったことに感銘を受けた。タオルも前みたいにびしょびしょにならない! これは革命である。
カップ麺を食べて、歯磨きをして、さああとは寝るだけとなった時、兵助から着信があった。そういえば兵助に恋が成就したことを伝えていなかった。
「もしもし、勘右衛門? 今大丈夫か?」
「兵助。俺、今日告った」
「……え!? 三郎に!?」
「うん。オッケーだった」
「本当!? おめでとう、よかった!」
兵助は何か用事があったろうに、自分の事の様に喜んでくれて、よかった、よかったと何度も言ってくれた。さっきまで割と平常心だった俺も、なぜだか今になって自覚し始めて、何だか恥ずかしくなってくる。
「それでね。髪の毛ばっさり切ったんだ」
「え、どうして?」
「なんか、どうだ! って気持ちになって。明日、おめかししていかなきゃいけなくて」
「おめかしでショートカット? 随分思い切ったね」
まあいいんじゃない、としめくくった兵助の方から、プシュ、とプルタブを開ける音が聞こえた。こいつ俺の話を肴にビール飲んでる。
「ここから先、また伸ばしていくのも楽しいかもね。三郎との思い出の分だけさ」
「ああ、それもいいなあ。どれだけ伸びるかなあ」
結局、兵助の話したかったことは新しい豆腐レシピの開発についてだったので、俺たちは寝落ちするまで豆腐の話をした。朝、アラームで起きた時、俺は頭の軽さにびっくりして、一瞬自分が自分でないように思ってしまった。他人と入れ替わってしまったのかとすら。違う違う、新しい自分のはじまりだ。
さあ、とびきりめかし込まないといけない。持っている服の中で一番綺麗なシャツとパンツを選んで、髪を整える。鉢屋、何て言ってくれるかなあ。わくわくとどきどきがとまらない。
待ち合わせ場所に着いた頃には、心臓が口から飛び出そうだった。恋人として会う、はじめての鉢屋。目印の銅像の前で深呼吸をしていると、右からすっとんきょうな声が届いた。
「……勘右衛門?」
「え、鉢屋?」
なんと、そこには髪をばっさり切った鉢屋が立っていた。俺たちはお互いの頭を指さしながらあんぐりと口をあけ、たっぷり三秒見つめ合ったあと、腹の底から爆笑した。
「似合ってる!」
考えることは同じなのだ。とびきりのおめかしをしてきた自分たちを称えあいながら、俺たちは映画館へと向かった。風がすうすうとうなじを撫でる。きっと鉢屋も、ドライヤーの楽さにびっくりしたり、目覚めた時に「私は誰!?」と思ったりしたのだろう。俺はこっそりジャンプしてみた。やっぱり今までより、少しだけ高く飛べた気がした。
今日、鉢屋に告白した。単刀直入に「好きだ」と伝えた。鉢屋はきょとんとしたのち、にやりと笑って「待ちくたびれた」と言った。俺の気持ちを分かっていながら、その状況を楽しんでいたのだ。なんて罪深いやつなんだ。俺はキイッと怒ったけれど、鉢屋にはどこ吹く風だった。
「とりあえず、明日遊ぶか」
鉢屋はそう言ってすいすいとスマホに指を滑らせ、「カラオケ、映画、水族館、スポッチャ、ジョイポリス、花屋敷、ディズニー」と立て続けに候補を述べた。俺は告白することに精一杯で、これからのことなんて何も考えていなかった。
「い、いきなりディズニーは気が狂いそう」
「狂うな、落ち着け」
「あの、あの。いきなり何か変わりたいわけじゃないんだ」
「わかってる。私だって今どうしていいかわからなくて混乱しているんだ」
「混乱するな、落ち着け」
鉢屋の耳が赤いのを、愛しく思った。あの鉢屋が焦っている、心を乱している。俺のために、俺のせいで。これだけでもう、何だか全てが報われた気がした。今まで恋慕で悩んでいた時間は何だったのか。
「じゃあ、映画とゲーセン行こう。とりあえず、とりあえず」
「とりあえずね。とりあえず」
鉢屋のスマホで映画を予約して、俺たちは「とびきりめかし込んで来いよ」と別れた。俺としては清潔感のある服を着て来いよくらいの気持ちだったのだが、風に長い髪が煽られた時、そうだ、髪を切ってしまおうと思い立ったのだった。俺はその足で夕方の美容院に駆け込み、「ばっさりいってください。失恋じゃないです」と伝えた。
「すっきりしましたねえ」
美容師のお兄さんは俺の髪を整えながらにこにこしている。俺の髪は癖毛だから、切るのも大変だったろう。鏡の中の見慣れない俺が、俺に向かって誇らしげに頷いている。うん、なかなかいいんじゃないか。
「恋人に、おめかしして来いって言われたんです」
「そりゃ大変だ。今のお兄さんなら、何でもサッパリとした印象になって恰好いいと思いますよ」
