鉢尾

「どしたん話きこか」
「ふざけんなカス」
 ソファに沈み込んでいると、鉢屋が毛布を掛けてくれた。俺は今、世界中を恨んでいるので、「そばにいてほしいけどそばにいてほしくない」という最高に面倒くさい状態だ。生理ってどうして毎月あるのだろうか。そろそろピルに頼るべきなのか、でもあれも副作用とか怖いしなあ、と悩んでそろそろ半年になる。
「逃げろ、俺に構わず」
「どうして?」
「俺は今凶暴な獣だから」
「わあ怖い」
 鉢屋はそう言いながらソファの下に座り、俺のまるまった背中を撫でてくれた。イライラしている俺はそんなことするなと怒りたくなり、メソメソしている俺はこの手に縋りついて泣き出してしまいそうだった。たぶん、鉢屋はどっちの俺が出ても受け止めてくれるのだが。
「何かできることあるか?」
「……イブプロフェンをください」
「どこ?」
「テレビの棚の、右の……」
「これか」
 コップに水を注いで持ってきてくれた鉢屋は、錠剤を俺の手に握らせた。ここまでくると過保護だ。大人しく錠剤を飲み込んだ俺は、鉢屋の胸元に顔をうずめた。メソメソの方が強い日らしい。
 鉢屋の匂いに包まれた。安心感で涙が出そうになる。鉢屋は俺をヨシヨシと撫で、口でもヨシヨシと言った。子ども扱いされてるみたいでイラついたが(やっぱりイライラの俺もいるっぽい)、鉢屋はたぶんお世話をすることを楽しんでいるので、まあいいかとされるがままになる。俺がピリピリしているのにビビられる方がウザいや。凶暴な獣になっている自分がよろしくないのだが、怖がられると余計にみじめになる。
 俺を毛布にくるんで抱きしめ直した鉢屋は、手で俺の髪を梳いた。俺は強烈な癖っ毛なので、手入れが出来ていない日は爆発しているにも関わらず、鉢屋的にはどうにもそれが面白いらしい。
「勘ちゃん」
「……なに」
「かわいい」
「いまそういうのうれしくない……」
「知ってる」
「めんどくてごめん……」
「いいよ。勝手に言ってるから」
 なんなら鼻唄を奏でそうなくらいごきげんな鉢屋に、この人はどうしてこんなに日々を楽しそうに生きるのか、と思った。過去、自分の顔について、ひどくひどく悩んでいた時期を見ているから、楽観的とは決して思わないけれど。自分の感情に素直に生きているところを見ると、逞しいなあ、と感じる。
「きもちわるい。いたい」
「よしよし」
「ぜんぶやだ。ぜんぶやだ」
「よしよし」
 凶暴な獣、面倒くさい生き物。外の世界では大寒波がきているらしいのに、腕の中はぬくぬくとあたたかい。ずっとここにいたい。
「勘ちゃん、知ってる? ベテルギウスって、そろそろ爆発するんだって」
「べてるぎうす」
「オリオン座」
「消えちゃうのか」
「そろそろって言っても、一万年の間くらいらしいけど」
「ぜんぜんそろそろじゃないじゃん」
「な」
 鉢屋は俺を抱いているのと反対の腕でスマホを弄っているらしかった。そのくらいの適当さがありがたい。俺はぐるぐると回る頭で、星について考えた。地球の温暖化が止まらなくて茹ってしまったら、いつかよその星に移住するのだろうか。移住する間のロケットの中で死んでしまう人もいるのではないだろうか。夢半ばで、楽園に辿り着けずに。
「ねえ鉢屋」
「なんだ」
「ハネムーンは月がいい」
「……奇遇だな。俺もそう思ってたとこ」
 今のはきっと、うわごとにカウントされる。プロポーズは鉢屋からがいいと勝手に決めているので、今のはプロポーズではなく、約束に過ぎない。あとで忘れてしまうかもしれない、小さな約束だった。
 生理って、月の満ち欠けがどうのって言われているのを聞いたことがある。地球からこんなに離れているのに、影響されてたまるか、と思うけれど、地球に重力があるから俺たちは立てているのだし、星に宿るパワーはとんでもない。俺も月にかわっておしおきする力を貰いたかった。どうせなら悪を倒したい。
「俺さあ、正義の味方になる」
「突然すぎるだろ。応援する」
「女性の活躍する社会へ」
「勘ちゃんに投票する」
 うわごとは止まらない。鉢屋はどうして俺に付き合ってくれるのだろうか。付き合わせて申し訳ない、でも全てをぶつけてしまいたい、そんな衝動に駆られる。鉢屋の首に抱き着いた。皮膚が邪魔だと思った。
「抱っこしててあげるから、ちょっと寝たら」
「うー」
「夜はお月見しよう」
「うー」
 あたたかな手のひらが俺の頬をなでる。途端、睡魔がやってきた。眠気はあっというまに俺の身体を蝕み、まどろみへと誘う。鉢屋はまたヨシヨシと言う。凶暴な獣はまんまと手なずけられ、イライラもメソメソも引っ込んだ。広い胸、がっしりした肩、綺麗な鎖骨。俺の好きなものたち。ぜんぶ、月に持って行こう。
「おやすみ」
 俺は観念して目を閉じた。鉢屋の夢を見たいと思った。鉢屋の腕の中で、ロケットの中で、星の輝きの中で。月の裏側は真っ暗だというけれど、懐中電灯を持って行けばいいだけの話だ。ハネムーンまで、たくさんの懐中電灯を集めよう。邪魔な皮膚の向こうで、鉢屋の鼓動が心地よかった。
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