鉢尾
「み、右がアクセル」
「落ち着いて」
「トリプルループ、ダブルルッツ」
「落ち着いて、スケート飛ばないで」
俺が滝汗をかきながらハンドルを握ると、鉢屋が助手席で応援してくれた。彼も滝汗をかいている。そりゃあ初心者ぺーぺーの車の助手席なんて緊張するに決まっている。お互いに座席の位置を調整して、命綱ことシートベルトをしめた。もうこれで、あとは発進するだけとなる。
「後ろ来てない?」
「大丈夫」
「左も来てない?」
「左は行く方だろ、右を見ろ」
既に泣きそうである。ひいひい言いながらアクセルを踏んで、俺たちは海を目指した。
鉢屋が免許証を取ったのは半年前だ。親の車を借りてドライブに連れて行ってもらったことがある。その時助手席から見る鉢屋がやけにかっこよくて、あ、俺もこんだけかっこよく思われたいな、と貯金をはたいて教習所に通ったのだった。なんとも単純な動機である。
鉢屋はあんなに余裕そうに運転していたのに、俺はガクガクと震えながらじゃないと運転できない。こんなんじゃあかっこうがつかない。鉢屋は必死に全方位の安全確認をしてくれて、俺は「たすけてー」と叫びながらアクセルを踏み続けた。
「まったく、運転なら私がするのに」
「俺もかっこいいところ見せたかったの!」
「まずは近場から練習すればいいのに」
「海を見たかったの! 鉢屋と!」
もはや絶叫アトラクションだ。右折するときは人の形を保っていなかったけれど、俺たちは何とか無事に海に辿り着く。
駐車場に停め終わると、俺は全力を使い果たしたせいで液体になっていた。鉢屋はそれを麦わら帽子の中に掬ってくれる。
「なんで麦わら帽子もってきてるんだよ」
「どうせなら浮かれポンチになりたくて……」
いいな、浮かれポンチ。俺はむくりと人間に戻り、鉢屋に被せてもらった麦わら帽子を手で押さえながら、近場のお土産屋さんに行こうと誘った。季節外れの今、かき氷はやっていないけれど、アロハシャツなどの販売はしているはずだ。
「おそろいのサングラスかけよう」
「いい浮かれポンチ具合だな」
ドライブにはサングラスが必要ってね。今更かっこうつけても何の意味もないけれど、俺と鉢屋はなんともパーリーピーポーなサングラスを買い、口笛を奏でながら海辺を闊歩した。いいねいいね、幅をきかせてるね。
「何で海がよかったんだ?」
「はじめては海って相場が決まってるの」
「何の相場?」
「愛だとか、恋だとか」
平日の昼間、冬の海なんてほとんど誰もいない。俺と鉢屋は手を繋いでブンブンと振って歩いた。陽射しが良い感じになってきたらインスタに写真を載せよう。潮風が俺と鉢屋の髪の毛をぶおぶおと掻きまわした。
「鉢屋はさ、ドライブデートで、水族館に連れて行ってくれたじゃん」
「ああ。そういやあれも水辺だな」
「やっぱさ、人類のはじまりは海なワケ」
「……はじまりたいの、勘ちゃん?」
鉢屋は振り回していた手を止めて、俺の顔を覗き込んだ。メイクで雷蔵に似せているけれど、彼の鼻の形が好きだった。鉢屋は俺の頬に張り付いた髪の毛を手で払いながら、むかーしむかし、と唱えだす。
「あるところに、亀がおりました。亀は人間に憧れていたけれど、陸に上がってみれば、あ、別にそんなかっこよくねーやと気付いて、愛しの故郷に帰りました。おしまい」
「……せちがれー」
けらけらと笑いながら、俺たちはキスを交わした。磯の香り。海にじろりと舐めるように見回される。見てんじゃないよ、海。今日は泳がないんだから。
二人で波を眺めていた。長い長いコンブだかワカメだかの影が恐ろしくて思わず声をあげると、鉢屋はにたにた笑って俺を追い回す。我こそは昆布の妖精だとのことだ。お前のような妖精がいてたまるか。
ひとしきり走って笑ったあと、自動販売機で炭酸水を買った。しゅわしゅわが口の中で弾けて、気分がさっぱりする。
「あのね」
「なんだ?」
「よく思うんだ。別れた方がいいのかなとか」
「……なんで? 男同士だから?」
「そんな感じ。そんなこと気にしてないし、別れる気もないんだけど」
「うん」
「だからね、海に来たかったんだ」
「……はじまるから?」
「そう。はじまるから」
鉢屋は俺の肩を抱いて、またキスを落としてくれた。さっきよりちょっと乱暴で、舐めた唇は塩辛かった。
帰りは私が運転を変わるよ、と鉢屋が申し出てくれたおかげで、俺たちは命拾いをする。助手席で飲む炭酸水はとってもパーリーピーポーな弾け具合で、浮かれポンチなサングラス越しの太陽は眩しく出来ないことが悔しそうだった。
あ、インスタに写真載せるの忘れた。まあいっか。愛だの恋だの、はじまりだのおわりだの、つべこべ言っているとあっというまに時間が経ってしまう。鉢屋はラジオをかけた。日本のどこかにいる知らない人からのお便りが読み上げられていた。
