夢短編
かなめ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「はじめに申し上げるが、私は雑渡様に忠誠を誓っている。何かあればこの命を捧げる覚悟でお仕えしています」
「ええ、存じております」
「ですので、あなたを一番に出来ないかもしれない」
「ええ、構いません。どうかお仕事に専念なさってください」
はじめて二人きりになった時の最初の会話がこれだ。雑渡様のことは私も事前に知っていたので、何も動揺しなかった。
所詮は家が勝手に結んだ婚姻だ。私はこの男のことをなにも知らない。この男も私にさして興味がないだろう。そう思って、はじめから諦めていた。私たちの間に愛などという感情は生まれないと。けれど、祝言をあげた日の夜、彼は私に優しく言った。
「今日から私の帰ってくる家はここです。出来る限り、あなたのことをお守りいたします」
「……あなたは雑渡様のものではございませんの」
「この身を捧げていても、所有物ではありませんよ。これからはあなたと生きていくのです。共に家を守ってまいります」
家庭という概念が、この人にも――陣内左衛門様にもあるのだ。私は彼のことを誤解していた。てっきり、私のことなどないものとして扱うのかと思っていたけれど、認識を改めた。私は改めて陣内左衛門様に深く頭を下げ、「これからどうぞよろしくお願いします」と言った。私に触れる陣内左衛門様の手はあたたかかった。そのまま夫婦としての契りを結び、すっかり疲れ果て、私はいつのまにか眠っていた。
夜明け、ふと目がさめた。隣で眠る彼の顔は見たことがないほど幼かった。私の前ですっかり気を許しているのを見ると、これが慈しみの感情なのかもしれないと思った。彼の頬に手を添えると、ぱちりと目を覚ます。
「おはようございます。身体のほうは」
「おはようございます、大丈夫です。しっかり寝ましたから」
「よかった。まだ寒いですから、あたたまっていなさい」
陣内左衛門様は私を布団に招きいれた。夜のうちにさんざん知ったはずなのに、彼の体温にどきどきしてしまう。低く、すこし枯れた声が頭の上に降ってくる。
「私がまさかこんな日を迎えるとは思いませんでした」
「こんな日?」
「いつ命を落とすか分からない私が、このように妻を迎え、夜明けを共に迎える日」
「……大切にしていきましょう。こんな日が続けられるように」
「ええ」
「きっとそれが、私たちにとっての愛なんでしょう」
「……愛、か」
陣内左衛門様はそう呟いて、おかしそうにくすりと笑った。彼の笑顔を初めて見た。ずいぶん綺麗な顔をしている、と心が高鳴った。私たちはそのまま目を閉じて、朝日が昇りきるまで二度目のまどろみのなかへ沈んでいった。
一年後。私が身重になってから、陣内左衛門様はかつてない頻度で家に帰ってくる。忍びの仕事は夜に行うことが多いはずなのに、夕餉を共にする日が増えていた。あたたかな食卓を囲めることに、私も彼もしあわせを感じていた。
「あなた。名づけなんですけれど、雑渡様にお願いするというのは、まだお話していないんですか」
「ああ、どうにも、なんだか言いづらくて」
「雑渡様は、あなたのことなら喜んで引き受けてくださいますでしょうに」
「……あの方は、命の重みのなんたるかを、誰よりもご存じだ。子供に命名したからには、私の身まで案じてしまうだろう。仕事に支障がでてしまう」
「全部、今更ですよ。あなたたちはずっと命をかけているのですから」
私はためいきをつきながら、夫の茶碗に米をよそった。揃いの箸に揃いの茶碗。そのうち、子供の分が増える。
「……私が名付けたい、と。近頃、考えるようになって」
「……あらまあ」
「私たちの、はじめての、大切な子供だ。命を吹き込むように、祈りを込めるように、この手で名前を与えてやりたい」
「……素敵な考えだと思います」
私はずいぶんと大きくなった腹に手を添えた。男でも、女でも、私たちは歓迎する。夫は二杯目の米を食べ終え、ご馳走様、と呟いた。
「あなたはしっかり食べて、力をつけなさい」
「ええ、でもずいぶん太ってしまいました」
「どんなあなたでも愛しく思うから、安心なさい」
夫は私の頭をポンポンと撫で、いつものように、かすかに笑顔をうかべた。私は彼の優しい笑顔が好きだった。凛々しい眉、涼やかな目元、普段は雄々しい彼の、ふとした瞬間に出る、やわらかな表情。それを見ると、ああ私たちは家族なのだとあたたかな気持ちになれる。
私は言いつけ通りに残りの鍋をすっかりたいらげた。この栄養がやや子にも行き渡りますようにと念じながら食器を片付けていると、夫が静かに外に出た。おそらく、夫の所属している忍軍からの使いでも来ているのだろう。二人の話が終わるまで、私は知らん振りをする。
「すまない、今夜は家をあけることになる」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
「あなたはゆっくり身体をやすめること」
「あなたは絶対に生きて帰ってきてください」
「ああ、約束しよう」
お互いのぬくもりを確認しあうと、夫は音もなく去っていった。残された私は家を守るだけだ。布団を敷き、彼の無事を祈る。私は祈祷師ではないから、祈る力なんてないけれど、どうか彼の加護になればと思った。
やや子が腹を蹴る。命の音がする。彼の手を恋しく思いながら、囲炉裏の火を消した。明け方、きっと彼は帰ってくる。そうしてまた、私の頬に触れるだろう。私は寝ころびながら、彼の輪郭を思い出していた。
