生きてるだけで万々歳
かなめ
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布をびりびり破く音で目が覚めた。かすかな物音だったけど、普段の生活の中では聞かない音だ。
「ああ、ごめんね、起こした?」
白い装束を纏った伊作が、ひそひそ声で私に微笑む。私はふらふらする頭をなんとか回転させて、「いらっしゃい」というありきたりな言葉を零した。
「びっくりしたよ。倒れてるんだもん」
「え、ごめん……ここまで運んで寝かせてくれたのね」
ありがとうを伝えながら身を起こすと、まだ寝てていいよと手で制されてしまった。囲炉裏の火がぱちぱちと弾けて、顔が熱い。
霞む視界の向こう、伊作の腹に、さくらは抱きかかえられていた。うとうとしているらしく、だから伊作はひそひそ声だったのかと納得する。伊作は布を引き割いては巻いてを繰り返していた。包帯を作っているのだろう。伊作は皆のなかで一番頻繁に我が家に来る。薬草を摘みに来た帰りだとか、薬を煎じるのに場所を貸してくれだとか。彼の呼吸はいつだってとても優しい。一緒にいて安心する。
「たぶん貧血だよ。下まぶたを見たら真っ白でびっくりしたんだよ。お母さんはお乳を出すから仕方ないけれど、よく食べてね」
「うん……少しふらふらする」
「血行促進に良い薬あげるから。白湯で飲むと良いよ」
さくらが、うー、と唸った。寝付けなくて気持ち悪いのかもしれない。伊作は手を止めてさくらを抱っこし、ぽんぽんと背中を叩く。さくらも伊作によく懐いている。あきゃあ、と小さく声をあげて笑った。
「この子はよく笑うねえ」
「伊作がいつも笑顔だからでしょ」
「そうかなあ? そうだと嬉しいなあ」
鼻と鼻をすりあわせながら微笑む伊作が眩しくて目を細める。伊作はよく人々を照らす。忍者って影の存在だから、そんなに眩しくてどうするの、と思うけれど、まあ戦場医ならばしょうがない。彼の影に唇を落とす人もいそうだ。何人から感謝されているのだろう、その感謝の数で不運を打ち消せないものか。
さくらをあやしながら、伊作はいろんな話をしてくれる。今日はどこの山に行って大木が倒れてきただとか、昨日はどこの合戦場に行って矢が飛んできただとか。命がいくつあっても足りなさそうなのに、それでも無事に帰ってくるんだから、意外と強運なんだよな。不運だけれども。私が布団の中でくすくす笑っていると、伊作は嬉しそうに微笑んだ。
「かなめが笑ってくれると嬉しいなあ」
「そうなの?」
「うん。どこにいても、この瞬間のことを考えるよ。今日あった出来事を、かなめに話そう、笑ってもらえたらいいなって」
伊作はそう言うと、さくらをひざの上に降ろし、また包帯作りを再開させた。私は彼の手元をじっと見ながら、彼の手だからこそ、人々は癒されるのだろうなと考えていた。伊作は淡々と布を裂き、時折さくらの頬を撫で、私を退屈させなかった。
「かなめの笑顔とさくらの笑顔って似てるね」
「……そう?」
「そう思うよ」
彼の、笑ってもらいたい、という心が伝わってきて、思わず恥ずかしくなる。たまには真面目な顔も見せていると思うのだけど。それこそくのたまだった頃はずっと真面目な顔をしていたはずなのだけど。
あんなこと――敵に貫かれるだなんて屈辱と恐怖――があってから、みんな、私を安心させようと必死だ。少しでも忘れさせようという気遣いなのは痛いほどわかる。妊娠中は特に心配をかけた。私が絶望から命を絶たないように一番手を握ってくれたのも、つわりの嘔吐中に背中をさすってくれたのも伊作だった。感謝してもしきれない。
「無事に生まれてきてくれてよかった」
「もう、それ何回目?」
「だって、出産って、本当に死んじゃうかもしれないんだよ。僕は産婆さんではないし、何かあっても処置ができなかった」
