文仙

 一月は晴れ間が多い。ツンと鼻が痛くなるような、冴え冴えしい冬の空気を吸い込みながら、私は大きく伸びをした。
 昨日の夕方から晩にかけて城の動向を探るように言われ、ある程度情報を掴み、朝焼けの中帰路についているところだった。
 藍色の空が水縹色になり、黄色が混じっていく様は、いつ見ても美しい。おそらく、今際の際でも美しいのだろう。敵からの矢を受けて生ぬるい血の海の中浴びる朝陽は、憎たらしいほど綺麗なはずだ、どんな地獄よりも――そもそも、そんなミスは犯さないのだが。
 ただ、死ぬなら。道に足跡をつけないよう、木々の間を飛び移りながら、私は思い描いた。死ぬなら、文次郎の腕の中で死にたい。
 この世は非情だ。忍びが一人死んだところで、誰も気に留めない。忍術学園を卒業した後は皆それぞれの進路に就き、敵対することもあるかもしれない。その時に邪魔になるのが情だ。だから、非情であるにこしたことはない。
 それでも。それでもきっと、私の同期たちは、私の死を悲しみ、悼んでくれるのだろう。そして、文次郎は私の亡骸を抱えてくれるはずだ。燃やす役も買って出るに違いない。何から何まで、自分の手で行い、自分の物にしたがるだろう。
 そんなことをしなくても、もう私の心は彼の物であるというのに。木々の合間から見える朝陽は眩しくて、思わず目を細めた。今年はまだ雪の姿を見ていない。痕跡の残りやすい雪は忍者の大敵だが、文次郎に雪玉をぶつけるのは好きなので、そろそろ恋しい。
「やめんかバカタレ」
 そう言って鼻を真っ赤にして反撃してくる彼の、滑稽なことよ。思わずくすりと笑いが込み上げ、慌てて気を引き締める。忍務のあとに気を緩ませてはならない。帰るまでが仕事だ。完璧にこなさなくては。
 文次郎はまだ寝ている頃だろうか。この寒い中、池で寝ていたら、彼の方が死んでしまいそうだ。頼むからあたたかい布団の中にいてほしい。そして私の冷え切った手足の餌食になってほしい。彼らしくない情けない叫び声をあげて驚き、全身鳥肌になればいい。
 彼の人間らしい、人間たる言動が好きだった。生き急いでいると言っても過言ではない姿勢に、生命力を感じる。そのままのお前でいてくれよ、と願ってやまない。十年、二十年経って、いつか再会したときに、全く変わらなくあってほしい。
 そして、今の姿のままの文次郎に看取られたい。私が恋をした彼の姿で。
 朝陽が世界を包みだす。この光景を忘れることはない、と忍務から生きて帰るたびに思うのだが、それが日々上書きされていく。この積み重ねが、生きるということなのだろう。
 以前、文次郎と朝陽を拝んだことがあった。実習で二人組になって行動を共にしていた時、そう、あの時も林の中だった。寒いと震えていた私を抱きすくめて、体温を分けてくれていた。彼の命まで吸い取っている感覚になり、どくりと心臓が跳ねた。
 私が死ぬときは文次郎の腕の中がいいけれど、文次郎の死ぬ姿を、私は見たくない。桜にでも攫われればいい、私の好きなあの姿のままでいてほしい。冷たくなっていく彼を見たくない。なんて、我儘だろうか。
 私たちの生死についてなんて、今後言うつもりは毛頭ない。ただ今を全力で生きるのみなのだ。忍務をこなして、生きて帰ってくれさえすればいいのだ。そうしていつか、そんなこともあったねと懐かしく笑えればいい。
 私の好きな文次郎。その姿を永遠に留めておくには、どうしたらいいのだろう。押し花にでもできればいいのに。私は木から木へ飛び移る。
 忍務の帰りは、なにやら感傷的になっていけない。生きて帰れることが嬉しいのだ。帰ったら文次郎の首筋に手を差し入れる。飛び跳ねる彼の姿を想像して、私はやっぱりくすりと笑ってしまうのだった。
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