留伊
春一番が吹きすさぶ。
まだまだ寒い、桜の咲く気配も見当たらない。けれど日々は今までずっとそうしてきたように巡っていって、いずれ桜も咲くだろう。そうしたらすぐに夏が来る。雪が融けたら、春が来て、春が過ぎたら、夏が来る。
「ここから先は、春なんだよ」
伊作がそう言った。俺は割れた塵取りに膠を塗っていたところで、衝立越しの伊作に「今日は風が強かったな」と声をかけたのだった。
「春一番が吹いたなら。ここから先は、春なんだ」
「……まだ寒いぞ」
「これから、どんどん春になっていくよ」
薬草を煎じる匂いが部屋に籠る。この匂いも、季節によって変わるのを知っている。六年も同室でいたら、否が応でも覚えてしまった。
春が来たら、俺たちは卒業だ。この匂いを嗅ぐ機会もなくなるのだろう。伊作に手当をしてもらうことも。
「嬉しいなあ。春って大好きなんだ。命が芽吹いていく」
伊作は本当に嬉しそうな声を奏でた。俺は衝立をどかして、伊作の隣に座る。塵取りの修補は無事に終わっていた。俺の手にかかればこんなものだ。――卒業したら、こんな風にあらゆるものの修補をすることも減るんだろうな。忍務とは別に、アルバイトとして仕事を探そうか。
春が来る。春が来てしまう。伊作とは離れ離れになってしまう。けれども伊作は春を慶び、祝い、唄う。伊作自身が、春そのものって感じだ。
彼が笑えば、春がくる。
「留三郎は、どの季節が好き?」
「……春」
「わあ、僕と一緒」
違うよ。お前が好きだからだよ。
お前が好きと言うから、春が好きになったんだよ。
部屋の外で、風がびゅうびゅう吹いている。春が運ばれてくる音だ。世界が芽吹く音。別れの近付く音。
「……海の向こうでは、太陽は冬に一度死ぬと言われているんだ。春に生まれ直すんだと」
「へえ。冬だって、お日様はあるのにね」
「……伊作は太陽みたいだな」
伊作が薬を煎じる手を止めてこちらを見た。俺たちはそっと顔を寄せ、唇を合わせる。二人だけの秘密。伊作はふふ、と笑って、俺の髪を撫でた。
「留三郎も、僕にとっては太陽みたいだよ。いつも照らしてくれて、ありがとう」
「……俺の、ほうこそ」
春を運んでくれてありがとう。俺に春を与えてくれて。伊作の豊な髪から、春の匂いがした気がした。
まだまだ寒い、桜の咲く気配も見当たらない。けれど日々は今までずっとそうしてきたように巡っていって、いずれ桜も咲くだろう。そうしたらすぐに夏が来る。雪が融けたら、春が来て、春が過ぎたら、夏が来る。
「ここから先は、春なんだよ」
伊作がそう言った。俺は割れた塵取りに膠を塗っていたところで、衝立越しの伊作に「今日は風が強かったな」と声をかけたのだった。
「春一番が吹いたなら。ここから先は、春なんだ」
「……まだ寒いぞ」
「これから、どんどん春になっていくよ」
薬草を煎じる匂いが部屋に籠る。この匂いも、季節によって変わるのを知っている。六年も同室でいたら、否が応でも覚えてしまった。
春が来たら、俺たちは卒業だ。この匂いを嗅ぐ機会もなくなるのだろう。伊作に手当をしてもらうことも。
「嬉しいなあ。春って大好きなんだ。命が芽吹いていく」
伊作は本当に嬉しそうな声を奏でた。俺は衝立をどかして、伊作の隣に座る。塵取りの修補は無事に終わっていた。俺の手にかかればこんなものだ。――卒業したら、こんな風にあらゆるものの修補をすることも減るんだろうな。忍務とは別に、アルバイトとして仕事を探そうか。
春が来る。春が来てしまう。伊作とは離れ離れになってしまう。けれども伊作は春を慶び、祝い、唄う。伊作自身が、春そのものって感じだ。
彼が笑えば、春がくる。
「留三郎は、どの季節が好き?」
「……春」
「わあ、僕と一緒」
違うよ。お前が好きだからだよ。
お前が好きと言うから、春が好きになったんだよ。
部屋の外で、風がびゅうびゅう吹いている。春が運ばれてくる音だ。世界が芽吹く音。別れの近付く音。
「……海の向こうでは、太陽は冬に一度死ぬと言われているんだ。春に生まれ直すんだと」
「へえ。冬だって、お日様はあるのにね」
「……伊作は太陽みたいだな」
伊作が薬を煎じる手を止めてこちらを見た。俺たちはそっと顔を寄せ、唇を合わせる。二人だけの秘密。伊作はふふ、と笑って、俺の髪を撫でた。
「留三郎も、僕にとっては太陽みたいだよ。いつも照らしてくれて、ありがとう」
「……俺の、ほうこそ」
春を運んでくれてありがとう。俺に春を与えてくれて。伊作の豊な髪から、春の匂いがした気がした。
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