「小平太たちが産婆さんを三人も連れてきたから、なんとかなったけど、でも、伊作がいてくれて助かったんだよ。本当にありがとう」
さくらがまた、ほにゃ、と泣いた。伊作はさくらを抱きしめたあと、枕元に来て、私の頭をそっと撫でた。少しだけ薬の匂いがする。
伊作の手に頬ずりをすると、照れた様に笑われた。この人たちは、手に多くの傷跡がある。学生だった頃の鍛錬や実技で付いた傷たち。プロになってから出来た傷たち。すべて乗り越えていまここにいる奇跡。みんなこそ、生きていてくれてありがとうだ。
「……命に触れてると、命の尊さを思い知るね」
「伊作は誰よりも触れてるでしょう」
「僕は優しすぎて忍者に向かないなんてよく言われてたけど、必要ならば殺しだってするよ。たとえばこの家が山賊に襲われでもしたら、容赦しない」
「私だって、元くのたまよ。自分の身は自分で守るよ」
「さくらがいる」
伊作は眠りかけたさくらを抱きしめてから、そっと私の隣に寝かせた。ぽかぽかと温まった我が子を抱き寄せると、ほんのりとお乳の匂いがする。赤ちゃんって一ヶ月で倍の大きさに成長するから、この子がお腹の中から出てきたなんて、なんだか他人事みたいだ。
「かなめも守りたいし、さくらも守りたい。これは皆思ってるよ。だから皆で交代でここに来ているんだよ」
「……ありがとうね」
「どうか健やかに生きて。それだけが僕らの願いだから」
伊作はさくらと私の頭をそれぞれ撫でてから立ち上がり、また部屋の隅に戻っていった。布を裂く音、包帯が巻かれていく音。
私は撫でられた箇所が熱を持っている気がして、そっと頭に触れてみる。みんながいるから、私は一人ではないと実感できて、生きていられるのだ。さくらの寝息を聞いていたら、私もまた眠くなっていった。お乳をやって、おしめを変えて、寝かしつけるだけで、一日がどんどん過ぎていく。貧血は、きっと疲れが出たのだろう。
伊作がいるなら大丈夫。私は安心しきって、瞼を閉じた。びり、びりり。人々を救うための用意の音が、部屋に響く。あなたも健やかでいてね、と心の中で唱えてから、私はゆっくりと睡魔に身を任せた。
「ああ、ごめんね、起こした?」
白い装束を纏った伊作が、ひそひそ声で私に微笑む。私はふらふらする頭をなんとか回転させて、「いらっしゃい」というありきたりな言葉を零した。
「びっくりしたよ。倒れてるんだもん」
「え、ごめん……ここまで運んで寝かせてくれたのね」
ありがとうを伝えながら身を起こすと、まだ寝てていいよと手で制されてしまった。囲炉裏の火がぱちぱちと弾けて、顔が熱い。
霞む視界の向こう、伊作の腹に、さくらは抱きかかえられていた。うとうとしているらしく、だから伊作はひそひそ声だったのかと納得する。伊作は布を引き割いては巻いてを繰り返していた。包帯を作っているのだろう。伊作は皆のなかで一番頻繁に我が家に来る。薬草を摘みに来た帰りだとか、薬を煎じるのに場所を貸してくれだとか。彼の呼吸はいつだってとても優しい。一緒にいて安心する。
「たぶん貧血だよ。下まぶたを見たら真っ白でびっくりしたんだよ。お母さんはお乳を出すから仕方ないけれど、よく食べてね」
「うん……少しふらふらする」
「血行促進に良い薬あげるから。白湯で飲むと良いよ」
さくらが、うー、と唸った。寝付けなくて気持ち悪いのかもしれない。伊作は手を止めてさくらを抱っこし、ぽんぽんと背中を叩く。さくらも伊作によく懐いている。あきゃあ、と小さく声をあげて笑った。
「この子はよく笑うねえ」
「伊作がいつも笑顔だからでしょ」
「そうかなあ? そうだと嬉しいなあ」
鼻と鼻をすりあわせながら微笑む伊作が眩しくて目を細める。伊作はよく人々を照らす。忍者って影の存在だから、そんなに眩しくてどうするの、と思うけれど、まあ戦場医ならばしょうがない。彼の影に唇を落とす人もいそうだ。何人から感謝されているのだろう、その感謝の数で不運を打ち消せないものか。
