夢短編
かなめ
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京極夏彦を読破するのが私の目標だったはずなのだが。
教室の一番後ろのはじっこで、昼休みにもくもくと読書をしていた。読書って、する気が起きない時は一字たりとも読みたくないのに、ハマると没頭してしまうから不思議だ。嬉々として沼の中に沈み込んでいると、廊下がなにやら騒がしい。
「助けてくれー!!」
どたどたどた、と走る音の後、バン、とドアにぶつかる音がした。ぶつかった人物が息を切らしながらこちらに向かってくるのに気づいたのは、私が息を止めながらページを捲っていた時だった。
「ちょ、かなめ、匿って」
「……は?」
顔をあげると、尾浜勘右衛門がそこにいた。家が近所だから小学生の頃からの知り合い、つまり幼馴染なのだが、今クラスは別々だ。なぜ彼がここにいるのか。
「ちょっと、私、読書で忙しいんだけど」
「頼むよ、兵助、他クラスまでズカズカ入ってこないと思うんだよ」
「また豆腐地獄?」
私の席の後ろに回ってしゃがみ込んだ勘右衛門は、どうやら本気で久々知兵助から隠れたがっているようだ。廊下から「かんえも~ん」という声が聞こえてくる。
「かなめは本読んでるフリしてて」
「フリというか、本を読んでいたいんだけども」
「何読んでるんだ?」
「魍魎の匣」
「……分厚っ」
勘右衛門は私の手元を見て丸い目をさらにまん丸にして驚いていた。京極夏彦のレンガは味わうと戻れない。私はこの分厚さの虜になっている。勘右衛門が「貸して」というので、私は読んでいたページに栞を挟んで彼に渡した。
「よくこんなの読もうと思うねえ」
「勘ちゃんだって、読書嫌いではないでしょ」
「読む時は読むけど、これ時間かかるだろう。かなめ、昔から読書好きだったもんなあ」
本をぱらぱらと捲ったあと、何故か重さを確かめてから、勘右衛門は私に本を返した。一度本を閉じてしまったので、なんだか夢心地に一区切りつけられてしまった感覚がして、私は潔く読書を諦める。勘右衛門は窓ガラスからの隙間風にふるりと肩を震わせた。
「兵助、もう行ったんじゃない?」
「いや、俺、三郎からも隠れてて」
「え? 何で?」
「学級委員の仕事、あいつがあまりにもサボるからたまには俺から押し付けてやろうとしたら、おこでさ」
「うーん……どっこいどっこい」
そう言えばカバンにポッキーが入ってるんだった。私はカバンの底を漁り、赤い箱を取り出した。
「いっぽんちょうだい」
「ええよ」
絶対一本で終わらないのはわかっている上で、勘右衛門にポッキーを与えた。勘右衛門は昔からおいしそうにものを食べるから、彼におやつを分けるのは少し好きだったりする。
「そういえばもうすぐバレンタインだねえ」
「そうだよ、かなめ、俺にくれないの?」
「あげてんじゃん、いつも」
幼馴染のよしみで、彼には昔から友チョコをあげている。おませさんだった五年生くらいの頃はあげるのが少し恥ずかしかったけれど、勘右衛門が毎年あまりにも嬉しそうにするから、その笑顔が見たくて一生懸命作ってたっけ。
「本命をおくれよ」
「ポッキーじゃだめ?」
「心を込めておくれよ」
「心を込めたポッキーじゃだめ?」
「だめ」
いつからだろうか、こやつは本命をくれと言い出すようになった。調子に乗せすぎたことを反省した。今くれと言っているのだって、どうせ鉢屋三郎とどっちが多く貰えるか競ってるからだろうに。なんとなく、数多くのうちのひとつになるのは嫌だ。そんなぞんざいな扱いになるのなら、ポッキーで充分だ。
「かなめのガトーショコラが食べたい」
「無印のキットだよあんなの」
「パウンドケーキとかでもいい、マフィンでも、クッキーでも、マカロンでも」
「作る手間を考えておくれよ」
「ホワイトデーに三倍返しするから」
「デブるから嫌だ」
「……本命が欲しいんだよ」
勘右衛門は私の袖をきゅっと引っ張った。本命。なにをどうしたら、チョコレートを本命と名付けることが出来るのだろうか。
「……本命を送ったらどうなるの?」
「え?」
「ただチョコが欲しいだけなら、まああげるけど」
袖を握っていた手が離れていく。勘右衛門はぼりぼりと頭をかきながら、顔を少し赤らめていた。私は四本目のポッキーを食べる。昼休みの残りの時間中に、開けてしまった袋を食べきらないといけない。
「……かなめが読んでいるたくさんの本の主人公たちは、バレンタインに告白したりしないの?」
「うーん、京極堂はしないと思う」
「京極夏彦の世界観を聞いているのではなくて……」
呆れた溜息を吐かれてしまった。私だって今なにを言われているかはわかるけれどさ。
告白って、もっとこう、教室のはじっこでではなくて、ロマンチックに行うものなんじゃないかしら。
「とりあえず、本命チョコちょうだい。予約ね」
「ゴミカスが出来たらごめんね」
「心を込めておくれよ」
チョコレートを食べながらチョコレートをあげる約束をするの、なんだか愉快だ。勘右衛門はやっぱりポッキーの二本目を要求し、私はやれやれと与える。彼の嬉しそうに食べる顔を見ていると、やっぱり何か贈りたくなってしまうのは、惰性なのか習慣なのか、それとも。
ドアのところで兵助と三郎の声が聞こえる。ここにいるよーと手を振ると、勘右衛門は「裏切者!!」と泣いた。