「落ち着いて」
「トリプルループ、ダブルルッツ」
「落ち着いて、スケート飛ばないで」
俺が滝汗をかきながらハンドルを握ると、鉢屋が助手席で応援してくれた。彼も滝汗をかいている。そりゃあ初心者ぺーぺーの車の助手席なんて緊張するに決まっている。お互いに座席の位置を調整して、命綱ことシートベルトをしめた。もうこれで、あとは発進するだけとなる。
「後ろ来てない?」
「大丈夫」
「左も来てない?」
「左は行く方だろ、右を見ろ」
既に泣きそうである。ひいひい言いながらアクセルを踏んで、俺たちは海を目指した。
鉢屋が免許証を取ったのは半年前だ。親の車を借りてドライブに連れて行ってもらったことがある。その時助手席から見る鉢屋がやけにかっこよくて、あ、俺もこんだけかっこよく思われたいな、と貯金をはたいて教習所に通ったのだった。なんとも単純な動機である。
鉢屋はあんなに余裕そうに運転していたのに、俺はガクガクと震えながらじゃないと運転できない。こんなんじゃあかっこうがつかない。鉢屋は必死に全方位の安全確認をしてくれて、俺は「たすけてー」と叫びながらアクセルを踏み続けた。
「まったく、運転なら私がするのに」
「俺もかっこいいところ見せたかったの!」
「まずは近場から練習すればいいのに」
「海を見たかったの! 鉢屋と!」
もはや絶叫アトラクションだ。右折するときは人の形を保っていなかったけれど、俺たちは何とか無事に海に辿り着く。
駐車場に停め終わると、俺は全力を使い果たしたせいで液体になっていた。鉢屋はそれを麦わら帽子の中に掬ってくれる。
「なんで麦わら帽子もってきてるんだよ」
「どうせなら浮かれポンチになりたくて……」
いいな、浮かれポンチ。俺はむくりと人間に戻り、鉢屋に被せてもらった麦わら帽子を手で押さえながら、近場のお土産屋さんに行こうと誘った。季節外れの今、かき氷はやっていないけれど、アロハシャツなどの販売はしているはずだ。
「おそろいのサングラスかけよう」
「いい浮かれポンチ具合だな」
ドライブにはサングラスが必要ってね。今更かっこうつけても何の意味もないけれど、俺と鉢屋はなんともパーリーピーポーなサングラスを買い、口笛を奏でながら海辺を闊歩した。いいねいいね、幅をきかせてるね。
「何で海がよかったんだ?」
「はじめては海って相場が決まってるの」
「何の相場?」
「愛だとか、恋だとか」
平日の昼間、冬の海なんてほとんど誰もいない。俺と鉢屋は手を繋いでブンブンと振って歩いた。陽射しが良い感じになってきたらインスタに写真を載せよう。潮風が俺と鉢屋の髪の毛をぶおぶおと掻きまわした。
「鉢屋はさ、ドライブデートで、水族館に連れて行ってくれたじゃん」
「ああ。そういやあれも水辺だな」
「やっぱさ、人類のはじまりは海なワケ」
「……はじまりたいの、勘ちゃん?」
鉢屋は振り回していた手を止めて、俺の顔を覗き込んだ。メイクで雷蔵に似せているけれど、彼の鼻の形が好きだった。鉢屋は俺の頬に張り付いた髪の毛を手で払いながら、むかーしむかし、と唱えだす。
「あるところに、亀がおりました。亀は人間に憧れていたけれど、陸に上がってみれば、あ、別にそんなかっこよくねーやと気付いて、愛しの故郷に帰りました。おしまい」
「……せちがれー」
けらけらと笑いながら、俺たちはキスを交わした。磯の香り。海にじろりと舐めるように見回される。見てんじゃないよ、海。今日は泳がないんだから。
二人で波を眺めていた。長い長いコンブだかワカメだかの影が恐ろしくて思わず声をあげると、鉢屋はにたにた笑って俺を追い回す。我こそは昆布の妖精だとのことだ。お前のような妖精がいてたまるか。
ひとしきり走って笑ったあと、自動販売機で炭酸水を買った。しゅわしゅわが口の中で弾けて、気分がさっぱりする。
「あのね」
「なんだ?」
「よく思うんだ。別れた方がいいのかなとか」
「……なんで? 男同士だから?」
「そんな感じ。そんなこと気にしてないし、別れる気もないんだけど」
「うん」
「だからね、海に来たかったんだ」
「……はじまるから?」
「そう。はじまるから」
鉢屋は俺の肩を抱いて、またキスを落としてくれた。さっきよりちょっと乱暴で、舐めた唇は塩辛かった。
帰りは私が運転を変わるよ、と鉢屋が申し出てくれたおかげで、俺たちは命拾いをする。助手席で飲む炭酸水はとってもパーリーピーポーな弾け具合で、浮かれポンチなサングラス越しの太陽は眩しく出来ないことが悔しそうだった。
あ、インスタに写真載せるの忘れた。まあいっか。愛だの恋だの、はじまりだのおわりだの、つべこべ言っているとあっというまに時間が経ってしまう。鉢屋はラジオをかけた。日本のどこかにいる知らない人からのお便りが読み上げられていた。