さくらをあやしながら、伊作はいろんな話をしてくれる。今日はどこの山に行って大木が倒れてきただとか、昨日はどこの合戦場に行って矢が飛んできただとか。命がいくつあっても足りなさそうなのに、それでも無事に帰ってくるんだから、意外と強運なんだよな。不運だけれども。私が布団の中でくすくす笑っていると、伊作は嬉しそうに微笑んだ。
「かなめが笑ってくれると嬉しいなあ」
「そうなの?」
「うん。どこにいても、この瞬間のことを考えるよ。今日あった出来事を、かなめに話そう、笑ってもらえたらいいなって」
伊作はそう言うと、さくらをひざの上に降ろし、また包帯作りを再開させた。私は彼の手元をじっと見ながら、彼の手だからこそ、人々は癒されるのだろうなと考えていた。伊作は淡々と布を裂き、時折さくらの頬を撫で、私を退屈させなかった。
「かなめの笑顔とさくらの笑顔って似てるね」
「……そう?」
「そう思うよ」
彼の、笑ってもらいたい、という心が伝わってきて、思わず恥ずかしくなる。たまには真面目な顔も見せていると思うのだけど。それこそくのたまだった頃はずっと真面目な顔をしていたはずなのだけど。
あんなこと――敵に貫かれるだなんて屈辱と恐怖――があってから、みんな、私を安心させようと必死だ。少しでも忘れさせようという気遣いなのは痛いほどわかる。妊娠中は特に心配をかけた。私が絶望から命を絶たないように一番手を握ってくれたのも、つわりの嘔吐中に背中をさすってくれたのも伊作だった。感謝してもしきれない。
「無事に生まれてきてくれてよかった」
「もう、それ何回目?」
「だって、出産って、本当に死んじゃうかもしれないんだよ。僕は産婆さんではないし、何かあっても処置ができなかった」
「小平太たちが産婆さんを三人も連れてきたから、なんとかなったけど、でも、伊作がいてくれて助かったんだよ。本当にありがとう」
さくらがまた、ほにゃ、と泣いた。伊作はさくらを抱きしめたあと、枕元に来て、私の頭をそっと撫でた。少しだけ薬の匂いがする。
伊作の手に頬ずりをすると、照れた様に笑われた。この人たちは、手に多くの傷跡がある。学生だった頃の鍛錬や実技で付いた傷たち。プロになってから出来た傷たち。すべて乗り越えていまここにいる奇跡。みんなこそ、生きていてくれてありがとうだ。
「……命に触れてると、命の尊さを思い知るね」
「伊作は誰よりも触れてるでしょう」
「僕は優しすぎて忍者に向かないなんてよく言われてたけど、必要ならば殺しだってするよ。たとえばこの家が山賊に襲われでもしたら、容赦しない」
「私だって、元くのたまよ。自分の身は自分で守るよ」
「さくらがいる」
伊作は眠りかけたさくらを抱きしめてから、そっと私の隣に寝かせた。ぽかぽかと温まった我が子を抱き寄せると、ほんのりとお乳の匂いがする。赤ちゃんって一ヶ月で倍の大きさに成長するから、この子がお腹の中から出てきたなんて、なんだか他人事みたいだ。
「かなめも守りたいし、さくらも守りたい。これは皆思ってるよ。だから皆で交代でここに来ているんだよ」
「……ありがとうね」
「どうか健やかに生きて。それだけが僕らの願いだから」
伊作はさくらと私の頭をそれぞれ撫でてから立ち上がり、また部屋の隅に戻っていった。布を裂く音、包帯が巻かれていく音。
私は撫でられた箇所が熱を持っている気がして、そっと頭に触れてみる。みんながいるから、私は一人ではないと実感できて、生きていられるのだ。さくらの寝息を聞いていたら、私もまた眠くなっていった。お乳をやって、おしめを変えて、寝かしつけるだけで、一日がどんどん過ぎていく。貧血は、きっと疲れが出たのだろう。
伊作がいるなら大丈夫。私は安心しきって、瞼を閉じた。びり、びりり。人々を救うための用意の音が、部屋に響く。あなたも健やかでいてね、と心の中で唱えてから、私はゆっくりと睡魔に身を任せた。