私も少し顔が赤らんでいるのをバレたくなかったのだ。本命チョコを受け取るまで、大人しく豆腐でも食べていなさい。
教室の一番後ろのはじっこで、昼休みにもくもくと読書をしていた。読書って、する気が起きない時は一字たりとも読みたくないのに、ハマると没頭してしまうから不思議だ。嬉々として沼の中に沈み込んでいると、廊下がなにやら騒がしい。
「助けてくれー!!」
どたどたどた、と走る音の後、バン、とドアにぶつかる音がした。ぶつかった人物が息を切らしながらこちらに向かってくるのに気づいたのは、私が息を止めながらページを捲っていた時だった。
「ちょ、かなめ、匿って」
「……は?」
顔をあげると、尾浜勘右衛門がそこにいた。家が近所だから小学生の頃からの知り合い、つまり幼馴染なのだが、今クラスは別々だ。なぜ彼がここにいるのか。
「ちょっと、私、読書で忙しいんだけど」
「頼むよ、兵助、他クラスまでズカズカ入ってこないと思うんだよ」
「また豆腐地獄?」
私の席の後ろに回ってしゃがみ込んだ勘右衛門は、どうやら本気で久々知兵助から隠れたがっているようだ。廊下から「かんえも~ん」という声が聞こえてくる。
「かなめは本読んでるフリしてて」
「フリというか、本を読んでいたいんだけども」
「何読んでるんだ?」
「魍魎の匣」
「……分厚っ」
勘右衛門は私の手元を見て丸い目をさらにまん丸にして驚いていた。京極夏彦のレンガは味わうと戻れない。私はこの分厚さの虜になっている。勘右衛門が「貸して」というので、私は読んでいたページに栞を挟んで彼に渡した。
「よくこんなの読もうと思うねえ」
「勘ちゃんだって、読書嫌いではないでしょ」
「読む時は読むけど、これ時間かかるだろう。かなめ、昔から読書好きだったもんなあ」
本をぱらぱらと捲ったあと、何故か重さを確かめてから、勘右衛門は私に本を返した。一度本を閉じてしまったので、なんだか夢心地に一区切りつけられてしまった感覚がして、私は潔く読書を諦める。勘右衛門は窓ガラスからの隙間風にふるりと肩を震わせた。
「兵助、もう行ったんじゃない?」
「いや、俺、三郎からも隠れてて」
「え? 何で?」
「学級委員の仕事、あいつがあまりにもサボるからたまには俺から押し付けてやろうとしたら、おこでさ」
「うーん……どっこいどっこい」
そう言えばカバンにポッキーが入ってるんだった。私はカバンの底を漁り、赤い箱を取り出した。
「いっぽんちょうだい」
「ええよ」
絶対一本で終わらないのはわかっている上で、勘右衛門にポッキーを与えた。勘右衛門は昔からおいしそうにものを食べるから、彼におやつを分けるのは少し好きだったりする。
「そういえばもうすぐバレンタインだねえ」
「そうだよ、かなめ、俺にくれないの?」
「あげてんじゃん、いつも」
幼馴染のよしみで、彼には昔から友チョコをあげている。おませさんだった五年生くらいの頃はあげるのが少し恥ずかしかったけれど、勘右衛門が毎年あまりにも嬉しそうにするから、その笑顔が見たくて一生懸命作ってたっけ。
「本命をおくれよ」
「ポッキーじゃだめ?」
「心を込めておくれよ」
「心を込めたポッキーじゃだめ?」
「だめ」
いつからだろうか、こやつは本命をくれと言い出すようになった。調子に乗せすぎたことを反省した。今くれと言っているのだって、どうせ鉢屋三郎とどっちが多く貰えるか競ってるからだろうに。なんとなく、数多くのうちのひとつになるのは嫌だ。そんなぞんざいな扱いになるのなら、ポッキーで充分だ。
「かなめのガトーショコラが食べたい」
「無印のキットだよあんなの」
「パウンドケーキとかでもいい、マフィンでも、クッキーでも、マカロンでも」
「作る手間を考えておくれよ」
「ホワイトデーに三倍返しするから」
「デブるから嫌だ」
「……本命が欲しいんだよ」
勘右衛門は私の袖をきゅっと引っ張った。本命。なにをどうしたら、チョコレートを本命と名付けることが出来るのだろうか。
「……本命を送ったらどうなるの?」
「え?」
「ただチョコが欲しいだけなら、まああげるけど」
袖を握っていた手が離れていく。勘右衛門はぼりぼりと頭をかきながら、顔を少し赤らめていた。私は四本目のポッキーを食べる。昼休みの残りの時間中に、開けてしまった袋を食べきらないといけない。
「……かなめが読んでいるたくさんの本の主人公たちは、バレンタインに告白したりしないの?」
「うーん、京極堂はしないと思う」
「京極夏彦の世界観を聞いているのではなくて……」
呆れた溜息を吐かれてしまった。私だって今なにを言われているかはわかるけれどさ。
告白って、もっとこう、教室のはじっこでではなくて、ロマンチックに行うものなんじゃないかしら。
「とりあえず、本命チョコちょうだい。予約ね」
「ゴミカスが出来たらごめんね」
「心を込めておくれよ」
チョコレートを食べながらチョコレートをあげる約束をするの、なんだか愉快だ。勘右衛門はやっぱりポッキーの二本目を要求し、私はやれやれと与える。彼の嬉しそうに食べる顔を見ていると、やっぱり何か贈りたくなってしまうのは、惰性なのか習慣なのか、それとも。
ドアのところで兵助と三郎の声が聞こえる。ここにいるよーと手を振ると、勘右衛門は「裏切者!!」と泣いた。
私も少し顔が赤らんでいるのをバレたくなかったのだ。本命チョコを受け取るまで、大人しく豆腐でも食べていなさい。