夢短編
かなめ
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起きた時にはもう、外が異様に静かだった。
私は地下のシェルターから抜け出し、重い鉄の蓋を開けた。見事な夜空が広がっていた。真っ暗な中で暮らしているから、ふと外に出た時、朝日と夕日の区別がつかなくなっていた。
静かなのは、夜だからという理由だけではなかった。道に、鳩が死んでいる。それもたくさん。歩みを進めるごとに、死体を見つける数が増えていた。私は道端に吐瀉した。吐瀉の先に、猫の死体もあった。
なんで、こんなに死体があるの。みんな私を責めるような、途方もなく開いた瞳孔でこちらを見ていた。誰か人間に会いたくて、走って夜道を駆け抜けた。ああ、ドブネズミも死んでいる。
徒歩二分のコンビニまで、誰ともすれ違わなかった。自転車が二台、道の真ん中に倒れているだけ。近寄る気にならなかった。走って走ってコンビニの店内へ辿り着くも、私はまた吐瀉することになる。
レジで店員が。棚の前で客が。二人ずつ、死んでいたのだ。私は叫び声をあげて店を飛び出す。
「な、なんで……? どういうこと……?」
涙が溢れ出る。そうか、私はいよいよひとりぼっちになってしまったのか。毎晩毎晩、そう望んでいたのは自分だったはずなのに。父親に犯される度、この世を憎み、恨み、みんな死んでしまえ、みんな消えてしまえと呪った結果がこれか。手作りのシェルターが聞いて呆れる。父親からさえ逃げられればそれでよかったのに、罪もない生物たちが、血を吐いて倒れている。
なんの音も聞こえない。全ての音が消えた夜。絶望を形にして飲み込んだ感覚に、身体が動かなかった。
何分、そこに立っていただろうか。なにやら生物の息遣いが遠くに聞こえた気がする、さすがに幻聴だと思ったけれど、私はすがるようにそちらを見た。
そこには、同じクラスの、浜守一郎が立っていた。
幻聴の次は幻覚か。私は呆然と立っているままで、お互いしばらく、息を殺していた。先に動いたのは浜の方だった。
「……かなめ」
「……浜? 本当に?」
「かなめ!」
浜は私に駆け寄ると、私をバシバシと叩いた。私が本物かどうか確かめているのだろう。私も浜をバシバシと叩いた。命の音がした。
「よかった、無事で、よかった」
「なんで? なんで浜はいるの?」
私は腰が抜けて立てなくなり、その場にへなへなと座り込んだ。浜は私の隣にしゃがんで、目線を合わせてくれる。
「俺、また裏山に登ってたんだよ、いつもみたいに。一人になりたくて、昨日の夜から、ずっと山のてっぺんにいたんだ。たまにあるんだよ、一人になりたい時。いつも皆笑わせてくるから……手持ちの食料が尽きて、山を降りたら。これだ」
「……ご家族は」
ふるふる、と頭を振る浜。浜は強い、泣いた跡がない。
「たぶんだけど」
浜は私を無理やり立ち上がらせて、遠くを見つめて言った。
「じきに、海がやってくる」
「……海がやってくる?」
浜が見ている方向を見ようとしても、暗くて何も見えない。彼はいったい何を見ているのだろうか。
「ここら一帯、ぜんぶ海になると思う。昔じいちゃんが言ってたんだ。生き物がやってきたのは海からだから、みんなで死ぬときは、海がやってくる時だって」
私は海に行ったことがない。父親はずっと私を閉じ込めて、空の高さも、海の広さも教えてくれなかった。見たことのない海を思い浮かべる。きっと、冷たくて、黒い。
「……どうしたらいいの」
「電波塔に行こう」
浜は私をコンビニの中へ招き入れた。死体なんてもう見たくなかったけれど、浜は気にしない様子で缶詰やら菓子パンやら飲料水をぽいぽいとリュックに詰めていった。お金は、と言おうとして、もうそんな必要がないことを思い出す。
「誰か、俺たち以外に生き残りがいるかもしれない。生き残っている人は、絶対、どうにかして連絡を取ろうとすると思う。見つけ出そう」
「どこの電波塔?」
「一番高い、高いところ」
そんなの、スカイツリーじゃん。電車もバスも、もう移動手段では選べない。浜は私をおもむろに抱きしめた。
「絶対生き残ろう。絶対守るから」
「……うん」
私は棚からおにぎりを取った。梅干しだった。きっと酸っぱさに泣くのだろう。泣いてもなんの意味もないけれど。
「行こう」
浜は私の手を取ってくれた。私の手はひどく冷たかった。ドブネズミ、猫、鳩、自転車、いろんな死体を見ないように、空だけ見て歩いた。
いつか辿り着く電波塔から、この星の全てに、ラジオを流そう。だれか、だれかいませんか。海を止めてください。海がやってきます。
じきに、星が降ります。じきに、この星は溺れます。じきに、じきに、わたしたちは。
浜の手はあたたかい。夜風は冷たい。静かな、静かな夜だった。私たちの足音だけが道にこだました。