何かしらのスプレーを振りまきながら、お兄さんも頷いた。お会計をして店を出ると、外の風がうなじを撫でた。頭がずいぶんと軽い。今ジャンプしたら、今までより数センチ高く飛べそうだと思った。
さて、ここで問題である。鉢屋は果たしてこの髪型を好いてくれるだろうか。
告白が成功した俺は調子に乗っているので、どんな俺でも鉢屋なら好きと言ってくれるだろうという、どこから来るのかわからない自信で溢れている。夜の街のショーウインドウに映る俺は確かにサッパリとしていて、明日着て行こうと思っているシャツもスマートに着こなせそうだった。
鉢屋、何て言うかな。似合ってるじゃんって言ってくれるだろうか、それともどうしたんだよと心配してしまうだろうか。俺としては、今までのうじうじした自分を切り捨てて新しい一歩を踏み出すくらいの気持ちで切ったので、深い意味は特にないから、変に勘繰られでもしたら困る。
一人暮らしの家に帰宅して、ああそう言えば夕飯の材料が何もないんだったと思い出す。カップ麺で良いか、明日のデートでカフェなりファミレスなり寄った時、たらふく食べればいいだろう。風呂を溜めながら、財布の中のレシートを捨てた。
湯船に浸かりながら、今までのことを振り返った。鉢屋に初めて会った時、なんだコイツと思った。隣にいる男――のちに雷蔵と知る――とそっくりな顔をしておきながら、双子でもいとこでもないと得意げに自己紹介をされた。特技はメイクだと言って、お前の顔に近付けることも出来ると脅されたのが懐かしい。普通は「俺の顔で変なことをしないでくれ」と縋るらしいところを、俺は「やれるもんならやってみろ、俺だってお前の顔でヘソ出して街を闊歩してやる、お前の顔でインスタアカウント作って自己流のヨガのポーズでバズってやる」とのたまったものだから、なんだコイツと思われたらしい。第一印象はお互い「なんだコイツ」なのだ。そこからよく恋仲にまで発展できたものだ。
風呂から上がり、ドライヤーの時間が異様に短くなったことに感銘を受けた。タオルも前みたいにびしょびしょにならない! これは革命である。
カップ麺を食べて、歯磨きをして、さああとは寝るだけとなった時、兵助から着信があった。そういえば兵助に恋が成就したことを伝えていなかった。
「もしもし、勘右衛門? 今大丈夫か?」
「兵助。俺、今日告った」
「……え!? 三郎に!?」
「うん。オッケーだった」
「本当!? おめでとう、よかった!」
兵助は何か用事があったろうに、自分の事の様に喜んでくれて、よかった、よかったと何度も言ってくれた。さっきまで割と平常心だった俺も、なぜだか今になって自覚し始めて、何だか恥ずかしくなってくる。
「それでね。髪の毛ばっさり切ったんだ」
「え、どうして?」
「なんか、どうだ! って気持ちになって。明日、おめかししていかなきゃいけなくて」
「おめかしでショートカット? 随分思い切ったね」
まあいいんじゃない、としめくくった兵助の方から、プシュ、とプルタブを開ける音が聞こえた。こいつ俺の話を肴にビール飲んでる。
「ここから先、また伸ばしていくのも楽しいかもね。三郎との思い出の分だけさ」
「ああ、それもいいなあ。どれだけ伸びるかなあ」
結局、兵助の話したかったことは新しい豆腐レシピの開発についてだったので、俺たちは寝落ちするまで豆腐の話をした。朝、アラームで起きた時、俺は頭の軽さにびっくりして、一瞬自分が自分でないように思ってしまった。他人と入れ替わってしまったのかとすら。違う違う、新しい自分のはじまりだ。
さあ、とびきりめかし込まないといけない。持っている服の中で一番綺麗なシャツとパンツを選んで、髪を整える。鉢屋、何て言ってくれるかなあ。わくわくとどきどきがとまらない。
待ち合わせ場所に着いた頃には、心臓が口から飛び出そうだった。恋人として会う、はじめての鉢屋。目印の銅像の前で深呼吸をしていると、右からすっとんきょうな声が届いた。
「……勘右衛門?」
「え、鉢屋?」
なんと、そこには髪をばっさり切った鉢屋が立っていた。俺たちはお互いの頭を指さしながらあんぐりと口をあけ、たっぷり三秒見つめ合ったあと、腹の底から爆笑した。
「似合ってる!」
考えることは同じなのだ。とびきりのおめかしをしてきた自分たちを称えあいながら、俺たちは映画館へと向かった。風がすうすうとうなじを撫でる。きっと鉢屋も、ドライヤーの楽さにびっくりしたり、目覚めた時に「私は誰!?」と思ったりしたのだろう。俺はこっそりジャンプしてみた。やっぱり今までより、少しだけ高く飛べた気がした。