外の世界は闇に包まれていた。闇の中を走る夫が、どうか今この瞬間だけは、私のことを忘れていますように。
「ええ、存じております」
「ですので、あなたを一番に出来ないかもしれない」
「ええ、構いません。どうかお仕事に専念なさってください」
はじめて二人きりになった時の最初の会話がこれだ。雑渡様のことは私も事前に知っていたので、何も動揺しなかった。
所詮は家が勝手に結んだ婚姻だ。私はこの男のことをなにも知らない。この男も私にさして興味がないだろう。そう思って、はじめから諦めていた。私たちの間に愛などという感情は生まれないと。けれど、祝言をあげた日の夜、彼は私に優しく言った。
「今日から私の帰ってくる家はここです。出来る限り、あなたのことをお守りいたします」
「……あなたは雑渡様のものではございませんの」
「この身を捧げていても、所有物ではありませんよ。これからはあなたと生きていくのです。共に家を守ってまいります」
家庭という概念が、この人にも――陣内左衛門様にもあるのだ。私は彼のことを誤解していた。てっきり、私のことなどないものとして扱うのかと思っていたけれど、認識を改めた。私は改めて陣内左衛門様に深く頭を下げ、「これからどうぞよろしくお願いします」と言った。私に触れる陣内左衛門様の手はあたたかかった。そのまま夫婦としての契りを結び、すっかり疲れ果て、私はいつのまにか眠っていた。
夜明け、ふと目がさめた。隣で眠る彼の顔は見たことがないほど幼かった。私の前ですっかり気を許しているのを見ると、これが慈しみの感情なのかもしれないと思った。彼の頬に手を添えると、ぱちりと目を覚ます。
「おはようございます。身体のほうは」
「おはようございます、大丈夫です。しっかり寝ましたから」
「よかった。まだ寒いですから、あたたまっていなさい」
陣内左衛門様は私を布団に招きいれた。夜のうちにさんざん知ったはずなのに、彼の体温にどきどきしてしまう。低く、すこし枯れた声が頭の上に降ってくる。
「私がまさかこんな日を迎えるとは思いませんでした」
「こんな日?」
「いつ命を落とすか分からない私が、このように妻を迎え、夜明けを共に迎える日」
「……大切にしていきましょう。こんな日が続けられるように」
「ええ」
「きっとそれが、私たちにとっての愛なんでしょう」
「……愛、か」
陣内左衛門様はそう呟いて、おかしそうにくすりと笑った。彼の笑顔を初めて見た。ずいぶん綺麗な顔をしている、と心が高鳴った。私たちはそのまま目を閉じて、朝日が昇りきるまで二度目のまどろみのなかへ沈んでいった。
一年後。私が身重になってから、陣内左衛門様はかつてない頻度で家に帰ってくる。忍びの仕事は夜に行うことが多いはずなのに、夕餉を共にする日が増えていた。あたたかな食卓を囲めることに、私も彼もしあわせを感じていた。
「あなた。名づけなんですけれど、雑渡様にお願いするというのは、まだお話していないんですか」
「ああ、どうにも、なんだか言いづらくて」
「雑渡様は、あなたのことなら喜んで引き受けてくださいますでしょうに」
「……あの方は、命の重みのなんたるかを、誰よりもご存じだ。子供に命名したからには、私の身まで案じてしまうだろう。仕事に支障がでてしまう」
「全部、今更ですよ。あなたたちはずっと命をかけているのですから」
私はためいきをつきながら、夫の茶碗に米をよそった。揃いの箸に揃いの茶碗。そのうち、子供の分が増える。
「……私が名付けたい、と。近頃、考えるようになって」
「……あらまあ」
「私たちの、はじめての、大切な子供だ。命を吹き込むように、祈りを込めるように、この手で名前を与えてやりたい」
「……素敵な考えだと思います」
私はずいぶんと大きくなった腹に手を添えた。男でも、女でも、私たちは歓迎する。夫は二杯目の米を食べ終え、ご馳走様、と呟いた。
「あなたはしっかり食べて、力をつけなさい」
「ええ、でもずいぶん太ってしまいました」
「どんなあなたでも愛しく思うから、安心なさい」
夫は私の頭をポンポンと撫で、いつものように、かすかに笑顔をうかべた。私は彼の優しい笑顔が好きだった。凛々しい眉、涼やかな目元、普段は雄々しい彼の、ふとした瞬間に出る、やわらかな表情。それを見ると、ああ私たちは家族なのだとあたたかな気持ちになれる。
私は言いつけ通りに残りの鍋をすっかりたいらげた。この栄養がやや子にも行き渡りますようにと念じながら食器を片付けていると、夫が静かに外に出た。おそらく、夫の所属している忍軍からの使いでも来ているのだろう。二人の話が終わるまで、私は知らん振りをする。
「すまない、今夜は家をあけることになる」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
「あなたはゆっくり身体をやすめること」
「あなたは絶対に生きて帰ってきてください」
「ああ、約束しよう」
お互いのぬくもりを確認しあうと、夫は音もなく去っていった。残された私は家を守るだけだ。布団を敷き、彼の無事を祈る。私は祈祷師ではないから、祈る力なんてないけれど、どうか彼の加護になればと思った。
やや子が腹を蹴る。命の音がする。彼の手を恋しく思いながら、囲炉裏の火を消した。明け方、きっと彼は帰ってくる。そうしてまた、私の頬に触れるだろう。私は寝ころびながら、彼の輪郭を思い出していた。
外の世界は闇に包まれていた。闇の中を走る夫が、どうか今この瞬間だけは、私のことを忘れていますように。