文仙

 じんじんと下腹部が重くなり、又坐が痛い。内臓をぞうきん絞りされているような感覚に全身の血の気が引く。吐き気でろくに食欲もなく、貧血も増す一方。なぜ自分ばかりこんな目にあうのだ、と布団の中でうなだれた。自分ばかりというのは嘘である。世の女性たちの多くはコレを経験している。なのになぜだか、世界で一人、自分だけ呪われているような気分になるのだ。
 コンコン、と小さなノック音が聞こえた。同棲をはじめた頃はノックすらせずにドアを開けていたものだが、度重なる躾により、文次郎は「仙蔵の部屋に入る時は必ずノックをする」ことがすっかり身についていた。何度ブチ切れたことか覚えていない。
「おい、薬買ってきたぞ」
 ほんの少しだけドアが開く。文次郎は囁くようにそう言って、「白湯でも淹れようか」と続けた。私は呻くことしか出来ず、彼氏にわざわざ薬を買わせに行ったことの罪悪感と自分の醜さに泣きそうになっていた。
「痛い」
「薬を飲め、ほら」
 水の入ったコップと、生理痛薬を手に、文次郎は私の部屋に入る。荒れ放題の部屋を見られたことも嫌だし、気を遣わせてしまうのも嫌だった。けれども薬は飲みたい。のそりと起き上がり、文次郎がわざわざ手に出してくれた錠剤を口に放り込んだ。
「白湯、淹れてくる」
「いくな」
 無意識のうちに、去ろうとする文次郎の袖を引っ張っていた。2LDKとはいえ、そんなに大きくない部屋だ。行って帰ってくるのに一分もかからない。けれどもどうしても、今この瞬間、そばを離れて欲しくなかった。文次郎は動じず、「はいはい」と私の隣に寝ころぶ。
 私を毛布でくるみ抱きしめて、子供をあやすようによしよしと頭をなでてくる文次郎の顔に、いやいややっている様子はない。だけれど心のうちでは本当は嫌気が差しているかもしれない。私は勝手に浮かんでくる涙を見られたくなくて、文次郎の胸に頭をこすりつけた。
「帰ってくるのが遅い」
「悪かった、トイレットペーパーも切らしてたのを忘れてて、慌てて買いに戻ったんだ」
「遅い」
「……悪かったって」
 トイレットペーパーの消費だって、生理中の私の方が圧倒的に多いはずなのに、理不尽極まりないのは承知のうえで、私は文次郎をなじった。この私を長時間ひとりにするだなんて、ばか、まぬけ、うすらとんかち。しかしそれらの暴言は、「こんなことを言う私のことなど、いつか嫌うに違いない」という棘となって自分自身に刺さる。
「ホッカイロ、とってくるか。湯たんぽのほうがいいか」
「いやだ。ここにいろ」
「はいはい」
 長い髪をかきわけて、文次郎はうなじを撫でる。その手のひらの温もりが心地よくて、私の涙腺はまた緩んでしまった。せっかくの休日、本当なら二人で映画でも見たかった。いたずらに時間が経つことさえ憎らしかった。
「映画ならまた今度見ればいい」
 文次郎は私の思考を読んだのか、さも当たり前かのようにそう言って笑う。大きな手が私の頬を撫で、眠気を誘った。
「少し寝るか」
「……そばにいろ」
「わかったわかった」
 彼の手が、痛みを吸い取っていく。文次郎に痛みが移ったら嫌だな、と思って顔を見上げると、隈の深い目元をふわりとほころばせた。
「……文次郎も寝ろ」
「いや、俺は掃除……」
「一緒に寝ろ」
「……はいはい、仰せのままに」
 優しい声に安心すると、まぶたが勝手に降りてきた。シングルベッドは二人で寝るには窮屈だが、熱を分け合うのにはちょうどいい。私はまどろみのなかで、文次郎の名前を呼んだ。寝ている間に、どこにも行ってほしくなかった。
 文次郎は、ここにいる、とだけ言った。うなじを撫でる手、毛布のやわらかさ。おやすみという声を合図に意識を手放しながら、明日こそ映画を見るんだ、とイブプロフェンに誓った。土曜日の午前中が、するすると溶けていった。
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