さようなら、すべての悲しみたち。浜の横顔を見ないフリをした。なんだか涙が一筋、光って見えた気がしたからだ。
私は地下のシェルターから抜け出し、重い鉄の蓋を開けた。見事な夜空が広がっていた。真っ暗な中で暮らしているから、ふと外に出た時、朝日と夕日の区別がつかなくなっていた。
静かなのは、夜だからという理由だけではなかった。道に、鳩が死んでいる。それもたくさん。歩みを進めるごとに、死体を見つける数が増えていた。私は道端に吐瀉した。吐瀉の先に、猫の死体もあった。
なんで、こんなに死体があるの。みんな私を責めるような、途方もなく開いた瞳孔でこちらを見ていた。誰か人間に会いたくて、走って夜道を駆け抜けた。ああ、ドブネズミも死んでいる。
徒歩二分のコンビニまで、誰ともすれ違わなかった。自転車が二台、道の真ん中に倒れているだけ。近寄る気にならなかった。走って走ってコンビニの店内へ辿り着くも、私はまた吐瀉することになる。
レジで店員が。棚の前で客が。二人ずつ、死んでいたのだ。私は叫び声をあげて店を飛び出す。
「な、なんで……? どういうこと……?」
涙が溢れ出る。そうか、私はいよいよひとりぼっちになってしまったのか。毎晩毎晩、そう望んでいたのは自分だったはずなのに。父親に犯される度、この世を憎み、恨み、みんな死んでしまえ、みんな消えてしまえと呪った結果がこれか。手作りのシェルターが聞いて呆れる。父親からさえ逃げられればそれでよかったのに、罪もない生物たちが、血を吐いて倒れている。
なんの音も聞こえない。全ての音が消えた夜。絶望を形にして飲み込んだ感覚に、身体が動かなかった。
何分、そこに立っていただろうか。なにやら生物の息遣いが遠くに聞こえた気がする、さすがに幻聴だと思ったけれど、私はすがるようにそちらを見た。
そこには、同じクラスの、浜守一郎が立っていた。
幻聴の次は幻覚か。私は呆然と立っているままで、お互いしばらく、息を殺していた。先に動いたのは浜の方だった。
「……かなめ」
「……浜? 本当に?」
「かなめ!」
浜は私に駆け寄ると、私をバシバシと叩いた。私が本物かどうか確かめているのだろう。私も浜をバシバシと叩いた。命の音がした。
「よかった、無事で、よかった」
「なんで? なんで浜はいるの?」
私は腰が抜けて立てなくなり、その場にへなへなと座り込んだ。浜は私の隣にしゃがんで、目線を合わせてくれる。
「俺、また裏山に登ってたんだよ、いつもみたいに。一人になりたくて、昨日の夜から、ずっと山のてっぺんにいたんだ。たまにあるんだよ、一人になりたい時。いつも皆笑わせてくるから……手持ちの食料が尽きて、山を降りたら。これだ」
「……ご家族は」
ふるふる、と頭を振る浜。浜は強い、泣いた跡がない。
「たぶんだけど」
浜は私を無理やり立ち上がらせて、遠くを見つめて言った。
「じきに、海がやってくる」
「……海がやってくる?」
浜が見ている方向を見ようとしても、暗くて何も見えない。彼はいったい何を見ているのだろうか。
「ここら一帯、ぜんぶ海になると思う。昔じいちゃんが言ってたんだ。生き物がやってきたのは海からだから、みんなで死ぬときは、海がやってくる時だって」
私は海に行ったことがない。父親はずっと私を閉じ込めて、空の高さも、海の広さも教えてくれなかった。見たことのない海を思い浮かべる。きっと、冷たくて、黒い。
「……どうしたらいいの」
「電波塔に行こう」
浜は私をコンビニの中へ招き入れた。死体なんてもう見たくなかったけれど、浜は気にしない様子で缶詰やら菓子パンやら飲料水をぽいぽいとリュックに詰めていった。お金は、と言おうとして、もうそんな必要がないことを思い出す。
「誰か、俺たち以外に生き残りがいるかもしれない。生き残っている人は、絶対、どうにかして連絡を取ろうとすると思う。見つけ出そう」
「どこの電波塔?」
「一番高い、高いところ」
そんなの、スカイツリーじゃん。電車もバスも、もう移動手段では選べない。浜は私をおもむろに抱きしめた。
「絶対生き残ろう。絶対守るから」
「……うん」
私は棚からおにぎりを取った。梅干しだった。きっと酸っぱさに泣くのだろう。泣いてもなんの意味もないけれど。
「行こう」
浜は私の手を取ってくれた。私の手はひどく冷たかった。ドブネズミ、猫、鳩、自転車、いろんな死体を見ないように、空だけ見て歩いた。
いつか辿り着く電波塔から、この星の全てに、ラジオを流そう。だれか、だれかいませんか。海を止めてください。海がやってきます。
じきに、星が降ります。じきに、この星は溺れます。じきに、じきに、わたしたちは。
浜の手はあたたかい。夜風は冷たい。静かな、静かな夜だった。私たちの足音だけが道にこだました。
さようなら、すべての悲しみたち。浜の横顔を見ないフリをした。なんだか涙が一筋、光って見えた気がしたからだ。