文仙

  飲みすぎた、と気付くのは、いつだって吐き気を覚えたあたりだ。
 それなりに飲めるつもりなのに、今日はペースが早かった。こぢんまりとした居酒屋の創作料理は意外にも旨く、少食の仙蔵にしては箸が止まらぬほどであった。文次郎はビールをジョッキで煽りながら、ほどほどにしておけよ、と仙蔵のレモンサワーの追加を止めた。
「私にだって飲みたい夜はある」
「それは俺と久々に会っておいて、このタイミングでなのか」
「このタイミングでだからだ。お前と飲みたいんだ」
 学生時代、共に勉学に励んだ仲だ。卒業後にもたまに連絡をとっては会っていたが、文次郎は仕事が忙しく、近頃はめっきり会う機会が減っていた。今日は新年会と称しての飲み会である。
「みんなも来られたらよかったんだがな」
 みんな、というのは、大学時代のサークル仲間だ。伊作、留三郎、小平太、長次。みなそれぞれの道に進んでいて忙しい。グループラインは「あけましておめでとう」で止まっている。
「でもまあ、それぞれで会ってるんじゃないか? こうして、私たちみたいに」
 茹でたピーナッツというのはなかなかにクセになる。おかわりまでした仙蔵はやみつきになり、そればかり食べていた。軟骨のからあげをつまみながら、文次郎は「伊作は」と呟いた。
「あいつは医者になったら、まっさきに俺たちを診てくれるんだと」
「なんだそれ、私たちが怪我をする前提じゃないか」
「だろ? だからそう言ってやったら、慌てて謝っていたよ」
 ははは、と二人の朗らかな笑い声が卓上に響いて、カランと氷が溶ける音がした。仙蔵は酔いが身体に現れやすい体質らしく、白い肌がうっすらと赤らんでいる。
 そうして二人、日本酒を追加したあたりから、仙蔵は飲みすぎたことを後悔しだす。けれど、楽しかったのだ。気の置けない、許しあえる仲が――兄の様に慕い、淡い恋心のようなものを抱いた相手のことを、仙蔵は一秒たりとも忘れたことはなく、だからこそ、酒がないと何事もないかのように振舞えなかった。
 帰り道、仙蔵は千鳥足で、見かねた文次郎が身体を支える。
「なんでこんなに酔っちまったんだよ」
「らって……もんじろーが……」
「はいはい」
 口では呆れるそぶりを見せているが、文次郎は、いつも完璧を目指すクールな仙蔵が、自分の前でだけここまで痴態を晒してくれるのを嬉しく思っていた。弱みを見せてくれるのが、自分だけであることが愉悦だった。信頼の証。好意の証。そして自分も、仙蔵のことは仲間の中でも特段気に入っていた。自分たちだけが纏う特別な空気が好きであった。
 文次郎は仙蔵の腰に手を回し、仙蔵がそれを振り払わないのを見てごくりと唾を飲み込む。見慣れてはいても、仙蔵は美丈夫だ。その赤らんだ頬に何も思わない方がおかしい。
 けれど、時刻はもう夜中だ。仙蔵は限界そうなので、とてもではないが二軒目は行けなさそうだ。終電までに仙蔵を帰さねばならない。さみしくもあったが、何より彼の無事が優先だ。
「ほら、帰るぞ」
「やーだ」
「我儘を言うな」
「……もっと、いっしょにいたい」
「……お、俺もだが。お前、酔っているじゃないか」
「だから言えているのだ、聞け」
 仙蔵は文次郎の手からするりと身体を抜き、正面に立ったかと思うと、両手を文次郎の首に回した。出会った頃からの体格差にも慣れたものだ。夜風が二人の頬を撫でていく。
「……私は、文次郎と一緒だと、愉快で仕方がない」
「愉快」
「……もっと、一緒にいたい」
「……それは、今だけじゃなくて。これからもずっと、と言う意味で良いか」
 文次郎は、仙蔵の自慢の長髪をさらりと撫でた。一際目を引くこの髪に、何度思いを馳せたことか。仙蔵は赤らめた頬をさらに赤らめて、こくりと頷いた。
「そう言っているだろう」
「……それは、つまり、その。そういう意味か」
「だから! そう言っている、と……」
 唇に、唇があたった。仙蔵は一瞬、それがわからなかった。文次郎は顔を離すと、その年齢に似つかわしくない顔でにんまりと笑った。彼の頬も真っ赤に染まっている。
「仙蔵」
「……なんだ」
「ずっと、こうしたかった」
「……私の方が! ずっと、ずっと……お前は気付いてなかったろうが、一年生の頃から」
「そうだったのか」
「あほ。まぬけ。今更おそい、鈍感の鍛錬ばか」
「ばかは余計だバカタレ」
 文次郎の胸元にぐりぐりと頭を沈める仙蔵を、ぽんぽんと撫でながら、文次郎は悩んだ。さて、思いが成就したのはいいものの、このあとはいったいどうしたものか。
「ホテルに誘え」
「え」
「文次郎の考えていることなどお見通しだ。こういう時はホテルで休憩しようと連れ出せ」
「……なかなか経験豊富なようだな」
「ふ、このルックスでモテないと思うか」
 さっそく沸き起こる嫉妬の感情を振り払いながら、文次郎は仙蔵の腰にもう一度手を回した。ホテルに向かうにしても、やっぱり仙蔵は千鳥足だったからだ。
 街のネオンの中に溶けていく二人の姿は、酔っぱらった通行人たちの目には残らない。二人の顔の赤さが酒のせいだけではないと、通行人たちにはわからない。そのまま二人は、多くの恋人たちがそうするように、ホテル街へと消えていった。
 後日「付き合うことになった」と動いたグループラインは騒然として、さっそく六人で会おうと決まり、質問攻めにされることになるのを、この時の文次郎は知らない。
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